カッテンストゥッツ
振り下ろされた赤熱日本刀が、寸前で止まった。
シノはそのタイミングを見逃さなかった。まだ正常な左手と、ガタつく右手でその燃える刃を押さえた。いわば、真剣白刃取りだ。
自分の身体に被せて表示した、シオリのテクスチャ。
急ごしらえのそれは、よくよく見れば酷く雑な代物だ。
ほんの一瞬ミチカと繋がったとき、その断片的な記憶から構築したに過ぎない。
果たして効果があるのか──幾らかでもミチカの感情を動かせるのか、確証はなかった。
けれども、これで解ったことがある。
自分たちの中で働く常駐者は、少なくとも洗脳者ではない。
疑念は残るが、今はそれで充分だ。
そして常駐者の謎を解くためにも、この黒猫は絶対に連れ帰らねばならない!
両手の中に納まった刀身が人工皮膚を焦がし、金属の骨に熱を伝える。
痛みは遮断できるが、ドロリととろける不快な感覚と、熱伝導によるダメージは消えない。
ミチカが次の動きをする前に、グッと両腕に力を込める。
バキンという音と共に折れたのは、日本刀の刃と右腕だった。
関節部分から、ごとりと腕が屋根の上に落下する。
我に返ったらしいミチカ。
約半分になった日本刀が横薙ぎに、シノの顔面へと迫ってくる。
が、こちらの左手にはそのもう半分があった。
未だ熱を帯び、真っ赤に燃える切っ先だ。
固く握った左手──指先に感覚がないのは、もはや遮断しているからではない。
シノはのけ反ってミチカの太刀をかわすと、捻りを利かせて左腕を振った。
滑り抜けるような感触。
刀を握ったミチカの右手が中ほどから切断された。
落下する壊れた柄と、四本の指。
すかさずシノは瓦を蹴ると、ミチカに向かって飛び掛かる。
殺すつもりなら、左手の中の刃を首筋にでも突き込めばいい。
生かして連れ帰るとなれば、話は違う。
そうだ。むしろ、殺すことの方が容易いのだ。
こいつを死なせず、しかし大きなダメージを与える方法──
──たぶん、ここしかない!
シノは腕を伸ばし、急速に熱を失いつつある刃をミチカの飛行ユニットに突き刺した。
*
その瞬間、ソウナは未だロックされたスナイパーライフルを構えていた。
同期したライフルのスコープの中、シノが折れた赤熱日本刀でミチカの腰を刺す。
途端に、大きな爆発が起った。
その内部に、可燃性の何かが入っていたのだろう。
辺りは一気に立ち上る煙に覆われ、なにも見えない。
「無事ですか、シノ!」
視野を眼球側へと切り替えると──
良かった! シノは生きている!
衝撃で屋根に叩き付けられたようだが、爆発は食らっていない。
砕けた瓦の中から起き上がり、こちらに向かって金属の親指を立てる。
むしろミチカの方は酷い有様だ。
同じく無数の瓦の破片の中に倒れているが、微動だにしない。
砕けた腰の内部が露出し、あれではまともに歩けないだろう。
シノが瓦礫の中からミチカを掘り出し、首筋の接続端子を引き出して相手へと繋ぐ。
意識を同期させたのだろうか? いや、多分違う。
シノを通じて、ミチカの魂は伝わってこない。
だとすれば、バイタルを確認しているだけだろう。
「──こいつはまだ生きてる。ムチャしてごめん」
シノから、それを裏付ける通信。
正直とても腹立たしかったが、生きていてくれたことは素直に嬉しい。
「すぐに車を着けます。あと、そんな謝罪じゃ許しません!」
そう返信し、マクシムスを「ホーリューカク」の屋根へと向けた。
甲高い連続音が響いたのは、屋根の縁まであと十メートルの距離だった。
見ると、塔の窓の奥に武装警備員が集まり、そこからシノやこちらに向けて発砲している。
ソウナは迂回しつつ、スコープを覗いて壁越しに撃ち抜こうとする。
引き金を引き切ろうとするが──駄目だ。
未だシノのトリガーロックが掛かっている!
「シノ! 解除を!」
瞬時にロックは外れ、引き金を絞る。
塔の壁面には次々と大穴が穿たれるが、一歩遅かった。
割れた強化ガラスの奥から飛び出してきたのは、たくさんの対機械身体用・自爆ドローン。
二つの大きな翼と、丸みを帯びた胴体をしているが、内部の磁力によって対象に吸着し、華々しい最期を遂げる自己犠牲型だ。
「逃げて、シノ!」
ソウナは標的をドローンへと変更。
ミチカの肩を抱え、屋根を逃げるシノを援護する。
次々と撃ち抜くが、あまりにも数が多過ぎる!
「──ソウナ、ごめん」
ぽつりと呟くような、そんな通信だった。
視界の中で、シノが跳んだ。
屋根の向こう、何もない空中へ。
当然マクシムスは、そんな空間へは到達していない。
酷く時間がゆっくりになったような、奇妙な光景だった。
肩を組んだ二人の猫が、滑るように宙を落下して行く。
まるで仲の良い者同士が、勇気を示すちょっとした遊びでもしているかのよう。
違っているのは、二人が敵同士であること。
そしてその遥か数十メートル下に広がるは、「タロー・バンドー」の異名を持つトネガワ・リバーの揺らめく水面だ。
高性能の眼球を持つソウナ。
徐々に加速しながら落ちて行くシノは、まるですぐそこに居るみたいだった。
懸命に繋ぎとめようと絡められた腕、強張った表情、さ迷う細かな目の動きさえも──
かつてベルギーと呼ばれた国家では、すべての災厄の責任を負わされ、高い鐘楼の上から生きたまま猫が投げ落とされたという。
その儀式に何の意味があるかは不明だが、きっと犠牲が必要だったのだろう。ソウナにしてみれば、そんな考えは吐き気がするほど嫌だった。
大切な、得難い仲間の犠牲など──
二人の姿が暗く深い水底に沈んだ後、立ち現れたのは巨大な水柱だった。
続いて、ドローンが河へと飛び込み、炸裂して同じような柱を作る。
「シノ、シノ!」
ソウナは何度も通信した。
けれども、水に阻まれているのか応答はない。
その後、現場一帯には武装警備員は元より、自警、そして企業の私設軍隊も現れた。
車を変え、姿を変え、あらゆる手段でソウナは捜索を続けたが、二人の行方はようとして知れぬままだった。




