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青い恋と守り神  作者: 月丘きずな
第二章
11/28

義兄弟の体育祭

 土曜日と日曜日は昼前から伊織とジンと一緒にアルバイトに向かった。覚えることもたくさんあったけれど、精一杯愛想良く接客をしたら客にも店主にも喜んでもらえたようだった。自らの行動が誰かの役に立てていると実感したのは随分と久しぶりで、凛は給料なんていらないと思うくらいだった。

 そして月曜日の朝、凛は伊織より少し早く起きて、急いで食卓を整えた。伊織が忘れないように弁当も机に置いて、今朝はなんの話をしようかと考える。伊織はジンと共にリビングへやってくると、ここ数日と同じテンションで感動して、凛が用意した朝ご飯を喜んで食べ始めた。

「今日は体育祭だね」

 凛が準備をしていた話題を提供すると、伊織は「そうだね」と頷いた。凛と伊織の通う高校は新年度が始まって一ヶ月ほどで体育祭をするのが慣例となっている。どうやらクラスの親睦を深めることが狙いらしい。リビングの窓の向こうはよく晴れていて、絶好の体育祭日和だ。

「伊織くんは、何にでるの」

「俺はサッカー」

「え、俺も」

「じゃあ、二人が対戦するかもしれないんだ」

 ジンがそう言うと、伊織は「それはほとんどないと思う」と言って大きな白米の塊を口に放り込んだ。

「なんで」

 なんとなく見捨てられた気がして凛が聞くと、伊織はもぐもぐしながら「うちのクラス、超弱いから」と言った。

「ああ、確かに」

 そう言ってジンが笑う。

「ジンから見ても弱いの」

「超弱いよ。それに伊織がオウンゴールする」

「三回だけしかしたことないよ」

「五回はしてるね」

 その会話がおかしくて凛が笑うと、伊織は口を尖らせて焼き魚を箸で突いた。それを見て凛は思わず、「どっちのゴールでも入れたらすごいよ」だなんて口走っていたのだから、ちょっとおかしな自分に呆れてしまう。

「そうだろ。五点は入れてるってことだもんね」

 突然強気になった伊織に、ジンはやれやれと首を振った。

 朝食を食べ終えて伊織とジンと一緒に登校していたら、金曜日のように凛の取り巻きが道の途中で待っていた。何やらコソコソと話している姿をみるのはあまり気分が良くない。「あ、凛の友達いるよ」と言った純粋な伊織には、嘘をつきたくないなと思った。

「実はあんまり仲良くないんだよね」

「へぇ、そうなんだ。あの子たちは凛のこと好きそうだけどね」

「人間関係って難しいよね」

 二人があまりにも気にしていなさそうだから、凛の心は救われた気がした。

 それから平然と彼らの前を通り過ぎて、伊織とジンと玄関で別れ、教室へ向かった。

「よお、凛」

 教室へ入った瞬間に話しかけてきたのは、一番仲が良い颯太だ。凛が歩きながら片手をあげて返事をすると、彼は嬉しそうに凛を先導して、窓際にある凛の前の席に後ろ向きに座った。凛がスクールバッグを机の横にかけて着席すると、待っていたかのように話し始める。

「今日は体育祭だから、俺張り切ってるんだ」

「ふーん」

「だって、女の子が一生懸命他人を応援するイベントだぜ」

 その言い方はちょっと気持ち悪いなと思って顔を顰めると、彼は「下心はないんだけどね」と言った。あるに決まっている。

「凛はサッカーだっけ」

「うん」

「女の子も凛の応援にくるよな。可愛い子いるかな」

 可愛い子と聞いて、どうしてか一瞬伊織の顔が浮かんだ。首を傾げると、颯太が「なんだよ、誰か心あたりあるの」と身を乗り出してくる。凛が首を横に振ると、「なんだ」と言って身を引いた。わかりやすいやつだ。でも颯太のこういう素直なところが、凛は嫌いではなかった。

「まあいいや。また開会式で」

 そう言って颯太が去っていくのと同時に、前の席の男子生徒が登校してきた。春川という名前の彼は、爽やかな名前に反してちょっと暗い雰囲気を持っている。大きなメガネと長い前髪から、彼の表情はいつも伺えない。

「……おはよう」

 でも毎朝挨拶は春川からしてくれるんだよなと思いながら、凛も「おはよう」と返した。そういえば、彼はサッカーのチームメイトだ。もしかしたら伊織が応援してくれることもあるかもしれないと思うと、凛は少し頑張りたいところだ。

「今日サッカー、頑張ろうね」

 凛が声をかけると、彼は驚いたように一瞬動きを止めて、それから小さく頷いた。あんまり運動自体が好きではなさそうだけれど、彼はいつでも一生懸命にボールを追いかけている印象がある。

「如月くんは、」

「ん?」

 春川の言葉の先は聞けなかった。西田たちが集団で凛に近づいてきたからである。春川もそれに気づいたらしく、慌てたように席に着くと前を向いてしまった。

「凛、朝無視したな」

 そう言って西田から肩を組まれる。その腕がいつも以上に煩わしい。凛はその腕をそれとなく外した。

「気づかなかった」

 凛がそう答えると、西田は肩を竦めた。

「この前のこと、気に触ったか」

「何のこと」

「お前の兄貴のことに踏み込んでさ」

 そのことかと思い出す。確かに不快だったけれど、伊織は気にしていなさそうだったし、相手にするつもりすらなかった。

「別に、もういいよ」

 伊織のように心が広くありたくてそう言うと、西田を含め、その周りの男女は一斉に安堵の表情を浮かべた。

「さすが凛」

「やっぱりかっこいいな」

 そんな言葉を口々に言われるけれど、心は少しも動かない。

「でも俺、あの人のこと結構好きだからね」

 だからこれ以上構ってくれるなと言う意味だ。伊織は凛を守ると言ってくれた人で、西田たちのように凛を利用したりは決してしない。頑なに視線を合わせようとしない凛に対して、西田たちはコソコソと話しながら「またな」と言って去っていった。

 せっかくいい朝だと思ったのに、彼らのせいで嫌な感じだ。この気分をどうしてくれよう。思わず溜息をつくと、前の席で微動だにしなかった春川がゆっくりと振り返った。

「如月くんは」

「ん?」

「……優しい」

「え?」

 凛が聞き返した時には彼は前を向いていて、いつもの猫背の背中が見えるだけだった。でも、彼が凛に気持ちを伝えようとしてくれたことも、その言葉も嬉しくて、凛の心は少しだけ晴れたのだった。

 体育祭は校庭での全校集会から始まった。暑いくらいの太陽の下、体操着を着て三年の列に並ぶ伊織は、何やら前に並ぶ男子生徒と楽しそうにしている。ジンはというと、律儀に体操着を着て、いつも通り伊織に張り付いていた。壇上で挨拶をしている体育教師の言葉が気に入らないと見るからに顔を顰めるのが面白い。ジンは品性を大切にする男みたいだから、体育会系を極めた思想とは合わないのかもしれない。

 教師たちの長い挨拶と、生徒全員によるやる気のない体操を終えて、それぞれの持ち場に移動する。校庭ではサッカーと五十メートル走、それからポートボールなどの試合が行われる予定だ。

 コートまでの移動中に伊織とバッタリ遭遇したのは偶然だった。隣にはジンと、それから知らない男子生徒たち。話しかけたら悪いかなと思っていたら、凛に気がついた伊織がパッと表情を明るくして手を振ってくれた。

「凛、俺たち第一試合みたいなんだ」

「そうなんだ」

「もしよければさ」

「応援するよ」

 少し食い気味になってしまったことに勝手に慌ててしまう。今の、変じゃなかっただろうか。ところが、伊織は全く気にした様子もなく、「やった。ありがとう」と笑った。

 友人たちと去っていく伊織を自然と目で追いかけていると、ふと隣に颯太が現れた。

「なに、もしかしてあの子がお前の好きな子」

「違うよ。あれは俺の義理の兄貴」

「ああ、噂の」

 どんな噂だろうか。凛が気になって颯太を振り返った時には、彼はどこかへ姿を消していた。せっかくなら一緒に観戦したかったけれど、彼は女の子に紛れて楽しむつもりだろう。その姿を容易に想像できることが面白い。

 凛はサッカーコートが見える校庭の端の方を選んで、一人で座り込んだ。ほとんど校庭を囲む木の下だ。ここならきっと誰にも見つからない。見つかったとしても、コートから遠すぎて誰も寄ってこないはずだ。本当はもっと近くで伊織を応援したいところだけれど、優先すべきは誰にも邪魔されないことだ。

 ホイッスルと共に始まった試合は、遠目から見ても随分と朗らかに進んでいった。伊織が敵のゴールが決まっても盛大に喜ぶからである。すでに三点先制されているのに、今も楽しそうにボールを追いかけている。気がついたらコート内外の人間が伊織に夢中で、伊織が敵の活躍を喜ぶたびに笑いが起こるほどだ。

 試合終盤になって、やっとボールが伊織のもとにやってきた。いいポジションでドリブルをする伊織に、凛は思わず立ち上がってコートへ走り寄った。「頑張れ」と小さな声で凛が言うと、いつの間にか隣にいたジンが「伊織!」と声をあげた。伊織が思い切りボールを蹴った、と誰もが思った。ところが、信じられないほど見事な空振り。コート内外問わず大爆笑に包まれて、当の本人は大きな目を丸くしてきょとんとしている。

 その顔を見た瞬間。凛の心の奥から不思議な音が聞こえてきた。

「伊織、もう一回、蹴る!」

 ジンの声にハッとした伊織がもう一度ボールを蹴ると、ボールは緩い軌道を描いて、最後は誰に止められることもなくコロコロとゴールに吸い込まれていった。

「やったあ!」

 そう叫んだ伊織を、チームメイトが取り囲む。やっと一点取っただけなのに、まるで勝利したかのような喜びようだ。

 そんな伊織の笑顔を、凛はぼんやりと見つめていた。先ほど凛の心から聞こえてきた音。伊織がボールを空振りした時、そしてその後のきょとんとした顔に、なんて可愛いのだろうと思ってしまった。そう思った瞬間に鳴った不思議なあの音は、一体何だったのだろう。

「凛くん」

 隣のジンが凛の顔を覗き込む気配。ゆっくりと視線を向けると、ジンは得意げな顔をしている。

「ね、好きになっちゃったでしょ」

 一瞬遅れて、「え?」と言った時には、彼は姿を消していた。

 ゆっくりとコートへ視線を移すと、ちょうど試合が終わったところだった。伊織たちは負けてしまったようだけれど、相当楽しかったのか全員清々しい笑顔を見せている。ワラワラと散っていく生徒たちの中で、伊織だけが鮮明に見えるのが不思議だった。こんなの、生まれて初めてだ。ふと彼と目が合った。その瞬間パッと明るくなった顔と、満面の笑み。そして大きく手を振られたら、凛はもうイチコロだった。小さく手を振返しながら、近づいてくる伊織をぼんやり見ることしかできない。目の前まで来て凛を見上げた伊織がキラキラと輝いて見えた。

「見てたでしょ、俺のゴール」

「うん」

「オウンゴールじゃなくて、ちゃんと決めたから」

「うん、すごかった」

「だろ」

 得意げな様子の伊織に、自然と口角が緩んでしまう。そんな凛に、伊織はもっと嬉しそうに笑った。

「凛の試合はいつ?」

「ちょうど次だよ」

「じゃあ、絶対ジンと一緒に応援するよ」

 別にジンと一緒じゃなくてもいいけれど、楽しそうなその姿に、凛は何も言わずにこくりと頷いた。

 試合のために凛がコート内に入ると、大勢の女子生徒が周りを取り囲んだ。

「凛くーん、がんばれー」

「応援してるよー」

 次々に聞こえてくる声には、いつもどのように反応したら良いのかわからない。そんな中でコートの近くに座る伊織はというと、ジンとの会話に夢中で凛のことなど見てもいない。これは凛がひたすらに頑張って、伊織を注目させるしかないだろう。

 一列に並んで礼をして、それからコートに散らばる。その際に目があった春川に小さく笑いかけてみたら、彼はメガネと前髪越しにぎこちない笑顔を返してくれた。

「凛、頑張ろう」

 西田に背中を叩かれる。無視するわけにもいかないかと思い、「うん」とだけ言っておいた。

 試合が始まると、凛はとにかくたくさん走った。仲間にパスを回すことも忘れずに、でもひたすらボールを離さなかった。内心煩わしいと思っていた応援は凛の追い風にもなった。

「凛!決めろ」

 特に伊織からこの言葉が聞こえた時には絶対にゴールしてやると躍起になって、実際に一番いいシュートを決めることができたのだった。

 結局圧勝のままに試合を終えて、チームメイト同士で労いあっていると、春川が珍しく凛の近くに寄ってきた。

「如月くん、パス回してくれてありがとう」

「いつも良い所にいてくれるから回しやすかったんだよ」

「運動は好きじゃないけど、すごく楽しかった」

 次の試合も頑張ろうと話して、彼はコートの外へと立ち去っていった。半ば自分の私欲のために頑張っただけだけれど、春川が楽しかったと言うのなら余計に良い気分だ。この気分のまま、今にも伊織へ走り寄りたい。でも、応援してくれていた女子生徒たちが凛のことをコートの外で待ち構えているのがわかって躊躇してしまう。実際、一人一人相手にするのは大変だから、彼女たちがもう少し落ち着くまでコートにいるのが賢明だろう。小さく溜息をつきながら、視線は勝手に伊織を見つけた。伊織はすでにジンと一緒に体育館の方へと向かっているようだった。

 残念に思いながらその後ろ姿を見つめていると、ふと視界の端から大柄な男が出て来た。伊織に近づいていくように見える。それが西田だとわかった途端に胸騒ぎがして、慌ててコートから出ようとすると、凛を女子生徒たちがワッと取り囲んだ。

「すごくかっこよかったです」

「次の試合も絶対に応援するね」

 その一言一言に「ありがとう」を返していたら、気がついた時には伊織はどこかへと姿を消していた。

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