10 準聖女ルディナ
レティシアは帰る途中で礼拝堂に寄って祈りを済ませ、上機嫌で部屋に戻った。
大きな窓からは神殿の庭が一望でき、部屋の中央には大きなベッドがある。部屋の一角には、祈りを捧げるための小さな祭壇が設けられている。
レティシアは窓際の椅子に座り、庭園の美しい風景を見つめた。ここから見える景色が、この部屋で一番の装飾品だ。
――治癒会は、累計悪行値を減らすのに、とても効果的だった。
このまま治癒会の評判が広まれば、きっと他の町からも人々が訪れるだろう。そうなればどんどん悪行値が減らせる。
しかし、いくら効果的とはいえ、治癒会の頻度を増やすのは厳しい。
もっと回数を増やしてほしいという要望は出てくるだろうし、神殿まで来られないので家まで来てほしいという要望も出てくるかもしれない。
その度に対応するのは困難だ。
できるうちはいいが、できなくなると不満が噴出する。
だから、ルールが必要だ。
とりあえずは10日に1回の水の日のみで、神殿前でのみ行うことにする。
(カルマはこれでどうにかなるとして、次は――私の後を継ぐ聖女の育成ね)
もちろん、目星はつけてある。
休憩を終えたレティシアは、準聖女ルディナのところに向かった。
――準聖女。
聖女の控えとなる聖女。
レティシアがルディナの部屋へと入ると、まず目に飛び込んでくるのは豪華さだ。
ルディナの部屋は派手で色とりどりの装飾が施されていた。
部屋の中心には大きな四柱のベッドがあり、その周りには金色の調度品が散りばめられている。壁にかけられている絨毯には、侯爵家の紋章が織り込まれている。
「まあ、聖女様。このようなところに、どのようなご用件でしょうか」
準聖女ルディナ・ヴェレンダムがレティシアを出迎える。
ルディナは、美しい黒髪の持ち主で、瞳は深いエメラルド色。誰が見ても美しいと認めるような少女だ。
だがレティシアを見る目は氷のように冷たく、声は刺すように鋭かった。
「ルディナ様、私がいない間に聖務をこなしていただき、ありがとうございました」
レティシアはまず、不在の間に準聖女に聖務を任せたことへの礼を言う。
言うのがかなり遅れてしまったが、言わなければいつまでもわだかまりが残る。
「いいえ。わたくしは当然のことをしたまでですので」
ルディナの返答は、冷静で無感情で、棘があった。
それがレティシアをちくちくと刺すが、こんなところで諦めない。
「それで、今度は何の御用でしょうか?」
「ルディナ様、私と一緒に修行をしませんか?」
もちろんレベル99のレティシアには修行など必要ない。
これはあくまで準聖女ルディナのための修行であるが、そこは黙っておく。
ルディナはあからさまに嫌な顔をした。
ルディナはレティシアのことが嫌いなのだ。
侯爵の娘である彼女にとって、伯爵家出身のレティシアの下で働くことは、プライドが許さないようである。
そして、もっと深刻な問題もあった。
「……エリウッド様は、どうしてこんな女を……」
(漏れてる漏れてる)
――そう。彼女は、エリウッドのことが好きなのだ。
レティシアにはエリウッドのどこがいいのかまったくわからないが、ルディナにとってはそうではないらしい。
だが、共通の話題なのには間違いない。
「ルディナ様、エリウッド様は昔はどのような御方だったのですか?」
「――それはもう、とても賢くて、とてもやさしくて、活発で、気品に溢れていらして、侯爵邸でよく一緒に遊んだものです」
ルディナはとても楽しそうに、活き活きと思い出を語る。
「幼馴染なのですね……素敵です」
「それなのに、あの女が……」
突然表情と声が暗く、重くなる。
(漏れてる漏れてる。負の感情が)
レティシアはわかっているが聞いてみた。
「あの女、とは?」
「もちろん、姉のラフィーナです。エリウッド様には聖女様がいらっしゃるのに――エリウッド様に媚びを売って……」
いろいろと複雑な気分らしい。
もちろんレティシアもラフィーナのことはよく知っている。
エリウッドが彼女をとても愛していることも。だからこそ余計にレティシアへの当たりが強いことも。
「ねえ、ルディナ様」
レティシアはルディナの瞳を見つめながら、慎重に言葉を選んだ。
「私も、エリウッド様に相応しいのはルディナ様だと思います。だって、こんなにエリウッド様のことを想っていらっしゃるんだもの」
驚くルディナに、レティシアは続ける。
「ラフィーナ様は、聖女がいる限り、エリウッド様の正式なお相手にはなれません。でも、ルディナ様には、可能性があります。ルディナ様が私以上の力を持てば、聖女の座はあなたのものですから」
ルディナは目を見張った。
「エリウッド様を真に幸せにできるのは、ルディナ様だと私は思います」
ルディナの顔に、初めて柔らかな表情が浮かぶ。
「――レティシア様、わたくしレティシア様のことを誤解していたみたいです」
「いいのですよ、ルディナ様。さあ、聖女を目指して修行に励みましょう」
【カルマ変動】
・悪行値:500増加(甘言)
・累計悪行値:6170→6670
「なんで?」
「レティシア様、どうしました?」
「いえ、なんでもありません。では、行きましょう。――あ、動きやすい服装に着替えておいてくださいね」
そしてレティシアは、ランタンを手にして、ルディナと共に神殿の地下に下りていく。
人の気配のない階段を下りていくと、まるで隠されているかのような扉があった。周囲は埃が積もっていて、ここに長らく人が訪れていないことを示している。
扉には鍵がかかっていたが、レティシアが『聖なる光』を通してみると、扉が開いた。
レティシアが扉を押すと、さらに下に続く階段があった。階段の側面や天井は岩でごつごつしていた。
当然、中は真っ暗だと思われたが、天井からぶら下がった魔法灯があちこちに点在しているため、意外と明るい。
「意外と賑やかな場所ですね」
「なんですかここは!」
「ダンジョンです」
人の手が入った洞窟――あるいは鉱山の坑道――そんな風景が、目の前に広がっていた。
そこでは、かすかな足音や吹き抜ける風、そして時折耳に届く低い唸り声が響いていた。
このダンジョンに魔物たちが棲んでいるという証だ。
(ここでレベル20くらいまでは上げられそうね)
目論見通り。
レティシアはダンジョンの様子に満足し、持ってきた二本のメイスの内、一本をルディナに渡す。
「聖女は刃物禁止なのでメイスを持ってください。軽くて攻撃力の高い慈悲の武器です」
「はあ……なんのために持ってきているのかと思ったら……」
ルディナは不安げにメイスを受け取る。
手が震えていたが、必死でそれを握り締める。
覚悟は決まっているようだった。
「こうやって握って、殴ります」
レティシアはメイスの構え方を実演し、振り下ろす。
ひゅんっと風を切る音が鋭く鳴った。
「中の骨を粉砕させる気概で」
「慈悲とは!?」
「骨を粉砕すれば、相手はもう戦うことはできません。そうすれば相手とは戦わずに誤った道から引き戻せますし、正しい道を歩ませることができるでしょう」
レティシアの説明に、ルディナは眉をひそめながらメイスを見つめた。
「そ、それならば……わかりました。慈悲、ですね……でも、聖女なんだから『聖なる光』で魔物を消してしまえばいいのでは……」
「それだと獲得経験値が少ないので」
「経験値……」
「まずはやってみましょう。ピンチの時は助けますから、大丈夫です!」




