カトン・ファイア
細身のサイボーグがやっと通れるような点検通気口。
真四角に続く空間の中には、薬物に混ぜられた香料の甘ったるい臭いが漂っていた。
格子状の蓋を慎重に外し、トモヨは倉庫内へと着地した。
剥き出しの鉄骨がどこまでも続く広い庫内。
辺りに並べられているのは、末端価格で数百億新・仮想¥は下らない、「涅槃」のうずたかい山。
色とりどりの錠剤に加工され、分厚いビニール袋の中に収まっている。
外の軍人は、自分のことを義賊だと言った。
半分合っていて、半分間違っている。別に、薬物の横流しなどしない。
ただ、完璧に無償の活動など存在しないように、トモヨにも幾つかの目的がある。
一つは完全なニンジャになること。
もう一つは──仇討ちだ。
目の前にそびえる薬物の山に向かって、トモヨは自身の右手を突き出した。
隠密迷彩に代表される、ケンリューの身体に搭載された特殊忍具。
実をいえば、右腕の中にもそれはある。
ゲル状になった可燃性液体と圧搾ガスを同時に噴出、それを火種によって着火させる暗殺兵器。
人呼んで、火遁砲。
ガシャン、と右の掌がめくれ上がり、腕の内部から砲身が伸びる。
初めは小刻みに、やがて連続的に飛び出す可燃ゲル。
静電気のようなスパークを合図に、それは瞬時に燃え上がった。
ごおっという音を立て、赤一色に包まれる視界。
まるで飛沫を飛ばしてうねる、火の海のよう。
燃焼変化した香料の臭気と、薬物から立ち上る危険な白煙。
もし吸い込んでしまえば、気持ち良くなる前に死んでしまうだろう。
呼吸システムを内部自給式の息長に切り替え、トモヨは本来の入口である大型シャッターの前へ向かう。
やがて、事態に気付いた軍人の二人が外からロックを解除。
「うああッ! ど、どうなってんだ!」
「おい、息を止めろ! 死ぬぞ!」
慌てふためく二人の間を悠々と抜け、外に出た。
少し離れた位置に立ち、倉庫の全体に火の手が回ってゆく様子、また、集まってきた労働者たちの消火作業を目の奥のカメラにしっかりと焼き付ける。
さすがに無編集で、追体験動画はアップできない。
見せたくない物は消し、見せたいものだけ残す。
それは例えば──これからトモヨがやろうとしていることだ。
別の区画に建つ工場の中央電子室。
騒動によって侵入は容易く、もはや隠密迷彩も必要はない。
狭い室内には、天井まで届く汎用コンピュータのラックが並び、トモヨはその一つに自身の端子を接続する。
ここで盗み出すべき情報は、ある男の居所。
サダマサ・オーギガ・ヤツ。
オーギガ製薬の現会長にして、ウエスギ・グループホールディングスの次期取締役が噂されている。
トモヨの亡き父、ドーサクが勤めたネリマ薬品工業。それをあらぬ風評で失墜させ、敵対的買収によって乗っ取ったのだ。重役として、企業人として、その渦中にいた父は責任と心労に押し潰されて死んでしまった。
──あの男にオトシマエを付けさせる。
こればっかりは自分の追体験視聴者が喜ぶかどうかは関係ない──
それがトモヨの考えだった。
工場の大型コンピュータを経由して、本社のメインフレームに侵入する。
格納された膨大なデータ。その向こう伸び広がるのは、まるで樹木のような構造の社外秘ファイル。アクセスしようとすると、即座にファイアウォールが反応し、カウンターウイルスが攻撃を開始した。
かつてのトモヨなら大火傷を負うか、あるいは簡単に焼き殺されていたことだろう。けれども、今の自分には手助けしてくれる存在がいる。
ケンリューの身体に乗り換えたとき、突然起ったウイルス感染。
まるでニンジャの守護神とも呼ばれる摩利支天かのごとく、「FU‐CHU」のファイル名で常駐する謎のプログラム。
その人知を超えた情報処理が、カウンターウイルスを次々と駆除、ファイアウォールに風穴を開けて行く。
神か仏か、あるいは魔性の類か──
例えそのすべてあったとしても、役に立つものなら使い倒すまで!
社外秘ファイルを半分までスキャンしたとき、別チャネルのアラートが鳴り、危険が迫っていることに気付く。電脳空間ではなく、物理現実だ。
オーギガが組織し、各地に駐屯させている企業軍。
その一個中隊が、シグナタム兵員輸送機によって急速に接近中だった。
急いで、全データをコピー。
例え求めるものは見つからなくとも、残しておけばいずれ犯罪の証拠として使えるかも知れない。
接続を切る前、「涅槃」の全生産ラインをハック。
正常運転でない、過剰な制御を命令し、各所で物理的に製造マシンを破壊することも忘れなかった。
──さて、シメのシーンはどうしよう?
コンクリートで舗装された工場の敷地を後にしながら、トモヨはそんなことを考える。響き渡る轟音。見上げると、四つの翅を懸命に動かすシグナタムの姿が遥か上空にある。
うん。これが良さそうだ。
トモヨはしばらくその場に佇むと、未だ炎のくすぶる倉庫を背景に、降下を始めたシグナタムをしっかりと眼球に焼き付けた。




