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青い恋と守り神  作者: 月丘きずな
第四章
28/28

青い恋と守り神

 朝起きた瞬間、伊織はジンに祝われた。そこで今日が自分の誕生日だと気がついたのだ。今日はただの期末テスト最終日だと思っていたから、ちょっと嬉しくなった。昔から、伊織の誕生日はジンだけが祝ってくれる日だった。でも、できることなら今年は凛にも祝ってほしい。ただ、伊織が強制するのは違う気がするし、凛はきっと伊織の誕生日なんて知らないだろうから、それは叶わない夢だ。

 いつものように準備を整えてジンに寝癖を直され、リビングへ向かう。すると、毎朝のように凛がすっかり食卓を整えてくれていた。伊織は毎朝新鮮に感動している。ご飯は本来自分で用意をしないと食べられないものなのに、こうやって凛は伊織を甘やかしてくれるのだ。

「凛、ありがとう」

「いいえ。ほら、一緒に食べよう」

 今日のおかずは煮魚だった。いつも通り黄色い卵焼きもあって、伊織の心はウキウキと弾む。気分が良いから隣に座るジンに卵焼きを一つあげたら、ジンは「ありがとう」と言って一口で食べた。おめでとうを言われなくても、伊織はこの日常が幸せでとても嬉しいのだ。

 朝食を食べ終えて、準備をすっかり整えたら、凛と一緒に玄関を出た。いつも通り門の外には赤城がいて、軽く冗談を言い合ったりしてから彼を見送った。

「伊織くん」

 学校へ向けて歩いていたら、隣の凛が伊織の名前を呼んだ。繋がれた手に少しだけ力がこもったことがわかって、伊織は凛の美しい顔を見上げる。

「今日、俺とデートしてくれない」

 二人の前を歩いていたジンが振り返って、小さく「わお」と言った。

「デート?」

「うん。今日でテスト期間終わるから、早く帰れるでしょ」

「うん」

「お互いとびきりお洒落して、十三時に家のリビングに待ち合わせしよう」

 凛の提案に、伊織は笑顔で頷いた。デートは嬉しい。しかも、今日は誕生日なのだ。きっと特別な日になるだろうと思うと、伊織は胸が弾んだ。

 ここ数日と同じように、伊織は生徒が道に増える前に、凛の唇にキスをした。そして逃げるように校門まで走る。

(デート、よかったね)

 隣を珍しく狼のような姿でついてくるジンに、伊織は(うん、まあね)と答える。そういえば、今までデートというデートはしたことがなかった。凛と過ごすことが多かったから気が付かなかったけれど、デートをしたことがないというのは少し寂しい気がする。

(何着るの?)

 ジンの言葉に、伊織は玄関に入ったところで立ち止まった。

(……制服でいいんじゃないの)

(凛くんはお洒落しようって言ってたよ)

(でも服なんてほとんど持ってないよ)

 伊織が絶望すると、隣のジンはクルクルと人間の姿になって、一緒に絶望の表情を浮かべる。でもすぐに、(よし、学校が終わったら買いに行こう)と提案してくれた。

(俺が好きなブランドが駅の隣のモールにあるから大丈夫)

(ジン、好きなブランドなんてあるんだ)

 伊織が感心していると、ジンは(テスト中に伊織に似合いそうな服を偵察しておくよ)と言った。

 伊織はソワソワしながらテストを受けた。それから掃除をしてホームルームを適当に過ごすと、学校を飛び出した。狼のような姿で隣を走るジンが(ほら、急いで)と言ってくるけれど、伊織はこれでも精一杯だ。ジンが軽く走りながら伊織を先導する。駅の方まで行ってショッピングモールに入ると、ジンはエスカレーターに乗りながらクルクルっと身を翻した。すっかり人間の姿になると、切れ長の目にスラリと長い手足が相変わらずかっこよくて、ジンのような容姿があったらなと、伊織は羨ましくなった。

(こっちだよ)

 ジンに誘われるままに三階のメンズコーナーまで向かうと、いくつかある店舗の一つに促された。爽やかでカジュアルで、でも綺麗な感じの店だ。ジンは一直線に空色の軽やかな半袖シャツを指差して(これ、絶対に似合う)と言ってくれた。確かに、お洒落に疎い伊織も簡単に着こなせそうな感じの服だ。ただ、問題は値段だ。恐る恐る値札を見ると、伊織にしたら目玉が飛び出るほど高価なものだった。

(初デートなんだから、気合い入れていいんじゃない)

(でも……)

(着てごらん)

 ジンがそう言うのと同時に、すぐに店員が伊織の元へ駆けつけた。それから細身の黒いボトムスと一緒に試着室に案内される。伊織が制服のシャツを脱いで着替えると、いつの間にか一緒に試着室に入っていたジンが目を見開いた。

(おお、似合う)

 伊織が鏡を見ると、確かに空色が伊織にマッチしているように見えた。

(黒いズボンは持ってたじゃん。あれでいいよ)

(新聞配達で履いてたやつだよ)

(関係ないよ。思い出を塗り替えよう)

 ジンの適当な励ましに思わず笑いながら、伊織は鏡の中の自分を見つめた。この二ヶ月ちょっとで、伊織の人生はガラリと変わった。義弟ができて、広い家に住んで、三食ご飯にありつけて。そして義弟は美しくて可愛い恋人になった。新聞配達をしていた頃も、今思えば確かに楽しかったのかもしれない。配達が終わってすっかり明けた空は、今着ている空色のように明るく綺麗だった。ジンとずっと一緒にいて、生きることに必死だった日々。あれはあれで幸せだった。でも、今は特別に好きな人が増えて、そして毎日が花のように色とりどりになった気がする。

(ズボンは花柄にしようかな)

 伊織が真剣にそう言ったら、ジンが信じられないと手で口を覆った。

(絶対にやめな、絶対に。俺は伊織の選択をいつでも応援するけど、それだけはダメ)

 そんなに言うことないのになと思いながら、伊織は制服に着替え直して、そして空色のシャツを購入したのだった。

 ショップバッグを提げて家に帰り、自室に閉じこもる。なんだか不安で、買ったばかりのシャツを改めて着てみた。そして下はクローゼットの中から黒いズボンを引っ張り出す。それを身につけて、クローゼットの扉についている全身鏡に自分の姿を写した。細身のズボンと少し大きめなシャツの組み合わせは、もしかしたらすごくお洒落なのかもしれない。少し安心してジンを振り返ると、彼は満足そうに一つ頷いた。それから伊織を手招きする。伊織が大人しくジンの前へ進み出ると、ジンは伊織の髪を少し弄って、普段とは少し違う感じにセットしてくれた。

「前髪を少しあげて、毛先を遊ばせてみた」

 違いがわからない伊織にちゃんと教えてくれるところがジンのすごいところだ。伊織が「ありがとう」と言うと、ジンは「よし」と気合を入れたようだった。

「伊織、練習する?」

「練習?」

「デート、したことないでしょ」

「確かに」

 つまりは、デートの練習ということか。伊織は少し考えて、「よろしくお願いします」とジンへ頭を下げた。

「伊織くん、お洒落してきてくれたんだね」

「え、今の凛のセリフ?」

「とっても可愛よ」

「かっこいいが良いんだけどな」

 伊織がそう言うと、ジンは眉を顰めた。

「こら。俺は今凛くんなんだから」

「はい、すみません」

「伊織くん、プレゼントは何がいい?」

「なにって、何にもいらないよ」

「じゃあ、これをあげる」

 ジンはそう言うと、伊織の額に本当に口付けた。伊織は少し驚いたけれど、離れたジンと目を合わせて、お互いに頷きあう。

「ジン、いい感じだ」

「でしょ。俺の演技が上手いから」

 そうこうしている間に、時刻は十二時五十五分になっていた。ジンに急かされて、伊織は休日に使っているボディバッグを掴むと、部屋から出て階段を下る。スリッパはまだ履き慣れないけれど、住み始めた頃よりは随分とマシになった。そのままの勢いで、伊織はリビングをゆっくりと開けた。まだ凛はいないみたいだ。そう安心したその時だった。

“パアンッ

 大きな音がして、伊織は思わず飛び跳ねた。心臓をバクバクさせているうちに、扉の向こうから凛が姿を現す。手にはクラッカーを持っていて、音の発生源を知り、伊織はすっかり止めていた息を吐き出した。

「凛!」

 リビングに入りながら凛に近づくと、凛は嬉しそうに笑って「驚いた?」と言った。

「なんのお祝い?初デートだから?」

 伊織がそう聞くと、凛は目を丸くして、それから仕方がないと溜息をついた。

「これは、伊織くんの誕生日祝い」

「え?」

「俺が大事な伊織くんの誕生日を知らないわけないでしょ」

 凛はそう言うと、伊織をまっすぐに見つめて「お誕生日おめでとう」と言ってくれた。小さく願っていた夢が現実になって、伊織は思わず心を震わせた。好きな人に祝われるって、本当に嬉しいことだ。

「ありがとう」

 伊織が礼と一緒に満面の笑みを返すと、凛は伊織の姿を頭から足の先まで見て、そして花が綻ぶように笑顔を見せた。

「伊織くん、とっても可愛い」

「可愛いかな」

「お洒落してきてくれたんだね」

 そう言われると、先ほどの予行練習が思い浮かぶ。ジンの再現度は、割と高かったのかもしれない。思わず吹き出すと、凛は「どうかした?」と戸惑ったようだった。

「いや、さっきね。ジンと練習したから」

「練習?」

「デートの練習。そしたらジンとほぼ同じことを言うから、驚いた」

 そうやって笑っていたら、しばらくして凛が静かなことに気がついた。笑いながら凛を見上げると、彼は眉を寄せて不機嫌そうな表情を浮かべている。

「凛?」

「信じられない」

「え?」

「初デートなんじゃないの?」

「そ、そうだよ」

「練習なんてしたら、それが初めてってことになっちゃうじゃん」

 凛はそう言うと、キッチンの方まで回って伊織と距離をとった。

「凛?」

「俺は、伊織くんと、初めてのデートがしたかった」

「うん」

「それなのに、伊織くんはジンとしちゃったんだ」

 伊織は少し考えて、そして理解した。凛は多分、嫉妬しているのだろう。こんなことで嫉妬して怒る意味はわからないけれど、凛なりに意味があることなのだろうと思う。だから伊織はキッチンで俯きながら佇む凛に駆け寄った。

「凛、ジンとしたのは本当に練習だよ。待ち合わせのところまでしかしてない」

「……本当に?」

「うん、本当」

「じゃあ、ハグもキスもしてないね」

「するわけないだろ」

 そう言いながら、伊織は額が疼いた気がした。そういえば、確か口付けされた気がする。でも、相手はジンなのだから、まあいいだろう。

「わかったよ。許してあげる」

 凛はそう言うと、伊織の頬に軽くキスをした。

 焦っていて気が付かなかったけれど、凛は綺麗な柄の入ったネイビーのシャツに黒いズボンを履いている。

「なんか、お揃いみたいだ」

 伊織がまじまじとそう言うと、凛は「本当だね」と言ってすっかり機嫌を直したようだった。

 お気に入りの白のスニーカーを履いて、凛と玄関を出る。昼ご飯はお洒落にイタリアンに行こうと言われて、伊織は大きく頷いた。つい一時間ほど前にジンと訪れたショッピングモールの隣に建つ百貨店に入る。その最上階にある高級イタリアンは、凛の行きつけらしかった。凛にマナーを教わりながらもドギマギして、実は最後まで食べた気がしなかったけれど、凛がずっとかっこよかったから良しとしよう。それから、凛と一緒にアクセサリーを見に行った。伊織はアクセサリーなんて持っていないから何もわからなかったけれど、目をキラキラとさせてディスプレイを見る凛のことをずっと見ていた。

「伊織くんは、なにが欲しい?」

 これも、ジンとの練習で聞かれたことだった気がする。そう思いながら伊織は首を横に振った。

「なにもいらないよ」

「なんで?せっかくなんだから、なんでも言って」

「でも、俺はもう十分幸せなんだ」

 大好きな凛がいて、家に帰ればきっとジンもいて、家があって、食事に困らない。それ以外なにを望むと言うのだろう。伊織がそう気持ちを込めて言うと、凛は優しく笑った。

「じゃあ、俺が勝手に決めちゃおう」

 凛はそう言うと、フロアの奥の方にずんずん進んで行ってしまう。伊織が慌てて後を追いかけると、たどり着いたのは時計専門店だった。

「凛、ダメだよ」

 伊織が凛の耳元で囁くと、凛は伊織を振り返って「今回は安いやつね」とウィンクした。そう言って凛が選んだのは、シルバーに文字盤が黒の腕時計だった。伊織が思わず見惚れるほどかっこいいそれの値段は、きっと凛が今まで稼いだバイト代の半分くらい。でもお揃いで二つ買ったから、凛のバイト代は全て飛んでいっただろう。伊織は受け取るべきか少し悩んだけれど、嬉しそうな凛に差し出されたら断るなんてできなくて、手首にサイズを合わせた時計を素直に巻いてもらった。

 百貨店から出て、隣に歩く凛を見上げる。お互いの左手首には銀色の時計が輝いていて、太陽の下では余計にキラキラとしていた。

「凛、ありがとう」

「うん」

「お返しどうしよう」

 心で思っていただけのはずなのに、思わず口から本音が漏れた。すると凛はクスッと笑って、「気にしないで」とだけ言った。

「気にするよ。お返しのことを考えるとさ、俺の知識と金銭感覚と漢気が足らない」

「なにそれ」

「凛は誕生日になにが欲しい?」

 確か、凛の誕生日は来月のはずだ。灼熱の八月に生まれた彼は、涼やかな顔で照りつける太陽を見上げている。

「何がいいかな。伊織くんのナポリタン、とか」

「そんなんじゃダメ。俺が真面目に考える」

 きっとジンにも相談しよう。伊織の百倍センスの良いジンなら、素敵な凛に相応しいプレゼントがわかるかもしれない。すると凛が伊織の考えを見透かすように伊織を見据えた。

「くれぐれも、ジンには相談しないでね」

「え、なんで」

「正真正銘、伊織くんからのプレゼントがいいんだもん」

「それじゃあ、センス皆無だよ。もちろん頑張るよ、頑張るけどさ」

 伊織がぶつぶつ言い訳をしていたら、凛が伊織の耳元に口を寄せた。

「本当に欲しいのはね」

 そう言ってから告げられた言葉に、伊織は思わず赤面した。多分、側から見たら熱中症レベルに顔が赤いだろう。湯気が出るほど熱くなっている伊織に対して、凛は涼しい顔で鼻歌を歌いながら軽やかに歩いている。今にもスキップしそうな勢いだ。

 でも、いつかは覚悟を決めないといけないだろうとは思っていたのだ。だから、凛が伊織を求めるなら、いくらでも差し出すつもりだった。伊織は腹を括って、道の途中に立ち止まった。

「いいよ。凛の誕生日は俺をあげる」

 伊織が声を震わせながらそう言うと、凛は目を丸くして立ち止まった。そして伊織に向き直る。

「伊織くん」

「それと、あとなんかお揃いのやつ」

「……それと、ナポリタン」

「ナポリタンも?わがままだな」

「だって、つまりは俺の誕生日まで待つんだからね。当然だよ」

 そう言うと、凛は時計をしている伊織の左手を右手で繋いだ。七月も中旬になると外気は熱いけれど、不思議とその手を離そうとは思わない。凛の手をぎゅっと握ってブンブン振ると、凛は今日一番嬉しそうに笑った。

 それからトマトのマークのスーパーで食材を買って、凛にトマトリゾットを作ってもらった。元の性質が器用なのにこっそり練習も重ねていたらしく、先月の雨の日に一緒に作ったリゾットよりも高級感漂う仕上がりになっていた。品よくパセリまで散らしてあって、まるで先ほど行った店にも出てきそうだ。伊織がジンを呼ぶと、ジンは一瞬にして姿を現した。そして凛が三人分作ってくれたリゾットを見て、嬉しそうに目を輝かせたのだった。

 お腹いっぱい食べて、順番に風呂に入って、それから手を振りあってお互いの部屋に戻った。伊織はベッドに横になりながら、サイドチェストに置いたシルバーの時計をしばらくの間眺めた。

「時計、よかったね」

 隣に寝ていたジンの言葉に、伊織はこくりと頷いた。そしてモゾモゾとジンの方へ体を向ける。そして、なんでも話してきたジンに隠し事はできない気がして、おずおずと口を開いた。

「ジン」

「ん?」

「俺、凛の誕生日にね」

「うん」

「俺をあげることにしたんだ」

 緊張してジンのことを直視できなかった。我ながら、なにを告白しているのだろう。やっぱり言わなければよかったかなと思ってチラリとジンを見上げると、彼は面白がるような顔で伊織を見ていた。

「あらら、素敵じゃないですか」

 揶揄うような言葉に少しホッとして、こくりと頷く。

「俺、頑張る」

「うん、頑張れ」

 笑い合って、そして伊織は目を閉じた。割と目は冴えていたはずなのに急に眠くなって、瞼が言うことをきかないのだ。まだジンと話していたいのに、そのまま、すっと眠りについた。だから、ジンが続けて言った言葉には気が付かなかった。

「もし邪魔しちゃったらごめんね」

 ジンは綺麗に整った眉を下げながらそう言うと、伊織の髪を優しく撫でたのだった。

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