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青い恋と守り神  作者: 月丘きずな
第一章
5/28

昨日のおかげで

 いつもと同じ気持ちのいい朝。それなのに、伊織はひどく落ち込んでいた。昨日の夕方から、ジンがひたすらに怒っているのである。ジンは普段から小言が多いけれど、こんなに怒るのは久しぶりだった。伊織が朝ご飯を机に並べて、さあ食べようという今も、ジンは伊織の隣に座ってそっぽを向いている。

 昨日は凛と家まで走っている最中に大粒の雨が降り始めたのだ。ずぶ濡れになりながらも、凛が家に入ったところまで見届けて、ジンとの約束を果たすためにトマトのスーパーへ向かおうと思った。ところが、家を出てすぐの曲がり角を曲がったところで、ジンが雨に濡れながら狼の姿で佇んでいたのだった。そしてどこのスーパーが一番安かったかを教えてくれたきり、何も話してくれなくなったのである。

(ジン、本当にごめんね)

(……)

 心の声で話しかけても、ジンは何も言ってくれない。確かに伊織だって、ジンが伊織との約束を破ったらきっと嫌だと思うのだ。ジンに約束を破られたこたなんてないから想像の話になるけれど、絶対にそうだと思う。ジンはもう伊織なんかと話したくないかもしれないと思うと、どうしようもなく悲しくなった。でも、きちんと話さないと伝わらないと思うのだ。伊織は言葉を発する訳でもないのに息を吸い込んだ。

(本当に、ジンを蔑ろにしたかった訳じゃないんだ)

(……)

(また凛が不良みたいな男に捕まったら大変だと思って、それで)

 伊織が一生懸命言い訳をしていたらジンは大きく溜息をついて、そして伊織のことをチラリと見た。

(伊織は本当に何もわかってない)

(え?)

(俺が怒っている理由。伊織がどこにいても、俺はすぐ駆けつけられるんだよ)

(じゃあ)

 どうして怒っているのだろう。そう思って首を傾げた伊織に、ジンはしっかりと顔を向けた。その顔は真面目そのもので、伊織は自然と姿勢を正す。

(俺がいないところで危ないことしないでって、いつも言ってるよね)

 ジンの赤い瞳が、真っ直ぐに伊織を見つめている。ああ、そうだった。ジンはいつでも伊織のことを思ってくれているのだ。伊織が素直に頷くと、ジンはわかりやすく顔を顰めた。

(それなのに、自分から不良に絡みに行っただなんてどうかしてる)

(だって、いつもジンに助けられてるから、俺だって人の役に立つべきだと思って)

(それは良いことだね。でも伊織が危険な目に遭ったらどうしようもないよ)

 確かにそうかもしれない。ジンはなんでも自分でできるから、伊織のことも十分に守れる。でも、何もできない伊織が誰かを助けようとしたところで、きっと十分にはできないだろう。昨日だって、助けた相手が凛みたいに勇敢な男の子だから良かったものの、もし異なっていたら伊織だけ危険な目に遭ってたかもしれないのだ。ジンはそこまで想定した上で怒ってくれているのだろう。

(ジンはすごいな)

 思ったままをジンに向けて言ってみると、ジンはゆっくりと首を横に振った。

(人間なのに誰かを助けようとする伊織の方がすごいよ。でも、もう危ないことはしちゃだめ)

 わかったかと顔を覗き込まれて、伊織は改めてこくりと頷いた。伊織をこんなに心配してくれるのは、きっとジンだけだ。それが少し悲しくて、嬉しくて、ジンの言うことはちゃんと聞こうと思うのだった。

(さあ、学校に遅れるからご飯食べな)

(うん、ごめんね)

(もういいよ)

 ジンと仲直りをして心は晴れたはずなのに、どうしてか箸を手に持つことができない。やっと手に持っても、食べ物を箸で掴む気になれないのだ。でも食べないと勿体無い。

 モタモタと少しずつ食べていたら、リビングに凛が入ってきた。

「おはよう」

 伊織が声をかけると、「おはよ」と返ってくる。伊織の近くを通ってキッチンの方に向かうのかと思いきや、凛は伊織の正面で動きを止めた。それから思い切ったように口を開いた。

「昨日は、ありがとう」

「う、うん」

 今お礼を言われるのは気まずいなと思いつつ頷く。しかし彼はそのまま動かず、しばらくしてもう一度口を開いた。

「毎朝さ、起きるの早いよね」

「え、そうかな」

「俺を避けてるの」

 一瞬言っていることの意味がわからなかったけれど、その内容を理解した瞬間、伊織は慌てて首を横に振った。避けているつもりなんて全くない。凛には嫌われていそうだったし、一緒に食べると気を遣わせるかなとも思っていたけれど、むしろ伊織は凛と仲良くなりたかったくらいだ。

「凛が一人で食べたいかなとは思ってたけど」

「……ふーん」

 凛は相槌を打ってキッチンへ向かうと、冷蔵庫からおかずを出して温める準備を始める。それ以上何も言わない凛の背中を見ていたら、ジンが伊織の目の前でひらひらと手を振ってきた。

(伊織、早く食べな)

(うん)

 でも、もし凛が一緒に食べても良いと思っているなら、仲良くなる第一歩として少し食べ始めるのを待っていようか。

(じゃあ、凛くんと一緒に食べる?)

(うん、そうしようかな)

(わかった。それなら邪魔しないでおくよ)

 それだけ言うと、ジンはふわりと姿を消した。きっとどこかで伊織を見ているか、散歩にでも行ったのだろう。伊織は凛が食卓を整えるのを待って、凛が手を合わせたのを見届けてから、伊織も改めて箸を持つ。

「……待っててくれたの?」

 凛が伊織のことをチラリと見た。なんて答えたら彼の負担にならないだろうか。少しだけ考えて、「朝くらいは、一緒に食べようか」と言ってみる。

「別に、いいけど」

 そう答えた凛は、伊織の思い違いでなければどこか嬉しそうに見えた。凛といえばこちらを睨みつける表情が印象的だったから、その珍しい様子に伊織の心まで少し明るくなった。美しさからか大人っぽい雰囲気があるけれど、内面は年相応の男の子なのだと思うと少し可愛らしくすら感じられる。

 凛とぎこちない会話をしながら朝ご飯を食べ終えるお、ジンと玄関先で合流して学校へ向かった。

 いつもより騒がしい気がする教室に足を踏み入れる。重怠い体に戸惑っていると、なぜだか女子生徒がわらわらと近寄ってきた。一体何事かと戸惑っているうちに、あっという間に数人に取り囲まれる。伊織の隣にいたジンは彼女たちを避けて黒板の方に追いやられたようだぅた。今は教卓に頬杖をついて伊織のことを眺めている。何事かとジンに助けを求める視線を遮るように、リーダー格と思われる女子生徒が伊織を真っ向から見上げてきた。

「ねえ、如月くん。凛くんとはどんな関係?」

「え、どんな?」

「昨日手を繋いでるところ見たって子がいるんだけど、本当?」

「……ああ、うん。色々あって」

 伊織がそう答えると、ジンが(本当に、色々あってね)と言った。彼女たちはそれでは納得しないらしく、ヒソヒソと話して次の質問を考えているようだ。逃げたいのに、囲まれているものだからどうすることもできない。

(ジン、助けて)

(無理、これは伊織がなんとかするしかないやつ)

 ジンとこっそり会話をしている間も彼女たちの視線が突き刺さる。そうして戸惑っていたその時、教室の後ろの方から黄色い悲鳴が上がった。驚いて振り返ると、教室の後ろの出入り口に女子生徒の塊ができている。そしてその奥に、スラリと背の高い凛が立っているのが見えた。

「凛?」

 伊織が呟いたのと同時に、伊織を取り囲んでいた女子生徒たちが散っていく。と思ったら、凛を取り囲む集団と合流して一体化した。彼女たちはみんな揃って仲間なのだろうか。伊織に関してはどうせ詰められていただけだけれど、解放されたらされたで少し悲しい気もする。ただ、二年である凛が三年のクラスに何の用だろうか。もし誰かに用があるなら取り持ってあげないといけないだろう。そう思ったところで、ふと凛と視線が交わった。ふわりと浮かべられた笑顔に思わず目を見張る。教室中が騒ついた時には彼はいつもの無表情に戻っていたけれど、その唇から確かに「伊織くん」と聞こえてきた。名前なんて呼ばれたことがなかったから、それが自分の名前だと気づくのに数秒かかった。伊織が思わず自分の顔を指差すと、凛がこくりと頷く。何か緊急事態だろうか。教室中の視線が突き刺さる中、伊織は凛の元へ急いだ。

 女子生徒たちをかき分け、凛の正面まで向かうとその顔を見上げる。年下のくせに美しい瞳が頭半分ほど高いところにあることが癪だ。

「どうかした?」

 伊織がそう聞くと、凛はずいっと右手を差し出してきた。その手には、思いがけず伊織の弁当袋がある。

「あ!俺の」

「冷蔵庫に忘れてたよ」

「ありがとう」

 いつも前日のうちに家政婦が作ってくれる弁当を、伊織はこよなく愛している。栄養も取れるし、美味しいし、誰かの手料理なんて嬉しいに決まっている。凛の手から弁当を受け取りながら礼を言うと、見上げた先の凛は柔らかい表情で一つ頷いた。こんなに穏やかな様子の凛は初めて見た気がする。伊織がみる彼の顔は険しく、いつも何か思い詰めているようで、陰ながら心配していたのだ。朝も少し嬉しそうだったし、昨日彼を助けようとしたことが良いように働いているのかもしれない。

「じゃあ、また」

「あ、凛」

 踵を返した凛を、伊織は呼び止めた。せっかくなのに、このまま別れるのは勿体無い気がしたのだ。凛は足を止めてくるりと振り返ると、片眉をあげて伊織を見下ろした。その表情すら映画のワンシーンのようで、伊織は少し見惚れながらも言葉を探す。

「あの、本当に助かったから。今度バイト代でなんかご馳走するよ」

 そうだ、ジンにケーキを買う時、一緒に何か買ってあげよう。ケーキは好きだろうか。それとも、甘くないものの方が好きだろうか。そんなことを考えていたら、どうやら遠くから伊織たちの様子を見守っていたらしいジンが伊織の隣にやってきて、(それはいい考えだね)と言った。ジンに賛同されると尚更それが正解な気がする。

 しかし、凛は途端に不機嫌そうな顔をして、首を横に振った。

「いらない」

「え、なんで?」

「じゃあね」

 質問には答えずに去っていく凛は、背中からも不機嫌になってしまったことがわかる。伊織の何が凛を怒らせたのだろうか。伊織にはよくわからなくて、朝から重かった体がもっと重くなり、心も深く沈み込んだ。

(凛、どうしたんだろ)

 伊織がジンに尋ねると、ジンは肩をすくめてこう言った。

(きっとあれだよ。思春期)

(思春期)

 伊織は復唱しながら考えた。思春期の時期は人によるだろうけれど、凛はちょうど今なのか。きっともやもやしてイライラして辛いこともあるだろう。今朝も思ったけれど、やはり年下でまだまだ子供なのだ。だから、伊織にできることがあれば助けてあげよう。その背中を見送りながら、伊織は改めて心に誓うのだった。

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