表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青い恋と守り神  作者: 月丘きずな
第一章
10/28

喫茶店と義兄弟

 放課後になって、凛は伊織の働く喫茶店へ来ていた。実は先ほどまで朝絡まれた彼らに遊びに行こうとしつこく誘われていたのだ。それがどうしても面倒で、行くところがあるからと断った。でも本当は行くところなんて全く思い浮かばなくて、どうしてかこの喫茶店まで来てしまったのだった。もし伊織やジンに見つかっても、伊織の体の具合だけ聞けば十分大義名分になるだろう。そう自分に言い聞かせながら大きな窓から店内をそれとなく覗いてみると、伊織の姿はまだ見えなかった。

「あ、本当に来た」

 その声に凛が慌てて振り返ると、そこには凛を面白がるジンと、キョトンとした顔の伊織が立っていた。

「凛、来てくれたの」

 否定するのも変かなと思ってこくりと頷く。すると伊織は丸い目を緩めて嬉しそうに笑った。「入って」と元気いっぱいに言われたことで断ることもできず、凛は戸惑いながらも伊織の後に続いて喫茶店に入った。カランコロンという音があまりにもレトロで、なんだか少し癒される。店内は半端な時間にも関わらず席の大部分が埋まっており、なかなかの繁盛店なのだということが分かった。そのままカウンターの端の席に案内されて、背の高い椅子に腰掛ける。スクールバッグは足元の荷物置きに入れて、改めて店内を見渡した。今入ってきた扉も壁も窓もランプも、全てが凝っていて、結構良い店かもしれない。すると、店の奥でブレザーを脱ぎ、深い青色のエプロンを身につけた伊織がカウンターの中から顔を覗き込んできた。

「注文は決まった?」

「いや、まだ」

 そう言って慌てて目の前に立てかけてあるメニュー表に手を伸ばしたら、いつの間にか右隣に座っていたジンが「クリームソーダ、美味しいよ」と言った。

「……じゃあ、クリームソーダ」

「はいよ」

 すぐに作業に入った伊織を見て、はて、と凛は思った。これではまるで伊織の手を煩わせる客の一人だ。今日は病み上がりの伊織の様子を見にきたという名目だったはずだ。そして、もし忙しくて困っているようなら、手を貸してやらんこともないくらいの気持ちも少なからずあった。それなのにこの状況はおかしくないだろうか。視線を感じて隣にいるジンを見たら、彼は凛を揶揄うような眼差しで「可愛いお客さんだね」と言った。

「どうぞ。俺の奢り」

 そう言って伊織が提供をしてくれたのは、緑色の弾けるメロンソーダにバニラアイスクリームとさくらんぼがのった手本のようなクリームソーダだった。

「奢りでいいの」

 凛が聞くと伊織は頷いて、「昨日のお礼」と言った。昨日なんて、伊織はタクシーを呼んだだけだ。本当にもらってもいいのだろうか。でも断るのも悪い気がして、小さな声で「いただきます」と言ってから、細くて長いスプーンでアイスクリームを掬う。口に含むとキンと冷たくて濃厚な甘さが広がった。すぐに感想と礼を言いたかったのに、伊織は今入ってきた客の対応に追われている。暇つぶし程度に隣を見ると、ジンもいつの間にかクリームソーダを飲んでいた。そして真っ赤なさくらんぼをくるくると回しながら、凛にこう提案してきた。

「伊織のつくるナポリタンも美味しいから、ちょっともらったら」

「いや、忙しそうなのにそんなの悪い」

 凛が小さな声でジンにそう答えると、ちょうど客から注文をとってきた伊織が凛に近づいてきた。

「いいよ。今ちょうど注文入ったから」

 伊織はこそっと凛の耳元で囁いた。つまりは、今とった注文分と一緒に作ってくれるということか。断ろうとしたのに、伊織はすぐに奥の厨房の方へ行ってしまった。代わりに店に出てきたのは大柄の男性だった。年は凛の父親より少し下くらいかもしれない。彼がこの店の店主だろうか。

「あの人、伊織のお母さんの弟。つまり叔父さん」

 ジンから教えられた情報に、そうなんだと頷く。叔父にあたる人ならジンも安心して働かせられるだろう。それでも例えば店が治安の悪い居酒屋とかなら、過保護な彼は絶対に許さないだろうと思った。

 クリームソーダを味わいながら時折ジンの話を聞いていたら、伊織が湯気の出るナポリタンをテーブル客に届けに行った。そして戻ってきたと思ったらもう一度厨房に戻り、今度は凛の前にナポリタンをそっと置いた。窓から差し込む光のせいか、ナポリタンの湯気が輝いているように見える。味見程度かと思ったのに当然のように一人前だ。思わず伊織を見上げると、彼は得意げに「これも、俺がご馳走する」と宣言した。

「そんなの悪い」

「いいの。これは、ジンを受け入れてくれたお礼」

 その言葉に、凛は数秒考えた。ジンを受け入れたつもりなんてまったくなかった。むしろ、今もなお敵くらいに思っている。でも普通に話せるものだから、気がついたら知り合い程度に会話してしまっていた。しかも彼はどこか品があって話しやすく、凛の周りに寄ってくる人間よりもずっと関わりやすいのだ。なんとなく悔しくてチラリとジンを見ると、彼はすでに大盛りのナポリタンを食べている。好きな人を守って、好きな服を自由に着て、好きな物を思うがままに食べる彼のことが、すごく羨ましいかもしれない。

 凛は皿に向き合ってフォークを持った。それからくるくるとナポリタンを巻き取って、ゆっくりと口へ運ぶ。口に入れた瞬間、突き抜けるような旨味と柔らかな酸味が広がった。これは多分、どう考えても絶品だ。思わず目を見開いて伊織を見上げると、彼は凛の顔を見てニコリと笑った。

「美味い?」

 こくりと頷くと、彼はもっと嬉しそうに笑う。元々タレ目気味の目尻が更に下がって、可愛いだなんて、自然と思った。でもすぐに、可愛いってなんだと慌ててしまった。凛がなんともいえない気持ちを隠すようにナポリタンに改めて向き合うと、伊織は弾んだ声で「ゆっくり食べな」と言った。

 結論を言うと、凛は食器洗いだけ手伝うことができた。伊織が店主に凛を紹介すると、「お前も働くか」と言われたのだ。「別に、需要があれば」と答えたら、「金土日は需要しかない」と言われて、結局凛も今日から働くことになった。でも、皿洗いなんてしたことがなかったから、泡で滑る皿を何度も落としそうになった。伊織はそんな凛のことがかなり心配だったらしく、店の中でくるくる働きながら時間を空けずに凛の様子を見にきた。「綺麗に洗えてるね」「ゆっくりでいいよ」「最悪割ってもいいから怪我はするなよ」なんて、段々と求めるハードルが低くなっていくことに気がついて、凛は躍起になって洗い物をし続けたのだった。ジンにまで「小学生の時の伊織みたい」だなんて言われたけれど、最終的には一枚も割らずに店中の皿を洗い切ることができた。

 時刻は二十時過ぎ。まだ閉店しない店の表の扉から伊織とジンと三人で外に出た時には、空には星が輝いていた。凛がこんな時間まで外にいるのは、同級生に付き合わされてカラオケに行った時くらいだろう。まさかこの凛が労働するだなんて、一昨日の自分に言ったらどう思うだろうか。

「今日は忙しそうだったね」

 ジンの言葉に、ジンと凛の間にいる伊織が空を見ながら頷いた。あたりはこんなに暗いのに、伊織の瞳は夜空の星のようにキラキラしている。

「でも、凛も来てくれて嬉しかったな」

 そんなことを何でもない風に言えるのは、彼の才能かもしれない。凛がむず痒く思っていたら、ジンがクスリと笑って「しかも採用されちゃったしね」と言った。

「そうだ、もし嫌だったら辞めてもいいんだよ。どうせバイトは募集するつもりらしいし」

 伊織が星を見るのをやめて、心配そうに凛の顔を覗き込んだ。きっとこれは彼の本心だろう。でもなぜだか、凛はあの店で働きたいと思っていた。いや、働きたいというより、凛以外の人間が伊織と一緒に働くと思ったら何故だか嫌なのだ。

「どうせ暇だし、やるよ」

 我ながらなんて可愛くない返事なのだろうと思う。伊織の向こうにいるジンはやれやれと苦笑いをしている。そして伊織はというと、なぜだか満面の笑みだった。それにつられて少し笑うと、伊織はもっと笑みを深めて、「えへへ」と溢した。それからしばらく他愛もない話をしながら歩いていたら、伊織がポツリと呟いた。

「俺、凛と仲良くなりたかったんだ」

 突然の告白に、凛は思わず伊織の横顔を見つめて、それからなんとなく視線を外した。

「なに、それ」

「だって、せっかく義理とはいえ兄弟になったからね」

 兄弟、と凛は小さく口にしてみた。凛としては、当然あまり仲良くなろうとは思っていなかった。悪い人間ではないとわかっていたけれど、得体の知れない存在も憑いていたし、仲良くならなくても生きていけると思っていたのだ。でも、触れてみたらこんなに温かい人間を、凛は知らなかった。一生懸命に生きていていて、守られていて、そして守られるのが当然な人だと思う。ところがそんな彼は、星空を見ながらこう言った。

「俺が凛を守ってあげないとね」

 一瞬、心臓が跳ねた。凛は回らない頭を必死に回転させて、やっとの思いで「俺、守ってもらえるんだ」と言った。でも、本当は少し泣きそうだったのだ。今まで凛のことを本当の意味で守ってくれた人なんていなかった。そこそこ大人になってからは特に、性別問わず寄ってくる人間は凛という存在に守られるために寄ってきていただけだ。凛と一緒にいればステータスで、一目置かれるらしい。そしてそれが弱い彼らを守るらしかった。凛にはそういう人間の思惑が美しく見えなくて、毎日が息苦しくてたまらなかったのだ。ずっと何となく感じていたことを、伊織に気付かされた気がする。凛の義兄は、温かくて、想像よりずっと強い人なのかもしれない。

「伊織は俺が守るから、凛くんは伊織に守ってもらいな」

 ジンが、真面目なのか茶化しているのかわからないトーンで言ってきたことさえ、なんて返していいのかわからない。

「ちょっと心配かも」

 本当はお礼が言いたいのに言えなくて、凛はやっと言葉を絞り出した。するとジンが「わかる」と言って、最後に伊織が「おい」とむくれた。それがおかしくて、今まで感じたことのない感情になって、凛は生まれて初めて泣くのを我慢しながら笑ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ