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06 第二王子【side エリウッド】







 第二王子エリウッドは憤慨しながら自室に戻った。


 ――面白くない。まったく面白くない。

 せっかくレティシアを聖女の座から引きずり下ろすチャンスだったというのに。


 戦勝祈願の儀式を放棄しての逃亡。

 しかも国の宝たる天馬を利用しての脱走。


 しかし向かったその先が魔物との戦いの最前線で、兄アルドリックのもとで魔物を撃退し、ゲートも封印してくるなんて。


 エリウッドの狙いは完全に外れてしまった。

 いまやレティシアの名声は高まっており、父である国王も、兄である王太子も、あのレティシアを高く評価している。


 エリウッドは頭を抱え、深い憂いのため息をついた。


 ――なんて。なんて。なんて出過ぎた女だろう。


 戦場に赴いて、魔物と直接戦うなんて。

 なんて恐ろしく、野蛮な女だろう。


(あんな女……聖女に、僕に、相応しくない!!)


 聖女は慎ましく、おとなしく、ただ祈っていればいい。

 いるだけで貴い存在であればいい。

 なのにあの女は、身分が低い上に、あんな出過ぎた真似をする。


 あれが婚約者だなんて、心底おぞましい。

 あれと結婚しなければならないなんて、耐えられない。


 しかも、他の妻を娶ることも、愛人を持つことすら許されない。聖女と結婚する王族は、聖女だけを愛する必要がある。他の女を愛することは許されない。


 国王である父や、王太子である兄アルドリックは複数の妻を持つことも、愛人を囲うこともできるのに。


 王や王太子は跡継ぎを作る必要がある。聖女のみを愛して、その聖女が子を産めなければ、血筋が途絶える。

 だから王位を継ぐ者以外が、聖女を娶る必要がある。


 第二王子なんて聖女に対する人身御供でしかない。

 あんな、ただの伯爵家の血を引き、聖女の素質があっただけの、教養の欠片もなく野蛮な女と結婚だなんて。


 エリウッドは、部屋の壺を叩き落とす。壺は床に散らばり、小さな陶片が深いカーペットに埋もれる。


「――冗談じゃない!」


 怒りに満ちた声が部屋中に響き渡り、力任せに蹴飛ばされた家具や宝飾品が、部屋中を無秩序に散乱する。

 しかしどうやっても怒りが収まることがない。


(そもそも、兄上も兄上だ。あんな女を庇うなんて――)


 ――そのとき、部屋の扉が開き、美しい黒髪の女性が入ってくる。


「――殿下」


 声は穏やかに響き、エリウッドの怒りを鎮めていく。


「ああ、愛しいラフィーナ」


 エリウッドは愛情を込めて名前を呼び、ラフィーナを強く抱きしめた。


 ラフィーナはヴェレンダム侯爵家の令嬢だ。

 名門の家に生まれ、誰よりも美しく慎ましやかで、誰よりも幸薄い彼女を、深く愛していた。一途に愛情を注いでいた。

 他の誰にも触れさせたくない、彼女を自分が守りたい、幸せにしたいと。


 エリウッドが幸福にしたい相手は、野蛮な聖女レティシアではない。誰よりも清らかで、か弱いラフィーナだ。


 父からは別れるように言われているが、エリウッドは拒絶していた。

 自分がラフィーナを幸せにするのだと、何度も自分自身に誓っていた。


 愛しい恋人を抱きしめるエリウッドの心に、暗い感情が生まれる。


(兄上さえいなくなれば……)


 兄がいなくなれば、エリウッド自身が王になり、そしてラフィーナを正式な王妃として迎えることができる。ラフィーナにこの世で一番の幸せを与えることができる。


 だが、そんなことは無理だ。

 兄ほど王に相応しい人間はいない。


 聖剣に認められ、公正で、誰よりも強い兄は、国の貴族や騎士団からも信頼され、民衆にも愛されている。エリウッドは兄アルドリックに反発しながらも、敬愛している。


 現実的な方法は、レティシアを聖女の座から引きずり下ろし、恋人であるラフィーナを新たな聖女にすることだろう。


 エリウッドは聖女の力にも、神託にも、疑問を持っていた。

 聖女の力なんて、ただ祈っている格好をするだけ。天馬の世話ができるだけだ。

『聖なる光』で魔物を退けたという話も信じがたい。


 国を守るのは武力だけだ。

 だから神殿の人間も嫌いだった。

 神の名を出して利権を貪り食う豚共。


「エリウッド様……」


 ラフィーナの深い瞳が、エリウッドを見つめる。


「エリウッド様が王になられるべきですわ」


 心の声を読んだような優しい声。

 信頼と愛情が溢れた微笑み。


 ラフィーナの言葉は、エリウッドの心に突き刺さった。


 ラフィーナは、エリウッドの悩みや葛藤を完全に理解してくれている。そして、エリウッドを心から信じてくれている。


「だが……聖剣に選ばれたのは兄上だ」


 この国の王位継承者を選ぶのは、聖剣ダイアデムだ。

 聖剣は選定の剣。聖剣に触れられなければ、王になる資格がない。それはこの国の古き法と伝統だ。


 そんな兄を差し置いて、自分が王位に就こうとするなど――


 だが――


 だが、兄はおかしいのではないか?


 あの、野蛮な聖女を庇うだなんて。それに、あの、レティシアを見つめる目。聖女への敬愛以上のものが混ざっていなかったか?


 ――そのような兄が、本当に王に相応しいのか?


 一度浮かんだ暗い感情は、闇は、瞬く間に育っていく。

 そしてエリウッドを呑み込んでいく。


「邪魔者を消してしまえば、王に相応しいのはあなただけですわ」


 ラフィーナは深い瞳でエリウッドを見つめ、微笑んだ。


 エリウッドは息を呑んだ。

 もし失敗すれば、どうなるか。王太子暗殺など、王族といえ極刑だ。

 しかし、成功すれば、エリウッドの願いがすべて叶う。


「もしも失敗したら、共に死にましょう。あなたと共に死ねるのでしたら、本望ですわ」

「ラフィーナ……!」


 エリウッドの声と抱擁は、ラフィーナへの深い愛情と、決意に満ちていた。


 彼女のためならば。

 どんな罪も犯してみせる。






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