妹の話
「迷惑ですか?」
浮かないレイシェスの表情を見たスタファは、少し心配そうな眉になった。
「いえ……そうではないのですが……」
どう、レースにくるんで話そうか、彼女は迷う。
母は、フラを嫌っている。
勿論、外交上の問題だから、表立って好き嫌いを言うことはないだろう。
しかし、しわ寄せはすべてレイシェスに来るのだ。
母のしわ寄せの重さは、なかなかに辛いものがある。
「フラは、ロアアールに片思いですか?」
更にスタファに押されて、彼女はすっかり困ってしまった。
ついに、彼女はひとつの決断をする。
「実は……母と祖母は、余り仲が良くなかったんです……」
遠回りの話で、彼に分かってもらえないだろうか、とそこを打ち明けたのだ。
ロアアール全体では、決してフラをないがしろにしているわけではないのだと。
「ああ……」
ふと、声のトーンが落ちた。
彼の心のトーンが落ちていくのと、同じもののように思えて、はっと彼を見る。
美しい花を見つめながら、彼は半目になっていた。
「なるほど……分かりました」
明らかなる不機嫌が、そこには隠れている。
自分の選んだ言葉が失敗だったと、レイシェスが後悔し始めた時──彼の言葉は、あらぬ方へと飛んだのだ。
「だから……ウィニーだけ違うのですか」
ぞくっと、した。
花に怒りを落とすように、それが呟かれる。
怒りの向いている先が、自分ではないことは分かった。
しかし、優しいフラの人の表情に、怒りが閃く瞬間を見てしまったのだ。
大きな落差に、心臓が止まるかと思った。
「あなたは、完璧な礼儀作法を身につけておいでだ……とても美しい。しかし、ウィニーは、まるでフラの町娘のようだ」
彼がウィニーに言っていた、無作法というもののことだろうか。
それは、あれは──何を言っても、言い訳にしか過ぎないことは、自分が一番よく知っている。
放っておかれた。
放っておかれているのを知っていながら、レイシェスも妹を放っておいた。
一応、最低限の教師はつけられていたが、それが何だというのか。
期待もされていなければ、愛のある叱りもない中で、どれほど人は成長できるというのだろう。
そんな思いが、心の中を駆け巡ったレイシェスは、知らず酷い表情を浮かべていたようだ。
スタファは、微かに首を傾けて目を伏せた。
「すみません……同じ赤毛のせいで、無意識に同族だと思うクセが出ました。ロアアールには、ロアアールのしきたりがありますね」
余計な口を挟みましたと、スタファは困った眉をする。
曽祖父の時代、あれほどフラが感謝を表した理由が、彼を見ているとよく分かった。
とても、情に厚いところなのだ、かの地域の人は。
祖母にさかのぼる長い手紙のやりとりでも、それが十分に伺えるではないか。
赤い髪というだけで、ロアアールで冷遇されている妹に、すぐに気づいて、そして怒ってあげられる人たちなのだ。
彼らにとって、ウィニーの冷遇は祖母の冷遇と、きっと同じように感じるのだろう。
「いえ……あなたの思っていることは、本当です。私は、頼りない姉で……妹一人、守れていないのです」
髪の色こそ違え、同じ両親から生まれた身内も守れない自分が、ひどく恥ずかしく思える。
だが、こんな人なら。
いや、こんな人がいるからこそ、ウィニーに希望があるのではないか。
「もし……あなたが嫌でないのなら……ウィニーをお嫁にもらってくれませんか?」
これほど、同族に情の厚い彼ならば、妹をきっと幸せにしてくれるのでは──そう思ってしまったのだ。
不躾な願いだとは、分かってはいる。
両親に叱られるかもしれない、勝手な話なのは分かっている。
それでも、ロアアールではウィニーは幸せになるのは難しいのだ。
母が生きている限り、それはない。
ならば、それならばいっそ、フラに託すという手があるのではないか。
レイシェスは、本気でそう思ったのである。
スタファは、険しい表情に変わっていった。
それほど多くはない、いくつかのことを考え、そして余り良い結論にたどり着かなかった──そんな表情。
「残念ですが……私は、あなたの妹を幸せにすることは出来ません」
返事は、表情通りというべきか。
本当に残念とは、きっと思っていないだろう正直な声音が、ゆるやかにレイシェスの胸を刺す。
既に結婚相手が決まっているか、心に決めた人でもいるのだろう。
「そうですか……忘れてください。あ、ウィニーには、このことは……」
フラの男性に、結婚の話を断られたと聞いたら、妹の心の傷がひどいものになる気がした。
ウィニーは、自分の容姿にコンプレックスを持っている。
それくらい、気づいていた。
母の言葉と、自分がいつも近くにいるせいだ。
だから、どれほど彼女が可愛らしいかレイシェスが言っても、決して妹には通じない。
その言葉は、本当に彼女を愛した他の者から伝えられなければ、何の意味もなさないだろう。
「分かっています……ただ、あなたがそれほど妹を心配していらっしゃるのなら……フラでよい嫁ぎ先を探してみましょう」
代わりに出された言葉は、とても魅惑的に思えた。
ウィニーがフラに嫁ぐ。
それだけで、彼女が幸福のように感じたのだ。
だが、顔も知らない、誰かも分からない相手に嫁がせることを考えると、まるで自分が厄介払いをしているように思えてしまう。
フラなら、どこでもいいわけではない。
妹のことを深く考えすぎたレイシェスは、こめかみを押さえた。
軽い頭痛を感じたのだ。
すっとスタファが、身を支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
優しくも情熱を秘めている男。
彼が、ウィニーを望まなかったのは、本当に残念なことだとレイシェスは思った。
これほどの扱いをしてくれる男であれば、妹もきっと幸せになれるだろうに。
「はい……」
微かに震える唇で、彼女は小さく答えた。
「部屋に、戻りましょう」
スタファは、彼女の腕を取ると、美しい春の庭を後にしようとした。
後半、ほとんどその景色を愛でる間もなく、彼と妹のことで頭がいっぱいだったレイシェスは、最後に一度だけ庭を振り返る。
ロアアールには、まだ遠い美しい花園。
自分たちの幸せもまた、遠いのだろうか。
彼女は、すっかり気落ちしてしまった。