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私の婚約者は、子持ちの年上女に入れあげた挙句、婚約破棄を宣言。「彼女の前の夫は病死。その前の夫は事故死。小さな子供を抱えて、彼女は苦労しているんだ。ほっとけないよ」と。でもソレ、危なくないですか!?

作者: 大濠泉

 暑い夏が終わり、風が涼しく感じられるようになった初秋ーー。


 個室レストランで婚約者とランチを摂った後、私、フランシス・デュビー伯爵令嬢は、碧色の瞳を見開いて、呆気に取られていた。


 婚約者であるジョルジュ・グラベール侯爵が、私との婚約を破棄して、別の女性と結婚すると言い出したからだ。

 しかも相手は、彼よりも五歳も年上、二十八歳の未亡人ナタリー・ゼニエル元子爵夫人だというから驚きだ。

 彼女の、クルクルとした褐色の瞳と、亜麻色の髪の美しさに惑わされたとしか思えない。

 事実、ナタリーの色香に騙された男性は何人もいる。

 貴族の社交界では、それなりに話題になっていた。


 ジョルジュも、そうしたナタリーの噂ぐらいは耳にしたことがあるはず。

 それなのに、どうしてーー?


 私、フランシスは、胸を張るジョルジュの対面に腰掛けたまま、ティーカップを皿に置き、窺うような目付きになった。


「ゼニエル子爵家の未亡人といえば、不幸なことが続いているっていうじゃない?

 危険だわ。

 貴方、そんなご婦人と結婚して大丈夫なの?

 子供もいるし……」


 疑問を呈する私に対して、ジョルジュ侯爵は金髪を掻き分けた後、テーブルの上に身を乗り出し、青い瞳を輝かせた。


「そうなんだ。

 ナタリーさんは、不幸で可哀想な女性(ヒト)なんだ。

 外国から亡命してきたシオノ侯爵家一門の出で、子供の頃からいじめられて、肩身の狭い思いをしてきたきたんだよ。

 大人になって、ようやく子供を産んで、我がボロニア王国の貴族家に縁付くことができたのに、不幸が続いた。

 前の夫は病死。その前の夫は事故死。

 小さな子供を抱えて、彼女は苦労しているんだ。

 ほっとけないよ」


 ジョルジュはすっかりナタリー未亡人の騎士役(ナイト)になっていた。

 だが、良いのか、それで。

 話を聞く分には、彼女の言い分を丸呑みしているだけの気がする。


「でも、貴方だって、不幸に巻き込まれるかもしれないわよ。

 私だったら、怖くて、とても結婚なんてーー」


 心配する私に、彼は厚い胸板を叩く。


「大丈夫。

 僕は彼女、ナタリーを守るために生まれてきたんだ。

 もうこれ以上、彼女を不幸にしたくないんだ」


 まったく。貴方はいったい誰の婚約者なの?

 私は椅子から身を乗り出し、ジョルジュの大きな手を強く握って訴えた。


「間違えないで。

 貴方の婚約者は私、フランシス・デュビーなのよ!」


 普段、冷静な私にしては、随分と感情的になっていた。

 なのに、婚約者は無情にも、私の手を払い除ける。


「ごめん。

 君の事は嫌いじゃないけど、僕は彼女、ナタリーと、その子供を幸せにしてあげたい。

 もう僕はナタリーと結婚する約束をしてしまったんだ。

 許してほしい」


 青い瞳を閉じて頭を下げる彼に、私はさらに訴えた。


「よく考えて。

 だって、そんなふうに、夫が二人も連続してお亡くなりになるなんて。

 絶対、普通じゃない。

 なんだか、裏がありそう……」


 私はほんとうに彼のことを心配していたのだ。

 嫌な予感がしてならない。


 でも、十年来の付き合いである私が、珍しく銀色の髪を振り乱しつつ、ジョルジュに翻心を(うなが)したのが、かえって不味かったようだ。

 二つ年下の女性()から心配されることが、よほど気に入らなかったのか、彼は怒り出した。

 テーブルを拳で叩き、ティーセットがガチャンと音を立てる。


「君は呪いでも信じてるのかい?

 今時、そんなのあるわけない!

 そうやって、君はいつもいつも僕が決めたことにケチをつける。

 彼女、ナタリーは、僕に対して、そんな失礼な態度は取らない」


 ジョルジュは聞き分けのない子供のように、頬を膨らませる。

 そんな婚約者の姿を見て、かえって私は落ち着きを取り戻した。

 ストンと椅子に腰を下ろす。


「別に、呪いなんて信じていないわ。

 でも、今回のことは、デートの行き先や、ランチをどの店で食べるかといった、軽い決め事じゃないのよ。

 少なくとも、私たちの婚約を解消するかどうか、私たちの将来にかかかわる、最も重要なことを決めようとしているの。

 ジョルジュ、貴方は何も感じないの?

 私は、不吉に感じられてならない」


 心からの忠告を、ジョルジュにぶつけた。

 だが、長く付き合ってきた婚約者は、感情を昂ぶらせて席を立った。


「ほんとうに残念だよ、フランシス。

 君が、そんな心の狭い、薄情な女だと思わなかった。

 やっぱり、僕はナタリーを幸せにする使命があるんだ。

 君との結婚はなかったことにする。

 婚約破棄だ!」


 私、フランシス・デュビー伯爵令嬢は手のひらを顔に当て、はあ、と溜息をついた。


「いいわ。

 貴方がそう決めた、ということなら。

 でも、私たちの婚約破棄の手続きは、キッチリしておいてくださいね」


 我がボロニア王国では、婚約関係の解消についての取り決めは結構、細かい。

 男性側が責任をもって手続きすることになっているうえに、婚約は「擬似結婚」と俗に称せられるほど、法的にも結婚に近い扱いになっている。


 ちなみに、私たち、フランシス・デュビー伯爵令嬢とジョルジュ・グラベール侯爵令息の二人は三年前に婚約し、双方の親の了承のもと、彼、グラベール侯爵家の屋敷で同居していた。

 我が国の貴族社会では、婚約者同士が、まるで夫婦のように生活することを自然なこととして受け入れている。

 なぜなら、我がボロニア王国では、貴族夫婦の「離婚」は認められていなかったからだ。

 おかげで、関係解消が可能な「婚約」段階で踏み止まるカップルが多く、それを奇異の目で見る者は誰もいなかった。

 婚約者同士で同居し、子供を育てる環境が法的にも保証され、正式に「結婚」をしていなくとも、親から家督は相続できたし、その婚約相手は、その貴族家の「夫人」として世間に向けて称することも黙認されていた。

 だから、婚約のままで同棲生活や子育てをするなどして、「事実婚」「事実家族」を形成し、子供が成人して自立するのを機に、ようやく正式に結婚する夫婦もいたりする。

 そのおかげで、「婚約」は法的に「結婚」に近い、重たい意味を持っているのだ。


 ジョルジュ・グラベール侯爵は椅子の背もたれに身を預け、金髪を掻き分ける。


「そんなことは、もちろん、わかっている。

 ただでさえ、様々な書類手続きが、貴族社会では多いからな。

 ナタリーが婚約期間を経ずに、すぐさま僕と結婚したがってるのも、そういったわずらわしい手続きを後回しにせず、お互いが、

『別れようのない、真実の運命で結ばれたい』

 と切望するからなんだ」


 ちょっと待って。

 婚約者の私を前にして、別の女とのノロケを言うの?

 私の婚約者(だった)ジョルジュという男は、どこまで無神経なのか。


 私は自分の銀髪を指先でいじりながら、目を伏せる。


「そう……。

 でも、私は婚約を破棄されて、少し悲しいわ。

 長く付き合ってきた貴方との『真の別れ』が近いと思うと、キュッと胸が痛む。

 だから、傷心を抱えたまま、このグラベール侯爵家のお屋敷から出て行きます。

 しばらくの間、実家デュビー伯爵家の別荘に篭りますわ」


 ここでようやく男は、眉を八の字にして、憐れみを湛えたような表情になった。


「ーーうん。そうだね。それが良い。

 心身ともに、ゆっくりと(くつろ)ぐと良いよ。

 ほんとに、ごめん」


 最後に席を立って近づき、互いに抱き締め合って、別れた。

 一方的に婚約破棄されたとはいえ、舞踏会など、衆人環視のもとで宣言され、恥を掻いたわけではない。

 ごく自然な感じで、円満なお別れをした。


 そして、これが彼、ジョルジュ・グラベール侯爵との最期の別れとなった。


◇◇◇


 それから二ヶ月後ーー。


 私、フランシス・デュビー伯爵令嬢が引き篭もる別荘に、一人の女性が、私との面会を求めて馬車で乗り付けてきた。

 出迎えた執事によると、彼女は幼い子供を引き連れており、自らを「ナタリー・グラベール侯爵夫人」と名乗っているという。


「あら。想定より、ずいぶん早いわね」


 ちょうど大勢のお客様を招いていたときだった。

 けれども、彼らには隣室に控えてもらって、私はナタリーとの面会に応じた。


 ナタリーは亜麻色の髪を振り乱し、怒りの形相で、褐色の瞳をギラギラと輝かせていた。

 傍らで幼な子が彼女のスカートの裾を握り締めているが、お構いなしだ。


 彼女が生唾を飛ばしながら(わめ)き散らした内容を要約するとーー。


 私の元婚約者で、ナタリーの夫であったジョルジュ・グラベール侯爵は、舟を漕ぎ出して釣りを楽しんでいた最中、湖に落ちて溺死してしまった。

 突然の、不慮の事故だった。

 お酒を飲んで酔っ払っていたから、泳ぎが得意の夫でも、溺れ死んでしまった。

 突然のことで、舟に同乗していたものの、私、ナタリーには助けられなかった。


 ーーということだ。


 私、フランシスは、碧色の瞳を閉じて、静かにお茶を飲む。


「まぁ、それは大変。

 つくづく不幸続きなお方ですわね。

 で、私にお話とは、何ですの?」


 ナタリーはドン! とテーブルを叩いて身を乗り出す。

 そして、私に向かって唾を飛ばした。


「夫のジョルジュが死んだというのに、どうしてジョルジュの財産が、妻である私の手に入らないのよ!?

 屋敷に金目のモノを押収に来た役人に問えば、全部、ジョルジュの資産は、貴女のものになるっていうじゃない!?

 おかしいわよ!」


 やはりね。

 私は扇子を広げ、澄まし顔で答えた。


「理由は簡単よ。

 婚約破棄した日付から三ヶ月以上が経たないと、婚姻届は受理されないの。

 それが我がボロニア王国での、貴族社会のルールなんです」


 よほど予想外の答えだったのか、ナタリーは褐色の瞳を見開いて、呆然と立ち尽くす。


「嘘よ。

 だって、盛大に結婚式を挙げたわよ!?

 貴女は招待しなかったけど、大勢のお客様やご友人もお呼びして、神父様の前で、私たちは永遠の愛を誓ったの!」


 ジョルジュの元婚約者である私は、さも憐れむような口調で応える。

 口許を扇子で覆って、口の()(ほころ)ぶのを隠しながら。


「まあ!

 いかにも彼らしいーー心優しいジョルジュらしいエピソードだわ。

 いまだ婚姻届が正式には受理されないことを承知しながら、貴女を喜ばすためだけに結婚式を挙げたのね。

 ジョルジュは、それだけ貴女に夢中だったから……」


 私から「私たちの婚約破棄の手続きは、キッチリしておいてくださいね」と念を押されたからには、内務省の貴族用役所で、ジョルジュは手続きをキッチリしたに違いない。

 その後、彼、ジョルジュ・グラベール侯爵は、ナタリー・ゼニエル元子爵夫人との婚姻届を役所に提出した、と考えられる。

 けれども、受理されなかったはず。

 婚約破棄した日付から三ヶ月経たないと、婚姻届は受理されないから。

 つまり、彼、ジョルジュは、ナタリーと、すぐには結婚できないのを役所で知らされたことになる。


 婚姻届が受理されないーー!


 この事実こそが、ジョルジュに向けられた「最後の警告」といえた。

 二人も夫を「亡くした」ナタリーが、自分との性急な結婚を要求するのは、おかしいのではないか、と思い直す最後の機会だった。


 でも、彼、ジョルジュは思い直すどころか、さらにナタリーために騎士役(ナイト)を気取ることに決したようだ。

 ナタリーが強く結婚を望むから、彼女のために、盛大な結婚式を挙げたのだ。


 式の参列者の中には、「フランシスと婚約していたから、まだ結婚できないのでは?」と思った者もいただろうが、それぐらい、ジョルジュが、「ナタリーに入れあげているのだろう」と思い直して、黙っていたに違いない。

 ナタリー側の参列者は外国籍の者も多く、彼女のように、我がボロニア王国の法律や習慣に(うと)い者が多かったおかげで、この結婚式が形式だけのものと悟られなかったようだ。


 他方で、彼、ジョルジュ・グラベール侯爵側の親類は、彼の親をはじめとして、誰もが、ジョルジュが変な女に熱を上げるのを押し留めることができず、私、フランシス・デュビー伯爵令嬢への遠慮もあって、ジョルジュと距離を取る者が多かったと聞く。

 実際、ジョルジュのご両親、ロベール・グラベール元侯爵とレモン・グラベール元侯爵夫人は、すでに家督を相続した息子ジョルジュから財産を生前贈与されて、屋敷から出て別居している。

 ご両親でもお手上げなほど、ジョルジュはナタリーとの結婚に邁進していたのだ。


 そして、ジョルジュ・グラベール侯爵は、私、フランシス・デュビー伯爵令嬢との婚約破棄が成立してから三ヶ月後ーーつまりは、あと一ヶ月もしたら、ナタリーとの婚姻届を役所に提出し直すつもりだったに違いない。

 そうすれば、結婚式も内実を(ともな)ったものとなったし、もしもの時は、ジョルジュ侯爵名義のすべての財産が、妻であるナタリーの許に転がり込んだはずである。

 ところが、婚姻届を再提出し、正式に受理される前に、ジョルジュは亡くなってしまった。

 湖で「溺死」してしまったからである。


 私は、目前に立つ、亜麻色の髪の「職業未亡人」に向かって、扇子を突き立てた。


「我が国では、元婚約者の身に『不幸な出来事』があった際、その財産は、三ヶ月さかのぼった時点で婚約相手だった人の名義になるのよ。

 だって、そうでしょ?

 貴女、ナタリーは、式は挙げたみたいですけど、正式にはまだ結婚できていないもの。

 つまり貴女は、彼、ジョルジュとは赤の他人なんですから」


 私は微笑みながら、ゆっくりとした口調で、言ってやった。


「貴女、彼を殺すのが少し早かったわね。

 あと一ヶ月、彼が婚姻届を再提出して、受理されるまで待てば良かったのよ」


「チッ!」


 ナタリーは醜く顔を歪めて、大きく舌打ちする。

 傍らで、五歳の子供がオロオロしていた。

 痛々しい。


(さあ、ここからが本番よ!)


 私、フランシスは覚悟を決めて、居住まいを正す。

 そして、扇子を広げ、口許を隠しながら言った。


「でも、ナタリー様。

 たしかにジョルジュ侯爵の愛は、貴女に向かっていた。

 それだけは、元婚約者である私でも、認めざるを得ません。

 亡くなった彼は、明らかに私ではなく、貴女とその子に財産を遺したかったはず。

 そのジョルジュの遺志に敬意を表して、財産を半分、お分けするの、考えても良いわ」


 ナタリーは、パッと明るい表情になる。

 私は背筋を伸ばし、碧色の瞳を輝かせた。


「ただし、条件がございます。

 どうやってジョルジュを(あや)めたのか、知りたいの。

 あの人、水泳が得意でしょ?

 どうやって溺れさせたの?」


 扇子で口許を隠す私を見て、ナタリーはほくそ笑む。


「あら。そんなの簡単よ?

 聞きたい?」


 私は(うなず)き、「もちろん」と応える。


 するとナタリーは、亜麻色の髪をバサッと掻き上げて、得意げに笑った。


「湖畔で無理やりお酒を飲ませて、グデングデンに酔わせてやったのよ。

 それから肩を貸して、舟に乗せる。

 湖の真ん中近くにまで舟を漕いだら、あとはドボン! よ。

 もちろん、ヘタに気が付いて泳ぎ出されたら困るから、舟の上で、あらかじめ濡れ布を鼻と口に当てて、息が絶えるのを確かめてからね。

 でも、そんな手間は必要なかったかも。

 晩秋に差し掛かって、かなり寒くなってきたから、湖面に落としただけで、溺れるより先に、心臓麻痺とかで死んじゃったかもね。

 ほほほほ」


 ナタリーは、ジョルジュを殺した瞬間を脳裡に思い描いたとしても、心が痛まないらしい。むしろ喜びに打ち震えているようだ。

 ちょっと、良くわからない感情だ。

 勝ち誇ったような笑顔で、ナタリーは私に向かって両手を差し出す。


「さあ、教えたわよ。

 お金、頂戴!」


 私は金貨が詰まった袋を手に取り、取り出し口の紐を解きながら、確認を取る。


「その証言に、嘘偽(うそいつわ)りは、ございませんね!?」


「ええ。先祖に誓って断言するわ。

 さあ、お金!」


 ナタリー未亡人は、再度、両手を差し出す。

 私は「どうぞ」と言って、口を開けた状態の袋を逆さまにして、彼女の手のひらに、中身をぶちまけた。


「わあっ!」


 ナタリーは褐色の瞳をキラキラと輝かせながら、金貨の数をかぞえ始める。

 これまで母親のスカートにしがみついていた子供も喜色満面の笑みを浮かべてはしゃぐ。

 床にこぼれ落ちた金貨まで、(かが)んで拾い集めだした。


 ところが、彼女たち母子の笑顔は、いつまでも続かなかった。



 ガチャ、とドアが開く音がする。


「すっかり聞かせてもらった」


 というセリフとともに、ゾロゾロと、屈強な身体付きの男どもが入室してきた。

 彼らは、我がボロニア王国で、貴族専門の犯罪捜査を担う第二騎士団捜査隊の面々だ。

 ナタリー母子が血相を変えて怒鳴り込む直前に、私の山荘にやって来ていた来客こそが、彼ら、貴族相手の捜査隊のメンバーたちなのであった。


 そろそろナタリーが私のところに文句を言いに来ると想定し、ナタリーをジョルジュ殺しの容疑者として捜査するようあらかじめ捜査隊に依頼し、捜査状況の確認を兼ねて、今後の捜査の打ち合わせに来てもらっていた。

 そんな時に、ちょうどナタリーが子供を引き連れて飛び込んできた。

 だから、彼ら捜査隊の面々に隣室で控えてもらい、聞き耳を立ててもらっていた。

 彼らが控えていた応接間の隣室は、普段は侍女が待機する部屋で、いつでも主人が呼んだらお茶を運べるよう、応接間での話し声が特に聞き取りやすいようになっていた。


 十五人ほどの彼らを代表して、捜査隊副隊長ウイリアム・ファーンズ子爵が、黒髪を掻き上げつつ、ナタリー母子の前に立ち塞がるようにして、低い声をあげた。


「お初にお目にかかる、ナタリー未亡人。

 私ども捜査隊の面々が、直に貴女の前に姿を現したのはこれが初めてでしょう。

 ですが、我々、捜査隊では、以前から、貴女に注目し、情報を集めて参りました。

 突然、馬車が脱輪して『事故死』した一人目の夫、アンリ・ギース男爵。

 急な病を得て『病死』した二人目の夫、ヨセフ・ゼニエル子爵。

 そして今回の、湖で『溺死』した、三人目の夫、ジョルジュ・グラベール侯爵ーー。

 これで亡くなった夫は、三人目だ。

 さすがに、ずっと怪しんではいたが、貴女が亡命貴族の出身ということもあって、捜査に入るなら、確実に犯罪の事実を立件しなければならない、と上から厳命されていましてね、なかなか捜査に踏み込むことができなかった。

 だけど、ようやく決定的な証拠を残してくれた。

 ジョルジュ・グラベール侯爵の遺体という証拠をね」


 ナタリーは青褪めた表情で、


「私、何にも知らないわよ!」


 と甲高い声を張り上げ、子供を抱き締める。

 五歳の息子トマスは、いつも威勢の良いお母様が怯えているのを感じ取り、珍しいものでも見たかのように、口をあんぐりと開けている。

 そんな母子を見下ろしつつ、捜査隊副隊長ウイリアムは、黒い瞳を大きくする。


「口は嘘をつくが、身体は正直なんだ。

 現在、溺死かどうか、グラベール卿の遺体を調べている最中でね。

 我が捜査隊の検死官は優秀ですよ」


 ナタリーの声が震え出す。


「し、調べるなんて、嘘よ!

 湖に沈む前に、死んでいたか、生きていたかなんて、わかるわけないわ。

 どうせ口や鼻から、たくさんの水が流れ込むんだもの」


 そこで、私、フランシス・デュビー伯爵令嬢が、パチンと扇子を閉じつつ、横槍を入れた。


「あら、ナタリー様。

 ご存知なかったのかしら?

 最近の検死技術は、かなり進んでおりますのよ。

 今回のような溺死を疑われる場合は、血液の水分濃度を調べるんです。

 血液の中に水が多く溶けていれば、それまで生きていたことになる。

 肺の中にまで届いた水が血液の中にあるということは、それまで心臓が動いていた証拠になりますからね。

 でも、血中水分が、普通の血液並みにしかなかったとしたら、それは溺死ではなかった、という証拠になります。

 今回の事件で言えば、ジョルジュは湖で溺れ死んだのではなく、すでに殺されていて、その彼の死体を、何者かが湖に投げ捨てただけ、ということになります。

 今しがた、ナタリー未亡人が私に対して、得意げに説明なさったようにね」


 ナタリーは絶句して、身体を強張らせる。

 その傍らでは、捜査隊副隊長ウイリアムが目を丸くして、朗らかな声をあげた。


「これは驚いた。

 血中の水分濃度を調べるだなんて技法を、よくご存知で。

 さすがはデュビー伯爵家のお嬢様だ」


 私は再度、扇子を押し広げて口許を隠す。


「血中の水分濃度を測る方法が生まれたのは、私のお父様が捜査隊隊長をなさっていた時分ですから、たまたま良く覚えていただけですわ」


 私、フランシス・デュビーの実家デュビー伯爵家は、代々、騎士団捜査隊の隊長を輩出してきた。

 兄、ラルフ・デュビー伯爵令息が、捜査隊の次代隊長と目されているほどだ(ちなみに、兄のラルフは今、法医学の研修を兼ねて、外国に留学中)。

 それゆえ、騎士団捜査隊には、先代隊長であった父、ギーツ・デュビー伯爵を通しての知り合いも多く、元婚約者のジョルジュ・グラベール侯爵が水難事故に遭ったと知ってからすぐに、捜査隊を死亡現場の湖に派遣して、ジョルジュの遺体を回収してもらうことができたのだ。


 私は改めて、ウイリアム副隊長にお辞儀をする。


「ぜひとも、しっかり調べてくださいね。

 結果が楽しみですわ」


 ウイリアム副隊長はコクリと(うなず)くや、視線をナタリー母子の方に向ける。

 そして、背後に居並ぶ部下たちに向けて、顎をしゃくった。


「ナタリー・ゼニエル元子爵夫人。

 結果がわかるまで、貴女を拘束する。

 ほんとうを言えば、先程、フランシス・デュビー伯爵令嬢と話していた内容だけで充分、自白と見做して、処罰し得るんだがね」


 ナタリーは自分の息子を突き飛ばすや、掻き集めた金貨を両手いっぱいに抱え込んで、金切り声をあげた。


「ちくしょう、騙したな!

 ああ、お金を取るな!

 私のお金だよ!!」


 亜麻色の髪を振り乱しながら暴れる女を、騎士団員が数人がかりで取り押さえる。

 自慢の美貌を床に叩きつけられたときには、ナタリーは後ろ手に縛り付けられていた。

 その横で、男の子が目に涙を溜めて泣いていた。


 ウイリアム副隊長が、ニッコリと微笑みながら、私に金貨を渡す。

 私はそれを袋に入れる。

 ナタリーに渡したお金のほとんどを取り戻してくれた。

 黒髪の長身騎士に、私は頭を下げた。


「ありがとうございます」


 この時には、母親のナタリーのみならず、子供も拘束されて連れて行かれていた。

 男の子の名前はトマスと言って、一人目の夫の間にできた子で、まだ五歳らしい。


 私にお金を返し終えると、副隊長は、部屋から連れ出される際の、その子の背中をジッと見ていた。


「なにか懸念なさることでも?」


 と私が問うと、ウイリアム副隊長は、黒い髪の毛を掻きながら、吐き捨てる。


「あの男の子ですよ。

 トマスって言うんですがね。

 ほんと、これから、どうしたものか。

 母親のナタリー元子爵夫人が殺人犯となれば、長く監獄に投じられ、遂には極刑に処せられる。

 でも、あのトマスって子には罪はないんだ。

 万引きやお金拾いなどの軽犯罪は犯しているやもしれんが、それもこれも、母親に(しつけ)けられてのことだろうしね。

 本来なら、あの子は親類の家などで庇護されるべきなんだ。

 でも、夫を何人も殺している毒婦となると、そんな悪女の息子を、被害者である夫側の親類が引き取るはずもない。

 事実、ジョルジュ侯爵のご両親は、このトマスって子を引き取るのを激しく拒絶した。

 結局、貴族家の息子ながら、孤児院にでも行くことになるのだろうが、そのためにも成人した大人の後見人が必要になるのだが、そのアテも心許ない……」


 眉間に深い縦皺を刻むウイリアム副隊長に対して、私はいかにも気軽そうな口調で提案した。


「でしたら、そういった手続き、この私、フランシス・デュビーが行いましょうか?

 ナタリーの息子を孤児院に入れる際、後見人となれば良いのでしょう?」


「え? 貴女が?

 婚約者を奪われて、殺されたというのに?」


 目を丸くする長身の黒髪男に、私はポンと自分の胸を叩いて、請け負った。


「ええ。

 さすがに遺恨ある女性の連れ子を、自らの手で養う気にはなれませんが、その子を孤児院に入れるための後見人になるぐらいでしたら。

 ああ、正確には、私、今では実家のデュビー伯爵家に出戻っていますから、お父様の許可が必要でしょうね。

 ですけど、その点は心配しておりません。

 ジョルジュと婚約した際に、両親と義父母からは、「独り立ちした」と見做していただきましたので、その子の後見人になることも私名義で行うことに、両親も反対しないと思います」


「ああ、助かる!

 これで後顧の憂いはなくなった。

 心置きなく、毒婦ナタリーの犯罪を暴き立てることができる!」


 第二騎士団捜査隊副隊長ウイリアム・ファーンズ子爵は黒い瞳を輝かせる。

 そして、私、フランシスの手を強く握り締めて、ブンブンと振った。


◇◇◇


 季節は冬、吐く息が白くなる寒さが続く日々ーー。


 私、フランシス・デュビー伯爵令嬢は、一ヶ月に一度、王都の外れにある貴族関連の孤児院を訪れることが習慣になっていた。

 碧色の瞳を凝らして、五歳の男の子の様子を遠くから見物するのである。


 観察対象になっている男の子の名は、トマス・グラベール侯爵令息。

 連続夫殺しの毒婦ナタリー未亡人の忘形見だ。


 彼はナタリーと、一人目の夫アンリ・ギース男爵との間に出来た子供であった。

 だが、今ではギース男爵家はアンリの弟スールが家督を継いでおり、正式にナタリーとの子供であるトマスは勘当処分とされ、ギース家から追い払われていた。


 二人目の夫であったヨセフの実家ゼニエル子爵家も、トマスを厄介払いした。

 血の繋がりがまったくないから当然、一族に加えない。


 結局、結婚するには至っていなかったものの、家督者のジョルジュを失ったグラベール侯爵家が、断絶を恐れたゆえに養子とする形で、トマスを受け入れる格好になっていた。

 もっとも、そうは言っても、名ばかりの家督者で、すぐにもグラベールの一族から新たな家督相続者を見繕(みつくろ)う予定で、それまでの繋ぎとしてグラベールを名乗ることを許された格好だ。

 実際、グラベールの一族郎党は、ジョルジュを殺された恨みから、誰もトマスを屋敷に招き入れて育てようとする者はおらず、トマスは孤児院で生活していた。


 そして、トマス坊やの後見人となって、彼名義の全財産を管理しているのは、ジョルジュの元婚約者であった私、フランシス・デュビー伯爵令嬢であった。


 孤児院の庭で駆け回るトマス坊やの姿を、柵の外に停めた馬車から遠目で眺める。

 母親のナタリー譲りの、亜麻色の髪に、褐色の瞳をクルクルとさせた、目元がパッチリとした少年だ。


 見物に来たとき、いつ見てもトマス坊やは、他の孤児たちと仲良く遊んでいた。

 快活な性格ながら、他の子との協調性も豊かなようだ。


 私は馬車の中で、安堵の溜息を漏らす。

 幸いなことに、気性が母親に似なかったようだ。


 もっとも、母親以上に暗黒面を隠すことが上手いだけかもしれない。

 それなら、かえって末恐ろしい子供、ということになるが、屈託ない笑顔を見ると、少なくとも今はそのような裏のある性格はしていないようだ。

 とはいえ、いつナタリーから受け継いだ何かが飛び出して来るかはわからない。


 私はオペラグラスを覗きながら、気を引き締めた。


(ああ、今は可愛い男の子だわ。

 でも、怒らせたら怖い性分かも。

 私もせいぜい、恨まれないようにしなくては……)


 母親ナタリーが三人の夫を殺して得た金は、結構、あった。

 事件発覚後、返還要求がそれぞれの家からなされた。

 だが、書類上は法律に則った相続がなされていたので、たとえ殺されたとはいえ、そのような毒婦に入れ上げた報いとして、半分しか返還されないものと相場が決まっていた。

 だから、ギース男爵家とゼニエル子爵家からせしめた半分の遺産、そのすべてを合わせると、トマス坊やが相続した資産はかなりの金額になっていた。


 正直、グラベール侯爵家の資産が手に入らなくとも、かなりの財産が手元にあるのに、どうしてナタリーは、山荘に引き篭もる私を糾弾してまでジョルジュの遺産に固執したのか。

 ほんとうに良くわからない。

 結局、夫を殺して資産をぶん取ることが習い性になってしまっていたのだろう。


 そうしてナタリーが、様々な貴族家からの恨みを買いながらも掻き集めた、トマス名義になっている財産の管理も、今や、坊やの後見人となっている私、フランシス・デュビー伯爵令嬢が行っている。

 たしかに、名義の上では、ナタリーの息子トマスの財産になるが、彼はいまだ五歳の幼児。

 後見人の私、フランシス・デュビー伯爵令嬢が、坊やの財産を好きに使える状況となっていた。


 しかも、トマス坊やは、被害者である夫側の親類、ギース男爵家、ゼニエル子爵家とは絶縁状態だし、母親ナタリー側の親戚縁者であるシオノ侯爵一門も、傍流であるナタリーが残した資産がこれほど豊かだとは思っていないせいか、トマスに干渉してくる様子はない。

 だから、仮に私がトマスの財産から横流ししたとしても、誰からも文句を言われることはない状況だった。


 さらに、ナタリーが死刑になるのはほぼ確実だから、いったいどれだけの資産が息子トマスに残されているのかを知る人は、誰もいなくなる。

 王国の役所と、私、フランシス・デュビー伯爵令嬢以外にはーー。


(実際、ナタリーには感謝してもらいたいほどだわ。

 私が後見人になってあげていないと、トマスの坊やは孤児院にすら入れなかったんだから。

 横流しなんかするつもりはないけど、ほんとうはハゲタカのように坊やの資産を食い潰すこともできるんだから。

 もっとも、そんなつもりはないんだけど。

 生活に彩りを添える程度の役得があっても許されるわよね?)


 すでに私は元婚約者として、正当にジョルジュの資産を手に入れている。

 それだけで十分、婚約破棄に対する慰謝料以上の財産を手にしていた。

 おかげで、いつも通りの暮らしをしていれば、悠々自適に、一生遊んで暮らせるだけのお金を得てしまっていた。


(これで私は、自分の時間を満喫する人生を送れそうね……)



 私、フランシス・デュビーはオペラグラスを懐に仕舞い込むと、御者に命じて、馬車を孤児院から離れさせ、山荘へと走らせる。


 その合間に、改めて手紙を開く。

 私の山荘に届けられた、ナタリーからの、恨み言が書き連ねられた手紙だ。


『貴女、トマスの後見人になったって本当なの!?

 ふん、貴女の魂胆は、わかってるわ。

 私のお金が目当てなんでしょ!?

 私のお金に手を付けたら、許さないんだから。

 あれは夫たちから貰った、私のお金なのよ。

 貴女にはこれっぽっちも関係ない。

 ジョルジュにしたって、私に惚れ抜いていたんだから。

 オンナとしての勝利者は、私、ナタリーなのよ。

 それだけは認めなさい、フランシス!』


 支離滅裂な文面で、ほとんど殴り書きのように乱れた字で書き連ねられている。

 褐色の瞳に怒りを宿しつつ、亜麻色の髪を掻きむしりながら、羽根ペンを走らせる、ナタリーの姿を想像した。

 私の口から思わず、プッと笑いが吹き出る。


(はいはい。

 認めてあげるわよ。

 オトコを(たぶら)かす腕は、たしかに貴女の方が数段、上だったわね。

 でも、残念ね。

 オトコに上手く取り入ることが『オンナとしての勝利者』と思えないのよ、私は)


 私、フランシス・デュビー伯爵令嬢は、獄中から届けられた死刑囚の手紙をビリビリと細かく破って、馬車の窓から外へと捨てた。


 一ヶ月に一度の孤児院訪問を終えて、明日からはまた、穏やかな気分で、湖面の輝きを眺める生活に戻れそうで、私、フランシスは晴れやかな気分になっていた。


(了)



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結婚届を出さなくても、婚約期間を結婚しているのと同じとみなして同居や子育もしてよい、というこの国の意識いいですねぇ。離婚が難しいからこそ、離婚しなくてもよいようにされているのは非常に有意義だな〜。手続…
管理している財産を1/4渡すだけで感謝される。という言い方は微妙かな。 一般的には「少しでも貰えるなら貰える方が良い」と考えると仮に1割でも感謝されるだろうし。 でも、その表現でも「一般的な考えに基…
自分に言い訳しても自力で築いた財産じゃないし、名義も違うとくれば横領したら、呵責で潰れるよ… あと後々公務員から譴責される恐怖。 やめとけよ…めんどくさいから…
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