恩返し(Strike Back)
ソウナは意識を取り戻した。
いや、無理矢理覚醒させられた。
背骨に沿ってある端子に差し込まれた電子拘束具。そこから発せられた命令が激しい痛みを引き起こし、ソウナは目を瞬いた。それは、二度、三度と続いた。
「──お目覚めかな?」
唯一動かせる「ANZAI」の眼球が捉えたのは、引っくり返ったソードフィッシュの残骸と、サモジロー・アボシ!
その手に握られた赤熱・日本刀が、下層下町の薄闇に淡い光を投げていた。
「たった今、親分が裏切者の処分を決めた。殺せ、との仰せだ」
玩具で遊ぶ子供のように、サモジローは日本刀を振り回す。
尾を引く赤に照らされた顔には、下卑た薄笑いが浮かんでいた。
「ただ、俺は殺さないぜ? 簡単に殺して成るものか。たっぷりと俺を楽しませてくれよ、ソウナ?」
灼け付くような切っ先が、ソウナの前に突き出された。
じりじりと、それが自分の左頬に近付いて行く。
「──ずっとお前が欲しかった。親分のお気に入りじゃなくなったなら、俺が何をしたって──」
人工代替皮膚がしゅうしゅうと音を立てた。
肉の焼ける臭いと、最大化された痛覚神経回路の激痛。
それでもソウナは、眼球をしっかり相手に固定、怒りと威厳を示し続ける。
「それだよ──その目だ。能楽の能面。何を考えてるのか解らない、お澄まししたツラ。その仮面を引っぺがして、感情のままに鳴かせてみたかった──」
サモジローは笑い、日本刀をソウナの頭上に構え直す。
「ただ、お楽しみの前に邪魔者を片付けよう。──さあ、出て来いよ! 隠れているのは知ってるんだ!」そう、辺りに広がる廃墟群に向かって怒鳴った。
いけない! ソウナは心で叫ぶ。
絶対に出てきちゃダメ!
願いを込めてさ迷わせた眼球が、しかし薄闇の中から現れた猫娘を捉える。
抜き身の名刀・村雨丸からは冷気が流れ、微細な粒子の霜がさらさらとこぼれ落ちていた。
「刀を捨てろ。──それとも、ソウナの首が落ちるところが見たいか?」
介錯人かのように、八相に構えたままアボシは言う。
シノは一旦動きを止め、何事か考えるかのように間を置いた。
「──解った」
そして背中の鞘に名刀・村雨丸を戻すと、アボシに向かってゆっくりと投げた。
なんて事を──
ソウナは悲しみを通り越して、怒りを感じた。
自らの不始末で、自分の命が失われるのは理解できる。
けれども、自分の為に誰かが犠牲になる──それは絶対に許せないことだった。
視界の中で、シノが目を瞬かせる。
何度も、それも執拗に──
やがてソウナは気が付いた。
アイコンタクト、いや──旧世界のモースル信号。
ま か せ ろ !
それがメッセージだった。
※ ※ ※
シノは両手をあげ、無抵抗を装いながら獲物が罠に掛かるのを待った。
「──ほう。これがあのネコヅカの。昔から、こういうのが欲しかったんだ──」
ひび割れたアスファルトに転がった名刀・村雨丸を拾い、サモジローが言った。
ざん、と赤熱・日本刀を地面に突き刺し、強く村雨丸の柄を握り締める。
「お前、これでネコヅカを殺ったんだろ? 感謝しろよ、同じ刀で葬ってやる──」
サモジローが鞘を走らせ、村雨丸を引き抜こうとする。
しかし──抜けなかった。抜ける筈がなかった。
オフライン者による未認可アクセス。
抜刀はエラー。抜刀はエラー。使用不可。
「クソ! 何だと!」慌てたサモジローはオンライン、村雨丸にアクセス、許諾を申請する。
しかし、それこそが命取りだ!
名刀・村雨丸を経由して、そこにアクセスしたサモジローに潜り込む。
ネコヅカと違って最新鋭のデバイスと防壁──
全てを掌握するのは一瞬では済まないだろう。
けれども、制御を遅らせることは幾らでも可能だ。
奴がライセンスを得る前──
あるいは目の前の赤熱・日本刀を拾い上げる前──喉元に喰らい付くなど造作もない!
飛び込みながら繰り出したシノの猫爪、それがアボシの喉を突き破った。
ぷるぷると震えながら最後まで抜刀を試みた間抜けな姿──シノが爪を引き抜くまで、その動きは止まらなかった。
激しい金属音をあげ、サイバー浪人が崩れ落ちた。
シノはソウナに駆け寄った。
まるで糸の切れた人形のように、ソウナは地面に座らされ、焼けた左頬が痛々しかった。
忌々しい電子拘束具を引き抜き、右手の中で握り潰す。
制御を取り戻したソウナがこちらを見上げ、「──ありがとう」と言った。
「ごめん、本当はもっと早く助けたかったんだけど。──顔、大丈夫?」
「周辺を制御死させたから問題ないです。でも、どこかで修理しないと」
ソウナの話によれば、換えの身体を置いている貸し倉庫がニュー・グンタマにあるという。そこまでの移動に、サモジローのマクシムスは使えそうだった。奴に潜ったとき、その制御系も掌握していたのだ。
そういえば、名刀・村雨丸を忘れていた。
アボシの死体に近寄ろうとして、シノは驚いた。
無くなっていたのだ。アボシの身体が消えている! それも、村雨丸と共に!
「クソッ! どうなってんのよ!」
シノは怒鳴り、もう一度奴にアクセスする。しかし、完全にオフライン。
周到に村雨丸もオフラインにされているらしく、一切辿れない!
自動体内式除細動器の働きか?
いや、もしかしたら、頭部そのものに簡易の生命維持装置を組み込んでいたのかも知れない。
「クソ! まだ近くに居るはずだ! 絶対に見つけ出す!」
暗闇に向かって駆け出そうとすると、ソウナがそれを押し留めた。
「シノ。私もあなたも、飛行車のクラッシュでダメージを負っている。──そうでしょう? 奴がオンラインになれば必ず追える。だから一旦は、ここを離れましょう? じき追手もかかるはずよ」
確かにそうだった。
ソウナの顔が焼かれる間、それを苦い気持ちで眺めていたのは怯んだからではない。
実をいえば猫身体のあちこちに、深刻な機能低下が生じていたのだった。
※ ※ ※
二人の近くに、マクシムスが着陸した。
シノは未だ不服そうで、ぶつぶつと文句を並べ続けている。
そんな彼女の激情を見ていると、ソウナは少し可笑しいのと同時に、申し訳ない気持ちになった。
シノが大事にしていた名刀・村雨丸。
彼女と繋がり、深く通じ合ったこともあるが、それだけではない。
自分にとってのキジローと同じなのだと、腹の底から思えたからだった。
彼女の為に出来る限りのことをしよう。そう、心に誓っていた。
シノが制御するマクシムスに乗り込んだとき、ソウナはやり残した仕事に気が付いた。「で、貸し倉庫ってどこ?」との質問に答えつつ、意識を飛躍させる。
彼女の魂の一部──今それが在るのは、トシマ・オーツカのヤヤ・ヤマ事務所。
もしものときに用意した、ある一体のドローンだ。
銀色の板を張ったような、縦に伸びるエアダクト。
その中を、ソウナは上昇する。
目指す部屋はただ一つ、事務所の十階。あの男の部屋だ。
ダクトの蓋を脚で外し、室内へと忍び込む。間の良いことに誰も居ない。
吊り下げられたシャンデリアをかわし、革製のカウチの上を越えて、ソウナは巨大なテーブルへと近付く。
飴色に磨き上げられたウォールナットの一枚板。
その端に、同じく木製の小箱がある。旧世界において葉巻入れに使われていた年代物だ。
ドローンの脚で蓋を持ち上げた。
入っていたのは幾つもの、細長い円筒形のタンク。プロピレングリコールにニコチンを配合した、ヴェポライザー・リキッドだ。
口吻の中から、まったく同じタンクを数本排出し、円筒形が作る最上段に並べ置く。
蓋を閉め、エアダクトに戻ったところで意識を束ねた。
「──ありがとう」
車を運転するシノに向かって、そう言葉を掛ける。
唐突過ぎるお礼に対し、彼女はキョトンとした顔だ。
それでも、ソウナは続けた。
「あなたのお陰で、やるべきこと──もっと早くに決断すべきことを実行できた。本当にありがとう──」
ソウナが箱に置いたのは、勿論ニコチン・リキッドではない。
次にヤヤ・ヤマがタンクを交換し、一服しようと電子的な信号を走らせた瞬間、親分は正真正銘の煙と熱に包まれるだろう。あるいは、摂氏二千度の消えない炎に──
「なんか、良い顔してるじゃない。どうしたの?」
シノが探るように、しかし面白そうにこちらを見る。
ソウナはニヤリと笑い、
「──汚い仕事は一番遠くから。だって、猫の身体が汚れないでしょ?」
と言った。