報復者の鎮魂
ソウナが「ホテル・ホンゴー・マルヅカヤマ」の上空に達したとき、辺りには自警や警備会社の車両は見えなかった。
とはいえ電子空間の中では激しく通信が飛び交い、あと五分もすれば陸と空は埋め尽くされ、立ち入り禁止となるだろう。
「──たいへん申し訳ありません。緊急事態につき、飛行車での乗り入れはできません。速やかに避難して──」
追い返そうとするホテル側からの自動誘導アシスタント。
ソウナは音声を切るのと同時にハックを開始。
システムを味方につけ、ホテル内のセキュリティ映像をチェックした。
はっきりいってムチャクチャだ。
ゴシック建築の屋上に空いた大穴──
そこから察せられるとおり、巨大なドロイドが縦横無尽に暴れ回っている。
流れ弾によって絶命する警備員やホテルスタッフ、また宿泊客──
命に紐付けられた連鎖反応。
発せられ続ける通報が、出動命令と報復指令の件数をさらに増大させて行く──
オンラインの名刀・村雨丸は、たしかにホテルの中に存在している。
そして微妙に動いている。
けれども果たして車を飛び下り、侵入するのは賢い選択だろうか?
刀の持ち主がシノならば──答えは決まっている。
が、その可能性はあり得ない。今も呼び続ける通信に、彼女が出ないはずがないからだ。
──ああ、もう!
せめてドローンを用意しておくんだった!
「テトラクテス」の狭い車内を一瞥し、ソウナはもどかしさを募らせる。
──と、屋上に動きがあった。
初めは、宿泊客かスタッフの一人が逃れてきたのだと思った。
けれども切り立ったスレート葺きの大屋根を、片腕と脚の力だけで登るその姿には見覚えがある。試しに車載カメラを使って拡大すると──間違いない!
サモジローだ!
顔はずいぶん焦げ、人造皮膚も剥がれている。
どうして口に自分の右腕を咥えているのか解らないが──
──ここで会ったが百年目!!
即座に自動操縦への切り替え。
シートを乗り越えて後部座席へ移り、立て掛けてあったものに手を伸ばす。
SS49スナイパーライフル。
安全装置を外し、光学照準器と自分を同期した。
パワーウィンドウが下がると銃身を突き出し、息を整える。
身体制御系のアシスト、また脳内の過剰なアドレナリンも抑制され、妙に白茶けた気分。
まるでAIにすべてを任せ、傍観しているかのよう。
レティクルは滑るように流れるように動き、やがて必死の形相で屋根の断崖を登る男の眉間にピッタリと合う。
「ふっ」
息を吐いたとき、スコープの中でサモジローと目が合った気がした。
もちろんそれは単なる気のせい──あるいは、ソウナの願望だったのかもしれない。
──お前の命を奪う者の顔をよく見ておきなさい、という──
次の瞬間、放たれた徹甲弾が両目の間に小さな穴を穿ち、内部を砕きつつ炸裂して反対側へと抜けた。
機械油とインプラントデバイス、脳漿──
あらゆるものをぶちまけて、サモジローは崩れた。
手足の力を失った身体は、まるで雪山のそりみたいに屋根を滑って行く。
口からこぼれた右腕も同様だ。
スレートタイルの上に伸びる、長い長いオイル染み。
死体は屋根の淵に設けられた小さな尖塔に引っかかり、止まった。
──シノ、やったよ。
名刀・村雨丸はまだだけど、必ず──
ソウナは再び、「ふっ」と息を吐いたのだった。
*
ぶるぶると空気が震える。
左右、両ガンポッドの掃射が階段を追ってくる。
飛び散る破片と折れたカーボン棒筋を浴び、それでもトモヨは階上を目指した。
「逃走はやめましょう。今すぐ停止して下さい」
CRADの言葉と共に吐き出されるマズルフラッシュ。
なるべく人々を巻き込みたくはない。けれども逃げ惑う中、勝手に階段に出て来てやられて行く──
残った片方の猫耳──
それが一発の銃声を察知した。
階下からのものではなく、ずいぶんと上だ。
それが脅威かどうかは解らない。
何が待ち受けるにしても、上へ向かう以外の選択肢はない。
連射の切れ目を狙い、トモヨは長く伸びる階段を強く踏んだ──




