猫にゴールド
アキハバラの電気街は、仮想の活気に満ちていた。
人々の欲望を掻き立てるように浮遊した、たくさんの原色のテクスチャ。
機械への完全換装を促す広告の陰では、むしろ積極的に生身に戻ろうと謳われている。
または、不用な臓器の高額買い取り! などなど──
それらが全く同じ店舗の看板であることが、この街の多様性──あるいは混沌指数に寄与している。
ミチカはシオリと並んでストリートを行きながら、辺りで客引きをするメイド服姿の娼婦たちを眺めた。
男女を問わず、相手を欲情させる為の機械身体。
そのボディ・バランスは完璧で、更にはフェティシズムに特化した可愛らしい猫耳。
自分と彼女たちを比べると、あまりのみすぼらしさに嫌になる。
この街にあるものは、きっと全て広告なのだろう。
いつか彼女たちのように──娼婦ではなく、街路を行くネコとして──換装したい。
ミチカはそんな欲望に、強く衝き動かされていた。
デジタルコンドームや合法ドラッグは、あまり高く売れなかった。
本来なら、価格は決して安くない。
盗品だと知っている買い取り業者が、足元を見たのだ。
「こんなの酷過ぎ。絶対もっと高かったはず──」
雑然とした店内を出た後、振り込まれた新・仮想¥を確認しながら、ミチカはそうぼやいた。
これでは、誰か一人分の眼球か、脳内デバイスでも買ったらもう終りだ。
「仕方ないよ。こっちは弱い立場なんだし──」
ミチカを諭すように、シオリが言う。
確かにそのとおりではあった。業者には結局、「民警を呼ぶ!」という最終兵器がある。
裏では平気でそれを売買しているくせに、いざとなると裏切る。
そして民警は、ワイロを受け取って見て見ぬフリをするのだ。
一時期はミチカにも、民警に所属したいという気持ちがあった。
さすがに彼らが、秩序と治安を真摯に守っている──と無邪気に考えていた訳ではない。
機械身体を手に入れる、そしてちょっとは人々の役に立つ──
けれども、実態は違った。
民警はヤクザか、場合によってヤクザよりも悪かった。
幻滅を感じたミチカは自力での換装を目指したが、その道のりは始めてみると簡単ではなかった。
「──実はさ、儲かりそうなアイデアがあるんだよね」
駅前の立ち食い屋。
二人して注文した日本蕎麦を待っているとき、ふいにシオリが言った。
「エイミにもまだ話してないんだけど──どう? 聞きたい?」
紙を固めた割り箸を指でもてあそびながら、シオリはわざと探るように笑う。
「ちょっと。遠回しにしないで早く教えてよ」
丁度そのとき、ソバが運ばれて来た。
湯気の立つ丼ぶりが店員によって差し出され、二人は押し黙る。
彼が立ち去るより前に、シオリが自分の猫耳を指差した。
今後の会話は音波通信で、ということなのだろう。
ボロッという箸の割れる音と共に、シオリがソバを食べ始めた。
ミチカも同じようにすすりつつ、チャネルを開く。
「で、アイデアって?」
「うん。解ってると思うけど、自販機からのアガリって、やっぱ少ない。だからもっと大きく儲かることはないかってずっと考えてた。
それでさ、私最近、この耳を付けたでしょ? 初めてだったし面白かったから、色々と音波通信を試してた。音域を変えて、街に飛び交う通信を聞いてみたり──。そうしたらさ、こんなのがあったんだ」
シオリが次に送って来たのは、言葉ではなく二つのデータだった。
一つは音声ファイル。
もう一つは、地図データだ。
「まずは音声から聞いてみて」とシオリ。
再生すると、ノイズ交じりのこんな声が聞こえてきた。
──品物は入れておいた──
──了解──
──場所は添付済み──
──はいよ。ごくろうさん──
再生が終わった。
「──何これ?」
訳が解らず、箸を止めてミチカは言う。
「──ちょっと。猫耳で通信してよ。じゃあ、次は地図データを見て」
ファイルを開くと、それはチバ・シティのものだった。
ある地点からある地点へ、移動のルートが示されている。
けれども、結局何だかよく解らないことに変わりはない。
「ハイ。じゃ、説明するね」楽しそうなシオリの声。
「さっきの音声には、この地図データもくっ付いてた。
で、私、そこをしばらく張ってみたの。誰が来るのか、品物って何なのか。
スタート地点は、チバ駅のコインロッカーだった。
そこに現れたのは、ガチガチの完全サイボーグ。一目見て、ヤクザだと解った。
そいつはロッカーから、小包を取り出した。
気になったのは、サイズの割に何だかとても重そうにしていること。
だから重量を計算した。耳と違って、眼球の改造はずいぶん前だったし。
そうしたら、その小包──百キロ以上あったんだ!」
「──つまり?」とミチカ。
「解らない? サイズと重量から導き出される答え。何度も計算したから間違いない。
あれは──金だよ!」
ミチカは驚いた。
もうちょっとで、ソバを吹き出しそうになったくらいだ。
デジタル化した通貨の代わりに、最近のヤクザが物質資産を物色しているのは知っていた。
なかでも、金は一番の優等生だ。
その伝導性の高さから、機械身体の部品、脳デバイスの接続部まで、あらゆる電子機器に使われている。
人々が手軽に身体を換装すればするほど、その価値は上がり続けているのだった。
「さて、ミチカ? この話──どう思う?」
シオリが箸を止め、声に出してそう言った。
得意そうな、それでいて褒めてもらいたがっているような声だった。
「シオリ、それ最高のアイデア!」
ミチカは高揚して言った。
思わず、声と音波通信の両方で、同じ内容を発してしまったくらいだった。