ネコ・ウイルス
「声は聞こえるかね?」ヨシローが言った。
「──聞こえるよ」とシノ。
「最初に言っておくぞ。これは医療記録に残らない、非公式の手術。当然、保険及び保障の対象外だ。術後のいかなる問題についても──」
「御託はイイから、さっさとやって」
「──そうかい。最後に一つだけ言っておく。これからうちのホストに物理的に繋ぐが、そのときちょっと恐怖を感じるかも知れない。まあ、普通のことなので気にするな?」
痛覚や触覚等の入力情報が遮断されている中、ヨシローが背後で何かしているような物音が響く。
やがて、背骨に沿ってある端子に接続があったのだろう、ヨシローの見ているメタ情報が、マトリクスとなってシノの視界に混入した。
ヨシローの言ったとおり、無防備になったような言い知れぬ不安感──
瞬間、シノの中に、途方もない量の情報が流れ込んだ。
正常ではないアクセスの集中と、突破される精神防壁。
権限を剥奪しながら、徐々に増殖して行く──
明らかなウイルス攻撃だ!
「お前がやったのか!」シノは叫んだ。
制御系を取り戻そうとするが、とっくに奪われて、指一本動かせない。
「ち、違う! これは、私じゃないッ!」
焦ったようなヨシローの声。
迎撃プログラムが走り、アクセス遮断を試みるが、とても間に合いそうになかった。
「端子だ! 端子を引き抜け!」シノは怒鳴る。
駆け寄るような足音と、背後にヨシローが立つ気配。
突然に、自分の身体が動いた。
シノの制御によってではなかった。
ヨシローが引き抜かんと端子に伸ばした腕──それを、シノの手が独りでにつかむ。
そして、力いっぱいに、握り潰した。
ヨシローは絶叫をあげて倒れ込んだ。
シノの身体は止まることなく、端子を接続したまま立ち上がる。
床の上でもがくヨシローを見下ろすと、内蔵された猫爪を露出させた。
「よ、よせッ!」叫ぶヨシロー。
シノも何事か声を発したが、もう発声系を侵されていた。
猫爪が、大きく振りかぶられた。
シノの視界の中で、右薙ぎに下ろされたそれがヨシローへと吸い込まれて行く。
ごとり──
血しぶきと共に、首が転がった。
シノはそこで、意識を失った。
※ ※ ※
次に気が付いたとき、シノは血だまりの中に座っていた。
胴体と切り離された首は未だ目の前にあり、断面は潤んだ鮮血に染まっている。
時間を確認すると、気を失っていたのはほんの五分程度。
全ては正常に再起動したようだが、それはシノの中に不可知の何かが追加され、再構築を必要とした証明だった。どこかで精神走査を受け、駆除しなければ!
──いや、それよりも、この状況をどう説明するのだ?
例えどんなに信用ならない人間でも、組の関係者を殺すことは掟に違反している。古い道理を至上と考えるネコヅカが、目溢しをするとは思えなかった。しかも、死んだのはその昔馴染なのだ。
シノの猫耳が、急速に接近する飛行体を検知した。
車体番号をスキャンすると、「TAKIDA」のファンタズマ。民間自警会社の専用車両だ。どうやらヨシローのバイタル異常が通報に紐付けされていたらしい。
シノは、弾かれたように行動した。
端子を引き抜く前に、ヨシローのホストへと侵入。
院内の監視カメラ記録や、個別認証データをクラックする。
こんなことをしても、各街角、各建築物に設置された監視カメラから、いずれは割り出されるだろう。しかし、幾らかの時間稼ぎにはなる筈だった。
診察室を飛び出し、ロビーへと出たとき、シノはそれと鉢合わせた。
二枚の翅、長細い六本の脚を持つ、自立飛行型・警邏ドローンだった。
シノは舌打ちした。
きっと、この建築物にそもそも配備されていたものに違いなかった。
二体のドローンは初め、音もなく中空に静止していたが、シノの姿をみとめると、独特の嫌な音と共に攻撃態勢に移行した。
二手に分かれ水平飛行を駆使しながら、じりじりと距離を詰めて来る。
慌てて後ろに飛び退くと、バチン、という音と同時に、さっきまで居た床で青白い光が起こった。
非殺傷性の電撃針だ。
いや、あの様子だと、警備関係者が魔改造を施したらしく、威力があげられている。
直撃を食らえば、駆動系を焼かれるだろう。
シノはステップを繰り返しながら距離を取り、猫耳に注意を向けた。ヨシローが眼球を交換しなかった以上、頼りは音だ。
猫耳が、ドローンの細かい羽ばたきの変化を感じ取る。
──右への移動と、急停止。そして、急浮上。
空気抵抗を減らす、わななくような六本脚の微動。
口吻が発射に備えて偏向し、続けざまに二発撃つ態勢を整える──
──その完全なる予測は、シノにとって初めての経験だった。
今まで、これほどまでに相手の動きを明確に計算できたことはなかった。
自身の中に追加された何かが、まるで生存をアシストしているかのようだった。
ドローンが、予測地点に移動した。
予め決まっていたように、二発の電撃針が発射される。
シノは避けるどころかその場に留まって、猫爪を露出した。
直進する針の軌道、正しい入射角、その全てを明確に理解できていた。
一発目の針が、爪と爪の間を通り、後方へと消えた。
二発目は爪の刃先すれすれを綺麗に滑り、跳ね返った。
これから針を撃ち出そうとしていた別のドローンはその跳弾を受け、青白く光る。そして派手に爆散した。
シノは次弾の装填が起こる前に、最初のドローンに接近していた。
片足を軸にした、身体を捻っての跳躍だった。
予め最適解を提示されたかのような、一切無駄のない運動──
ドローンの遥か上から、回転の力を尻尾に乗せて振り下ろす。
幾つかの破片となってドローンは床に叩き付けられた。
それは何度か脚を動かし、翅の付け根を震わせて再浮上を試みたが、やがて沈黙した。
シノは自分がやってのけたことが信じられなかったが、すぐに病院を飛び出し、下層に広がるダウンタウンの闇へと紛れた。