忍び足
チバ・モノレールの車内には独特の安定感があった。
低所得者が乗り合わせる飛行バスのような、どこまでも足元がおぼつかない感覚はない。それでも、遥か下に広がる高層建築群が視界に入るたび──高所恐怖症ではないけれど──眼球の奥がブレるような、故障ではない錯覚を覚えていた。
さっきからミチカは、第二車両目の座席に腰かけ、第三車両を音で監視していた。
猫耳に搭載された音響検波機能。
全身を完璧に魔改造したサイボーグ──その一挙一動に神経を尖らせていた。
当初、金を運ぶすべてのドローンに対しハッキングを仕掛けるというアイデアだったが、それはかなり難しいことが解った。
ハッキング・デバイスの購入には金が掛かるし、なにより相手が通信途絶状態で飛行した場合、意味がない。
残るアイデアは事前にドローンを特定、先にハックしておく──というものだが、誰がどう考えても手間が掛かり過ぎだ。
危うく頓挫しかけた計画だったが、そこでミチカは閃いた。
追加で買う必要がなく、すでに全員が装着しているもの──猫耳だ。
通信途絶状態のドローンは、自機の慣性航法システム、搭載カメラの映像分析、そして昔ながらの音波探知の組み合わせで飛行する。
ミチカ、シオリ、エイミの猫耳は、その音波攪乱に利用できた。
もっとも、それだけでドローンを操ったり、乗っ取ることは出来ない。
ただ、音波探知を潰せば、突発的な外部からの働きかけには極端に脆弱となる。
特に、高速でぶつかって来る飛翔体に対して──
腕部と脚部の重い駆動音。
サイボーグが座席から立ち上がる音だった。
続いてモノレールはゆるやかに速度を落とし、やがてチバ駅に停車した。
そいつが降りたのを見計らって、ミチカも跡を追う。
相手はすでに一つ前の駅で、分配前の金をコインロッカーから取り出している。
だとすれば、ここで一回目の仕分けが行われるはずだった。
高所にある駅のプラットフォーム。
ガラス張りの大屋根で覆われたその向こうは、やはりビルの屋根。
広告のテクスチャと乗り降りする客がひしめく中、サイボーグ・ヤクザは空中エスカレーターへと向かう。
全長二百メートル。
たしか一番下に到着するまで、しっかり五分はかかる。
吸い込まれるようにサイボーグの姿が消えた後、ミチカはそれに続く。
人間の追跡というのは、実に難しい。
ドローンと違って、搭載されているセンサの数が違う。
なにより、裏社会に生きるものは──勿論、全員ではないが──研ぎ澄まされた勘も持ち合わせている。
自販機のように、ただ一定距離を保つだけはダメだ。
何気なく、ただそこに居る──
とうの昔に消え去った野良猫の佇まい。それが必要だった。
百メートルを過ぎた辺りで、動きがあった。
ヤクザが乗り継ぎ地点で降りたのだ。
途中にあるのは駅ビルの専門店街と、その奥にコインロッカー。
ミチカはチャネルを開き、シオリとエイミに連絡する。
「ここで間違いない。来れるのはどっち?」
「私の方が近い」とエイミ。
「了解。急いで」チャネルを閉じる。
今、シオリとエイミが居るのは、チバの上空を飛ぶタクシーの中だ。
ランダムに変わるヤクザの移動経路。
その完全特定は不可能だったので、「ドローン捕獲班」の二人には、一番移動の自由が利くものに乗ってもらった。
きっとそのメーターは大変な料金になっているだろうが、ハッキング・デバイスよりは安い。
予想通り、ヤクザは専門店街を進んだ。
ミチカは気楽な買い物客を装って、その一つへと入る。
適当な商品を勧めてくるバーチャル店員のテクスチャをあしらい、しばらく待つ。
そうやって、耳でモニタ出来るギリギリの距離を保った。
専門店街を抜けて更に百メートル進んだ先。
ヤクザの動きが遂に止まった。
駅ビルの突き当り──行き止まりになった一角に設けられたコインロッカーだ。
奴は確認するように、一旦周囲を見渡す。
ミチカは近くの女子トイレに飛び込み、身を隠した。
正確なコインロッカーの位置を知るには、顔を出して確認が必要だ。
けれども、こちらの狙いは次にやってくるドローン。
人目の多い場所で、警報機つきのロッカーをこじ開けるより、捕獲班が追跡してチャンスを狙う。
──これが作戦の全体だ。
サイボーグの腕が動き、蓋を開け、何かをしまう音。
そのときエイミの通信が猫耳に届く。
「駅に着いた。どこ?」
「専門店街の奥のコインロッカー」
「了解!」
猫耳ではなく、実際の耳に靴音が届いた。
サイボーグが移動を開始したようだ。
ミチカはトイレの入口から顔を出すと、やはり一定の時間と距離をおいてヤクザを追った。