№8 「ミチカ」
「№8。起動し、整列せよ」
電子の命令者が電源を入れ、彼女は目覚めた。
№8の視野は自動的に広がり、リアルタイム映像が流れ始める。
彼女が居たのは、真っ暗な兵員輸送車の荷台。
兵士一人分の隙間しかない一角で、№8は一日ぶりの身じろぎをした。
周囲には別の番号を持った、たくさんの兵士たち──
同じように目覚め、銃架から「SR-90」電磁アサルトライフルを引き抜き、車両の後部ドアに整列してゆく──
№8は動かなかった。
整備不良でも、脳内接点機器の異常でもない。
彼女は解らなかった。
──№8とは誰のことだ?
「№8。銃を取り、整列せよ」
また命令が飛んだ。
電子の命令者は、「軍曹」とか、「教官」の名で認識していた。
顔はなく、姿も、その影さえ見たことはない。ただ、放たれる命令の苛烈さだけは側頭葉のデータベースにきっちり記録されている。
「笑ったり泣いたりするな」
「兵器となれ」
「戦争の顔をしろ」
№8は銃架に手を伸ばした。
本当はそうしたくはなかったが、脳の奥がチリチリする。
最大級の電気ショック。
それが来る前触れだと、直感的に解っていた。
最後尾に並ぶと、車両後部のドアが緩やかに開いた。光の中にとけるように、列が順番に進んで行く──
№8は一瞬躊躇ったが、やがて繰り返しインプットされたとおりに身体が動いていた。
ニュー・イバラキのコガ・シティ。
「タロー・バンドー」の異名を持つトネガワ・リバー水系の支流、ワタラセガワ・リバー。
その畔りにそびえるナリウジ・アシカガの私邸は、まるで宮殿のような豪華さだ。
うねるように続く川べりに沿って、背の高い外壁が続いている。
その内側には日本の城によく似た建造物が並び、天を衝くような楼閣まである。
№8はカメラに映る情報を分析しながら、薄桃色の真砂土が敷かれた三の丸内に整列した。
陽光の下で見る兵士たちは、皆同じ人物に見えた。
猫の身体、顔、個人装備。
統一規格で構成され、上から下までインクのように黒い。
№8は再認識する。これこそが黒猫行列・部隊。
出資者である「SATOMI KK」が直轄する、民間軍事部隊であると──
鋭い金属屋根の中門が開き、そこから宮殿の主が現れた。
データベースにある、ナリウジ・アシカガ。
失脚した政治家モチウジ・アシカガの長男で、現在は政界進出を目指している。
ほとんど無改造に見えるその男は、ゆっくりとした足取りで、兵士を一体一体眺めていった。
やがて№8の前で止まると、
「──実に素晴らしい。本当にこの娘たちをもらって良いのかね?」
「はい。勿論です──」
進み出たのは、軍事関係者とは思えない、パリッとしたスーツの若い男。
確か、「営業者」と呼ばれている人物だった。
営業者は、電子の仕様書をナリウジに提示しながら続けた。
「全てが最新鋭です。我が社の特筆すべき技術が遺憾なく発揮されています。ナリウジ様のような、将来の大統領に相応しい私兵集団です」
「少し質問がある──」電子上の中身を簡単に確かめ、ナリウジは言う。
「この娘たちは──いわゆるAIなのかね? それとも──?」
「ご安心下さい! しっかりと人間です。かつ、AIのように忠実です。ナリウジ様のご命令なら、どんなことでもやってのけるでしょう!」
「──ほう」
ナリウジは驚くような、また面白がるような表情で、№8に顔を近付けた。
「実に有難いよ。私は反AI推進を旗印に掲げている。そんな人間がAIの兵士を近くに置いていたのでは示しが付かんからね?」
差し伸ばされたナリウジの手が、№8の頬に触れた。
馴れ馴れしく、もてあそぶようだった。不快だった。
しかし電子の命令者は伝達する。
「その感覚は間違っている」
「彼はお前の主人だ」と。
「勿論、その点には配慮しております」営業者が言った。
「人間主義と人権擁護を掲げる貴方にAIは似合いません。ですから、あえてそのハイブリッドを選んだのです。もっとも、人間を使う為には様々な問題がある訳ですが、その辺りは御父上の偉大なる功績と申せましょう。モチウジ氏が成立させた、あの人権委譲法案は──」
──人権委譲法案!
その言葉を聞いたとき、№8の情報領域は激しく揺らいだ。
たくさんの入力、あるいは消去によって、失ったと思われた記憶情報──それが濁流となって噴き出した!
そうだ、私は憶えている!
──側頭葉をブートし、再生することができる。
まず読み出されたのは──「ミチカ」。
──私の──私の名前だ──!
猛り狂うデータの波の中、ミチカはさらに深く深く、奥底に潜む過去情報にアクセスしていった──




