事件の後で 3.本当に、全てそうだったのか
ヒルベルトが言った通り返答が届き、クロイツェル国王アンドレアスは翌日にはアーレンツの王城へ到着した。
白髪交じりの銀の短髪、ヴァルトルーデと同じ青い瞳。
唇の上には清潔に整えた髭があり、眉間に刻まれた皺の深さが王として生きた年月を思わせる。マティアスの父であるアーレンツ国王に挨拶を済ませ、彼はまず臣下のもとへ向かった。
「陛下!」
「よい、座れ。」
代表として出迎えたのはヴァルトルーデの侍女ロジーナと、護衛騎士をまとめていたルーカスだ。
クロイツェルを出発した時に比べ、二人とも明らかに顔色が悪くやつれている。そう見てとったアンドレアスは顔を顰めたが、彼自身も似たようなものだった。ルーカスが深く頭を下げる。
「この度は誠に…なんと、お詫びを申し上げればよいのか……!」
「私が悪いのです、陛下。あの子が、カルラが何を企んでいるか気付く事ができずに!」
「言うな。あの者の企みに気付けず騙されたのは、私とて同じ事だ。……いや。己の血を分けた娘を信じてやれなかったのだから、私こそがもっとも罪深いだろう」
深くため息をつき、アンドレアスは膝に置いた拳を固く握り締めた。
玉座を見上げるヴァルトルーデの目を、表情を、まだ覚えている。影武者に自室を預けて夜中にどこへ行ったのだと、皆の前で聞いた時の事だ。
『固有魔法の、練習を…』
娘が言葉につかえる姿を見て、落胆した。
ヴァルトルーデとて、追い詰められて動揺する事はあるだろうに。
『本当です!誰かに嵌められているのです、信じてください!』
信じてほしいと訴える娘を拒絶した。
こちらは信じたかったのに、出て来る証拠も証人もお前本人だと言っているではないかと。
信頼を裏切り続けたのはお前だと思った。もううんざりだった。
『盗まれたんです、騙されないで、違う、違うんです。きっと誰かが魔法で』
『お前には失望した』
立派に育てたはずの娘に裏切られたのだ。
こちらは被害者だと感じていたから、「失望」という言葉で突き放した。少しは反省してほしい、そう思う心は既に疲弊して怒りに変わっていた。憎らしくさえあった。
けれどあの時、本当に失望したのはどちらだったのか。
ヴァルトルーデはアンドレアスの前で笑わなくなった。
それすらも、「ようやく反省したのだろう」と思っていた。
「私はヴァルトルーデ様の味方でいようと、信じてお傍に仕えていたつもりが……ああ、どうして。違和感を覚えた事は、確かにあったはずなのに」
「自分はヴァルトルーデ様より、噂の真偽を確かめるべく任を頂いておりました。どうしても霞を掴むようで実態がわからぬと、苦心しておりましたが…よもや……。」
「先程、アーレンツ王より現時点までの供述を聞いた。どうやらカルラは、お前達が気付きそうになる度に魔法を重ねてかけ直していたようだ。幾度もな」
認識そのものを捻じ曲げる魔法。
真実に気付きようがない、自力で解除するのは相当に難しいものだった事は確かだ。特に、術者が傍で見張っていたのだから。
かと言って、「自分達のせいではない」と口にする事はできない。
アンドレアスは額に手を添え、ゆっくりと頭を振った。
カルラを守る者として、味方であるよう魔法をかけられたロジーナとルーカス。ヴァルトルーデを追い詰める役を担っていたアンドレアスとは、立場が異なる二人だ。
「陛下。もし殿下がこの国へ残られるのであれば……叶うなら自分も、護衛としてお仕えしたいと考えております。」
「私もです!今度こそお支えしなくては…」
「落ち着け。お前達を受け入れるかどうかは、私ではなくヴァルトルーデが決める事だ。あの子の意に反してまで貫く事は許さぬ」
アンドレアスの言葉に、ロジーナは奥歯を噛み締めた。
ヴァルトルーデへの罪悪感ゆえに焦燥感に駆られているという自覚はある。
「贖罪を掲げて仕える事は自己満足に過ぎない。お前達が必要以上に気負っていれば、それはかえって娘の負担となろう。心配のあまり周囲への警戒が過ぎれば、こちらでの立場を危うくする可能性もある。わかるな」
「……はい。」
これまでのように落ち着いて仕事をこなせるのか、どうか。
王の懸念はもっともだった。自責しながら仕えても互いに苦しいだけである。どこかで割り切るか、表面に出さない努力をしなければならない。
「希望は伝えるが、断られても縋らぬように。新たな道を歩む時、これまでと同じ供が必要とは限らん。……どうなったとしても。くれぐれもヴァルトルーデに、今のような顔を見せぬようにな。」
「御意に。」
「…承知致しました。」
疲弊してやつれた二人を見て悲しむのは、他ならぬヴァルトルーデだろう。
情けない顔を見せてはさらに心配させ、二人の願いも遠ざかる。
――仮にヴァルトルーデが受け入れたとて、アーレンツ側はどう考えるか。
少なくとも国王夫妻は口を挟むつもりがなさそうだったため、王太子マティアスの反応にもよるだろう。
ロジーナとルーカスの証言では、マティアスは一方的にヴァルトルーデを従わせるような人物ではないとの事だった。
しかしこれはアーレンツ王国とクロイツェル王国の、今後の関係にも影響する事件であり、縁談だ。
失態を犯した側という弱い立ち位置でも、アンドレアスは相手をよく見極めねばならない。
「こちらでお待ちください。じきに王太子殿下と第二王女殿下がいらっしゃいます」
努めて平静に。
アンドレアスは一国の王だ。
第二王女を取り巻く混乱があろうと、落ち着いて冷静かつ公平に、私情を挟まず対処して然るべきだ。
それでも、考える。
きっと娘が笑顔を見せないだろう事を、この王はわかっていた。
「ご無沙汰しております。アンドレアス陛下」
数年振りに会うアーレンツの王太子は、良い意味で肩の力が抜けたように見えた。
彼の後ろへ控えている娘の様子が気になっても、まずはこの男から目をそらしてはならない。アンドレアスは自ら手を差し出し、マティアスと握手を交わした。
「マティアス殿下。此度は不届き者を捕え娘を救って頂いたこと、感謝する。」
「優秀な部下達と、何より彼女の協力があってこそです。」
手を離すと同時にマティアスが半歩横にずれ、彼の隣に出てきた娘が丁寧に一礼する。
長く艶やかな銀色の髪、白い肌に青い瞳。マティアスと並ぶとまるで揃いで作られた精巧な人形の如き美しさだ。
「直接お越し頂きありがとうございます。お父様」
「……無事で何よりだ。ヴァルトルーデ」
「はい。マティアス殿下をはじめ、皆様のお陰です。この身は傷一つございません」
かつての娘ならここで何を、どんな顔で言っただろうか。
アンドレアスはそれをほんの一瞬だけ考えて、すぐにやめた。
ヴァルトルーデを見る度に感じていたうんざりした心地が、この者は裏切ったのだという諦念と嫌悪が消えている。
魔法が解除されたせいか、嘘だと暴かれたせいか。
それぞれ席について、さっそく口を開いたのはマティアスだ。
「さっそく本題で恐縮ですが、私はヴァルトルーデ殿を妻に迎えたいと思っています。婚約の許可を頂きたい」
「娘を貴殿の妻に、か……」
「私自身も、それを望んでおります。」
アンドレアスの視線を受け、ヴァルトルーデがきっぱりと答える。
その瞳に故郷への未練が見当たらない事が、実に「らしい」。ヴァルトルーデの中ではもう、整理がついているのだろう。国へは戻らないと。
そして元より、クロイツェル王国はこの要求を断れる立場ではない。
緩く微笑んでいたマティアスは、アンドレアスが承諾するとさも当然のように頷いた。続けて彼が口にしたのは、此度の一件を踏まえての、アーレンツ王国からクロイツェル王国への要求だ。
そこには当然、療養している者達にかかる費用なども含まれている。
――この機に仕掛けてくるかとも思ったが、内容としては常識の範囲内だな。
どうやらマティアスにとって最も重要なのはヴァルトルーデとの婚約のようだ。
それ以外には精査が必要な事柄もあり、元から用意していたのだろう、王太子の補佐官が内容をまとめた書類を差し出した。
受け取ったアンドレアスがある程度目を通し終えるのを待ち、マティアスが口を開く。
「私からは以上になりますが…アンドレアス陛下。いかがでしょう」
「…概ね、そちらの意向に沿う形になるだろう。」
カルラの身柄についての項目を改めて辿りながら、アンドレアスは頷かずに返した。
二国にかかわる大罪人となった以上、その刑罰の決定も施行も協議が必要だ。
魔法を重ねた二年ほどはクロイツェルで起きたこと、成り代わりは二国間の移動中に起きたこと、己の身分を偽ってからの全てはアーレンツで起きたこと。捜査も裁判も長期に亘るだろう。
アンドレアスが視線を上げると、ヴァルトルーデは静かに父を見ていた。目が合った事に驚く素振りもない。書類をテーブルに置き、娘に向き直る。
「ヴァルトルーデ。」
「…はい。お父様」
「お前を信じてやれなくて、すまなかった。」
そう言った父の姿に、ヴァルトルーデは息を呑んだ。
アンドレアスは深く頭を下げていたのだ。マティアスも意外そうに目を見開いたが、口は挟まない。
「顔をお上げください!なりません、そのような…!」
国王である父が――たとえ謝罪の意思と言葉があろうと――自分に頭を下げるなど、あってはならない事だ。
ヴァルトルーデが半ば悲鳴のように言うと、アンドレアスはゆっくりと顔を上げた。
「あの噂は信じ難いものだった。しかし長らく続き、証人も増えるばかりで……いつしか私は、本当にお前がやってきた事ならば、父として王として、叱らねばならないと考えた」
「…ええ、そうでしょうと思います。お父様は正しい」
「だがお前ではなかった。」
「……はい。ですが、仕方ありません。カルラの魔法が強力なものだった以上、誰にも。どうしようもない事だったのです。」
カルラ以外に、状況を正しく把握していた者などいないのだ。
友人と認めながらその企みに気付けなかった、自分とて責任があるとヴァルトルーデは考えている。
アンドレアスは緩く首を横に振った。
「私は、魔法によって強制的に信じさせられていた……しかし果たして、本当に全てそうだったろうかと考えるのだ。」
最初の頃は自分も噂の方を疑った事を、アンドレアスは覚えている。
徐々に徐々に、真実味を覚えて塗り替わっていった。カルラはいつから、どれほど、魔法をかけたのか。ロジーナやルーカスと違い、毎日カルラに接触しているわけではない。
「たとえ事実と認識しても、そう思いたくない事なら人は足掻いてみるものだ。私は、これは王としての判断だと己に言い聞かせた。甘さを見せては、噂を知る臣下に示しがつかないとも考えた。だが、もっと……手を尽くす方法は、きっとあったはずなのだ。」
それをしなかった事が、カルラの魔法は関係なしに「ヴァルトルーデを信じなかった」証明であろう。
アンドレアスがそう語る間、部屋はひどく静かだった。




