2.シェアハウス
初めてのリムジンに乗った九条の感想は、案外揺れないんだな、と思っただけ。
どうしてそれだけかと言うと廊下であんなことをされたせいで殺されるのではないかという恐怖心が乗車中ずっとあったからだ。
加えてリムジンに乗っていた時間も体感で十分足らずで考え事をしていたらあっという間に着いてしまっていた。
「ここが私達が住むお家です。昨日出来たばかりなので新築ですね」
姫乃は両手を広げて嬉しそうにして後ろに居た九条に振り返って話す。
姫乃に連行され、九条は初めてのリムジンに乗って辿り着いた先に存在したのは三階建ての見事な一軒家だった。
今この状況に困惑する九条。
元々姫乃が一人暮らしをする予定だったにしてはデカイ、デカすぎる……と圧巻されていた。
きっと執事やメイドも一緒にここに住むのだろう、とも思う。
それにしてもあまりの常識外れに九条は空いた口が塞がらなかった。
白のブリックタイルの外壁が洋風を彷彿とさせ、周りの住宅と比べると質感や豪華さが桁違いで異様に目立つ。
車庫や庭などはないが外装を囲う塀が更にその存在を主張しているようにも見える。
加えて三階建ての家なら都内でもそこそこ見掛けるが大きさがその倍以上。
……これが姫乃グループの普通なのか、そう思いながら九条は無意識で少し後退りする。
「何か気になることでもありましたか?」
九条の反応を見て姫乃は不思議に思い尋ねる。
しかし、気後れしてる九条の耳には彼女の言葉は入ってきていなかった。
お家が小さかったのかな?
それとも気に入らなかったり?
まさか、シェアハウスを断るのでは!?
などと姫乃が段々と焦りを覚え始めた頃。
「え、えーと……本当に俺もここに住んでいいんですよね?」
「住んでもらわなければ困ります! それと、私に敬語は必要ありません」
九条が震える手で家を指差し尋ねると姫乃は上目遣いを九条に使い更には目を細めて言い放つ。
てっきりシェアハウスをしてくれないのかと不安に思っていた姫乃だが予想は180度違うものだった。
そして、終始よそよそしい九条に姫乃は腹を立てている。
一歩どころか二歩も三歩も離れた場所から話しかけられている気分がしてこれからシェアハウスをするというのにもどかしさも覚えていた。
……彼女にはすべき事がある。
だが九条はそんなこと気付くこともなく姫乃と学園で話したことや話してる姿を近くで見たことがなかったから宮学のプリンセスがこんなにも圧が強いとは思わず驚いている。
もちろん常にこのような圧が強い雰囲気を醸し出しているとは九条も考えていない。
「わ、わかった」
「それではご案内しますね」
九条は再び姫乃に手を握られ、これから二人でシェアハウスをする家の中へ入る。
学園の廊下では殺されかけた恐怖で忘れていた九条だが、こうして宮学のプリンセスに手を握られているのだと思うと彼の心臓の鼓動が高鳴り張り裂けそうだった。
執事はこの現状を見て何とも思わないのだろうか。
九条は辺りを見渡すが、いつの間にかリムジンも執事の姿もなくなっていた。
放任主義、ということなのだろう。
だとしたらあまりにも無警戒過ぎて九条の方が不安になってしまう程だ。
──
一通り使うであろう場所を案内され、宛てがわれた部屋に備え付けてあったベッドに九条は横になっていた。
彼が普段愛用しているベッドよりふかふかで気持ちがいい。
目を瞑ればそのまま夢の中へと行ってしまいそうだ。
それほど今日のことが精神的にも肉体的にも摩耗させる出来事の連続だった。
「こんなことになるなんてな……」
三階は姫乃の部屋、二階は九条の部屋、一階は共有スペースになっている。
三階も二階も風呂トイレ共に完備されており、間違いは絶対に起こることはなさそうで九条は安心する。
それとてっきり執事やメイドの人達も住むのかと思えばそんなことはなく、二人が学校に行っている間に掃除をしに来てくれる程度とのこと。
完全に放任主義かと思われたが一応は執事やメイドが出入りするようで少しばかり安心を覚えた。
それでもこの先のことを考えるとまだまだ九条の不安は大きい。
火事で家が無くなったかと思えば、こんな立派な家に住めることになるとは誰も思いもしないだろう。
しかも、二階の九条の部屋は先程の執事が物を揃えてくれたらしく彼の家にあったような漫画や最新のゲーム機、更には着るものに困らないほどの服の数々、加えて予備の制服まで存在した。
まるで最初からこうなることを見越して用意されていたようにも感じる。
だがあの執事なら数時間もあれば簡単に全部揃えられそう、と学園の廊下での出来事を思いながら九条は溜め息を吐く。
「あ、そうだ母さん達に連絡しないと──」
九条がスマホを見ると母親から連絡が入っていた。
中々帰らない息子のことを心配しているのかと思えば、全くそうではなかった。
夜景が一望できるテラス席で楽しそうにワイングラスを合わせ、ワインを嗜む両親の動画が送られてきていた。
どういう状況なのか、文章など何もない、本当に送られてきたのは動画だけだ。
何処かのホテルだろうか。
そう九条が思っていると今度は父親から電話が来る。
『ハ〜ロ〜、りくぉ〜〜〜!』
完全に酔っ払った父親の声だ。
家が火事になったと言うのに能天気な父親だなぁ、と息子である九条陸生は感じる。
他の誰かが見ても九条と同じことを思うだろう。
父親は続けて話し始めた。
『父さん達は、しばらくこっちに住むから、陸生も姫乃さんと頑張れよ〜』
「と、父さん!? こっちに住むって何処に居るんだ? てかなんで姫乃さんのこと知ってるんだよ!?」
陸生が父親が目の前に居るわけでもないのに目を見開いて驚き必死に尋ねたが、尋ねた瞬間に電話は途切れてしまう。
再度掛け直しても誰かが出るようなことはない。
慌てて母親にも電話をしてみたが結果は同じ。
「一体どうなってんだ……」
スマホをベッドに投げ放心状態になった九条の耳にドアをノックする音が聞こえた。
ドアを開けると後ろに手をやりもじもじとする姫乃が居た。
無防備にも薄ピンク色のネグリジェに身を包み、香水だろうか甘く花かな香りを漂わす。
肌の露出が多く正直目のやり場に困る九条だが、これからシェアハウスを続ける上で厄介なことは起こしたくないし起こす気もないので姫乃を変な目で見ないと誓い、ネグリジェの隙間から見える谷間などには目もくれず、彼女の顔を見てポーカーフェイスを貫くと決めた。
「どうしたの?」
「あの、今お時間よろしいでしょうか?」
九条と目が合うなり姫乃は恥ずかしそうに俯く。
自分達がそういう関係になるとは絶対ないと分かってはいるが姫乃の俯きながら恥ずかしがる姿を見て何だか九条まで恥ずかしくなってしまい、早速ポーカーフェイスが剥がれそうになる。
「そろそろご飯にしようかと思いまして」
「あー、そういや昼から何も食べてなかったなぁ」
火事だシェアハウスだ何だかんだ、で九条はご飯を食べるのすら言われるまですっかり忘れていた。
時刻は八時を過ぎておりいつもならもうとっくに食べてる時間である。
「私、これが食べてみたかったんです!」
姫乃は何だか嬉しそうにしながら後ろに持っていた物を九条に見せる。
どうやらそれはカップ麺のようだ。
もじもじしていた原因はカップ麺を隠していたからみたいだ。
色恋沙汰に発展するのではないか、と一瞬考えた九条は自分の思考をバカバカしく思う。
「じゃあ下に行こっか」
「はいっ!」
下に行くことを提案して二人は一階にあるリビングへと向かった。
九条陸生はまだ知らない。
これから姫乃愛莉が世間離れしているということをこれから身をもって体感することを。