第3話 禾乃ち登る ─生贄─
日も落ちて、祭壇を照らすものは、尽きないよう手入れされている背後の炎だけになった。
アオは細く息を吐いて顔を上げた。
いつの間にか、祭壇の下には階段から伸びるように綺麗な布が敷かれていて道になっている。ムラ人たちはその道になった布を避けて、祭壇を見上げていた。人々の顔は炎に照らされて、表情がよくわかった。
みんな顔を輝かせていて、その端々に少しの恐れが滲んでいる。
あと一刻ほどでアオは祭壇もろとも背後の聖なる炎に焼かれて死ぬ。
アオは最後に人々を見下ろせる、この祭壇に登れたことを感謝した。
そして無意識の内に天を見上げたそのとき、遠くから硬いものがぶつかるような聞きなれない音が沢山聞こえてきた。
アオは驚いて軽く前傾姿勢で、音の方に目を凝らした。
「……馬?」
暗闇から姿を現したのはたくさんの馬たち。そしてその上には人が乗っている。
馬の上に人が乗れたことに驚きながら、アオはより目を細めた。人の様子が普通でないと思ったからだ。
先頭を行く馬に乗っている人は、豪華な衣装を身に纏っていて、その顔は隠すように布で覆われていた。
あれで前が見えるものか、怪我をしないのかとアオは息を飲む。
しかし、その人は華麗な足さばきで馬を止めると、軽やかに飛び降りた。
「巫さまのお越しだー!!」
どこからかムラ人の一人が叫んだ。それに呼応するように、徐々にその歓喜が人だかりに伝わっていく。
巫が何を指す言葉なのか、アオは到底わからなかったが、その人は側に青年を侍らせて布の道に足を踏み込んだ。
「巫さまこっち向いてください!」
「巫さまー!」
巫は声援に目もくれず祭壇へまっすぐ向かってくる。
巫は顔を布で覆われているはずなのに、アオは何故か目があったような気がした。風が巫の顔を布を煽ると、その紅に塗られた唇が見えた。鮮やかな口元は不敵に口角が上がっていて、手に力がこもる。
女性?
ムラの長は男性しかなれないと聞くが、この一番偉そうな人が女性なのか。
巫は足の調子を止めずに、祭壇の階段に足を掛けた。巫へ呼びかけられる声がぴたり、と止まる。
アオはその異様な空気に、思わず人々を見渡した。炎に照らされた彼らの顔は驚きと困惑、と言ったところ。
しかし巫は階段を一段一段と登り、アオに迫って来る。側についている長髪の青年も飄々《ひょうひょう》とした表情で、巫の後ろで長い帯を持ち上げていた。
そしてアオの目の前、同じ壇の上で目と目が合う。
アオは口を開けて、正面に立つ巫を見上げた。顔面の布がはためいて、彼女の顔を暴く。アオと同じように唇と目じりに紅を差す女性。違うのは彼女が驚くほどの美人だということ。切れ長の目は理知的で、魅力があった。
「どうしてそなたは贄に選ばれたのだ」
聞かれるとも知れなかった質問に、言葉を詰まらせる。
正直に言えばこの人は怒るだろうか。神に忌み子を捧げるなど、と。
アオは祭壇の下でざわめきが起こっていることに気づいていなかった。
「そ、それは村唯一の孤児、忌み子だからです」
アオは途切れ途切れになって目を逸らした。
「忌み子? 親でも殺したか」
「そんなことは!」
巫の言葉に首を振る。再びざわめきが起こった。
やっと下の騒がしさに気づいたアオは、彼女はムラ人が、ましてや生贄などが口答えをしてはいけない人物だと知った。
「わたしの肌は……蛇のようで、醜いのです」
アオは使い慣れないつぎはぎの敬語で弁明する。
そんなことで気分を害するほど、巫は器の小さい人物ではなかった。彼女はふむ、と顎に手を添えると、爪に紅の塗られた細い指先をアオに向けて差した。
「見せてみよ」
「……今ここで、ですか?」
「ここ以外にどこがあるというのだ?」
アオは渋った。
おそらく祭壇の下まで、この会話は届いていない。つまりムラの人々は訳も分からず、アオの体を見てまた嫌な顔をするのだと分かっていた。
巫はもじもじとしてなかなか動かないアオを見て、後ろに控えていた青年へ目配せをした。アオは青年が動き出したのに気づいて身を反らす。
「あ、あのちょっと」
しかし青年はアオの制止も聞かずに、袖を捲り上げた。
「……」
下からどよめきが湧く。
アオは息を詰まらせてから、たまらず目からぽろりと雫をこぼした。
そこにはアオが忌み子と言われる原因があった。
まだらに色が白く抜けた肌。それは一部だけでなく手のひらから、肘、衣装に隠れる肩を超えて全身にある。ムラ人たちはそれを山に潜む毒蛇たちと重ね合わせ、アオを毒娘だ、蛇娘だなどと言って避けた。
「わ、わたしは、忌み子です」
顔を擦ってはいけないと、アオは涙だけを流し続ける。それは板張りに落ちて模様を作った。
だが、青年と巫の反応はアオの予想と違っていた。青年は巫を振り返ると、巫は深刻そうに頷くのだ。そして執拗にアオの斑肌を触る。
「やめてください……っ」
アオは青年の手を振り払った。
触れるなと避けられるのは悲しい話だが、こうも興味深く観察されるのもいいものではない。
巫をきっと睨みつけるが、彼女はアオの目を見て不敵に笑みを浮かべた。そしてアオの顎に指先を添えて、顔を良く見せるようにと上を向かせる。
アオは怒りと驚きで涙を止めていた。
「ついに見つけたぞ、天子よ。そなたは次の巫にふさわしい」
「……え?」
かくして毒娘と忌み嫌われていたアオは、この辺境のムラを去ることになったのだ。