上から下
ヤクザが向かったのは、別の空中エスカレーターだった。
それも、下りだ。
ミチカは約一分の時間を空け、それに乗り込んだ。
周囲を覆うガラス壁の向こうには、ビルが作り出す黒い影。
サイボーグはその闇に吸い込まれるように、約二十メートル先を滑って行く。
読み込んでおいた地図データを照合。
進路を予測するが──おかしい。この先、ロッカーの類はない。
嫌な予感がした。
──まさか、追跡がバレている?
とはいえ、今は自分も下っている。
逆走したり、反対のレーンへ飛び移れば、それはそれで怪しい。
ミチカは勇気を振り絞り、ビルが作る闇に堪える。
約五十メートル下って、サイボーグがエスカレーターを降りた。
これはマズいかも知れない。ひと気の無い場所に誘いこまれる──?
エスカレーターの降り場が目の前に近付く。
追跡を打ち切るべき?
──いや。
相手の進路で解った。
ヤクザが向かっているのは、地下鉄へ向かう高速エレベーターだ。
さすがに旧世界のように下層下町の地下ではなく、高層建造物を支える空中土台の間を走る路線。
それでも垂直に二百メートルは下るはずだ。
ミチカは、自分が決断を迫られていることに気付いた。
もし、エレベーターに乗り損ねたら、大幅なタイムロス。
もう一度二百メートルを昇って来るまで、待たねばならないからだ。
けれども、一緒に乗るということは、ほぼ姿を晒すということ。
この先も追跡を続けるのは怪し過ぎる──
通路の先で、金属製のドアが開く音。
ヤクザを含むその他多くの人々が、開かれた乗り場ドアの向こうへと進んで行く──
ミチカは決断した。作戦変更!
ただし──本来はやってはいけない、一緒に乗り込むという変更だ。
ドアが閉まるか閉まらないかというタイミング──
ミチカはしれっと最後尾の人物にくっつき、中へと入った。
分厚い金属と、強化ガラスで構成されたエレベーター内。
ざっと見た限り、二十名弱が乗っている。
ミチカはなるべく顔を合わせず、かつ向こうからも見られないよう、位置取りに気を付ける。
早まったことをしただろうか──?
そんな疑問が頭の中を渦巻く。
乗り合わせた人々の駆動音に混じって、ヤクザが立てる機械の音。
この距離だと、体内に仕込んでいる凶器まで、何となくだが音で解析できた。
多分、電磁ブーストをかけて拳の打撃力を強化したパイル・フィスト。
もし殴られれば──ほぼ一撃だろう。
浮かんで来る嫌な想像を振り払い、シオリに通信した。
「ゴメン。今すぐ、地下鉄のチバ駅まで来れる?」
「いちおう周辺を飛んでる。三分あれば行ける。どうして?」
「実は──標的が至近距離。てか、二メートル先に居る」
「ちょっと! なんでそんなことに?」
「相手がエレベーターに乗っちゃったんだ。追っかけるには仕方がなかった」
「──もう。ムチャしないでよ。で、どうするの?」
「うん。ここからは選手交代。多分、相手は地下鉄で移動するから、それを追って欲しい」
「了解。ミチカはどうするの?」
「とりあえず、それは任せて」
地図のデータでは、地下鉄の駅にもコインロッカーがあった。
読みが正しければ、そこで二つ目の金が狙えるはずだった。
落下を始めた高速エレベーターの、わずかに身体の浮き上がる感覚。
やがて頭を押さえ付けられるような重力。
エレベーターは停止したが、目指す地下鉄のエリアではない。
開いたドアの向こうへ、次々と人が降りて行く。
ミチカはそれに気付き、はっとした。
上階に仕事や生活圏を持つ者が、わざわざ最下層の地下鉄まで下りる筈がない。
何か特別な用事がない限り、その手前の中間エリアで降りるのが普通だ。
ということは──
このままだと、ヤクザと二人っきりになってしまう!
弾かれたように、ミチカは外へ向かう人々の最後尾に駆け寄った。
これはマズイ! マズ過ぎる!
上から下──
その移動そのものに、意味があったのだとしたら?
あらゆる階層への移動が、一番単純な尾行を見分ける手段だったのだとしたら?
そうやって、計算された行動だったのだとしたら──?
後ろから、強い力で腕をつかまれた。
あと一歩のところで外に出ようとしていたミチカは、危うくつんのめりそうになる。
目の前で、緩慢な動きと共にドアが閉まった。
「──なあ姉ちゃん。標的って何のことだ?」
やはり緩慢な動きで振り向くと、ヤクザは腕をつかんでいるのとは反対の拳を固く握り、
「暗号通信のつもりだろうがな──あんなチャチなモンは何もしてないのと同じだ。──さあ、答えてくれるか?」
パイル・フィストの発動準備に入ったことが、ミチカにも解った。




