20 婚約破棄
――そして数日後。ついに戦勝記念パーティの日が訪れる。
レティシアは王太子アルドリックから贈られた純白のドレスを着て、サファイアと真珠の高価な宝飾品を身に着けて、会場である王城の大広間にひとりで向かう。
(さて、エリウッド様が私をエスコートするなんてありえないので)
念のため周囲を見てみたが、それらしい人物も使者も現れないので、ひとりで会場に入る。
大広間に足を踏み入れると、楽しそうな笑い声が鳴りを潜め、ざわめきが広がった。
貴族たちの噂や視線の中心を、レティシアは聖女の面持ちを崩さずに進んでいく。
――エリウッドの方へ向けて。
第二王子エリウッドの隣にいたのは、侯爵令嬢で準聖女のルディナだった。
瞳の色と同じ緑のドレスを着たルディナは美しく、エリウッドの隣に凛と立っていた。
(あら。せっかくのエリウッド様の隣なのに、ルディナ様の顔色が優れないわね……)
エリウッドの視線がレティシアに向けられ、エリウッドとレティシアの間にいた貴族たちがざっと場所を空ける。
大広間に一本の道ができ、エリウッドの手のひらがまっすぐにレティシアに向けられた。
「レティシア・レブロンド――貴様との婚約を破棄する!!」
エリウッドの声が響き渡り、騒がしかった場が静まり返った。
(……長い間寝ていた割に、絶好調じゃないですか……)
歩みを止めたレティシアに向けて、エリウッドは尚も続ける。
「光の聖女と呼ばれているが、実際の貴様は聖務を放棄して豪遊三昧。しかも派手な男遊びをしているらしいな」
「していません」
一体どこからそんな話が出てきたのだろう。
聖務の放棄はともかく、派手な遊びの方はまったく心当たりがない。
「嘘をつくな! 貴様がそうやって聖務を放棄しているときに、国を守っていたのはこの準聖女――ルディナ・ヴェレンダムだ! 僕は彼女と真実の愛で結ばれた。貴様はもう不要だ!」
言って、隣にいるルディナの肩を引き寄せる。
ルディナは強張った顔で、視線を落とした。愛する人と真実の愛で結ばれたというのに表情は暗く、レティシアと目を合わせようとはしない。
そしてエリウッドはルディナの様子に気づいてもいないようだった。
「神殿側の証人もいるのだ!」
そう言われて出てきたのは、大神官マルクだった。
「ええ、ええ。聖女レティシアが聖務を放棄している間、準聖女ルディナ様は神に祈りを捧げ、病魔に侵された貴族の方々を治されていました。どちらが真の聖女に相応しいかは、明白でしょう」
その証言を聞きながら、レティシアはぼんやりと考えた。
(ああ……なるほど。好き勝手ばかりして扱いにくい私より、ルディナ様の方が神殿の意向に沿うと。だから挿げ替えたいと)
大神官たちはレティシアの治癒会を快く思っていなかった。
治癒の力は、貴族だけに高値で売り、自らの地位と既得権益を確保しておきたいのだろう。
だからエリウッドと手を組み、レティシアを追い払い、ルディナを聖女にしようとしているのだろう。
(……最高じゃない?)
レティシアは堪えようとしたが、どうしても肩が震える。
――喜びで。
(私は聖女を引退できるし、ルディナ様は聖女になって愛するエリウッド様と結ばれる――全方位が幸せになれる!?)
なんて素晴らしいのだろう。
エリウッドは力強く叫ぶ。
「貴様は光の聖女などではない……災厄の魔女だ!」
「…………」
レティシアは目を閉じ、小さく頷いた。
(よくご存じで。鑑定の魔導具でも使ったのかしら)
まさか誰にも見せていない『災厄の魔女』の称号に気づくなんて。
「そいつを捕らえろ!」
会場を警備する騎士たちに向けて、エリウッドが命令を下す。
(……まあ、ここで捕まっても、私は無罪なわけなので、さすがに処刑にはならないでしょうし……王やアルドリック様がなんとかしてくれるでしょう)
なんとかならなかったら脱獄して逃げよう。
安心しながら捕らえられるのを待っていたが、不思議なことに誰も動かない。
騎士だけではなく、他の貴族たちも。
「どうした。何故僕の命令に従わない!」
「エリウッド様、ご安心ください。私はこのまま国を出ますので」
レティシアはエリウッドとルディナに向けて小さく一礼して、会場のドアに向けて歩き始めた。
(忙しい騎士たちの手を煩わせるのはいけないわ。セルフ国外追放で、めでたしめでたし)
――その時、レティシアの前にひとりの男が立つ。
「レティシアが出ていく必要はない」
「……王太子殿下」
アルドリックは険しい表情で、レティシアとエリウッドの間に立つ。
怒りの視線は実弟であるエリウッドに向けられている。
「――エリウッド。救国の聖女に対して、お前の行いはあまりに礼を欠いている」
「こんな女が、聖女であるものか!」
エリウッドは引きつった声で叫ぶ。
(それは同感なんですが、さすがに状況が見えていないです……ここは引くべきでしょう)
こんな場所で婚約破棄宣言などしてしまったから、引くに引けないことはレティシアにもわかるが。
「――レティシア様は、間違いなく光の聖女様です」
静まり返った会場に、力強い声が響く。
(この声は――)
そこにいたのは騎士ゼクス・マクレインだった。
「聖女は戦場にて王太子殿下の命を救い、騎士たちの命を救い、勇敢に魔物と戦い、国を守った御方です。貧しき者や力弱き民にも手を差し伸べられる御方です」
レティシアは驚きながらその声を聞いていた。
彼には良い印象を持たれていないと思っていたからだ。
その彼が、こんな風に擁護してくれるなんて。
「聖女を傷つける命令を聞ける騎士は、ここにはおりません」
「騎士風情が……」
エリウッドはわなわなと身体を震わせる。
「殿下……もう、おやめください」
エリウッドの隣にいたルディナが言う。
美しい顔は青ざめ、身体は震えていた。
「レティシア様は、愚かなわたくしを……姉を、身を挺して救ってくださいました」
その言葉に、エリウッドが目を見開く。
「申し訳ございません……わたくしは、最初から聖女に相応しくなかったのです」
「ルディナ……君までそんなことを言うのか!?」
エリウッドの声には、怒りと失望が混ざり合っていた。
ルディナは無言で頷く。その顔には深い後悔が浮かんでいる。
アルドリックが会場全体に向けて言う。
「聖女レティシアが聖女に相応しくないと思うものがいるのなら、この場で発言せよ」
場にいた誰もが息を呑み、会場が静まり返る。
(大神官! エリウッド様! がんばって!)
レティシアは心の中で応援するも、エリウッドは青い顔で立ち尽くし、大神官マルクはこそこそと会場から出ていこうとしている。その行く手を、騎士たちが塞いでいる。
「エリウッド、お前の聖女に対しての態度はあまりに失礼だ。この騒動の責任、どう取るつもりだ」
アルドリックの声には冷たさと怒りが混ざっていた。
エリウッドは無言のまま、答えない。
「そもそも、どうしてこんな騒動を起こした」
「……こんな女は僕に相応しくない。ルディナこそが聖女になるべきだ……」
アルドリックは心底失望したように、暗い顔を浮かべる。
「……お前のようなものに、彼女を守り、幸せにすることはできない」
「――兄上、もしや……」
エリウッドは何かに気づいたように、アルドリックを見つめ、そして笑い出した。
まるで完全勝利を収めたかのように、楽しげに笑う。
「全部冗談です。パーティの余興ですよ」
「……冗談だと?」
「はい。婚約破棄なんて冗談に決まっているじゃないですか。決まっていることだから仕方ない」
エリウッドは肩を竦め、ふわふわと髪を揺らす。
「僕が、聖女と結婚してあげますよ。兄上は、聖女とは絶対に結婚できないのですからね」
「――エリウッド……!」
その瞬間、レティシアの身体が動いていた。
エリウッドの元に歩み寄り、その頬を力の限り張り倒していた。
レベル99の平手打ちの音が響き渡り、エリウッドが吹き飛んで床に倒れる。
「な、な、な……?」
床に倒れたまま頬を押さえてレティシアを見てくる。
レティシアはその姿を冷めた目で見下ろした。
「まさか、ここまでのキングオブクズになるなんて、私もびっくりです」




