パン屑の量
パン屑以下の本音、パン屑以下の愛。
そんな、吹けば飛ぶようなものを放り投げられ、ウィニーは少し戸惑った。
あるとは思っていなかったものが、これっぽっちだけあると聞かされて、そのこれっぽっちの小さなものを、アリを観察するがごとく、じーっと見つめる。
「ウィニー……そんなゴミみたいな愛で、本当にいいのかい?」
アリの観察中の彼女に、フラの公爵が問う。
元王太子のギディオンの言葉を捕まえて『ゴミ』と評すのだから、公爵もこの件については大いに不満というところだろう。
それに、ウィニーは小さなため息をついて見せた。
『丸く』と言ったのに、しょうがないなあと。
確かに、ギディオンは半分の問題については丸く収めた。
異国への侵攻について、だ。
ウィニーがフラへさらわれる要因となった、ロアアール側の理由がそれだった。
ギディオンの言うがままにウィニーが操られて隣国へ侵攻し、軍に甚大な被害を出したり、ロアアールを危険にさらすという可能性を、軍は排除しようとしたのである。
そこで、ギディオンはやり方を変えた。
ニーレイ・ハドに自力で乗り込み、暴動を起こして簡単に侵攻できるチャンスを作ったのだ。しかも、スタファを餌にするというオマケつき。
これには、ウィニーの姉もロアアール軍も逆らえなかった。
そして、ギディオンはこの地で、民衆の高い支持を得ている。傍から見ているだけなら、文句なしの模範的な行動と言っていい。
こんな男に、ロアアール軍が面と向かって逆らえば、逆にここの民衆の反感を買うことになってしまう。
そういう意味で、ロアアール側は多少いびつではあるかもしれないが『丸く』収まったのだ。
しかし、フラ側は違う。
勿論、ロアアールを危険に晒すという可能性も考えてくれていたはずだが、やはりメインは『この男と結婚すると、ウィニーが不幸になる』、という点だろう。
血縁であっても、母のような人もいるというのに、遠く離れた地に住むフラの兄弟が、本気でウィニーの幸せを考えてくれていたのだから、これについては嬉しい部分もあったのだが。
「フラのおじさま……ギディオンは、嘘をつくのに何のためらいもない人ですよ」
ウィニーは、自分の皿の上の固いパンの感触を確かめるべく、軽く指でつついた。
コンコンと音がしそうだ。
「けれど、『愛』の話だけは……多分、一度も私に嘘をついたことはないと思います」
パンを取る。
ギディオンと同じように、ウィニーは両側を持ってぐぎぎと力を入れる。
ばりっと、パンは二つに裂けた。
パン屑は、パラパラと皿の上に落ちていく。
「私だけを、彼が愛していると言うのなら、そうなんでしょう……パン屑が出る量は、人それぞれですし」
ウィニーは、自分の皿の上を眺めた後、両手のパンをそこへ戻した。
フラの公爵を見ると、複雑な瞳でこちらを見つめ返してくる。
まだ、全然納得していないようだ。
「ギディオン」
ウィニーは、彼の方へと向き直った。
「これから一生、私だけを愛してくれる?」
あえて、愛の量については聞かなかった。
条件を厳しくすると、『正直』な彼が否定しかねないからだ。
これは、フラの兄弟に見せる、ウィニーが一生懸命頑張って考えた茶番なのだから。
「お前がいれば十分だ。いや、手に余るかもしれんな」
ギディオンは、表情も変えずに彼女の茶番を受け入れる。
愛の許容量の小さすぎる男にとって、小さな小瓶に一滴それが入っていれば十分なのか。
ウィニーという、赤い液体が一滴。
親も兄弟も周囲の女性たちも、そのたった一滴を、彼の小瓶に注ぐことは出来なかった。
そう考えれば、自分のことながら、赤い液体がそこに入っていることは奇跡みたいなものなのだろうと思った。
「ウィニー……お前は?」
小瓶の中身のことを考えていたウィニーは、まさか自分に疑問が投げかけられるとは思っていなかった。
ギディオンが、パンの半身を握ったままの手で、自分の皿の上のたったひとかけらのパン屑を指してこう言うのだ。
「お前は……一生俺だけを愛すのか?」
それは、予想外の問いだった。
まさか、彼が自分に愛を要求してくるとは、思ってもみなかったのだ。
「ひ、ひどいこと……しないなら」
反射的に、ウィニーは答えてしまった。
過去、ギディオンがやらかした所業の数々が、彼女の頭の中を駆け抜けて行ってしまったせいである。
そのため、フラの兄弟を安心させるための、お手本のような返事が出来なかった。
「ひどいこと? お前を泣かすようなことか?」
「いろいろ全部です!」
思い当たる節がないようなギディオンの態度に、すかさずウィニーは突っ込んだ。
「はっはっはっ」
そんな二人に、フラの公爵の軽い笑い声がかぶる。
どきっとして、ウィニーは視線を公爵へと戻した。
「そこまでウィニーが言い返せるんなら、心配はいらないな」
「兄上!」
兄弟の、速度の違う言葉が交錯する。
公爵は、弟の非難めいた言葉を手で制した。
「分かった、認めようウィニー。その代わり……もし彼を殺したいほど憎いと思い始めたら、必ず私に手紙を送るのだよ」
公爵の手にも、パンが握られる。
そのまま、彼もまたパンを二つに引き裂くのだ。
「ウィニーが、その綺麗な手を汚す必要はないのだからね」
パン屑は──ひとかけらも落ちることはなかった。