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パン屑以下の愛

 無事、ニーレイ・ハド(東牙の王国)からの第一波の攻撃を防ぎきり、町は本当の意味で祝賀ムードに沸きたっている。


 防衛の勝利により、これまで町という肉に突き立てられていた牙が完全に外れたのを、みなが実感したのだ。


 ロアアールの姉が、毎日のように頑張って食料を送り続けてくれているのも、彼らを心強くさせている要因だろう。


 多くの軍を動かし続けている上に、それを上回る食料を準備するということは、相当苦労しているはずだ。


 おそらく、一番近いアール(西)から、安くはない価格で買い続けているに違いない。


 ロアアールの財布が空になる前に、この地を自立させる。


 そのために、ウィニーはすぐさま、ロアアール婦人会から送られた寒冷地に強い芋を植えた。


 ひとつの芋を切り分け、株を増やして畑に埋める。


 この芋は、すぐには食べられない。


 収穫したものを、また切り分け増やしていって──人々の口に入り始めるのは、再来年くらいだろう。


 遠い話のように感じるが、二年なんてあっという間だ。


 とにかく一度無事収穫し、その収穫量が満足のいくものであったなら、町の人の大きな希望になる。


 それを信じて、皆と一緒に手を土で汚しながら、ウィニーも芋を植えた。


 ギディオンは、側で突っ立ったまま見ていたが。


 怪我が完治していないという言い訳もあるが、ウィニーが頑張るところについては、彼はあまりやる気を出さないようだ。


 それでも民衆は、彼らをくすぐったい瞳で見つめてくれる。


 そんな中、ギディオンは彼女と仲むつまじいかのように、こう呼びかけるのだ。


「ウィニー」、と。


 ギディオンが、ウィニーを側に置き、彼女の名を呼ぶのは、その方が彼にとって都合がいいから──そう、彼女は思っていた。


 元々、隣国への侵攻という新しい光を見せられ、それにまんまと乗ったのはウィニーだ。途中経過こそ大きく違うものの、結果的に同じことが、いまこの町で起きている。


 永遠の共犯者。


 それが男女であれば、結婚するのが一番ふさわしいだろう。


 ウィニーだって、理解はしているのだ。


 けれど。


「婚姻関係を結ぶか」


 夕食時、合流していたフラの公爵や、スタファのいるところで、ギディオンがずぱっとそれを口にした時は、何を言い出すのかと慌てた。


 ウィニーが、具の少ないスープを吹き出さなかったのは、褒められてしかるべきだろう。貴重な食料を、粗末にせずにすんだのだから。


「そ、そんなことは、全部落ち着いてからでいいでしょ」


 わたわたしながら、彼女はとにかくスプーンを置く。また、ロクでもないことを言われて、淑女にあるまじき状態になってしまう前に。


「ここに俺が妻を娶って定住することが、更に町を平穏にするからな」


 彼が口にする理屈は、おそらく正しい。


「そこの男は、ロアアールの婿になって、ここには残らないのだろう? だから、俺が残る。そして、ウィニー……お前も残る」


 しかし、スタファについてあけすけすぎる言葉を投げつけ、ここを治める権利を剥奪したのだ。


 最初から、自分がここを獲る気満々だったくせに。


「ギディオン、お前……」


「ロアアール公爵の夫として立派に勤めを果たせよ」


 スタファとギディオンの、おそらく一年前から進歩していないだろう温度の違う睨み合いが起きる中。


「統治を誰に任せるかについては、イスト(中央)から追って沙汰があるだろう……君たちの結婚についても、だ」


 フラの公爵は、穏やかにギディオンの野望をさえぎった。


 この地は、拳の国の領土の一部となったのだから、当然の話である。最前線の人間だけで、決められるはずがない。


 しかし、ウィニーは公爵の言葉が、むなしいものに聞こえた。


 少なくとも、ギディオンに向けられた言葉としては、何の意味も持たないと分かっていたのだ。


「ここを再び、中央の左遷場所にする気か? 愚かすぎて反吐が出る。イストが何を言ってこようが、ここは俺が治める。この女は俺の妻にする」


 要するに、中央の言うことなんか聞く気はないし、そんなものに行動は左右されない──ウィニーにも、大分ギディオン語が理解出来た。


 これでもしイストが、ギディオンを反逆者とみなしたら、今度はロアアールがギディオン討伐に来るという笑い話になる。


 そんな愚かな真似は、さすがの中央もしてくることはないだろう。


 そんな内部混乱の隙に、ニーレイ・ハドが再びその牙を、この地に突き立ててくるに違いないからだ。


 そこまでは、彼女の頭でも考えられたが。


「ウィニーは、ロアアールとうまくやっていくための人質かい?」


 公爵が付け足した言葉は、彼女をひどく驚かせた。


 そんなことを、考えたことがなかったからだ。


 しかし、考えてみれば、それはとても都合のいいものだった。


 妹がいるため、姉はこの地に対して無茶なことはしてこない。更に、もしロアアールがこの町までの統治権を得た場合、公爵の妹とその婿(?)が預かっているという形にして、体面を保つことが出来る。


 非常に、周囲から文句をつけにくい形が、ウィニーによって出来上がっているではないか。


「ふ……ふふふ」


 彼女は、自分の価値とやらに気づいて──おかしくなって笑い出していた。


 こみ上げるものを、どうしても抑え切れなかったのだ。


 馬鹿馬鹿しい、と。


「公爵のおじさま……ギディオンは、私なんか人質にする気はないですよ。彼は、最初から私の肩書きなんて、これっぽっちの価値を見出してなんかいないんですもの」


 ウィニーは、自分がギディオンにとって都合がいいのは分かっている。


 しかし、それはロアアール公爵の妹という地位が、都合がいいということではない。


 彼が不得意とする分野を、ウィニーが引き受けられるという点が、都合がいいだけ。


 嫌いな食べ物を、周囲に気づかれないように彼女の口に押し込む気満々なのだ。


 それ以外の事は、ギディオンにとって好物に過ぎない。


 イストとどれほど軋轢が生じようとも、ロアアールと睨み合うことになろうとも。


 そうでしょうという目で、ウィニーがギディオンを見ると。


 彼は目を細めて、その唇に薄い笑みを浮かべた。


 この悪そうな顔は、決して町の人たちには見せられないと、ウィニーは思った。


 そんな笑みで。


 彼は。


 言った。


「お前がどんな身分の女であっても、俺はお前を妻にする」


 告白ではなく──酷薄な言葉に聞こえるのだが、ウィニーの耳は正常に違いない。


 もしも、ウィニーを手に入れるのに障害があったとしても、どんな冷酷な方法を使ってでもなぎ倒すと、言われている気がしたからだ。


 それは。


 彼女は、その酷薄な意味を考えようとした。


「それは……愛かね?」


 だが、言葉にしたのはフラの公爵の方が早かった。


「違うだろ」


 忌々しそうに答えたのは、スタファだった。


 そんな兄弟のやりとりに、ウィニーはギディオンに視線を送った。


 彼らを敵に回せば、ウィニーが誘拐された事件と類似したものが、また起きてしまう。


 いまこそ、彼が『丸く』おさめるべき場所なのだと。


 クッと、喉の奥でギディオンが笑った。


 滑稽な話でも、聞いたかのような反応だ。


 ウィニーは、ため息をつきながら覚悟した。フラの兄弟を、この後どう説得するか、という覚悟だ。


「愛だと?」


 言葉を引きちぎるように、彼は固いパンを掴んで、二つに引きちぎった。


 パン屑をひとつ落としただけで、見事にちぎられたパンの身体の向こう側。


 ギディオンは、不敵な笑みを浮かべたまま、話をこう締めくくった。


「パン屑以下の俺の愛なんてものは、そこにしかない」


 彼が顎で示した先にいたのは──ウィニー。


 あれ?


 彼女の想像した答えと違って。


 ウィニーは、しばらくその言葉の意味を考えなければならなかった。



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