ハウスキャット
ソウナの魂は覚醒した。
トシマ・オーツカにあるヤヤ・ヤマ組事務所の地下五階。
九体のドローンは自動飛行へと移行し、十数分でここまで戻るだろう。
半裸の格好でコンソールから起き上がり、脊椎に対応して伸びる端子の幾つかを引き抜く。
ふうっと、深いため息が出た。
結局地下には、ALAWが二基あった。
購入記録上は存在していなかったが、動いた金額から可能性を検討すれば、初めから頭の隅に置いておくべきだった。
ソウナは自身の不甲斐なさを呪ったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
これからもっと呪われた連中と会わねばならないからだ。
一時は父と呼びそうになった男、ヤクザ・マスターのヒキロク・ヤヤ・ヤマ。
それに付き従うサイバー浪人、サモジロー・アボシだ。
ソウナは立ち上がり、イスに掛けられたジャケットをつかむ。
そんな彼女の右肩から背中にかけて、黒い牡丹のテクスチャが光っていた。
事務所の十階にあるヤヤ・ヤマの私室は、まるで高級クラブか何かのようだった。
吊り下げられた本物のシャンデリア、暖色の間接照明があちこちに灯り、ぱりっとした革のカウチが幾つも並んでいる。
ヤヤ・ヤマの親分はその一つにどっかりと腰かけ、呼び寄せた美顔テクスチャまみれの和服美人たちに囲まれていた。
「よくやったな二人とも! 本当にお手柄だ!」
ヤヤ・ヤマが女たちの間から拍手した。
まさに、何から何までネコヅカとは正反対。
チタン合金を主体とした金属・身体。
最新鋭の脳インプラントと、記憶容量増設。
唯一古めかしく感じるのは、この時代にあってまだ喫煙者であることだが、それもヴェポライザーを内蔵式にしている為、絶えず口元から蒸気がこぼれ続けている。
ヤヤ・ヤマは自分の前に直立するソウナと、その隣に立つサイバー浪人、サモジロー・アボシを順番に見比べた。
「──ずっとだ。解るか? 俺はずっとネコヅカが邪魔だった。完全に潰すにはもうしばらく掛かると思っていたが──ぱっと消えた!」
ヤヤ・ヤマが、豪快に笑う。
それを追い掛けるように、和服美人たちも笑った。
ソウナはノイズをキャンセリングしようか迷ったが、親分が新しい命令を口にするかもしれないので止めにした。
「──しかし親分」アボシが言った。
「ソウナは作戦のとき、いきなり煙幕を使いました。なんの警告も無しに。こいつは味方を危険に晒したんだ」
「そうなのか?」ヤヤ・ヤマが蒸気を吐き出した。
「別の奴の話じゃ、ソウナはいつも通りたくさんのドローンを操ってしっかり成果をあげたと聞いた。ソウナはちゃんとやってる。そうだよな?」
「はい。いつも通りです」
ソウナは簡潔に答えた。
ソウナが九体のドローンの隅々まで、意識を伸ばせるようになったのは最近のことだ。
それまではせいぜい三体が限界で他はAI任せだった。
全てはあの黒い牡丹のテクスチャ──
それが浮き出る切っ掛けになったウイルス感染が原因だった。
初めは何とか駆除を試みたが、ランナーである自分にすら突破出来ない防壁を瞬時に組み上げ、更新してきた。
それはさながら壁や通路が変わり続ける迷宮で、ソウナはやがて諦めた。
諦めた瞬間から、驚異的な情報処理が可能になったのである。
「──俺はな、ソウナのことを信頼してる。テルタケ・アマサキの大親分から託された大事な娘だ。それよりもアボシ? お前ずいぶんと兵隊をを消耗したそうじゃあないか? ソウナよりも、自分のしくじりを考えた方が良いんじゃねえか?」
「──すいません、親分」
アボシは言い、深々とお辞儀をしたのだった。
「──良かったな? 親分のお気に入りでよ──」
ヤヤ・ヤマの私室を出、二人でエレベーターに乗り込んだとき、唐突にアボシが言った。
ソウナは、その言葉が嫌だった。
テルタケ・アマサキの大親分を後ろ盾にしていたソウナの母親──
大親分の死後、彼女が身を寄せたのは子分のヤヤ・ヤマだった。
「──この人はいずれ、あなたのお父さんになる人よ?」
母親からそう紹介された日のことを、今でも鮮明に思い出す。
誰かにすがることでしか、生きる術を見出せなかった弱い女──
あるいは、極道の妻としては、それが唯一の道だったのかも知れない。
結果的に、母が早くに亡くなったのであの男を義父と呼ばなくて済んだが、ソウナには怒りだけが残った。
ヤヤ・ヤマが簡単に、病床の母に見切りを付けたからである。
「──お気に入りは辛いことです。そうあろうと努力すればするほどに──」
ソウナは呟いた。
頭の中では、母の姿が渦巻いていた。
けれども、アボシはそれを別の意味に取ったらしい。
「──テメエ、どういうつもりだ! ナメてんのか?」
──アボシの左腕が持ち上がり、ソウナの首元へと伸びる。
左手でめいっぱいに締め付け、右腕で抵抗する両腕をいなす。
エレベーターの壁に押し付けて、もがくソウナを優越感をもって眺める──
ソウナには、これから起ることが瞬時に解った。
そして、どう身体を動かせば反対に首を締め上げられるかも解っていた。
けれども、ソウナが取ったのは一番簡単な方法だった。
「──親分のお気に入りを攻撃するのですか?」
アボシは舌打ちをし、途中まで持ち上げた腕を引っ込める。
ソウナは嫌悪を感じた。
自分の口で「親分のお気に入り」と言ってしまった事だった。