02 王太子暗殺阻止
深い闇の底から、明るい光へと引き上げられるような感覚に包まれる。
意識を取り戻したレティシアが見たのは、アルドリックの心配そうな顔だった。
「……アルドリック様?」
ぼんやりしながら名前を呼ぶと、王太子アルドリックは安堵の息をつき、微笑んだ。
「……ああ。目覚めて、よかった」
労わる声が優しく響く。
その声の確かな響きに、レティシアは安堵した。
夢ではない。生きている。
(――私、間に合ったのね)
ひとまず、運命を変えることができた。
「――ここは……?」
室内を見渡す。時間は夜のようで、ランプが部屋全体を優しく照らしている。
堅牢な石造りの部屋には豪華な家具と美しい絵画、高級な装飾品で飾られている。
「ここはデュラント伯爵家所有の砦だ。この場所は安全だから、安心していい」
――デュラント家は王都近郊に領地を持つ、名門伯爵家だ。
その領地に魔物のゲートが現れたため、王太子であるアルドリックが騎士団を率いた。
そして前回は、王太子は戦場で命を落とした。だが今回は、こうして生きている。
レティシアは左腕に巻かれている包帯に手をやった。
そして、自分がベッドに寝かされていることにも気づいた。
矢を受けた衝撃で気絶して、手当てされていたのだろう。
「回復術士に治させたが、痛みはあるかい?」
「――いえ、大丈夫です。とても腕のいい方ですね」
本当にまったく痛みがない。
「――シアはどうなりました?」
「シアは、王城の方へ戻っていったよ」
「よかった……あの子を、無理やりここまで連れてきてしまったので」
――本来、天馬は血を嫌う。戦場に近づくことなどありえない。そこを無理やり頼んでここまで運んでもらったのだ。
(戻ったら、ちゃんとお礼をしないと)
心配事がひとまず解消し、ほっとしていたところに、アルドリックが複雑そうな笑みを浮かべる。
「レティシア……戦場に駆けつけてくれたこと、魔物を消滅させたこと、感謝している。君のおかげで俺は命を守られ、騎士たちは傷つかずに済んだ」
「殿下……」
「……だが、どうして君がひとりでここに?」
聖女とは、大神殿で祈りを捧げるだけの存在である。
戦場に出る聖女など、いない。
「……神託がありまして――」
「神託が――?」
「はい。殿下と、王国に危機が迫っていることを知り、居ても立っても居られず……天馬にお願いしてここまで来ました」
聖女というのは便利な身分だ。神託と言えば、大抵のことは納得されてしまう。
そしてレティシア自身も、これは神の御業だと思っていた。
王太子アルドリックを助けるために、時間を遡ったのだと。
でなければ説明がつかない。
「天馬は魔物に近寄らないというのに、君はやっぱり、天馬からとても信頼されているんだな」
アルドリックの眼差しは温かく、だが少し悲しげだった。
「だが……無茶をする。聖女であり、弟の婚約者である君に何かあったら……どうやって償えばいい」
(うっ……)
レティシアは、第二王子であるエリウッドの婚約者でもある。
聖女は王族と婚姻するものと決められている。
それも、王や王太子などの、王位を継ぐことを定められていない王族と。
未婚の王族がいなければ、王家の血を引く高位貴族に。
今回はちょうど年の近い第二王子がいたため、必然的にそうなった。
(嫌なことを思い出したわ……)
――第二王子エリウッド。
彼には美しい恋人がいる。
しかし、聖女と結婚した王族は、他の妻や愛人を持つことを許されていない。神の娘である聖女と結婚する相手は、清廉潔白で愛情深く、美しく高貴な男でなければならないと、大昔の聖女が求めたからだ。
しかし、レティシアは婚約者に対する愛情はまったくなかった。
そもそも向こうからしてレティシアを嫌っている。レティシアが処刑されるとき、もっとも喜んでいたのがエリウッドだ。
――もちろん、魔人化したときにきっちり復讐は果たしている。
「それよりも……いまはいったいどうなっているのですか?」
「魔物はすべて消え、ゲートもいまは静かになっている。君の聖なる力のおかげだろう」
(それはもう、聖女レベル99ですから!)
もちろんそんなことは言えないので黙っておく。
そんなにレベルが高いことが知られたら、きっと大騒ぎになる。
幸い、自分のレベルを知ることができるのは自分だけ。あとはとても貴重な魔導具を使われなければ、他人にレベルやステータスを見られることはない。
「神の御力でしょう」
恭しく答え、静かに微笑む。
【カルマ変動】
・善行値:1000獲得(王太子暗殺阻止)
・累計悪行値:10280→9280
レティシアは表情を保ったまま、笑みを深くした。
なんという善行値。アルドリックの暗殺を阻止したことが、高く評価されている。この調子なら意外とすぐにカルマを解消できるかもしれない。
このままアルドリックの近くにいて守り続ければ、具体的にはあと十回ほど繰り返せば、悪行値は消えるはずだ。
(もちろん暗殺なんてないに越したことはないけれど)
暗殺が成功してしまえば、レティシアも断頭台一直線だ。
それだけは阻止しなければならない。
「あの……矢を放った者はどうなりましたか?」
「捕らえている。どうやら魔物に操られているようだ」
「…………」
魔物のせいとはいえ、王族を殺そうとしたことは重罪だ。きっと取り調べ後に処刑されるだろう。前回は、そうだった。そんな話をどこかで聞いた覚えがある。
そして、その者がアルドリックを殺したことで、レティシアの処刑に繋がったのだ。
だが――
レティシアはまっすぐにアルドリックの顔を見つめた。
「殿下、恩賞をいただけませんか」
「ああ、もちろん。君が望むものを何でも用意しよう」
懐の深い笑みを浮かべるアルドリックに、レティシアは感謝し微笑んだ。
「では、その兵士の身柄を」
「なんだって――?」
「殿下に矢を放ったことは、もちろん許されることではありません。ですがその者も魔物の被害者です。悔い改める機会もなく処刑されるのは、あまりに哀れです」
「…………」
「責任は私が取ります。どうか、やり直しの機会を与えてやってください」
これは賭けだった。
レティシアが必要としているのは、悪行値を消すことだ。
哀れな罪人に手を差し伸べることが善行と判断されれば、累計悪行値が減るかもしれない。
アルドリックはしばらく黙っていたが、感嘆の息を零した。
「自分を射た者にも、そんな慈悲をかけるなんて……君はなんて清らかで優しい心の持ち主なんだ」
レティシアは苦笑いを堪えた。
『災厄の魔女』である自分の心は真っ黒で、自分のことしか考えていないのに。
(――いえ、ダメよ、こんな考えじゃ。私は圧倒的光属性聖女――光の聖女と呼ばれる聖女となるのだから!)
レティシアは自分を奮い立たせ、穏やかな笑みを浮かべた。
「わかった、二言はない。取り調べののち、その者の扱いは君に任せよう」
「ありがとうございます、殿下」
レティシアは安堵の微笑みを零す。
「それと、もうひとつだけお願いをしてもいいでしょうか?」
「ああ……言ってみてくれ」
やや警戒されているようだが、レティシアは気づかないふりをした。
「私を殿下のお傍に置いてください」
暗殺を阻止するには近くにいなければ話にならない。
「……それは……いや、だが……」
「可能な限りで構いません。せめて、あのゲートを封印するまでで」
レティシアの必死の願いが通じたのか、アルドリックは少し困ったように微笑んだ。
「……ああ、わかった」