入学式
「……さい。……ください。起きてください」
日曜日のある朝、私の耳元に聞きなれない女性の声がかすかに聞こえてきました。
それに呼応するような形で目を覚ますと、大理石のような石材で構成された天井と銀髪で赤い瞳を持つ少女の姿が視界に映りました。
「あれ? ここは……」
「ここはクラウディアの中央大陸に位置するクラーケン帝国の首都クランです」
クラウディア、クラーケン帝国、クラン。どれも耳慣れない地名です。いや、それ以前に私は昨日自室のベッドで眠りについたはずで、このような大理石で構成された場所で寝た覚えはありません。
何か、変な夢を見ているのでしょうか?
そう考えて、頬をつねってみましたが、しっかりと痛覚が働いてこれが現実であると告げてきます。
「おそらくあなたは今、混乱していることでしょう。本来なら一つずつ説明をしたいところですが時間がありません。着替えは準備してあるのでそれに着替えてください。私は部屋の扉の前で待機しています。それでは」
銀髪の少女は名乗ることすらせずに頭を下げて立ち去って行きました。
「えっちょっと!」
私は声をかけても彼女はそれを無視して部屋の外へと出て行ってしまいました。
彼女が出て行った扉から視線を少しずらすと、真っ白なワンピースがハンガーラックにかけられていて、その横には洗面台と鏡、歯ブラシなどが並んでいました。間違いなく、これらを使って最低限の身支度を整えろということなのでしょう。
相手が時間がないと言っている以上は急いだほうがいいだろうと、寝ぼけてボーとしている頭を懸命に切り替えながら私は用意されていた服に着替えてから顔を洗い、歯を磨いてから部屋の外へと出ました。
「……準備はできましたか? それでしたら、私についてきてください」
扉の横で待機していた少女は私に背を向けて歩き始めました。
「ちょっと待ってください!」
そんな彼女に声をかけてみましたが、返答はありません。
有無を言わさないような対応に困惑しながら私は少し早歩きをして少女を追いかけ始めました。
「あの……せめてあなたの名前とか……」
「……失礼。名乗っていませんでしたね。私はクラウディア異邦者対策委員のメイ・マーガレット。気軽にメイとお呼びください」
またしても知らない単語が飛び出してきました。
「えっと……それで、メイさん。先ほどからクラウディアとか異邦者とかクラーケン帝国とか私の知らない言葉がたくさん出てきているんですけれど……」
「それは当然かと思います。あなたが元居た世界の言葉で表すのならば、『異世界転移』と言ったところでしょうか。我々の世界ではあなたのような存在を『迷い人』もしくは『異邦者』と呼んでいます」
異世界。ライトノベルなんかで良く描かれるような話が今自分の身に起きている。ということなのでしょうか?
「異世界転移? ということはここは地球ではないということですか?」
「はい。ここは地球ではありません。クラウディアです」
自分の全く知らない世界に迷い込んだ可能性について恐る恐る尋ねたところ、メイからははっきりとそのことを肯定しました。
「我々の世界であるクラウディアにはありとあらゆる世界からたくさんの異邦者が集まります。そしてここはそれらの異邦者を集めて、この世界で生きていくための教育を施す教育機関、『クラウディア異邦者教育学校』の敷地内にある神殿です。クラウディアに流れ着く異邦者たちは原則としてこの神殿に顕著するので……」
「ちょっと待ってください。理解が追い付きません。あの、私は……」
「とりあえず、今は異世界へ流れ着いて、こちらの世界で生きていくための情報をこれから学ぶということだけを頭に入れておいてください。そして、その学校の入学式の開始時間が迫ってきています。そのことについても頭に入れておいてください」
何が何だか理解が追い付きません。しかし、右も左もわからないような場所で勝手な行動をして迷子になっても迷惑が掛かってしまうので、とりあえずメイの後について歩いていきました。
*
先ほどまでいた石造りの神殿のすぐ横にある大きな広場。そこに案内された私はほかの人たちと同様に困惑した様子で周りを見回していました。
広場にいるのは私と同じように白い服に身を包んだ男女10人程度。と言っても、その見た目は背中から羽が生えていたり、耳が長かったり、ケモ耳としっぽが生えている人など、かなり個性豊かな人々が集まっています。おそらく、この人たちも私と同じ迷い人なので、これから行われる入学式に臨むところなのでしょう。
それから十分ほどしてから広場にある朝礼台のようなところに一人の女性が上がってきました。
「これより、クラウディア異邦者教育学校の入学式を執り行う。各自、校長に注目せよ」
朝礼台の横に立つメイのアナウンスで私たちは朝礼台の上に立っている人物に視線を集中させます。
「皆様、初めまして。そして、ようこそ我々の世界クラウディアへ。私はこの学校の校長を務めさせていただいておりますアリス・クランです。これから、あなた方には本校でこの世界で生きていくための最低限の知識を学んでいただきます」
「勝手なことを言いやがって! 元の世界に帰らせろ!」
アリス校長が話を進めようとしている中、角をはやした男性が大声でヤジを飛ばしました。
「……まだあいさつの途中です。何の知識もなしに放り出されたくなければ最後まで静かに話を聞いてください。それと、誤解のないように伝えておきますが、あなた方が私たちの世界に迷い込んだのは我々の意志ではありませんし、私たちはあなたたちをもとの世界に帰す方法は存じ上げていません。ご納得いただけましたか?」
「でもよぉ!」
アリス校長の言葉を聞いてもなお抗議を続ける男性のそばにどこからともなく二人の男の人が現れて、男性の両脇を固めました。
「警告はしましたよ。このまま放り出されたくなければ、静かに話を聞いてください。いいですか?」
「……わかった! わかったよ! 話を聞くから放してくれ」
男性が静かに話を聞くと告げると、まるで最初からそこには誰もいなかったかの様に彼の両脇にいた男性が消えてしまいました。
「さて、それでは話の続きをしましょうか」
アリス校長は男性から視線を外して全体を見回してからあいさつを再開しました。
「本日よりクラウディアの住民となる皆様には今からいう三つのことを頭の中に入れておいていただきます。まず一つ目は『この世界においては年齢を重ねることができない』ということ。間違いのないように言っておきますが、これはあくまで『不老』であり『不死』ではありません。あなた方はこれから先、年を取って体が変化するということはありませんが、万が一の事故や事件、病気などによって命を落とす可能性は十分存在しています。そして、二つ目は先ほども少し触れましたが、あなた方はこのクラウディアから元の世界に帰ることは叶わないということです。クラウディアでは様々な世界の世界の出身者から得られた情報をもとに発展している世界ですが、どの世界においても『異世界へ移動する』という方法は見つかっていません。もっと踏み込んで言わせていただきますと、このクラウディアに異邦者が迷い込んでくる原因も全く分かっていないというのが現状です。そして、三つめは原則として異邦者は子をなすことができません。この世界に存在する子供は純粋にクラウディアで生まれ育った人から生まれたか子供の時にこの世界に迷い込んだ人かのいずれかです。ここまではご理解いただけましたでしょうか?」
アリス校長の演説に私たちはそろって困惑の表情を浮かべていました。
それは私も同然であまりにも非現実的な言葉の羅列に困惑を隠しきれませんでした。
「あなた方が困惑していることは十分わかっています。しかし、いや、だからこそ、この言葉をあなた方に送ります。『クラウディアはすべてを受け入れる。それはとても美しく見えて、それ以上にとても残酷なことだと言えるでしょう』私からは以上です。この後、皆様はメイ対策委員長の案内で学校設備や寮を見学していただきます。そのあと、今後のスケジュールについての説明を申し上げた後、それぞれ割り当てられた部屋で過ごしていただきます。それでは、あなた方のご活躍を願います」
そこまで述べると、アリス校長は困惑している私たちに背を向けてそのまま朝礼台から降りてどこかへと去っていきました。
「それではこれから学校設備の案内を行います。ついてきてください」
「おい! いくら何でも!」
先ほどの角の生えた男性が声を上げますが、メイはひるむことなく男性をにらみます。
「つまみだされたくないのなら大人しくついてきてください。私から言えるのはそれだけです」
その言葉の後、メイは神殿とは逆の方向へと歩き始め、抗議の声を上げた男性を含めた私たちもその背中を追うような形で歩き始めました。