18 取り込まれたもの
「――躾、ですか?」
聞きたいことは数えられないほどあったが、答えが期待できそうなところから聞いてみる。
ラフィーナはふわりと微笑んだ。
「この子ったら、ひどいのですよ」
レティシアの後ろに隠れているルディナを見つめ、困ったように言う。
「この子が泣いて嫌がるものだから、わたくしが婚約者殿とお別れして、聖女候補として神殿に入ることが決まったのに……」
「…………」
「エリウッド様と結婚できる可能性があると知った途端、わたくしに怪我を負わせてまで、自分が神殿に入ったのですから」
ルディナの身体がびくりと震えた。
「……それが本当だとしたら、確かにひどいことですね」
レティシアは重々しく言葉を返した。
「さすが聖女様、わかっていただけて嬉しいですわ」
ラフィーナは嬉しそうに、花の咲くような笑顔を浮かべ、服をめくりあげる。
横腹のところに、無残な切り傷の跡が残っていた。
「とっても、痛かったのよ?」
「違う……わたくしじゃない……」
ルディナの声は震えていた。
怯えているルディナに、ラフィーナは優しく声をかける。
「ええ、したのはお継母様ですものね。でも、あなたがわがままを言わなければ、わたくしはこんな怪我をすることはなかったのよ?」
ルディナに向けて、首を小さく傾げて。
「悔い改めて?」
黙るルディナをラフィーナの視線から隠すように、レティシアはわずかに前に出る。
「ラフィーナ様、その傷、回復術士には……」
「お父様に表沙汰にするなって言われてしまって。わたくしよりも、評判の方が――後妻とその娘のルディナの方が、大切なのよね」
ラフィーナは、あたかもそれが当たり前のことであるかのように言った。
細い手が、傷跡にゆっくりと触れる。
「わたくし、絶望してしまって。でも、可笑しいことに中途半端な絶望だったみたいでして」
美しい顔に苦笑いを浮かべて。
「半分人間、半分魔物みたいな? 中途半端な存在になってしまって――あははっ!」
楽しそうに笑い飛ばす。
――片方の言い分だけを聞くわけにはいかないが、ラフィーナの受けてきた仕打ちは相当なものだ。
その状況からエリウッドの恋人にまで上り詰めた手腕は見事だと感心する。
たとえそれが、魔物の力を使ってだとしても。
「――でも、そろそろ、ようやく。完璧な存在に、なれそうです」
ラフィーナは自信に満ち溢れた微笑を浮かべる。
「――ラフィーナ様、随分と雰囲気が変わりましたね」
「ええ。いまのわたくしの半身は、別の場所にいますから……聖女様の知るわたくしとは、半分別人でしょうね」
「そのあたりのことを、詳しく聞かせていただけませんか?」
メイスの柄を握りながら問うと、ラフィーナは笑みを深くした。
「ええ、もちろん。いま戻ってきましたし」
その瞬間、黒い靄のようなものが上から落ちてきてラフィーナと融合する。
そこにいたのは、レティシアのよく知るエリウッドの恋人――妖艶な美しさを持つラフィーナだった。
ラフィーナは満足そうに微笑み、レティシアの後ろのルディナを見る。
「さて、聖女様。そろそろルディナを殺して、この国も滅ぼしてしまいましょうか」
にこやかに言うが、言葉には殺気が満ちている。
憎しみ、殺意、拭えぬ怒り――そんな暗い感情が、闇と混ざって、ラフィーナの身体を包み込んでいる。
レティシアはメイスを握りしめ、ルディナを守るように立つ。
ラフィーナは不思議そうな顔をした。
「どうしてその子を庇うのです? 聖女様もこの国がお嫌いなのでしょう?」
「ひどい誤解を受けているようですね。私はこの国の聖女です。民を守るのが私の使命」
ラフィーナは首を傾げる。
「だって、わたくしの中の魔物が、言っていましたわよ? 本当はあなたこそが、この国の黄昏に相応しい、災厄の魔女だと」
その称号は、レティシアの魂に刻まれているものだ。
魔物は人のステータスまで見ることができるのだろうか。
ステータスや心の中を覗き見て、弄ぶ人間を選ぶのだろうか。
(私が魔人化していないから、ラフィーナ様が闇の力の器になってしまったのかしら)
だとしたら、少しだけ気の毒なことをしたかもしれない。
(責任をもって祓わないと)
魔人となったラフィーナをまっすぐに見据える。
「ラフィーナ様。あなたの絶望は、私にはわかりません。その復讐は正当なものかもしれません。私に止める権利はないかもしれません」
レティシアは決意を込めて、ラフィーナを見た。
「ですが、目の前でそれが行なわれるのなら、私は止めます。――あなたのためにも」
「わかったような口を利かないでくださる?」
深い黒髪の間から、血のように赤い唇で笑う。
そのドレスの裾から、漆黒の色をした蛇のようなものが這い出してくる。一匹ではなく、何匹も。
それが蛇ではないことには、すぐに気づいた。スライムのように不定形で、なのに活発に蠢いている。それぞれの先端は鋭利な爪のように変化していた。
ラフィーナの目が鮮烈な赤に輝く。
「きゃああああ!」
ルディナが悲鳴を上げて逃げていく。
(あら、まあ。元気が良くて、良かったわ)
レティシアはルディナの無事を祈り、ラフィーナの方を見た。
――彼女はもう人ではない。
レティシアができるのは、闇の力を消滅させることだけだ。
メイスが力強く輝き、『聖なる光』がラフィーナに向かって放たれる。
ラフィーナの闇の力はそれを吸収するかのように受け止めた。
(流石に、一筋縄ではいかなさそうね。もっと弱らせないと)
レティシアは落ち着いていた。
こんなもの、苦難でも絶望でも何でもない。
レティシアは更に強い祈りを込める。
「聖光の矢!」
強力な光の矢がメイスから放たれ、ラフィーナに向かって飛んでいく。しかし、矢は再び闇の力に吸収されてしまった。
「こんなもの、効きませんわよ?」
ラフィーナの勝ち誇った視線がレティシアに向けられる。
レティシアは冷静に見つめ返した。
「あなたごと消してしまいたくないので、出力が難しくて。ごめんなさい」
――地獄はもう見てきた。深い絶望はもう知った。
これからは、明るい世界を見ていきたい。
(圧倒的光属性の大聖女として!)
手始めにこのダンジョンすべてを『聖なる光』で照らすことにする。
魔法灯を媒介にして、すべての場所へ『聖なる光』を放つ。ダンジョン内の空気が浄化され、魔物の気配が消えていく。闇が消えていく。
「なに、この力は……」
ラフィーナは驚き、顔を強張らせながら周囲とレティシアを見る。
(だって、レベル99ですから!)
これくらい軽いものだ。
じりじりとラフィーナの身体から闇が削れていく。
ラフィーナは慌ててダンジョンの奥へ逃げようとするが、その先にも聖なる光は満ちている。
「もうどこにも逃げられませんよ」
逃げようとするラフィーナを追いかける。
(たぶん、向かう先にゲートがある。そこまで案内してもらいましょう)
闇から生まれた魔物だ。
闇を求めて、闇の力の湧き出る場所へ向かうはずだ。
ゲートまで案内してもらえれば、ゲートを『聖なる光』で浄化する。
完璧な計画にレティシアは微笑む。
――その時、背後から誰かの足音が響く。
ルディナではない。この気配は――
「レティシア!」
「アルドリック様?」
振り返ったレティシアは、光の中で輝く金髪の王太子を見て驚きの声を上げた。
(どうしてここに? 王城側の隠し通路を通ってやってきたのでしょうけれど――)
ほっとすると同時に、こんな危険な場所に単独で来ないでほしいと思う。
「レティシア、無事か?」
「は、はい」
「魔物を追ってきたら……まさか君もいるなんて」
「まあ。私たち、気が合いますね」
冗談めかして笑うと、強張っていたアルドリックの表情がわずかに和らいだ。
「さあ、早く行きましょう。ゲートを封印してしまわないと」




