09 水の日の治癒会
――水の日。
朝陽が神殿に満ちていく中、レティシアは礼拝堂へと足を運ぶ。
そしてそこに先客がいたことに驚いた。
更にそれが王太子アルドリックであると気づいたとき、思わず声を漏らしそうになった。
レティシアは立ち止まり、熱心に祈りを捧げる背中を見つめる。
アルドリックがわざわざここまで礼拝に来るなんて珍しい。城内にも小さな礼拝堂があるのに。
しかし、彼が信仰に厚いということは、レティシアにとっても喜ばしいことだ。
アルドリックが祈りを終え、身を起こした瞬間、レティシアは微笑みながら声をかけた。
「熱心ですね」
彼はゆっくりと振り返り、レティシアに向かって微笑んだ。
「レティシア」
アルドリックの声は朝陽のように穏やかで、その笑顔は太陽のように眩しい。
「どうなされたのですか? わざわざこちらまで来られるなんて」
「ここなら君に会えるだろうかと思って」
予想外の言葉に、レティシアは目を丸くする。
「話したいことがあるんだ。少しいいだろうか」
「は、はい」
レティシアは少し身構え、礼拝堂の裏にある庭にアルドリックを案内する。壁に囲まれた場所なので人通りが少なく、誰かに見られる心配も少ない。二人きりで話すのにぴったりの場所だ。
「体調はどうだ? 遠征の疲れが残っていたりとかはしないか?」
「はい、とても元気です。食欲もありますし」
――ただ、最近の眠りは浅い。
理由はわかっていた。今日が水の日だからだ。
本当に病人たちが神殿まで来てくれるだろうかと、そわそわして、特に昨晩は眠れなかった。
「睡眠はちゃんと取れているのか?」
レティシアの顔を見ながら言う。
隈でもできているのだろうか。
「あっ――ええと、今日はあまり。ですので、昼に休憩の時間を取るようにします」
「ああ、そうして欲しい。自分の身体を一番労わってくれ」
その声色があまりにも優しくて、レティシアは感動するよりも驚いた。
そして、不思議になる。
一体何の話をしに来たのだろうかと。
「……ところで、ロイド・カーターのことなんだが」
アルドリックが切り出した話題は、レティシアにとっては予想外だった。
「ロイドがどうされましたか?」
「騎士ゼクス・マクレインが責任をもって指導に当たっている。本人もとてもやる気で、まるで人が変わったかのように努力しているそうだ」
レティシアは心から安堵した。
「それはよかったです。マクレイン様にお礼と、ロイドに怪我だけしないように伝えますね」
「ああ。二人も喜ぶと思う。それと……実は、城で前回の遠征の戦勝記念パーティが開かれることになった」
「まあ」
「君にも出席してもらいたい。最大の功労者が君だから」
「……まあ……」
それはつまり、婚約者である第二王子エリウッドにエスコートしてもらうことになるわけで。
「申し訳ありません。私、パーティに着るドレスがないので、参加できません」
断る口実ではなく真実だ。
こういうときは婚約者が用意してくれるものらしいが、期待できない。
実家に頼るのも無理だ。自分自身で用意も難しい。レティシアには自由になる資産がない。
(その辺のちょっとしたパーティならともかく、王家主催のパーティよ!?)
みっともない格好なんてできない。
「君の準備は俺がさせてもらおう」
「そ、それは……その、よろしいのですか?」
レティシアの婚約者はあくまでエリウッドだ。彼を差し置いて兄である王太子が用意するのは、いいのだろうか?
「君には命を救われたんだ。その礼も兼ねて、俺に任せてほしい」
どうしてそんなに熱心なのか、レティシアにはわからない。
しきたりとか、面子とか、社交界的な色々があるのだろうが。
だとしたら、あまり無下にはできない。
「……わかりました。お願いいたします」
頼るべきところは素直に頼ろう。
レティシアが答えると、アルドリックはほっとしたような、嬉しそうな顔をした。
どうしてそんなに嬉しそうなのか――……
そのとき、礼拝堂の方から聖女を呼ぶ声がした。
あまりの慌てぶりが気になって礼拝堂に戻ると、顔を真っ青にした神官が、レティシアを見て息を切らせながら言う。
「聖女様、大変です。神殿前に民衆たちが――」
震える声を聞き、レティシアは急いで正門へ向かった。
外に出たレティシアは、息を呑む。
神殿前にはたくさんの人々が群がっていた。その表情は疑惑と希望に満ちていて、聖女の登場を待ちわびていた。
そしてそのほとんどが、病人だった。
(こんなにたくさんの人が来てくれるなんて――……)
――ロイドはレティシアの願いをちゃんと聞いてくれたのだ。
レティシアは込み上げるものを感じながら、光の下で、神に祈りを捧げた。
(神よ、苦しむ人々をお救いください――)
――そして、『聖なる光』がレティシアから放たれる。
光は神殿前に集まった人々を一人ひとり包み込んでいく。
それはまるで命そのもののように、祝福のように、人々を蝕む病魔を払い除いていく。
病魔が消えていき、人々の顔から苦しみが消え、病人だった人々と、その周囲にいた人々の顔に希望が宿っていく。
神殿前にいたすべての人々が、レティシアの『聖なる光』によって癒されていく。
レティシアへの感謝と、神への祈りの声で満ちていく。
【カルマ変動】
・善行値:2900獲得(弱者の救済50×58)
・累計悪行値:9070→6170
(これ、すっごい楽!!)
レティシアは感動で涙を流した。
聖なる光を一回使うだけで、この善行値。すごすぎる。効率が良すぎる。
この調子だと、あと三回治癒会をすれば累計悪行値が消え、善人まっしぐらである。
そして、聖女としての力で苦しむ多くの人々を救えたことも嬉しかった。
(神よ、ありがとうございます)
神に感謝の言葉を述べ、レティシアは静かに目を閉じる。
「噂は、本当だったのか……」
レティシアのすぐ後ろで、アルドリックが小さな声で呟く。
――彼はきっと、どこかで水の日の治癒の噂を聞いて、真偽を確かめるためにレティシアの様子を見に来たのだろう。
(――ああ。こちらが本題だったのね)
治癒を終え、神殿の内部へと戻ると、神官たちの緊張に満ちた声がレティシアを迎えた。
多くの高位神官たちが、怒りと戸惑いを交えた表情でレティシアを見つめていた。
「聖女様、これはどういうことですか!」
高位神官の一人、丸々と太った神官が、レティシアに向かって大声で問い詰めてくる。
「何をそんなに慌てていらっしゃるのですか?」
「聖なる光を勝手に使われては困ります!」
レティシアは首を傾げる。
「どなたが困るのでしょうか? 大丈夫です。貴族の方はこれまでどおり個別で治しますので、特別感は保たれます」
神官は何かを言おうと口を開いたが、その瞬間、アルドリックの存在に気づいて言葉を飲み込んだ。王太子には直接言えない何かを言おうとしたのだろう。
「そうだ。これからは、10日に一度の水の日は、このように治癒会を行うことにしましょう。民はますます神殿に敬意を払い、神殿の権威も高まるでしょう。病によって倒れる人々が少なくなれば、神殿の威光もますます高まります。何か問題ありますでしょうか?」
神官たちは困惑した表情を浮かべたが、王太子が目の前にいることもあってか、誰も反論はしなかった。
「……いえ、大変結構な心掛けかと。民衆も喜ぶでしょう」
「それはよかったです。私は少し疲れましたので、部屋で休ませてもらいますね。王太子殿下も、お気をつけてお戻りください」
レティシアはそう言って、その場を後にした。