04 ゲート封印
深緑に包まれた薄暗い森の中を、レティシアは騎士団と共に進む。森の奥に潜むゲートに向けて。
――ゲートとは、地の底から突如として開く、底のない穴だ。
そこから闇と共に魔物が這い出してくる。それを封じるのが、騎士団の今回の出陣目的だ。
レティシアは自らゲートへの同行を申し出た。
ゲートの姿をこの目で見るために。そして聖なる力で騎士団を守るという口実で。
――もちろん、あわよくば善行を積むつもりだ。
アルドリックの隣に並んで、差し込む日光と落ち葉を踏みながら森を進む。
森は木が茂っているので、騎乗しての移動は難しいので徒歩だ。
王太子と聖女が揃っているためか、警備は厳重そのものだった。騎士たちが、レティシアを守るように取り囲んでいる。
(私のことはできれば放っておいてもらいたいのですが)
聖女レベル99である。
ちょっとやそっとの魔物や魔人では、レティシアに傷一つ付けられないだろう。
既に、神々しすぎるオーラによって魔物が近づく端から消滅していっている気がする。
(なんて楽なのかしら)
聖女の力がここまで魔物に効果的だなんて。
ゲートの封印が終わったら、国から逃亡して各地を旅して魔物退治をするのもいいかもしれない。
(……そういえば、『聖なる光』で魔物を消滅させたときも、カルマに変動はなかったわ)
そして魔物を消滅させているいまも、カルマに変動はない。
――単純に魔物を倒しても、善行にならないのかもしれない。
(いや、でも、魔物被害に困っている人とか村を助ければ、善行扱いになるはず)
だって人々を喜ばせることができる。平穏を守ることができる。未来を守れる。
――だが、魔物を消滅させて騎士団を救ったのにカルマの変動はなかった。
(魔物退治で善行を積むのは、期待しないでおきましょう……)
考え込んでいると、アルドリックがレティシアを見ていることに気づく。
一瞬、心臓がどきりと跳ねた。
「レティシア、大丈夫か?」
気遣う声は優しい。
「はい、平気です」
レティシアは堂々とした表情でアルドリックを見上げる。
(皆様のことは私が守りますので、ご安心ください)
決意は口にしないまま、歩き続ける。
さすがレベル99ともなれば体力と持久力は以前よりもずっと高い。歩くだけなら相当な距離もいけるだろう。
「ところで、ゲートはどうすれば封印できるのですか?」
抱いていた疑問を口にする。
「ゲートの中心には強大な魔物――ゲートキーパーが存在する。それを倒せば、再び魔物が出てくることはない。ゲートは消え去り、闇の力も消滅する」
「単純明快でいいですね」
明るく笑うと、アルドリックは驚いたような顔をする。
「怖くはないのか?」
「はい、皆さまが守ってくださっていますから、何も怖くありません」
レティシアが言った瞬間、周囲の騎士たちの士気が上がった気がしたが――気のせいだろう。
そうしている間に、闇の力が濃くなってくる。
「そろそろゲートが近い。気を引き締めてくれ」
森の奥深くから、強い闇の力が漂ってくる。
覚えのある感覚――そして香りだった。
――かつてレティシアは、この力に呑まれて魔人と化した。
魂まで焼き尽くされるような痛みと、禁断の解放感を覚えながら、魔人化したときの感覚は、いまも鮮明に覚えている。
ゲートに近づくにつれて、闇の力は更に強まっていく。
闇は、深淵から囁くように、レティシアを呼んでいた。
(早く消滅させてしまいましょう)
徹底的に。
――そのとき、前方からデロデロとした赤い塊が現れる。血のように赤く、不定形なもの――スライムが。
それが森の木々に触れると、黒い煙を上げて緑が瞬く間に枯れ落ちていく。
騎士たちが、レティシアを守るように素早く動く。
中心にはアルドリックが立ち、聖剣を鞘から抜いた。
騎士たちはスライムの攻撃を巧みに防ぎながら、剣で本体を切り裂いていく。切り口からは闇の力が漏れ出していく。
レティシアは出しゃばらずにおとなしくしていた。
あくまで主役は騎士団、そしてアルドリック。
手柄を取るわけにはいかない。聖女の役割は彼らをサポートすることだ。
切り取られる闇の力を、片っ端から浄化していく。あくまで控えめに。
スライムモンスターはだんだんと削られていき、小さくなっていく。そして中央に大きな黒い塊が見えるようになってきた。
アルドリックの聖剣ダイアデムが、そのコアを捉えた。
聖剣が中心のコアに触れた瞬間、スライムの身体が瓦解する。デロデロだったものがドロドロに崩れ落ちて、地面に広がっていく。
レティシアはすかさずそれを聖なる光で消し去った。
――完全に、モンスターは消え去った。
「ゲートの魔物を倒した! 俺たちの勝利だ!」
アルドリックの声が響き渡り、騎士たちが歓声を上げた。
魔物が倒されたことで、ゲートが消滅して闇の力が鎮静化していく。
「よかった……」
森に本来の静寂が戻ってくる。
「これで王都に君を帰せる」
戻ってきたアルドリックはレティシアに微笑んだ。
戦闘の緊張がほどけたのか、その表情はどこか子どものようだった。
他の騎士たちも、戦いが終わったことで安堵が浮かんでいた。
(本当によかった……)
【カルマ変動】
・善行値:100獲得(ゲート封印補助)
・累計悪行値:9220→9120
「レティシア、改めて礼を言わせてほしい」
「どうなさいました?」
「……これまでのゲート封印任務では、病魔で体調を崩すものが多かった。だが、今回は皆無だ」
アルドリックの瞳が、まっすぐにレティシアに向けられる。
「君の聖なる力のおかげだろう」
「私の――……」
その言葉は、胸に深く響いた。
(……そうよ。聖なる光は、魔物だけではなく病魔を払うこともできる。この力、善行に使えないかしら……)
いままでは神官たちに言われるままに、病気の貴族を治してきた。
貴族だけでなく、庶民も治せば、善行がぐんぐん積まれるのではないだろうか?
(これは、期待できそうね。王都に戻ったら試してみましょう)
神官たちは反対するかもしれないが。
貴族しか治してこなかったのは、きっと寄付金の関係や、貴族との関係を強化したいからだろう。利権だ。
だが、聖女の力は貴族たちのためにあるのではない。
(私が善行を積むためにあるのだから!)
レティシアはアルドリックを見上げる。
「ありがとうございます、殿下。またひとつ、自分のやるべきことが見えてきました」
そして、レティシアにとって、問題はここからだった。
ここから王都まで帰らないとならない。レティシアをここまで運んでくれた天馬シアはとっくに帰還しているので、歩くしかない。五日間の道程を。
◆◆◆
――五日後。
王都へと戻ると、城門から広がる民衆の歓声がレティシアたちを出迎えた。
アルドリックの白馬が城門をくぐると、王都の民衆から歓声が沸き上がる。
白い旗が大空に揚げられ、花弁が空に舞い散り、彩り鮮やかな祝福の風景が広がっていた。
レティシアはアルドリックの馬に同乗し、馬上から市民たちに微笑みながら手を振った。
(私は光の大聖女、私は光の大聖女――)
レティシアは自己暗示を繰り返しながら、聖女として堂々と振る舞う。
聖なる存在として、そして隣の王太子に恥ずかしくない存在として。
――こんなに大勢の民衆の前に出るのはいつぶりだろう。
――そうだ。処刑される寸前だ。
レティシアの視界に、真っ暗な景色が蘇る。
罵詈雑言を浴びせてくる、民衆の姿が、声が、蘇る。
「――レティシア」
アルドリックが小さな――よく響く声でレティシアを呼び、レティシアははっと呼吸を再開させた。
「大丈夫か?」
「はい、王太子殿下。少し人酔いしてしまって……でも、大丈夫です。私は聖女ですから」
偽物ではない。偽りの聖女ではない。
(私は、光の大聖女――今度こそ、その道を歩んでいくの)