第二部 新選組誕生
我ら新選組
第一章 京へ
文久三年――
江戸の空は重く曇っていた。
冬の名残を引きずるような冷たい風が、市ヶ谷の外れにある小さな道場の軒を揺らしている。
試衛館。
貧しいが、剣だけは本物の道場だった。
まだ朝も早いというのに、門の前には人影があった。
近藤勇。
土方歳三。
沖田総司。
山南敬助。
永倉新八。
原田左之助。
長く同じ釜の飯を食ってきた仲間たちだった。
誰も口を開かない。
だが、ここに集まっている時点で、答えは決まっていた。
やがて近藤がゆっくりと門を振り返った。
何度もくぐった門だった。
雨の日も、雪の日も、飢えた日も。
この場所で剣を振り続けてきた。
そして今――
「京へ行くぞ」
低い声だった。
だが、その一言で全てが動いた。
土方が小さく息を吐く。
「……やっぱり言ったか」
予想していた言葉だった。
幕府が浪士を募っている。
京の治安を守るための部隊。
名目はそれだけだが、実際は違う。
都は荒れている。
攘夷派が暴れ、
志士が暗殺し、
町は血に染まっている。
剣の腕がある者には、仕事がある。
そして――
名を上げる機会でもあった。
永倉が腕を組んだ。
「命の保証はねぇぞ」
原田が笑う。
「今さらだろ」
山南は静かに空を見上げていた。
「時代が動いていますね」
誰も否定しなかった。
総司だけが、いつも通り笑っていた。
「いいじゃないですか」
その声は軽かった。
「どうせ剣で生きるんです」
近藤が総司を見る。
まだ若い。
だがこの中で、一番強い。
誰よりも速く、
誰よりも迷いなく、
誰よりも静かに斬る。
「戻れなくなるかもしれねぇぞ」
土方が言った。
冗談ではない。
京に行けば、人を斬る。
仲間が死ぬ。
自分も死ぬかもしれない。
試衛館には戻れない。
もう二度と。
しばらく沈黙が続いた。
風の音だけが聞こえる。
総司が一歩前に出た。
「戻る場所があるから迷うんです」
皆が総司を見る。
「俺たちは最初から剣しかない」
近藤の目が細くなる。
総司は笑っていた。
「なら、最後まで剣でいいじゃないですか」
その言葉に、土方が苦く笑った。
「お前らしいな」
原田が笑う。
「決まりだな」
永倉がうなずく。
「どうせ退屈してたところだ」
山南が静かに言った。
「行きましょう、近藤先生」
近藤はしばらく黙っていた。
道場を見る。
庭を見る。
柱を見る。
何もかもが、ここにある。
だが――
ここにいても、何も変わらない。
時代は外で動いている。
剣を振るうなら、そこへ行くしかない。
近藤はゆっくりとうなずいた。
「なら決まりだ」
誰も動かない。
だが、心はもう決まっている。
「俺たちは、剣で生きる」
近藤が言う。
「逃げねぇ」
土方が続く。
「曲げねぇ」
永倉が言う。
「最後までだ」
原田が笑う。
山南が目を閉じる。
総司が最後に言った。
「死ぬまで、ですね」
一瞬だけ、空気が止まった。
だが誰も否定しなかった。
その覚悟は、全員同じだった。
近藤が門を開けた。
きしむ音がした。
その音が、妙に大きく聞こえた。
試衛館を出る。
一歩。
また一歩。
振り返る者はいなかった。
この時、まだ誰も知らない。
この中の誰かが処刑され、
誰かが戦場で死に、
誰かが病で倒れ、
そして誰かが最後まで戦い続けることを。
だがそれでも――
彼らは歩いた。
剣しか持たない男たちが、
時代の中心へ向かって歩いていく。
京へ。
血の都へ。
それが、新選組の始まりだった。
次回へ続く




