嫌いな食べ物の片付け方
「ウィニー」
ギディオンは、頻繁に彼女の名を呼ぶ──特に人々の前で。
ベッドから離れた彼は、町に積極的に出てきた。しかし、その身体は、まだ完全に元通りというわけではなく、側についている人間が必要だった。
彼は、忙しいウィニーを捕まえて、その役目を担わせたのだ。
「町の人間に顔を売っておけ。お前が誰なのか、ここの連中はほとんど知らないのだからな」
断りかけた彼女の耳に、ギディオンが囁く。
それは、恐ろしいほどの正論だった。
いまだ、ウィニーはこの町にとっては、お客さんの一人なのである。
一緒に戦ったギディオンやスタファの勇名は、町のいたるところで聞くところが出来た。
ロアアールの訛りが、こちらの言葉と似ていることもあって、多少は聞き取れるのだ。
例を挙げれば、拳の国では東のことをニールという。東牙の国では、ニーレイという。ロアアール訛りとここの訛りは、その中間あたりをさまよっている、という感じだった。
そんな、まだ完全にコミュニケーションの取れ切っていない地域で、顔も知られていないウィニーが何を言ったところで、町の人からすれば「何だこいつ」が関の山だろう。
しかし、この町で一番有名な男の一人であるギディオンの側にいて、彼の動きを助け、頻繁に名を呼ばれれば、自然とウィニーの名は広まっていく。
ただしそれは、彼女の望む形とは少し違った。
気づけば、『ギディオンの未来の伴侶』として、その名は広まっていたのである。
間違ってはいない。
元々、そうなるはずだったのだから。
しかし、逆に言えば、ロアアールの公爵の妹という地位は、ここではギディオンのおまけ程度の意味しか持たないことを思い知るのだ。
この地において、暴動成功の立役者である二人が、既に英雄状態になっていることを、ウィニーは町の人に触れる度に痛いほど感じる。
そして、一番驚いたのは──ギディオン自身が、それに否定的な態度を取らない、ということだった。
感謝の言葉をぶつけられる度に、「お前たちが頑張ったからだ」などという、心のこもっていない言葉を返すのを、ウィニーはすぐ隣で見ていた。
それなのに、町の人たちは感激に涙さえ浮かべる者もいる。
「……」
ウィニーは、そんな男を横目でじとっと見た。
「何だ?」
少しの間の後、彼が視線も向けずに問いかけて来る。
「ここの人たちを……騙すんですか?」
彼女は、恐れていた。
ここの人たちは、傷つきながら今日まで生きてきた。
そんな彼らが英雄と慕う男に、もしも裏切られるようなことがあったら、どうなってしまうのか。
そんなウィニーの心配を、彼は鼻の先で笑う。
それが、どうしたと言わんばかりだ。
「一生騙し切れば……結果は、本物だろうが偽者だろうが同じものになる」
ウィニーは、頭を抱えた。
ギディオンは、やっぱりギディオンだった。
この町の人たちと直に触れて、最前線で戦って、その身に大きな傷を作っても、やっぱりギディオンだったのである。
彼は、善なる者になる気は、これっぽっちもない。
代わりになろうとしているのは──最高級の詐欺師。
ギディオンは、この町の英雄として、後にこの町の統治者として、町の人間に一生まがい物の幸せの夢を見せ続ける気なのだ。
「お前のしている事と、何か違うか?」
頭を抱えたウィニーを、面白そうに彼が見ている。
「心が違います!」
キッと彼を見上げて、ウィニーが即答すると。
彼は、皮肉に顔を歪めた。
「善とか愛とかの話か?」
嫌いな食べ物の話をしているかのように、彼はその言葉を口にする。
「そうです!」
ウィニーは、その嫌いな食べ物とやらを、彼の口にねじ込みたい衝動にかられる。
そんな眉を吊り上げた彼女を見下ろして、ギディオンは口の端だけで笑みを浮かべた。
そして。
言った。
「何のために、お前がいるんだ?」
嫌いな食べ物を、ウィニーの口にねじ込もうと思っていた男が──ここにいたのだった。