17 侯爵令嬢姉妹
塔の上の空中庭園から神殿まで、休憩もせずに一気に移動したレティシアは、柱の陰に隠れながら肩で息をした。
さすがに疲れたが、倒れるほどではない。
レベルが高いので体力が有り余っている。
(アルドリック様には悪いことをしてしまったかも……)
後悔が心を苛む。
自分でも、どうして反射的に逃げてしまったのかよくわからなかった。
(軽蔑されたかも……逃げたいなんて言って……本当に逃げ出して……)
冷たい柱に手を置きながら、ため息をつく。
(――逃げてしまったものは仕方ない! いまの私に、後悔している時間なんてないわ!)
気合いを入れて顔を上げる。
行動。行動。とにかく行動だ。
顔をさらに上げて、空を見上げる。
平和な青い空を見つめながら、次にするべきことを考える。
(……祈りをこなしてから、地下ダンジョンにでも行こうかしら? レベルは上がらないけれど……――そうよ! ダンジョンにはゲートがあるもの。様子を知っておいた方がいいわ)
ゲートからは闇の力が湧き出してくる。
王都に存在していいものではない。
様子を調べに行って、危険そうなら『聖なる光』で消してしまおう。
(ゲートキーパーがいるだろうから、充分に準備して、倒せなさそうなら戻ってきて……)
考えながら神殿内を移動していると、おろおろとしながら辺りを窺っている侍女の姿が目に付いた。
(あれは確か、ルディナ様の侍女……)
――ルディナに何かあったのだろうか。
そうでなくても、困っている人がいるのは善行チャンスだ。
「どうかしましたか?」
「ああ、聖女様……」
声をかけると、侍女はうろたえながら言う。
「準聖女様がいらっしゃらないのです」
「まあ……」
「ご実家に戻られているのかもしれませんが……それでも、聖務を欠かしたことは一度もなかったのに……」
ちくりと刺さる。
聖務を放棄して悪行値を増やした身としては、耳が痛い。
もちろん、ルディナの侍女は純粋に主の心配をしているだけだ。
レティシアは落ち着かせるように、ゆっくりとした声で言った。
「わかりました。私も探してみます。見かけましたら、皆が心配していると伝えますね」
「ありがとうございます、聖女様……」
――何故だか、嫌な予感がした。
レティシアは足早に部屋に戻り、クローゼットの奥に隠してあったメイスを手にして、ダンジョンへ向かう。
人気のない回廊を選んで移動し、地下へ。
ダンジョン入口の前には、以前来た時よりも足跡が増えていた。
ルディナも単独で潜って、スケルトンを粉砕して進んでいるのだろうか。
(レベル的にはもう問題ないけれど……属性的にも、武器的にも、すごく有利だし)
でも何故か、とても嫌な予感がする。
以前来た時よりも、闇の力が強くなっている気がする。
(こんなにはっきりと感じられるなんて……きっと、よくない傾向だわ)
扉を開き、階段を下りていく。
――ルディナは本当にここにいるのだろうか。
いなかったらいなかったで、安心できる。
(とにかく急がないと――……)
【カルマ変動】
・悪行値:300増加(聖務の放棄)
・累計悪行値:2870→3170
(それどころじゃない!)
祈りは、聖務は、聖女であるレティシアにとって大切なことだ。
だがいまは、もっと大切なことがある。
魔法灯がほのかに照らすダンジョンを、レティシアは一歩一歩慎重に進んでいく。
スケルトンが現れては、『聖なる光』で一掃するのを繰り返して。
どれだけ歩いただろうか。
静寂の中に骸骨の不気味な足音を聞きながら、レティシアは思う。
本当にルディナはこの場所にいるのだろうか。
いないならいないで、その方がいいのだが。
迷いを抱きながらも進んでいた刹那、奥からまた微かな足音が聞こえてくる。
それはいままでとは違った。スケルトンのものではない。その足音は、恐怖に駆られて逃げ惑う人間のものだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
涙に濡れた声が洞窟に響く。
レティシアは急いで声のする方へ向かい、そして声の主を見つけて安堵した。
逃げてくるのはルディナ。その後ろを追っているのはスライムだ。弾力性があり、骨がないモンスター。
メイスとの相性は最悪だ。
慈悲の武器は、骨か殻のある相手にしか効かない。
モンスターは『聖なる光』で消し飛ばせるはずだが、ルディナのレベルが足りないのか、それとも魔力切れなのか。
「ルディナ様!」
レティシアは大きく声を張り上げて、『聖なる光』を使った。
眩い光によって、スライムが消し飛ぶ。
「レティシア……様……」
ルディナはふらふらになりながらも、助けを求めるようにレティシアに手を伸ばす。
レティシアはその手をしっかりと握って、倒れかけたルディナを支えた。
「ルディナ様、もう大丈夫です」
落ち着かせるように声をかけるが、ルディナの身体はまだ震えていた。ひどく怯えている。
「――あらあら、ルディナったら。そんなに泣いてしまって。まだまだこれからだというのに」
包み込むような優しい声が、闇の奥から響く。
ルディナの身体がびくりと震え、がたがたと震え出した。
その時、暗闇の奥から何かが現れた。
黒髪の女性――レティシアは、それが誰なのか一瞬わからなかった。
「ラフィーナ様……?」
躊躇いがちに呼ぶ。
そこにいたラフィーナは、レティシアの知る彼女とは違っていた。雰囲気がまったく違う。
(回復して、抜け出してきたの? どうやって)
ラフィーナは王城で、監視を兼ねた厳重な警備がされていた。簡単には抜け出せないはずだ。
神殿の地下ダンジョンにいることも奇妙。
モンスターを操っていることも、妹であるルディナを襲わせていることも。
雰囲気が変わっていることも。
――何もかも、おかしい。
「聖女様、ご機嫌麗しゅう」
ラフィーナはふわりと優雅なお辞儀をする。
高位貴族令嬢らしい、品のある、完璧なマナーだった。
そして、美しい顔で微笑む。
「愚妹の躾の最中ですので、邪魔をしないでいただけますか?」




