里親への譲渡
営業担当者のタケダは、ほぼ無改造のように見えた。
ミチカの猫耳が捉えた情報では、骨格の強化も、まして装甲化もされていなかった。
とはいえ基本的には、情報を取り扱う企業人なのだろう。
脳内にはたっぷりのインプラントと、潰されたミチカの腕のように、読み取りデバイスは移植しているようだ。
治安の悪い下層下町をうろついていたら、数分で狩られる手合い──きっと普段はこんな階層でなく、もっと高いエリアの住人に違いなかった。
「さっきの刑事が言っていたオプションって、一体なんなの?」
そう訊ねると、タケダは笑顔のまま、ある一枚の画像を表示した。
「これは昨今成立した『人権委譲法』の概略です。
人間社会は何かと権利の問題でがんじがらめだ。
精神疾患のために罪を犯した者、薬物中毒者、あるいは殺人者でも、その人権は尊重されます。
しかしそのために、彼らはまた同じ行動を繰り返す。
精神疾患者は無罪になった後、社会に戻って繰り返す。
薬物中毒者は、シャバに居ようがムショに居ようが繰り返す。
殺人者は──まあ、これは様々なケースがあるので、一概には言えませんかね。
人権委譲法とは、そんな再犯者から、文字通り人権を譲り渡して頂くものです。
彼らが盾にする人権が、しかしあまりにも強すぎるために社会は疲弊し、混沌指数の上昇を招く──
ならば、社会が積極的に権利を預かり、個人ではなく、純粋な意味の『社会人』となれば良い。これが、法律の趣旨です」
「──意味が解らない」ミチカは言った。
「自分の権利を放棄することが、どうしてオプションなのよ? だいたいそれ、再犯者のためのものなんでしょ。私は──初犯じゃないの?」
「ええっと。ちょっと説明が前後してしまいますが、自ら積極的に譲渡することについて、本法律は禁止していません。
また、なぜこれがオプション──即ち、ヤクザからの防衛手段になるかと言えば、それは『社会人』が社会の資産だからです。
あなたは今、保険などを通じて自警を依頼できず、故に後ろ盾がない。
しかし『社会人』は、そのバックが社会──実質的には、その最大母体である企業の所有物となります。
巨大企業が所有する資産に対し、一方的な攻撃が加えられる場合、企業は絶対に黙ってはいません。当然、ヤクザもそのことは重々解っている。
全てが契約と取引によって成立する超・資本主義社会にあっては、かつてのような無担保の証人保護プログラムは設置できない。
人権委譲法は、そういった意味で、かつてのプログラムを再現する試みでもあるのです」
「──なにが『社会人』よ!」
ミチカは金属の机に拳を打ち付けた。
「名前を付けて誤魔化しただけ。そんなの奴隷と同じじゃない!」
けれども、拳は無かった。
幻肢的に、まだあるような気がしていただけだった。
先端に痛みが走り、巻いてあった包帯が赤く、薄っすらと滲んだ。
「──ミチカさん」
タケダの表情は、固まったかのように変化せず、笑顔だった。
もしかしたら筋肉の中に、刺激電極を埋め込んでいるのかも知れない──
「これは本来、私が知るべき情報ではないし、また関わるべきでもありません。
しかしそれを承知で申し上げれば、あなたの記憶情報は解析されており、その中にはいわゆる、共犯者に関するものも含まれている。
あなたが有罪となれば、当然その人々も罪に問われるでしょう。
けれども、人権が委譲されるなら、そもそも裁判は行われない。
──よろしいですか?
本委譲案件は、あなたお一人だけでなく、周囲の人々をも助けるものなのです──」
ミチカは歯噛みした。
実に汚いやり方だと思った。
この男の顔面に、今すぐパンチをお見舞いしてやりたかった。
けれども──シオリとエイミを想うとき、できるはずがなかった。
「──それにですね、ミチカさん」
タケダがまた、別の画像を表示した。
それは軍用サイボーグ身体の立体モデル。
高精度の脳内接点機器と、容量増設。
パイル・フィストなどオモチャに見える、強化骨格と外部装甲。
最新鋭の支援火器と、アシスタント・システム──
「私はあなたの夢を叶えて差し上げられます。
さきほど私は、民軍の関係者だとも申しました。
『社会人』はその能力に応じて、様々な社会活動に振り分けられますが、誰もが機械身体を与えられる訳ではない。
が、この私との契約を結べば、軍役と引き換えにはなりますが、完全換装が約束される。
両者にとってこれ以上に得な取引はない。
──そうは思われませんか?」
タケダの言葉に──その口車に乗ったつもりはなかった。
ただ、完全換装という響きに魅力を感じなかったといえば嘘になる。
結局、ミチカは契約した。
何が本当だったにせよ、選択肢はほとんど無かったからである。




