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8.心を込めたバレンタイン

  

             一



 ついに私にも春が来そうな気配だ。

 季節は冬の真っただ中だけれど、心はやはり浮足立つ。

 そういうことである。

 好きな人ができた。

 このバレンタインに賭けるしかない。

 友チョコも義理チョコにもお金をかけずに、山科誠司先パイに。



 大学に入ってもうすぐ三年。

 私、新見由梨二十一歳は、付き合ってきた人とはいつも長続きしない。

 軽くカラーリングしてある胸元までの茶髪の毛先は、ゆるくカールをかけて甘い雰囲気を出す。つけまつ毛は忘れずにつけて、爪にはマニキュア。ちょっことネイルアートで上品に。チークは派手にならない程度にポンポンとのっける。

 過去にモデルにスカウトされただけあって、スタイルと顔には自信がある。

 だからもてるのだ。自分で言うのもなんだけど。街を歩けばナンパされるし。

 合コンでは必ず、メアド交換し相手がサークルに入っていれば差し入れも持って行って、お返しに様々なものをもらったりしている。

 まあ、それが長続きしない理由だ。

 インスタントで作れるマフィンとかで、ブランド物の指輪やネックレス、ブレスレットを買ってもらったりしていた。ああ、それと時計とかバックもあったか。

 最短一週間、最高二か月。これまで数知れずの人と付き合ってきた。

 唯一の友達千里──倉井千里──は、

「ゆりちゃん、ダメだよ。いい加減につきあっちゃ」

 と、ボブのウェーブをかけた髪にパープルのラメつきカチューシャをつけながら言った。

「良心の呵責とかないの?」

 目を細め、小さい子を叱るように千里が続ける。

「うーん。カシャクって何?」

「まったくもう。知らない顔してとぼけて」

 はあとため息をついた。

 実際、そんなものはほとんどない。逆に男って単純だと思う。

 しかし、この子だけだよ。私の我がままに付き合ってくれるの。


 

 と話は戻して。

「君にはついていけない」だの「思ったより性格が合わない」なんて理由で別れて来たけど。

 何で今頃こんな一目惚れがあるんだろう。おまけに奇遇にも同じ大学の一つ上の先パイ。これは運命だ。

 私はくすぐったい気持ちで、毎日を過ごしている。



           二



「おい由梨、お前またサボっただろ」

「なーんのことかしら」

 私に全くひるまずに口を出す男は、小学校の頃からの幼馴染だ。

 私の周りではイケメン(どこが?)と人気がある。世の中の七不思議の一つだ。

 私はそんな風に見たことはないから。背は高い。だからかな。一八〇はあると思う。革のブレスとネックレスをしてる。

 ついでにサボったとは、言わずと知れた講義のこと。気分が乗らない感じだったからキャンパス内を散歩してた。

 寒かったけど。キャンパス内はそれでも人が溢れてる。

「お前なー、いい加減に。……そういやまた彼氏と別れたんだって?」

「あーそれ、結構前よ。やらせてくれなきゃ何も買ってあげないって言うの。ムカついたからフッてやったわ」

「そういうの、女の口から言うなよ。もっと真面目に付き合えよ。しかも二週間前って最近じゃないのか? ……お前もさー……」

「何よ…」

「……いや、今のお前に言ってもしょうがない」

 私は一呼吸おく。

「……ふーん。にしても、あんたまで千里みたいなこと言うのね」

「ああ、倉井はいい子だよ。見習いたまえ」

「ムリ」

「なぜそこで即答するんだ」

「だって人種が違うもん。でもいいんだ、好きな人出来たから」

「ええっっ!」

 純平は──そう白石純平という──露骨に驚いて小さく一言「この変わり身の早さはどこから来るんだ……」なんて呟いてた。

「三日前だけど。一目惚れ。あるのねー。こういうこと。バレンタインが楽しみだわ」

 私はそう言ってうふふと笑みを作った。

 そうでないと心が正常に保っていられないくらい、夢中になっていた。ここまで本気で人を好きになったのは初めてだった。

 胸の中が、とくんと鳴るのが分かった。音が漏れないか不思議なくらいだった。

 純平は、

「哀れなり」

 と捨て台詞を残して去って行った。

 失礼な奴ね。



 千里にも話してなかった誠司先パイのことは散々訊かれた。

 やっぱり今までと態度が違うらしい。

「だからね、駅のホームでカバンに入れようとしたパスケースを落としたのをさり気なく拾ってくれて……。顔を見た瞬間、なんかすごいドキッときたの。でね、電車が来るまでの一、二分間少し話して、それでうちの大学の人って分かったんだけど。話している間、恩着せがましいこととか、媚うってきたりとか全然しないで、だから余計気になって。うん、一目惚れしたよ。すごい優しいオーラが出てたんだもん。あ、でもね、先パイ、私のこと知ってるみたいだったなあ。何でだろう」

 千里の家に上がり込んで、一緒に夕食のパスタを食べながら説明する。

 千里はカルボナーラ。私はアラビアータ。千里はちゃちゃっと何でも作る。

「でもゆりちゃん、本当にケーキ作るつもり?」

「もっちろん」

「難しいと思うよ」

 ひじをついて千里がうーんと唸った。

「だから千里に教えてっていってるんじゃんよう」

 最大級の甘え口調で、人差し指でつんつんと彼女の腕をつつく。プニプニしてるなんて言ったら怒られるかな。

「私は料理の方が得意だからスイーツはちょっと……。あ、区とかで教えるケーキ教室みたいなのあるかもよ? 探したみたら?」

「……そうね。千里は今回はどうすんの?」

「今年は友チョコかな。あと仕送りしてもらってるから親にも義理チョコくらい」

「まあ、そんなものなんだ」

「うん、でも幸せだし」

 にこっと笑って千里が言った。この子はどうして何の見返りも求めずにいられるのだろう。謎だ。


 そうして数日。区の教室を探している。

 今日の外は雪が降って幻想的に灯りときらめく。アロマをたきながら、心が落ち着いていくのを感じて私はそのチラシを見つけた。

 教室は計ったように、バレンタインの前日だった。

 その日がくるまで、バツ印をつけながらカレンダーをチェックしている。

 そして、区の建物に朝早くから準備して行って、早く着きすぎた私は裏口で待っていた。白のコートにファー付きの襟。ウエストをベルトで絞めて大人っぽく。

 エプロンは忘れずに。あと三角きんも。

 この日のことは忘れずにいるだろう。

 だって参加しているのはほとんどが小学生。二十歳前後は私だけ。

 しかも、生クリームはなかなか泡立たなくて先生に直接教わるし。小学生は出来てるのに!

 基本から作るのが、こんなにも難しいとは夢にも思っていなかった。……そりゃ多少の覚悟はしていたけど。

 けれどなんとか形になり、ガトーショコラケーキは完成した。



        三



 翌日。バレンタイン当日は珍しく気温が上がり、私はケーキの心配をしていた。

 寒い中で会うのは嫌だったけれど、結局バカみたいにツテを頼って来てもらうことにした。会うのは三回目。わざと探してすれ違いざま挨拶したりしていた。

 それだけで幸せだったから。

 自信はあった。

 ちゃんと心を込めて作ったし、私は見た目もいいし、一つ下って言うのも可愛らしくてポイントが高いだろう。と、勝手に思っている。

 きょろきょろしながら先パイが来て、私の方を見つめ、ああ、なんて感じで頷いてた。

 気温が高いとはいえ真冬。白いダウンジャケットに、ジーパン。さらりとしたカッコよさだった。端正な顔立ちに、目が釘付けになる。

 心臓が高鳴るのを感じた。

 何から言おうか。あ、自己紹介か。

「私三年の新見由梨っていいます。先パイのことが好きです。……これ、手作りです。良かったらもらってください」

 しまった、声が裏返った。でも一応可愛い声は出せた。緊張する。

 しばらくの間。私は直視出来ずにいた。自信はあるのに。おかしいな。

 彼女とかいるのかな。初めて今更ながらそんなことに気づき、鳥肌がたった。そんな人がいたら私はどうなる?

 ホームでのこととか憶えているのかな。

 困っているのかな。見れないから漂う空気でしか分からない。

 やがて静かに穏やかに、先パイが口を開く。

「ごめん。君のことは知ってるよ。噂も聞いてる。結構君、有名だから。気持ちは嬉しいけど、これもインスタントでしょ?」

 一気に、でも感情が入っているか分からないくらいに、流暢に先パイは言った。  

 ホームのことは、一言も触れなかった。

 絶句。

 ぐさぐさって体がナイフで刺されてえぐられたみたいだ。ゆっくりと顔をあげる。でも先パイは悪いことなど欠片も言ってないような変わらない表情だった。

 ああ、そういうことなんだ……。

 私はそう思われることをずっとしてきたんだ。

 今日のケーキは一から作った、純粋な手作りだったのに、先パイは私のケーキがいつもインスタントであることを知っていた。

 自業自得だ。でも今回は、本当に今回ばかりは真剣だったのに。

 生まれて初めての失恋だった。

 こんな痛みなんだ。寒さも感じる。体の芯から力が抜けていくのが分かる。立っていられるのが不思議なくらいに。

 私が今まで、フッてきた人もこんな気持ちだったのかな。

 じゃあ、と背を向けて歩きだした先パイは、もう私の知ってる先パイじゃなくなっていた。

ねえ先パイ、私がどんな想いをしているかなんて知らずに行っちゃうの? どんな気持ちでこれを作ったか、知っているのかな。知らないよね。知るはずが、ないよね。

 悔しくて悲しくて、箱ごと地面に叩きつけた。

 グニュ、ビチャっていう音がしてケーキの崩れる感覚が分かった。

 私をフるなんて見る目のない男、そう思うのに。

 だけどどうして涙が出るの?

 悔しい、悔しい、悔しい!

 でも分かってる。全部今までの自分のせい。だから悔しいんだ。

 俯いていたらその箱に手を伸ばす腕に目がいった。

 そしてそのまま指で一口すくい、舐める。

「美味い」

 純平だった。

「ちょっと……なんであんたがここにいるのよ」

「たまたま」

「んなわけないでしょ!」

 それには一言「秘密」と言った。

「……由梨、お前これ買ったんじゃないよな? 作ったんだよな?」

「……? そうよ?」

「うん、お前、ホントにあの人のことが好きだったんだな」

「うん、好きだった」

 本当に、心から好きだった。

「だろうな……。……態度が違ってたよ、この一か月。人って変わるものだと思って見てた」

「だけど結局、今までのつけが来たのかな」

 今、分かった。

 そう付け加える。

 純平が苦笑いしながら、ばらけた箱を拾う。 

「なあ、今度は俺のために作ってよ」

「何で……?」

「言わせるなよ」

 そっぽを向いて、拗ねたようにも見える。心なしか、顔も赤くなってる気さえする。こんな顔、見たことない。

 え、それって。ちょっと待って。まさか。頭が混乱してきた。でも純平が?

「もしかして、私のこと好きなの?」

「察しろよ、それくらい!」

「へーえ。そうなんだ……」

 思わず顔を覗きこもうとするけれど、純平は顔をそらす。

 そうか、そうだったのか。だから私の変化にも気付いたんだ。

 なるほど、と納得する。

「いいよ。来年できたらねっ」

「……っっ!」

 まだ文句がありそうな純平の顔をよそに、私は泣き笑いの表情で答えた。

 来年は今年よりスムーズに作れるといいな。

 私は空を仰いでそう思った。凍えそうな心に、ほのかな灯りがともった。




   【終】




《初出》

 2012年2月14日発行 合同誌「pure assort」収録

 ※ 個人誌収録なし

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