ハムスター化の謎 1.服はいずこへ
昨日からか、一昨日か。
ヴァルトルーデがどこかそわそわした様子で自分を盗み見ている事に、マティアスは気付いていた。
何か頼みがあるのか、知りたい事があるのか、あるいは触れ足りないのだろうか。あまり一気に攻めると恥じらって逃げるかハムスターになってしまうかなので、今回は待ってみていた。
そうして訪れた二人きりの機会。
ケイスが席を外した執務室での休憩中、応接用ソファで向かいに座る彼女が言った事には。
「お聞きしたい事がございます。」
「構わない。どうした?」
明らかに緊張しているヴァルトルーデを見て、女性遍歴でも聞かれるのだろうかとマティアスは考える。
これまで婚約者がいなかったとはいえ、立場上仕方なく、あるいは仕事で、あるいは気を回した周囲による見合いなどで、女性と――もちろん、騎士や侍女は近くに控えていたが――二人で過ごした経験は幾らかあった。
中にはカルラを騙した時のように、その気があるふりをして情報を得たり、うまい話に乗るふりをしながら、実際には相手の尻尾を掴むためだった事もある。
誰かしらに聞いた断片的な情報で誤解が生まれていなければいいがと、内心少し身構えた。
「マティアス様は、私がハムスターになっても言葉がわかりますよね。」
全然違う話のようだ。
冷静な表情は崩さずに「そうだな」と頷いてみせる。
「窓辺に来る小鳥の声も、木の実を齧るリスの声もおわかりになる。」
「ああ。」
「それでは、もしかして…」
こくりと喉を鳴らし、胸元で小さく手を握り締めて。
期待で青い瞳を輝かせ、ヴァルトルーデは少し前のめりになって問いかけた。
「もしかして、魔物であるリートベルク卿の言葉もわかるのですか?」
「わかる。」
「すごい……!」
なるほどどうやら、可愛い婚約者殿は三尾猫ブラム・リートベルクと話がしたかったらしい。
頼んでいいか迷っているのだろう、うずうずしているヴァルトルーデを見てつい、くすりと笑みを漏らす。
「ご所望なら今度通訳しましょう、王女殿下。」
「よ、よろしいのですか。お手間では…」
「他に《人》がいない時なら。ヒルベルトは構わないが」
「…やはり長官は、殿下の魔法をご存じなのですね?」
「ああ。」
ヒルベルト・デルクス。
情報統括局の第一部長官にして――ヴァルトルーデにはまだ伝えていないが、マティアスの異母兄である。
「俺とヒルベルトの前から逃れた犯罪者はいない、などと言われる事もあるが……実際のところ。顔さえ割れていれば、鳥獣の目を逃れきるのは難しいというだけの話なんだ。」
「鳥や獣達が、捜査を手伝ってくれるという事ですか?なんて夢のある魔法…!」
「もちろん報酬はいるし、相手の知能によって頼み方も、できる事も違うのが困るんだが。荷引きの馬から目撃情報を得た事もある。」
「なるほど……あっ、それではもしかして、ハムスターの私を誘ったのも。そういった実績があるために、慣れていらっしゃったのですね?」
マティアスが首肯すると、ヴァルトルーデは目を見開いて幾度か深く頷いた。
もしかすると今まで、初対面のねずみに語りかけて仕事を与える、ちょっと変わった人――くらいには思われていたのかもしれない。
「ねずみの知能は大抵、十歳程度だ。それに比べると君は理解が早く正確で、意思伝達の方法さえ決めておけば、すぐにでも仕事ができそうだったからな。」
「ええ、普通のねずみよりは賢いですからね。これからだって必要とあらばやりますけれど、マティアス様としては、どういった任務を想定されておられますか?」
「人に戻れる事も踏まえると、相当色々できる。やらせたくないものもあるが、そうだな…」
身体が小さい事を活かし、客人の会話を気付かれずに聞く。
ソファの背もたれなどから、相手が開いた手帳などの内容を読む。
隙間から入り込んで内側から開錠。忍び込んだ先で人間に戻り、資料などの所在・内容を確認するなど、思いつく事は多かった。
「まぁ、妃の仕事ではない。」
「そこはお考え次第ですが、私は結構楽しみにしていたのですよ?雇われハムスター。あの姿で働くなんて初めてですもの。」
なぜか楽しそうにわくわくしているヴァルトルーデを自分の隣に手招きし、疑問符を浮かべつつもいそいそと隣に座った彼女の頭を撫でる。
やる気十分なのは仕事熱心で良い事だが、好奇心と冒険心が危険を呼ぶ事もあるのだ。
「まずは俺が飼っている事を周知しておかないと、はぐれた時が心配だな。お披露目会をするとまでは言わないが。」
「リートベルク卿のように、何かわかりやすいものを羽織りましょうか。ああでも、ハムスターの姿では自分で着脱が難しいかしら……?単純なつくりにして…」
首を傾げるヴァルトルーデに、聞くなら今かもしれないと考える。
彼女の変身魔法に関して、ずっと気になっていた事があるのだ。
「…ハムスターになった時、君の感覚としては、服が毛皮になっているのか?消えているよな。」
「どこかへ消えますね。服を着ている感覚はありません」
「………それは…」
裸という事だろうかとも直球で言いづらく、マティアスが言葉を濁す。
その気まずそうな顔から察したのだろう、はっとしたヴァルトルーデが頬を赤らめた。
「あのっ、違います!その、決して。違うんです。感覚としては、そう……頭を撫でられた時に、頭皮に直接触られたとは思いませんよね?全身そのようになるので、毛皮のコートがぴったり張り付いたようなものだと、そう思って頂けたら。」
「そ、そうか。ならよかった…のか?」
「はい。今後も気にせず、ハムスターの私を存分に撫でて頂けたら。」
安堵の微笑みを浮かべて言うあたり、ハムスターになっている時に撫でられなくなるのは困るらしい。
指の背で彼女の横髪をそっと撫でてやると、ヴァルトルーデは大人しく受け入れながらも、恥じらうように視線を彷徨わせている。
「それと…試した事はないのですが。もしかすると反対に、ハムスターの時に身に着けたものは、人間に戻った時には消えている…という事もあるのかもしれません。」
「ふん?確かにな。そうなると君が言っていたような、着脱の話は気にしなくていい。専用の服を作らせよう」
「着ていれば、一目で野生ではないとわかる……一人でいても、ぐっと安全になりますね。」
護衛抜きで出歩く事には慣れてほしくないが、状況によってはヴァルトルーデの魔法を利用しない手はない。
必要になれば、自分は彼女に仕事を頼むだろう。マティアスはそれを十分理解していた。
「後は俺と共に人前へ出ておけば、自然と噂は広まるだろう。」
「その間、《私》は別行動という事にしなくてはなりませんね。」
「ああ、情報操作はしておこう。……ヒルベルトあたりは、薄々察しているかもしれないが。」
まさか、王太子が連れていたねずみがヴァルトルーデ王女であるわけがない。
そんな先入観があるからこそ、考えるまでもなく、ルルを知る人々はその正体に気付いていないのだ。反対に言えば、先入観なしに物事を見るクセがついている人物、特にマティアスの為人をよく知る人物は、行動原理を正しく推測しやすい。
ヴァルトルーデは驚く事なく頷いた。
「先日の面談であの方が仰っていたこと、覚えています。ヴィンケル伯爵令嬢とは、早めに顔を合わせておくようにと……私にはそれが、こちらの魔法を見抜いた上での助言だったように思えるのです。」
その令嬢には何かあるのか。
そう問いかけたヴァルトルーデに対し、ヒルベルトは「問題があるわけじゃない」と言った。
『なかなか面白い兄妹でね。貴女がアーレンツで生きていくにあたって、味方につけておいた方がいいのは確かだろうな。』
「恐らく、何かお持ちなのだろうと考えておりますが。」
「同感だ。主要な貴族についてはもう聞いていると思うが、下級貴族だろうと平民だろうと、ヒルベルトが目をかけている者達も侮れん。ある程度は俺が知っている情報と擦り合わせておこう」
「長くなりそうですね。今宵はお忙しいのですか?」
「明日なら時間が取れる。」
「ありがとうございます。」
二人の婚約式は、王族の婚約者を正式に周知するための夜会なのだ。客として多くの貴族が集い、一気に挨拶を受ける事になる。
茶会はそれより先に開催する予定だが、ヴァルトルーデはその時点でアーレンツの貴族の勢力図や、それぞれの関係性などを正確に頭に叩き込んでおかなければならない。
ただでさえ多くの令嬢が狙っていた、マティアスの妃の座。
味方してくれる高位の令嬢には、先に挨拶を済ませておくのもアリだろう。
思い悩んだ様子のヴァルトルーデにマティアスが手を差し出すと、彼女は表情を和らげて自分の手を重ねた。
「女性同士のお茶会はいいとして……どうにか婚約式までに、魔法の不調が治せるといいのですが。」
「可愛らしいことに、俺との接触に原因がありそうだからな。」
「かわ…いいかはさておき、ええ。万一にも、変身の瞬間を見られるわけにはいきません」
ヴァルトルーデが本人の意思とは関係なくハムスターになったり、人に戻ったりしてしまう不調。
クロイツェル王国にいた頃は一切、そんな現象は起こらなかったという。自室で一人試した時も問題なかったようで、どうにもマティアスとの接触が原因のようなのだ。
「取り上げられていた私財が戻るので、処分するもの以外はこちらに送ってもらう予定です。その中に、変身魔法についての本も僅かにあるのですが……私の記憶だと、そんな症状については書かれていなかったような。」
「ただでさえ使い手が少ないからな。特に君のように、幻覚ではなく実体ごと変わる魔法は。」
「デルクス長官なら、何かご存じでしょうか?」
「もちろん、聞いてみるのは手だ。君がいいなら。」
ヴァルトルーデの魔法について、ヒルベルトが大方の予想をつけている可能性は高い。
どんな聞き方をしたところで、彼はこの事態を勘付くだろう。それをヴァルトルーデ自身が良しとするかどうかだ。
「あるいは諸外国――ガルニカやヴァレンティノ、ネルヴァルあたりの書物を調べてみるか。」
「…私達とは言語が異なる国々ですね。確かに、まだこちらの言語圏では広まっていない情報があるかも……ただ、すみません。私、帝国語しか。」
「翻訳は大丈夫だ。俺以外にも頼める者がいる」
マティアスがそう言った時、ちょうど部屋の扉がノックされた。
許可を得て入室してきたのはケイスだ。戻ってみたらマティアスが婚約者と隣同士に座っている、そんな光景を見て微笑ましそうにしている。
マティアスが目を細め、低い声で名を呼んだ。
「ケイス」
「はい。何でしょう――まさか、ルル様禁止期間の延長ですか!?」
二人の邪魔をしたとでも言うのか、いい加減理不尽だと騒ぎ始めたケイスに、マティアスが冷静に「違う」と伝えた。
ケイスにとってルルに会えない事はそれほど深刻な事態らしいが、あまり騒がれると果たして次に会った時、一体どんな盛り上がり方をされるのやら。ヴァルトルーデは少しばかり身震いした。
「お前の婚約者に用がある。都合をつけるよう伝えてくれないか」




