1.運命は突然に
拙い文章ですが読んでくれると嬉しいです。
穏やかな春の風が気持ちいい今日この頃。
いつもの通学路を気だるそうに歩く一人の男子高校生が居た。
確かに朝は怠いしズル休みが出来るもんならしてやりたい、そう思う男子高校生は以外に多いことだろう。
だが今日は二年に進級してから初めてのテストがあるのでいくら気怠くてもズル休みはできない。
九条 陸生はコツコツと積み上げることが苦手なタイプだ。
なのでテストは毎回一夜漬けで挑む、それが彼のスタイルである。
テレビやネットなんかでは「一夜漬けは良くない」、「自分の身にならない」なんて言われているが彼にとって赤点さえ回避出来れば何だっていい。
現に今まで一夜漬けでどうにかなっていた。
そう思いながら九条は学園の前に到着し、改めて校舎を眺める。
私立宮ヶ原学園、通称、宮学。
一年ほど前から九条が通っている学園の名前だ。
決して偏差値の高い学園とは言い難いが、偏差値の低い学園とも言い難い。
普通よりもちょい上くらいの学園で、平均的な頭脳を持つ九条が入学出来たのは一夜漬けのお陰だろう。
その学園は明治の頃からあるものらしく外観は西洋を意識してなのか土気色のレンガ造りの大きな校舎が生徒達を嫌な顔せず今日も迎え入れる。
「この音は……」
九条も校舎に入ろうとした瞬間、後ろから独特なエンジン音が耳に入る。
振り返るまでもなく彼らすぐに理解した。
いつもなら彼が登校する前に来ているはずなのだが今日は予鈴ギリギリのようだ。
改めて確認するべく彼が振り返ると黒く細長い車、すなわちリムジンの一番後ろから顔を出す人影が見えた。
もちろん自分の手でドアなんて開けることはしない。
白髪の年老いた執事が笑顔を絶やさずドアを開けていたのだ。
ふわりと雲を踏むような軽やかな動作をし、彼女がリムジンから降り立つ。
そんな彼女をラグビー選手と見紛うほどの綺麗なスクラブを組み、囲うようにして同じクラスの女子が彼女に話し掛けようとする男子たちを拒んでいた。
噂によると彼女のファンクラブらしい。
人混みの隙間から彼女の姿が見える。
九条が居る場所からでもいい匂いがしてきそうなツヤツヤの長い黒髪、後頭部には赤く大きなリボンを身につけ、優雅な立ち振る舞いを見せるのは宮学のプリンセスとも嘯かれている、姫乃 愛莉だ。
九条と同じ二年生ではあるものの同じクラスになったことはないので話したこともない。
姫乃と陰キャな九条では住む世界があまりにも違い過ぎる。
「っと、いけないな」
思考を今日のテスト以外に向け過ぎると一夜漬けした内容を忘れてしまいそうだったので、九条はそそくさとその場から逃げるようにして自分の教室へと向かった。
──
進級してから初めてのテスト初日が終わる。
学園中に様々な声音が木霊する。
テストが上手くいった者、上手くいかなかった者、現実逃避で自分の趣味に走るもの。
かく言う九条は心の中で嬉しい悲鳴を上げる。
一夜漬けの効果は絶大。
自己採点だがこれなら赤点は大いに回避出来たことだろう。
だがまだ気が抜けない、明日も明後日もテストが残されているからだ。
「九条! 居るか!?」
焦った表情をした担任の山田先生が教室に入るなり、いきなり九条の名前を呼んだ。
初老のおっさんが焦っている姿を見るのはなんとも言えない気持ちになることだろう。
テストで良い点数採りすぎて怪しまれたのだろうか。
恐るべき一夜漬け!
などと九条はお気楽に考え、心の中でガッツポーズをする始末。
「どうかしましたか?」
九条は内心そわそわしていたが当たり障りのない自然な雰囲気で尋ねた。
「あぁ、居たか。お前の家が火事になったみたいでな、急いで家まで帰るようご両親から連絡があったんだ。ご両親も今家に向かっているそうだ」
「えっ?」
九条の思考が完全に一度途切れ、再び巡る。
どうして俺の家が火事に? 何かの間違いか? 火の元になりそうなものは特に無いはずだ。老朽化か? いやいや、まだ築五年の一軒家だぞ、老朽化なんてある訳がない。
ここで考えていても仕方ないと思った九条は詳しい話を聞かずに荷物をまとめると急いで自宅まで戻る。
事実だと受け入れたくない一方で、現実は酷く残酷で家にたどり着く前に目にした何台もの消防車、九条とは反対方向に走っていく人々の姿、いやでも鼻に入る焼け焦げた匂い。
自宅の周りには消防隊員の人が中に入らないよう囲い、更には近隣の住民が家が燃える様を立ちすくんで見つめていた。
──そう、九条の家は燃えたのだ。
燃えてからかなりの時間が経っていたのか、それとも燃え盛る炎の火力は強すぎたのか、家であったという原型はもうほとんど残されていない。
幸いなのは学園に行っていた九条と仕事に出ていた両親は無事であったことと、隣の家に燃え広がらなかったくらいだろうか。
それでもやっぱり焼け焦げた匂いはなくなることはない。
こうして九条は一瞬にしてホームレスへと変貌してしまった。
彼の後に続いて両親も帰ってきて今日は父親の実家、つまりはおばあちゃん家に泊まろうという話が出た。
こういう時、身近に身内がいるのは大きい。
とりあえず九条は現状を報告するため一度学園へと戻ることにした。
着いてから思う。別に電話でも良かったな、と。
職員室に入り、一通り事の顛末を説明し、廊下を彷徨う。
「はぁ……お先真っ暗ならぬ、お家真っ黒なんだよな」
下校時間もとっくに過ぎており辺りも真っ暗、殆どの生徒が居なくなった廊下で九条はぽつりと自虐ネタを呟く。
先程事情を説明していた職員室では先生達に憐れむような目を向けられた。
数分前のあの光景が痛いほど脳裏に焼き付いて離れようとはしてくれない。
家が火事になってしまったんだ仕方ない、そう思ってはいるのだが先生達の目線が痛くて痛くて消えてしまいたくなってしまった。
「これからどうしたらいいものか……」
これから九条はおばあちゃんの家に暫くは厄介になるだろうが、平屋で部屋も少なく、男子高校生の彼としては色々困ることもある。
これを機にバイトでも始めて灰になってしまった漫画やゲーム機を買うぞ! と九条は前向きに考える。
「そうと決まったらまずは求人を見ないとな!」
「あの、よろしいでしょうか?」
彼が気合いを入れガッツポーズをしていると後ろから声を掛けられる。
鈴の音のような心地よい響き、甘く花のような香り。
振り返り確認した。
どうやら制服を着ており先生ではないことは見た目を見ればわかる。
それでは誰かと思い、顔を見るなり九条は息をするのを忘れてしまいそうになった。
「九条、陸生くん。ですよね? あっ、紹介が遅れました。私は同じ二年の姫乃愛莉と申します。この度は……その、なんと言ったらいいのか……」
「あはは、大変ですけど大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
思いもよらない姫乃の励ましの言葉を前にしても九条は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
初対面で陰キャの彼に話しかけてくるような人ではないから彼は少なからず緊張もあり言葉も詰まることだろう。
「それで、ですね。も、もし、九条くんが良ければ私とシェアハウちゅをしていただけませんか!」
姫乃は盛大に噛み、頬を赤く染めた。
この至近距離で宮学のプリンセスとも呼ばれる姫乃と話すことができ、頬を赤く染める彼女を見ることが出来たのだ。
九条はその表情を見るだけで今日生きていてよかったと心から思える。
それよりも今この人──。
姫乃の言葉を自身の頭の中で反芻させ正しい言葉に正す。
「俺の聞き間違いじゃなければ"シェアハウス"って言いました?」
「はい! お父様に『世間のことをもっと知るべきだ』と言われ、今日から一人暮らしをする予定だったんです。私としては世間のことをよく知ってると思ってはいるんですけど……」
姫乃はどこかバツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
彼女は一人暮らしすることが不安なのだ。
ネットやスマホが当たり前になった現代において今どき世間離れしているお嬢様なんて存在しないのだろうな、と九条は考える。
だがリムジンで登校してるのは世間離れしていないのか? と言われたらそうかもしれないが、それ以外で姫乃が世間離れしているという噂はこの一年間、学園に通ってきて一度も聞いたことはない。
九条が思考していると姫乃は続けて話し始める。
「一人だと心細くて……こんな私でよければ一緒に住んでいただけないでしょうか?」
上目遣いで瞳を少しうるうるとさせた小動物のような姫乃は九条に懇願する。
彼女にとってこの機を逃してしまえば金輪際誰かと一緒に暮らすことなんてない、と思い必死なのだ。
だが九条は困惑する。
クラスも違ううえに話したこともなければただ同じ学園の同い年というだけの存在、まして宮学のプリンセスと呼ばれるお嬢様と陰キャな自分がシェアハウスなんてしていいわけがない。
「お誘いは嬉しいのですが──」
九条は丁重に断りを入れようとした瞬間、姫乃の背後から何かがキラリと光り、そのあまりの眩しさに彼の視界は一瞬奪われた。
視界を奪った正体を確認すると、彼女の数メートル後ろには今朝見た白髪の年老いた執事がナイフを右手に握りしめ、隠れるようにして待機していたようだ。
執事はニコリと口角を上げて微笑んでいるというのに全然笑ってない顔を九条に見せた挙句、今度は睨みながら声には出さず彼にだけ伝わるよう口だけを動かし始めた。
"こ・と・わ・っ・た・ら・こ・ろ・す"
口を動かし終わると執事は右手に握っていたナイフを九条の頬すれすれに飛ばした。
通り抜けるナイフの風圧を感じ、ゾワリと背中に悪寒と同時に額に冷や汗が走る。
普通、逆じゃないのか!?
てかそんなもの投げるな!!!
などと大声で叫び散らかし逃げてしまいたい九条だったが、叫ぶどころか睨むことすらできず、小さな抵抗として怒りと恐怖で執事を見つめることしか出来ない。
再度、執事は口を動かすが何度見ても結果は同じ。
終いには内ポケットに仕舞っていたスマホを取り出し、その画面にも執事が口にしたことと全く同じことが書かれていた。
拒否権はない、九条は不憫にもそう思うことしかできなかった。
「え、えーと。ふ、不束者ですがよろしくお願いします!」
九条は頭を下げ右手を姫乃の前に出したと同時に彼女の背後からコツンと言う靴音が微かに聞こえ、頭を下げながら執事の居た方向の足元を見ると姿はいなくなっていた。
「わぁ〜、はい! こちらこそよろしくお願いします! 早速案内しますので爺やの元に向かいましょう!」
向日葵のような満面の笑みを浮かべ、姫乃は九条の手を自身の両手で握り嬉しそうにだ。
そうして気が付けば九条はあれよあれよと連行されていた。