噛みつかれた猫
間近に見るサイボーグは、アーカイブの中で見たゴリラのようだった。
破砕機構を搭載するために盛り上がった肩と上腕。
それを支えるための太い下半身。
皮膚のように貼り付けられたテクスチャの下は、剥き出しの金属だ。
「誰に連絡してた? いっそ、ここへ呼べよ」
握られた腕──それにグッと力が加わった。
ミチカはうめいた。
全身サイボーグだったなら、部分的な痛覚神経回路の遮断が可能だ。
確か機種によっては、モジュール毎の任意分離も簡単だろう。
けれども、ミチカは半分以上、生身。
強化骨格や、それを覆う滑らかな人工代替皮膚など夢のまた夢。
そもそも、それを手に入れるために犯した危険なのだ。
「ここへ呼べよ。そうしたら、許してやるから──」
ヤクザの声は、まるで子供を諭すような優しさを含んでいた。
上手くやれば見逃してくれる──本当に馬鹿な子供を錯覚させるような、偽りのそれだ。
ミチカはよく知っていた。
民間自警会社の社員たちが、好んで使う言い回し。
あるいは、大人たちが嘘をつくときの言い回し。
──本当はお前のことを心配していた──
──お前のためだったんだ──
この両方が合わさるとき、真実はない。
シオリとエイミ──
出来ることなら、二人に助けを求めたかった。
けれども、呼んだところでコイツとは勝負にならないだろう。
例えヤクザが、古式ゆかしい任侠道に従ったとしても、許してくれる見込みはなかった。古式ゆかしいほど、オトシマエを求めるからだ。
「なあ。呼ぶんだ。──解らないか?」
サイボーグの拳に、さらに力が加わった。
骨の軋む音が聞こえ、激痛が走る!
腕の中を走るように埋め込まれた読み取り電極が断線し、パチン、とスパークする音。
ああ、このまま握り潰される──
あまりの痛みのために、脳内物質が多量放出されたのかも知れない──
すべてが現実ではないような、奇妙な感覚だ。
ふいに思い出したのは、本当の嘘吐き。
自分に武術を教えてくれた師匠、ニカイマツヤマ──
その腕もさることながら、師匠は言葉によって相手を煙に巻くことの達人だった。
本当に短い間の関係性だったが、あのやり口は使えるかも知れない──
「──早く、逃げた方が良い」
震える声で、ミチカは言った。
「──私のバックにはヤクザが居る。コインロッカーは狙いじゃない。
アンタの持っている金の方。私は監視役に過ぎない──」
その言葉に、ヤクザは一瞬動きを止めた。
果たして、信じただろうか?
いや──そんなことはないだろう。
ほとんど改造もしていない街角の猫を、手下に使うヤクザはいない。
けれども、ミチカにとってそれはどうでも良かった。
少しずつ痛めつけられ、やがて皆に助けを求める──楽になるために、皆を売るのが怖かった。
それに師匠から学んだことは、もう一つあったのだ。
「嘘かホントか知らねえがな──」ヤクザが言った。
「とりあえず、もうちょっと痛い目みとくか?」
そして利き腕を変形、モジュール毎に分離させると、内側の破砕機構を露出させた。
ミチカの狙いは、ここだった。
相手がパイル・フィストを突き出す瞬間、こちらも自由な腕を懸命に伸ばす。
握られていたのは、衝撃・十手。
「──サイボーグの弱点は、一番複雑な機構を持っている部分だ。シンプルであればあるだけ強く、その逆は弱い──」
師匠のそんな言葉を、ただ信じた。
わずかな動きだけで感じる、反対の腕の激痛。
まるで引き千切れるのではないかとさえ思われるが、もう構わない。
コイルが嘶き、腕の先端にある真っ直ぐな杭が飛び出す刹那──
電磁加速モジュールに、最大出力の十手を突き刺した!
激しい爆音。そして衝撃波。
ミチカは、自分の身体が飛んだのが解った。
握られた腕はどうなったのだろう──?
一瞬、そんなことを思ったが、強くエレベーターの壁に叩き付けられ、それどころではなくなった。
最後に覚えているのは、辺りに立ち込める黒煙。
そして多分、自分の腕からであろう赤いほとばしりだけだった。