おじ様と私
まさか、こんなに早く公爵と二人きりになれるとは、思ってもみなかった。
ウィニーは、それを喜びながらも、だんだんどきどきしてくる自分に気づく。
これから、自分が言おうとすることを、彼はどんな風に聞くだろうか。
そう考えると、胸が苦しくなってくるのだ。
「さてもさても……我が弟は、うまくやれるかな」
出て行った二人を少し気にしたように、公爵は扉の方を見やっている。
「……」
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせていると、口の方がお留守になってしまう。
二人しかいないのだから、自分が答えなければ公爵が不思議に思うではないか。
「どうかしたのかな?」
当然、不思議に思われていた。
頬が熱くなってきて、唇が渇いてしょうがない。
と、とりあえず。
「ちょっとご相談があるのですが……」
改まった口調で、そんな音を出してみる。
家の中でも使ったことのない、どこからか借りてきたような言葉。
自分の声が、自分のものとは思えなくなってきた。
「大事な話のようだね」
優しい言葉に、ただこくこくと頷く。
首はまだ、ちゃんと動いてくれた。
その上下に揺れた視界で、ウィニーは部屋にまだいる幾人もの召使いを見つける。
姉についていったのは、二人だけ。
他は、まだいるのだ。
「あ、ネイラだけ残して……さがっていいわ」
慌ててウィニーは、祖母から受け継いだ召使い一人を残し、他の部屋へと下げる。
彼女だけは、事情を知っているウィニーの味方だった。
すーはー。
ようやく相談が出来る空間が出来て、ウィニーは目の前に公爵がいるにも関わらず、大きく深呼吸した。
面白そうな目で見られているのは分かってはいるが、いまの彼女はそれどころではない。
「あ、あの……フラの公爵のおじ様……」
心臓の音がうるさくて、自分の声がよく聞こえなくなる。
それでも、きっと公爵には聞こえているだろうから、ウィニーは振り絞った勇気をしっかり握ったまま、身を乗り出した。
「わ……わた……私を妻にもらって下さるような、ご親戚の方はいらっしゃいませんか?」
ウィニー・ロアアール・ラットオージェン、15歳。
決死の覚悟で、ついにそれを言いきった。
言いきった反動で、そのっままぐったりとソファに背を投げ出してしまったが。
ぐったりと同時に、公爵の顔を見るのが怖かったのだ。
いま、彼は一体どんな顔をしていて、そしてどんな風に思っているのか。
公爵の娘が、こんなことをよその公爵に願い出るなんて、普通なら絶対にありえないだろう。
そんなことは百も承知の上で、フラの公爵だからこそ打ち明けたのだ。
この気持ちを──理解してくれるだろうか。
「……ロアアールの公爵は、何とおっしゃっているんだい?」
返された言葉は、ごくごく常識的なものだった。
当然だろう。
ウィニーは、ソファの背もたれから何とか身体を離し、きちんと座りなおした。
「父は何も……でも……母は……私をアールにやろうと考えているようです」
父が元気であれば、母の野望も打ち砕かれたかもしれない。
しかし、王都行きをせがんだ時の父は、去年よりももっとやつれていた。
もし、このまま父が亡くなるようなことがあれば、姉が公爵になる。
そうなれば、きっとウィニーはアールに嫁にやられてしまう。
姉は、決して母に逆らえないのだから。
「アールに……それはまた」
各領地の力関係を、よく分かっているだろうフラの公爵は、深く考えるように呟いた。
「おじ様の親戚のどなたかが、一言妻に欲しいと両親に行っていただければ、私はフラに行けるかもしれません」
『フラに逃げられるかもしれません』
本当は、そう言いたかった。
祖母の故郷であり、この髪の故郷でもあるフラであれば、いまよりももっと自分が幸せになれるのではないか。
ウィニーは、若く浅はかながらに、そう思ったのだ。
「ロアアールの公爵の奥方は、我々を余りお好きではないようだね」
遠く離れていても、それは伝わってしまうのだろう。
ウィニーたちの代で途切れた手紙や、付き合いの端々できっとそういうものは出てしまうだろうし、謁見会のために都に来た父から、何か聞いたのかもしれない。
「ウィニーは……つらい思いをしただろうね」
優しく情け深い声でそう語られると、簡単に心が流されてしまいそうになる。
でも、どう答えていいか分からなかった。
そうですと言ってしまうと、姉や父に迷惑がかかる気がした。
けれども、大丈夫と言ってしまったら、二度とそんな優しい言葉を聞くことは出来ないように思えて。
「私……この赤毛は、大好きですよ。美人ではないですけど、この色のおかげでいつでも明るい気分になれますから」
結局、変な言葉を並べてしまった。
毎朝、召使いを苦労させる髪だが、その分、おそらく人よりも長く鏡の前に座ってきたのだ。
毎朝毎朝、鏡に映る明るい髪を見る度、自分を励ましていた。
「ウィニーは、フラの花のように可愛らしいよ。明るい心と、お祖母様の古いドレスを喜んで着る、慎ましい心を持つ優しい女性だ」
最大の賛辞と言っていいだろう。
公爵にとっては、女性に言い慣れた言葉の一つだろうが、ウィニーにとってはこれまでの自分を、全て肯定してもらった気がしたのだ。
手紙で書いた、祖母のドレスのことまでも、ちゃんと覚えていてくれた。
「ありがとうございます、心から嬉しいです」
おかげで、涙をこぼさずに済んだ。
泣いてしまうには、余りに勿体なさすぎたからだ。
今夜、ベッドの中で何度も何度も言葉を思い出して噛みしめて、幸せだと思うことだろう。
そして。
「ウィニーの嫁ぎ先のことは、前向きに考えさせてもらうよ……大事な可愛いはとこ殿の人生だからね。真剣に考えなければ、私が一生後悔するだろう」
フラの公爵は、ウィニーにとって本当に、最高の親戚だと思い知らされた。
こんなにも彼女の行く末を案じて、しかも真剣に考えてくれるというのだ。
光明が、見えた。
ロアアールの長い冬のような、ウィニーのつらい時代の終わりが、フラの公爵の向こうに見えた気がしたのだ。
「ありがとうございます……お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
どこからか借りてきた言葉だって、いまの彼女はするするっと口に出せてしまう。
本当は。
『ありがとう、おじ様!』
そう叫んで、彼の首にかじりついて、感謝の抱擁をしたいほどだった。
だが、いまのウィニーの中には『不作法』と鳴く赤い鳥がいたため、多くの力が彼女を引き止めたのだ。
そうしたら。
公爵は、少し苦笑して。
「ありがとう、おじ様、でいいよ」
ものの見事に、ウィニーの心を読み当てられてしまった。
一字一句違わないのだから、恐ろしいことだ。
それほど、彼女は分かりやすい性格をしているのか。
そのせいで。
「ありがとう……おじ様……」
恥ずかしくなったウィニーは、赤くなりながらはにかむお礼が精いっぱいになってしまったのだった。