08 レティシアの決意
ロイドが案内してくれたのは、スラム街の小さな家だった。
どよんとした重苦しい空気が、その家からどころか区画全体に広がっている。
「おばさん、ロイドです」
家には鍵もかかっていなかった。
そこにロイドが慣れた様子で入っていく。少し奥に行ったところには粗末なベッドがあって、そこでは老いた女性が寝ていた。
顔色は悪く、疲れ切っている。家の中からは、病魔の臭いがした。
ロイドはカバンの中から薬袋を取り出しながら、女性に声をかける。
「おばさん、これ、いつもの薬……それから、こちらの人は――レティさんって言って……」
「あらあら……ロイドくんが彼女を連れてくるなんて……ごめんなさいね、こんな格好で」
よほど具合が悪いのか、起き上がれないらしい。レティシアとロイドに対してとても申し訳なさそうな――だがどこか嬉しそうな顔をしていた。
「そ、そんな――僕なんかが、とんでもないです」
慌てるロイドの隣で、レティシアは穏やかに微笑んだ。
「彼とはいいお友達なんです。あの、それで……とても不躾なお願いなのですが、身体の調子を見せていただいてよろしいでしょうか?」
「あらあら……こんなきれいなお嬢さんに、恥ずかしいわねぇ……」
「すぐ終わりますので」
レティシアは女性のベッドの前に立ち、指先に『聖なる光』を灯した。
放たれる光が女性の身体に吸い込まれ、部屋の中にも満ち、穢れと病魔を打ち消していく。
女性は驚いたように目を丸くしてその光景を見つめ、そして短く息を呑んだ。
「あら……?」
不思議そうに自分の身体を見つめる。
その顔はすでに病人のものでも、老人のものでもなかった。四十歳くらいの女性のものだ。
「痛くない……? 苦しくないわ……」
「これで病魔は消え去ったと思います。あとは、ゆっくりと体力を回復してくださいね。筋肉も落ちていると思うので、ゆっくりと身体を鍛えてください」
「な、なんてお礼を言ったらいいのか……ああ、お代をお支払いしないと」
顔を赤くし、涙を零しながら、女性はうろたえたようにベッドのあちこちを探し回る。
「お代は結構です。あなたが元気になってくれることが、私の喜びですから」
「いえ、いえ、そんなわけには……」
「それでは、元気になったら街を少しだけ掃除してくださいますか? 無理しない程度で、少しだけでいいです。ゴミをひとつ拾ってくださるとか、それくらいで」
【カルマ変動】
・善行値:50獲得(弱者の救済)
・累計悪行値:9120→9070
(よし! やっぱり狙いは間違っていなかったわ!)
無事に善行値を獲得できて、レティシアは心の中で大喜びした。
病魔に苦しんでいる人を、『聖なる光』で救う。当人だけではなく、周りの人々も喜ぶ。レティシアも嬉しい。
これは間違いなく善行だ。
「それでは、今日はこのあたりで失礼します。くれぐれもお大事に」
「おばさん、お大事に――また来るから!」
家の外に出ると、ロイドが深々とレティシアに頭を下げる。
「聖女様……本当にありがとうございます」
「レティで。いいんですよ、私がしたいことをしたまでですから。案内してくださってありがとうございます」
レティシアも深々と頭を下げる。ロイドが顔を上げるまで。
顔を上げたときに見えた彼の表情は、複雑そうだった。
「あの人は……アマンダさんは、僕の友人の母です」
「そうだったんですね。御友人にもいつか挨拶をさせてください――」
「友人は死にました。貧しさのせいで」
レティシアは言葉を失った。
ロイドは、少し視線を逸らしながらも、言葉を続ける。
「僕よりずっと、強くて、勇気があって……すごいやつだったのに……僕はこの国の現状を、心のどこかで恨んでいたのかもしれません……」
その心に付け込む形で、魔物が彼の内部に巣食ってしまったのかもしれない。
「…………」
ロイドは悔しそうに涙を湛えながら、ぐっと身体に力を入れて両手の拳を握りしめる。
「でも、この国にはこんなにも心優しい聖女様がいらっしゃって、アルドリック様がいてくださっている……僕は本当に、なんて愚かなことをしようとしてしまったんでしょう……」
涙が頬を伝い、ぽつぽつと雨のように落ちていく。
その涙を見て、レティシアは決意を固めた。
「――そうですね。それではロイド、あなたに使命を与えます。病気の人がいたら、水の日に神殿前に訪れるように広めてください」
レティシアが言うと、ロイドは涙まみれの目を見開いてレティシアを見た。
「私、もっともっと多くの人を助けたいんです」
心からの願いを語り、そして微笑む。
レティシアはいま、自分の力で、多くの人々を助けたいと本気で思っていた。
ロイドの友人のような人を、友人の母親のような人を、そしてロイドのような人を、一人でも減らせたらと。
――善行値のためだけではなく。心から。
それには、この『聖なる光』が必ず役に立つ。
聖女としての力が。
「あとは、そうですね。私を神殿まで送ってくださいますか?」
ロイドは、レティシアの提案にほっとしたように頷いた。
そしてレティシアはロイドに送られて神殿に帰ると、再び聖女としての聖なる装束に身を包んで門番のところに向かう。
「いつもご苦労様です。ところで、次の水の日に私を訪ねてくる人がいたら、追い返さずに私を呼んでくださいね」
にっこりと笑い、レティシアは自分の部屋へ戻った。