07 聖女の治癒
(やっと休める~~!)
レティシアは深いため息をつきながら、王城の中庭のベンチに座った。
中庭には美しい緑が溢れ、清らかな静寂が満ちている。
中央には大きな噴水があり、水がキラキラと輝いている。
ほんの僅かな風が吹き抜けると、庭師によって植えられた花たちが微かに揺れる。
まるで楽園だ。
(さて、これからどうなることやら)
楽園の中で、これからのことに思いを馳せる。
従騎士ロイドの中に巣食っていた魔物にケンカを売ったのだ。
また何か仕掛けてくるかもしれない。今度は直接レティシアを狙って。
(その方が都合がいいから、来てほしい)
――そもそも、どうしてロイドの中に魔物がいたのか。
おそらく――騎士マクレインが言ったように、彼の心に魔物が入り込む隙があった。
(でも、心に隙が無い人間なんて、本当にいるのかしら)
レティシアには信じられない。
人間の二面性――二面どころか多面性を、処刑されるときに見てきた。
そして魔物の本当の狙いは、王太子アルドリックの殺害だろう。戦場でアルドリックの近くに行く可能性が高いロイドが狙われただけだろう。
王太子であり、聖剣ダイアデムの持ち主であるアルドリックが死ねば、国は大混乱に陥る。実際、前回はそうなっている。国は乱れに乱れ、レティシアは処刑されて魔人化し、国を滅ぼした。
(もうあんなことにはならないけれどね)
心の中で固く誓う。
魔人化したときの苦痛は、忘れようもない。いままで経験したどんな痛みよりも深く、強烈だった。
その時感じた、解放感も。
アルドリックにはできるだけ長生きしてほしい。
少なくともレティシアが聖女を引退するまでは。
王城は戦場よりは安全だから、しばらくは大丈夫だろう。次のゲートが現れるまでは。
ゲートの出現は、そう頻繁なものではない。
(次に出陣するときも、ご一緒できればいいのですが)
ふう、と息を吐いて空を見上げる。平和な青い空に、天馬が飛んでいた。
できればずっと、この平和が続いてほしい。
(さて、次にする善行を考えないと。小さなことからコツコツとでも)
ぼんやりと思索に更ける。
「聖女様」
後ろから声をかけられ、振り返る。そこにいたのは、丸々と太った神官――マルク大神官だった。玉座の間にもいた高位神官で、表情は真剣そのものだ。
レティシアは立ち上がり、大神官へ身体の正面を向けた。
「いかがなさいました?」
「三日後に治癒の聖務があります。どうぞ、くれぐれも、よろしくお願いします」
「――はい、わかりました」
「最近は治癒を望む声も多いですから、くれぐれも滞りなく」
何度も念を押してくる。その形相はすさまじい。
絶対に面倒ごとを起こしてくれるなよ、という迫力がある。
(逃亡したことを、相当怒っているみたいね)
大神官としては面目丸つぶれであったろうし、大騒ぎになっただろうし、迷惑をかけたのは間違いない。
レティシアは素直に頷き、マルク大神官の背中を見送った。
(――そう。治癒。治癒の聖務があったわ)
『聖なる光』は魔物を払うほかに、人の身体を蝕む病魔も消すことができる。
怪我は治せないが、病気ならほぼ治せる、ということだ。
神殿はこの能力を大変有効活用しており、貴族から多額の寄付を受けて、聖女に貴族の病気を治させている。
大切な収入源であり、貴族に恩を売れるというわけだ。
そしてレティシアも、この能力を有効活用するつもりである。
(せっかくの能力。使わない手はないわよね)
神殿に戻り、大人しく過ごしつつ、機を待つ。
不在だった間の仕事をこなし、自由時間を得たレティシアは、部屋で聖女のドレスから一般的な市民の衣装へ着替えた。
(よし、どう見ても一般人ね)
変装を終えると、レティシアは誰かに見つからないように静かに部屋を出る。そして一般信者を装って、正門から堂々と外へ出た。門番に呼び止められることもなく。
神殿から貴族区に出たレティシアは、ひとりで街中を歩く。
誰も聖女が一人で歩いてることに気づかない。
(病人、病人、病人はいませんかー)
病人を探して彷徨うが、どうにも見つからない。
――当然だ。この区域に住む人々は、神殿に寄付をして聖女に病気を治してもらえるのだ。
レティシアは貴族区から離れ、貧しい人々の住まう地域へと足を運んだ。
「聖女様?」
その区画に足を踏み入れようとした突然、後ろから声を掛けられる。
(バレた?)
ゆっくりと振り返る。そこにいたのは、従騎士ロイドだった。いまは鎧姿ではなく、普通の庶民の服装だ。
「まあ、ロイド。元気でしたか? いじめられていたりしませんか?」
「そ、それは大丈夫です。マクレイン様は厳しい方ですので……」
「よかった。不当な目に遭ったら、私に教えてくださいね。コテンパンにしますから」
レティシアはにっこりと笑った。もちろん本気である。
「い、いえ、聖女様にそんなことはさせられ――」
「それから、ここでは聖女とは呼ばないでください」
ロイドは困惑の表情を浮かべる。
「名前呼びもダメです。お忍びですから。そうですね……レティ、とでも呼んでください」
「……レティ――様……」
「レティさんで」
「レティさん……どうしてこんなところに? 危険ですから、すぐに離れた方がいいです。神殿まで送りますから」
心配してくれているのだとわかる。
だがレティシアはレベル99なのだ。
普通の暴漢ぐらいなら、きっとなんとかなるだろう。実際に戦ったことはないが。
「ありがとうございます。でもまだ、帰るわけにはいきません。実は私、病魔に苦しんでいる人を探しているのです」
「病魔に……?」
「はい。私の力、病気を治すことにも使えますから。怪我は無理なんですけれどね。あ、でも、怪我に伴う病気ならきっと大丈夫です。病魔を払えば、怪我の回復もぐんとよくなるはずです」
レティシアは両手を胸の前で組み、祈りのポーズを取る。
「私の力で、もっと人が救えるのではないかと思って。ロイド、心当たりはありませんか?」
「……それでは、会っていただきたい人がいます……」
「まあ、心当たりがあるのですね。是非紹介してください!」