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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮
後日談など

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28/30

事件の後で 4.続きはまた今度に(完)




「私を許す必要はない。ヴァルトルーデ」


 アンドレアスがきっぱりと言い切る。

 その眼光は鋭く、誰よりも自分で自分を許していないのだろう事が窺えた。


「王としても父としても、お前を信じきってやれなかった。未だ混乱と疑念が渦巻く城へ戻って来いとも言わぬ。ただお前が望む方へ進めるように、できるだけの支援はしよう。」

「…お父様……」

 膝の上で手を握り、ヴァルトルーデは父を見つめている。

 長く離れたわけではないのに、記憶の中の姿より老け込んでしまっているように思えた。ロジーナやルーカスのように、今回の件でやつれてしまったのだろう。


 何を言っても聞き入れてくれなくなった時の事を、信じていないのだと理解した時の事を、五の塔に入るよう命じられた時を、思い出す。

 ああ、言葉を尽くしても意味がないのだと悟ってからは、少し楽だった。

 信じてほしいと苦しむより、諦めて今後を考える方が建設的で。


『こんな状態では、しばらく影を頼む事もないでしょうし……良い機会でしょう、カルラ。貴女は休暇をとって、美味しいもの食べたり散歩したり、私の分まで遊んできて!』


 脱走したと思われては困るから、私に変装するのだけは無しで、と。

 今思えば何を呑気に、元凶に休暇をやっていたのか。


 ――お父様に、どこから、何を伝えれば。……そもそも、諦めた私の中に…伝えるべき言葉なんて、まだ残っているのかしら。


 ヴァルトルーデは、無意識に隣を見やっていた。

 薄く微笑みを浮かべたマティアスは急かす事なく、ただ頷いてくれる。「ゆっくりでいい」と言われた気がした。小さく頷き返して、アンドレアスに視線を戻す。


「…私は……自分が許す許さないという立場にあるとは、思っていません。苦しい思いも悲しい思いもしましたが、未だ、カルラの事すら憎らしいとは思えないのです。それなのにどうして、お父様を疎ましく思えましょうか。気付けなかったのは、私も同じこと。」


 アンドレアスは静かに聞いている。

 膝の上で手を握り、ヴァルトルーデは小さく唾を飲み込んだ。


「けれど…かつてのように笑い合うためには、互いに時間がいると思うのです。長い間の事でしたから」


 人の心は複雑で、「魔法のせいだった」とわかった今でもまだ、笑顔を作れない。割り切れない。

 アンドレアスが言っていた「本当に()()そうだったろうか」を、ヴァルトルーデもまた、無意識に思っているのかもしれなかった。あるいはただ、疲れてしまったのか。


 ――それでも、いつかは。いつかは、また。


 そう信じて、前を向くのだ。

 立ち止まったままでは、後ろを振り返ってばかりでは、進めないから。

 震えそうになる手を握り、深呼吸をして、真っすぐに父を見て。


「私達の心に残っているものは、きっと少しずつ溶けていきます。すぐに消し去れはしなくとも、いずれ。その時にはまた……私とお話をしてくださいますか。父と娘として」

「……ああ。もちろんだ」

 大きな手のひらが差し出されて、ヴァルトルーデは一瞬怯んだが手を重ねた。

 エスコートする時のように軽く握られ、指先が温かく感じる。


 ――最後に触れたのは、いつだったかしら。


 思い出そうとして、思い出せない。

 ヴァルトルーデにとって、アンドレアスは随分と遠い人になってしまっていて。


 幼い頃、この手が大好きだった。


 クロイツェルの王城の庭で、先を走る兄姉の背中を見て後ろをゆっくり歩きながら、何も羨ましくはない。追いつきたいとも思わない。

 普段は忙しくてあまり会えない父に、自分だけエスコートしてもらえるのが嬉しかった。


 ヴァルトルーデが雑草の花に目を留めて立ち止まった時、花壇は向こうだからと手を引っ張るような真似はしない。

 一緒に立ち止まって待ってくれる、そんな父が大好きだった。

 父に誇らしく思われる娘でありたかった。


『お前には失望した』


 はらりと、涙が零れ落ちる。

 口角を片方上げた父の顔を、なんて不器用な微笑みなのかしらと思うのも久し振りで。

 そこが少しだけ可笑しくて愛おしいのだと、そう言って笑う母の姿を思い出すのも久し振りで。


 ――ああ……私。自分が思うよりずっと、傷付いていたんだわ。


「ヴァルトルーデ、我が娘よ。お前の未来が明るい事を、心から祈っている。」

「…はい。お父様」

 無意識に心に蓋をしていたのだろう、その傷を知らずにいられるように。

 どちらからともなく手を離すと、マティアスが頬にハンカチをあててくれた。そこに自分の手を添えて、小さく安堵の息を吐き出す。


 父の心にも、マティアスの心にも、触れる事ができた気がして。

 傷ついた心を、自分でそっと撫でてやれた気がして。


「ありがとうございます……」


 心からの言葉を二人に。

 ヴァルトルーデは、自然と微笑みを浮かべていた。

 アンドレアスは懐かしそうに目を細めたが、失った時間を思うと気分は晴れない。娘の笑顔を久し振りに見た、その喜びより後悔が大きいのだ。


 黙って頷いてみせ、マティアスに視線を移す。

 それがわかっていたかのように、赤い瞳は真っ直ぐに義理の父となる男を見ていた。そうでなければ困る。先程とは違う意味で口角を吊り上げ、アンドレアスは違う角度で手を差し出す。

 固い握手が交わされた。


「娘を頼む。マティアス殿下」

「お任せを。必ず幸せにします」


 婚約を認める旨を書面に綴り、クロイツェル国王アンドレアスの印が押される。

 マティアスやヴァルトルーデともうしばし言葉をかわしてから、彼は部屋を出ていった。書面を届け出るために、騎士を廊下に残してケイスもこの場を離れていく。


 二人きりになった応接室で、ヴァルトルーデはほっと胸を撫でおろした。

 クロイツェルを発った時には想像もしていなかった、アーレンツ王国王太子との婚約。それぞれの国王が頷いた今、話は本格的に進み出すだろう。


 アンドレアスが言うには、ヴァルトルーデと共にクロイツェルから来た者達の中でも、侍女ロジーナと騎士ルーカスは、この地に残ると希望したそうだ。あの二人ならそう言うだろうとわかっていた。

 父とゆっくり話せた今では、彼女らとも落ち着いて話せそうだと思えている。

 ふうと息を吐いて背もたれに身を預けると、マティアスがくすりと笑った。


「疲れたか?」

「やはり緊張しました……とても。」

「ああ、よく頑張った。」

 マティアスの手がするりと頬に触れ、優しい手つきで頭を撫でられる。

 ほんの一瞬口付けを想像した自分に気付き、ヴァルトルーデはじわじわと顔を赤らめた。


「い…今は、ハムスターの姿ではないのですが。」

「それは、頑張った君を撫でない理由にはならないな。嫌か?」

「い、嫌ではなく。その。」

「うん?」

 恥ずかしさを堪えてマティアスの方を見ると、彼は恥じらうヴァルトルーデが愛しくてたまらない、そんな目をしている。

 頭を撫でる手つきにどうしても、ハムスターの時に味わった安心感を、心地良さを、思い出してしまう。うっとり目を閉じて身を預けてしまいそうだった。


 ――いえ、そんな事をしてもし、これが日常になったら。私はどんどんダメに、甘えるだけの人にされてしまいそうだわ。


 今後のためにも、ここは抵抗するべきである。

 ヴァルトルーデが恥じらいからそのような理論を組み立てているとは、さすがのマティアスでも気付かない。彼女がすっと手を構えたのを見て、不思議そうに瞬いている。


「…私も、頑張ったマティアス様を撫でるべきだと思います!」

「………、なぜそうなったんだ?」

 心底わからないという声だった。

 しかし可愛い婚約者はすっかりやる気のようで、つい身を引くマティアスにつられてぐいぐいと身を乗り出している。


 このままでは押し倒される形になる。

 いずれ夫になる身としてそれだけは避けなければならないと、マティアスは納得がいかないながらも、頭ぐらい差し出してやる事にした。

 ヴァルトルーデが嬉しそうに笑い、細い手指が丁寧にマティアスの頭を撫でる。


 ――…何の時間なんだ、これは。


 もし彼女以外にされたら、たとえ親でも手をどけてしまうだろう。マティアスはそう思った。

 今耐えているのは、「ヴァルトルーデが喜んでいる」それだけの理由である。

 成人した王太子が、婚約者に頭を撫でてもらっている。その状況自体は、己のプライド一つからすると決して「良し」とは言えなかった。


「いつも頑張っていて、偉いです。尊敬しています、マティアス様…」


 ヴァルトルーデがとろとろに甘い声で囁いてくる。

 恐らく無意識なのだろうが、自分以外には絶対にやらないよう言いつける必要があるだろう。部下や使用人が軒並み陥落して問題が起きそうだ。

 そして、何だか長いなと、マティアスは思った。


「…ヴァルトルーデ。もういいんじゃないか」

「いえ、もう少しだけ……。撫でてみたら、もっとしていたくなって。」

 何かに目覚めている。非常にまずい。

 マティアスは彼女の手を捕え、そっと下ろさせた。指先に軽く唇を触れさせる。


「これ以上は駄目だ。ルル」

「…わかりました……」

 ヴァルトルーデは名残惜しそうに手を引っ込めた。

 頬を染めて目をそらし、キスされた指を胸元で握ってもじもじしている。マティアスは心の中で安堵のため息を吐いた。


 ――よし。これでいい…


「続きはまた今度に。」

 さらりと次回の約束を取り付けられ、なるほど、と素直に感心する。マティアスはそこまで徹底して拒否するほど狭量ではない。

 返事のかわりに柔らかな頬へ触れると、察したヴァルトルーデがほんの少しだけ身を固くする。それでも促されるままにマティアスを見た青い瞳が、室内の明かりを反射してきらりと光った。


 顔を近づけ、目を閉じて唇をそっと重ね合わせる。

 愛しい気持ちを堪えて顔を離し、そろりと目を開けた彼女が自分を見る、「一度で終わりなのでしょうか」と、そう問いかけてくるような表情を、ほんの一秒だけ楽しんだ。あまり意地悪をしてはいけない。


 もう一度、二度、と少し長く触れるだけのキスをして、離れ際に頬にも一つ。

 これ以上したら問答無用でハムスターになってしまうかもしれない。やはり引き際が肝心だと、マティアスは満足してヴァルトルーデを撫でた。

 可愛い婚約者がこちらを見上げて呼ぶので、「うん?」と聞き返す。自分がこれほど優しい声を出せるとは、マティアス自身初めて知った。


「さきほど、私を幸せにすると仰ってくださいましたが……もう充分、幸せな気がしてしまって。」

「なに?っはは、それは無欲が過ぎるな。まだまだこれからだろう。」

「……ふふっ。これからですか。」

「ああ、今以上にだ。楽しみにしているといい」

「はい。マティアス様」

 微笑んだヴァルトルーデがマティアスに身を預け、胸板に頬を寄せる。

 彼女の背に腕を回そうとしたところで、ドアをノックする音がした。


「殿下。ケイス・ゼンデン戻りました」


 ヴァルトルーデがしゅばっと離れて髪を整え、背筋を伸ばして座り直す。

 行き場のない手を下ろしながら、マティアスはしばらくの間、ケイスに「ルル禁止」を言い渡そうと決めたのだった。




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