ニンジャ・キャット 「トモヨ」
オーギガ製薬は表向き、経口不老薬や癌の治療薬を作っているが、その材料は新鮮な人間の胎児だともっぱらの噂になっている。
勿論、それは高次元陰謀論に騙された人々の信じる根拠なき戯言だが、それではオーギガ製薬がマトモな会社なのかというと、実は全然そうでもない。
巨大構造体がひしめくブンキョーの高層階──
遥か下に広がるのは一筋の光も届かぬ不毛の下層下町だが、その大地に白い煙を吐き出すたくさんの煙突と、幾つもの区画からなる工場施設がある。
区画には至るところパイプラインが巡らされ、建物のあちこちには危険物を表すドクロマーク。ここで生産されているのは、バイオ工学が生み出したサリプタンの特・異性体。
簡単にいえば合成麻薬、「涅槃」である。
本来ならヤクザがビジネスとして行っていそうだが、なにせ企業がすべての上前をはねる時代。詰まるところオーギガは、金持ちには延命薬を、貧乏人にはその苦しみを一時忘れる薬を売り、どちらも依存症にしていた訳である。
今、その施設内の巨大倉庫──製造した「涅槃」が大量に保管されている──の前には、二人の屈強な企業軍人が警備に立ち、手持無沙汰そうにアサルトライフルをぶら下げながら、こんな会話をしている。
「──なあ。ところでお前、知ってるか? 寂莫道人肩柳っての」
「あー、知ってる知ってる。アレだろ? ネットに自分が行った犯罪を解説付きでアップするテロリストだろ?」
「そうそう、それそれ! 実は俺、最近その追体験動画にハマってるんだ」
「ええ? 大丈夫か、お前? 相手は頭のイカレた犯罪者だぞ!」
「──いや、俺も、最初はそう思ったんだ。どんなクソ野郎の愉快犯が、そんなクソを世間に公開して喜んでやがるんだろう、って。ところが、見始めたら止まらねえんだわ」
「──お前、ちゃんと技術医師の検診、受けてるか? ストレス指数、いや、もしかして混沌指数もヤバいんじゃね?」
「まあいいから、ちょっと聞けって。ケンリューのスゴイところは、金目当てじゃないってことと、巨大企業の不正を暴くってとこなんだ。
で、例え何かを盗んだとしても、それを下層階の連中に還元する──
その昔の『ゴエモン・イシカワ』とか、『鼠小僧』みたいに、ケンリューは現代の義賊なんだよ!」
「──うわあ。お前、完全に頭ヤラレちゃってるじゃん。自分が好んで集める情報にバイアスが掛かってると意識したことは? あるいは、追体験動画にウイルスが仕掛けられていた可能性は疑ったか? 悪いことは言わねえから、早いうちに精神走査を──」
──なかなか、鋭い指摘だね。
ケンリューは彼らの会話を聞きながら、そう思った。
聞いていたのは、自分のファンだと言った軍人のすぐ近く──本当に、数十センチと離れてはいなかった。
ただ指摘の中で間違っているのは、追体験動画に依存させるウイルスは仕込んでいないこと。企業の不正を暴くことで溜飲を下げる人々以外に、警備関係者も追体験するだろう──
そう踏んでいたケンリューは、彼らの持っている警備上の機密を盗むウイルスを仕掛けた。
そうやって、犯行動画にアクセスする者の中から、次のターゲットを選んでいた訳である。
自分のファンの軍人が、サイボーグの肩を回すついでに背後を見た。
その眼球が、機械的な処理によって焦点距離を調節し、ケンリューとばっちり目が合う。
──けれども、軍人は気付かない。
幾重にも処理され、補正された視覚映像。
リアルタイムに差し替えられ、作り変えられ、削除される。
なにより、ケンリューがまとっている機械の身体。
情報消去戦争の前に作られたその特注品は、実に精巧な人口皮膚の再現を諦める代わりに、任意の映像を映し出すことが可能だった。
例えば自分自身の姿を消し、背景に同化させることも──
単独潜入用・隠密型身体「ケンリュー」。
全盛期の「IGA‐KOUGA Ltd.」によって造られ、本来は猫耳と尻尾は標準装備ではないが、それは彼女の施した魔改造であった。
ケンリューこと、トモヨは、見えない目で自分を見つめる軍人に微笑みかけると、「色々、ありがとう」と心に念じた。
音もなく地面を蹴って跳躍し、軽々とゲートを越えて倉庫の敷地に下り立つ。
もしその姿を視認出来たなら、二人はきっとこう言ったに違いない。
「ゴエモン」でもなく、「鼠小僧」でもなく、まさに現代のニンジャ・キャットであると──




