01 聖女、目覚める
(どうして私……生きているの?)
王太子の戦いの勝利を祈る儀式の最中、聖女レティシアは困惑した。
大神殿の祭壇前で膝を地面に突き、両手を胸の前で組み合わせ、目を閉じ祈りのポーズを取ったまま、困惑した。
(私は、死んだはず)
――自らの足で処刑台に上り、民の罵声を受けながら断頭台で首を落とされた。
だがいま、聖女として祈りながら、この世に生きている。
レティシアは必死に頭を巡らせた。
何が本当で、何が夢で、何が勘違いか。とにかく考える。
まずは自分の記憶をたどってみる。そもそもどうして聖女である自分が処刑されたのか。
事の始まりは、王太子アルドリックと魔物との戦いだった。
王都近郊に生まれた、魔物の出現場所となる『ゲート』を、王太子アルドリックが騎士団を率いて封印に向かった。
しかし王太子は魔物との戦いの最中で命を落としてしまった。
――王家は、その責任を聖女レティシアに取らせた。
聖女の祈りが不充分だったせいで、神が怒り、アルドリックが神の加護を得られずに魔物ごときに殺されてしまったのだと。
そして聖女レティシアの処刑が決まった。
国民に愛されていた王太子アルドリックが死んだ怒りと悲しみは、すべてレティシアに降りかかった。
民はレティシアに石を投げつけ、罵声を浴びせた。
レティシアは断頭台で首を落とされ、命を絶たれた――はずだった。
【ステータス確認】
・氏名:レティシア・レブロンド
・性別:女
・年齢:16歳
・レベル:99
・職業:聖女
・悪行値:9999
・称号『災厄の魔女』
(うひゃああぁぁ!)
祈りのポーズを保ったまま、心の中で悲鳴を上げる。
聖女にあるまじき、悪行値という見慣れぬ数値。そして、見るからに不吉な称号。そして、いつの間にかレベルが99――上限になっている。
(何これ、この悪行値って何? 私そんな悪いことはしていないと――……いえ、もしかして……)
心当たりはあった。
レティシアはおとなしく処刑されたが、その処分には、全然、まったく、納得いっていなかった。
どうして自分だけが責任を取らされるのか。
どうして石を投げられなければならないのか。
どうして、殺されなければならないのか。
――恨んだ。
とにかく恨んだ。
王家を、そして石を投げてきた民を、恨み尽くした。
そして、恨みの感情のままに首を落とされたことで魔人化した。
魔人化したレティシアは、そのまま王都を滅ぼした。
――ああ、すっきりした。次は国を滅ぼそう――と思ったら、この状況。
何故か時間が遡っていて、何故かレベルが上限に達していて、見慣れぬ数値に、不吉な称号。
(夢じゃなかったということ……?)
首を落とされ、王都を滅ぼした記憶だけなら、それは単なる夢か、もしかしたら神からの警告だったかもしれない。
だがステータスがレティシアがやってしまったことを証明していた。
そして、祭壇に置かれた、磨き抜かれた神具に映る神官たちの姿が、時間を遡っていることを証明していた。
彼らは、魔人化したレティシアが復讐を果たしたはずの人々だ。
(だってあの人たち、私の祈りが不充分だったって、有り得ない証言をしたんだもの!)
【カルマ変動】
・悪行値:50増加(逆恨み)
・累計悪行値:9999→10049
(――――ッ)
予想外の天元突破。9999が最大値ではなかったようだ。一体どこまで上がるのだろうか、この悪行値。
レティシアは自分を落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐いた。
――カルマ。それは魂に蓄積される、人の行い。
(まさか数値化されて目に見えるものになるなんて……この悪行値で死んだら、来世はどれほどひどい運命が待っているのか……因果応報とはいえ……)
納得がいかないが、心を落ち着かせる。
(――やり直せ、というわけですね。神よ)
悪行を行えば悪行値が増えるなら。
善行を行えば、相殺されるはず。
(わかりました。私はこれから圧倒的光属性の聖女として、人々のために――ために……、…………)
レティシアは立ち上がり、後ろを振り返った。
白いローブの神官たちが、驚いた顔でレティシアを見つめた。
「聖女様――?」
「戦勝祈願の続きは、準聖女にお任せします」
――ここで祈っていても、王太子は死ぬ。
いま行っていた祈りは、王太子の戦勝祈願だ。王太子が死んでしまったら、レティシアは前回と同じように処刑されて死ぬ。
レティシアは神官たちが呆気にとられる中、走って神殿を飛び出した。
(ここから最前線まで、最速でも五日はかかる。のんびりしてたら間に合わない!)
まだ王太子は生きている。きっと。それを信じて動くしかない。
まさか間に合わないタイミングに遡っているはずがない。
王太子が死んでしまえば、レティシアの運命も終わる。
この悪行値で首を落とされれば、何をしでかすかわからない。闇の力に呑み込まれて魔人化し、魔王と化してもおかしくない。
レティシアの脳裏に浮かんだのは、王城の空中庭園にいる天馬を頼ることだった。
いまの時期、天馬たちは長い旅を経て、王城の塔――その屋上の空中庭園で休んでいる。
神殿のすぐ隣にある王城へ走る。
聖女の仕事のひとつが天馬の世話だ。何度も通った道だ。警備の兵士たちも、レティシアの必死の形相に不思議そうな顔をしていたが、誰に止められることもなく、王城内に入り、最も高い塔を登る。
息を切らせながら塔の螺旋階段を上る。
いつもなら何度も休憩して、やっと屋上にまで辿り着く。だがいまは休んでいられるような心の余裕はない。走る。とにかく走って、階段を上る。
心臓が破れそう。足が崩れ落ちそう。階段から落ちそう。それでも、止まるわけにはいかない。
(二度目の断頭台なんて、冗談じゃない!)
駆け上がれたのは気合いか。それとも聖女レベルマックスの恩恵か。
屋上の空中庭園の光が見えてくる。
(やっぱり、私は光の聖女――)
死にそうに息をしながら、よろよろと空中庭園に足を踏み入れる。ふぁさっと、草の感触が足元に響いた。全身に痛みを覚えながらも、天馬たちを見る。
白く、細い身体。そして大きな翼。無垢な瞳。一切の穢れのない存在。
そして天馬たちはレティシアに気づくと、怯えたように逃げていく。
「ど、どうして……」
あまりに必死な形相をしているからか、それとも悪行値が見えているからか。
魂の深部に刻まれたカルマが、この聖なる存在に見透かされ、怯えられているのだろうか。
レティシアは少し泣きそうになった。
しかしそのとき、一頭の天馬が木陰からじっとレティシアを見ていることに気づいた。
「シア……」
レティシアが母馬の出産を手伝い、仔馬のころから世話をしていた天馬だ。
名前も、レティシアが付けさせてもらった。
「シア。お願い、助けて」
天馬シアはゆっくりとレティシアに歩み寄って、レティシアの頭を撫でるように顎を寄せた。
レティシアは涙を流しながら天馬を抱きしめ、告げる。
「運命を変えにいくの。アルドリック様を助けにいくのよ」
王太子アルドリックは天馬の世話を良くしていて、シアのことも可愛がっていた。
「お願い、アルドリック様のところへ連れていって」
シアはレティシアの目を見つめ、頷いた。
「ありがとう!」
レティシアはシアの背に乗る。翼の動きを邪魔しないように、慎重に。
――風が吹く。
天馬が呼んだ風が。
天馬は風を操り、風に乗って空を羽ばたく、天空の女神の使者だ。
レティシアは天馬シアに乗って、空中庭園から飛び立った。
身体が風に煽られる感覚は、不思議なものだった。
浮遊感、そして空から眺める風景は、これまで経験したことないものであり、ひたすらに美しかった。
けれども、その美しさに浸る暇はない。
【カルマ変動】
・悪行値:800増加(天馬私的乱用+500)(聖務の放棄+300)
・累計悪行値:10049→10849
聖女としての義務を放棄し、天馬を私的に使用したことで、悪行値がさらに増えている。
(圧倒的光属性聖女――光の聖女への道がぁ――)
物凄い勢いで遠ざかっている気がする。
だがいまは、そんな些細なことを気にしていられない。
――空を駆け、風を操る天馬のスピードは、凄まじかった。
レティシアが想定していたよりもずっと早く――具体的には休憩を挟みながらも半日ほどで、アルドリックのいる場所へ――魔物との戦いの最前線に到着する。
その戦いは激しく、大地での戦闘の響きが空まで揺らしていた。
天馬に乗ったレティシアは、上空から大地を見つめる。
魔物たちの遥か後方の森からは、漆黒の闇が立ち昇っている。
(あそこがゲートね)
ゲートはいまこの瞬間も、魔物を一匹、また一匹と生み出し続けているだろう。
(ゲートを塞ぐことも大事だけど、まずは出てきている魔物をなんとかしないと)
獰猛な魔物たちに果敢に立ち向かうのは王国の騎士団であり、最前線では白馬に騎乗した王太子アルドリックが聖剣ダイアデムを手に魔物と戦っているのが見えた。
その勇敢さは賞賛に値するが、命を危険に晒している無謀と言わざるを得ない。
(あなたに何かあると、多くの人たちが死ぬのだから――最初に私が! でも、もう大丈夫!)
天馬の背に乗ったまま、魔物たちを見つめる。
(これが、レベルマックスの聖女の力よ!)
聖女のスキル――『聖なる光』が炸裂する。
強い光がレティシアから発せられ、一瞬にして戦場は静寂に包まれる。
光を浴びた魔物たちが崩れていき、戦闘は唐突に終わる。
騎士たちは何事かと、視線を上空へ向けた。
そこには天馬に乗り、聖なる光を放つレティシアがいる。
騎士たちの、神を見る眼差しを受けながら、レティシアは気づいた。
この誰もが目を奪われる神々しい風景の中で、ひとりだけがレティシアを見ていないことに。
その手には番えた弓矢が持たれていることに。
そのひとりの視線はアルドリックに向いていることに。
「――――ッ」
レティシアは、意を決して飛び降りた。アルドリックの元へ向かって。
放たれた矢が、アルドリックに向かって飛んでいく。レティシアはその矢を、自分の身体を使って止めた。
「――――!」
身体が焼けるような痛み。
それとほぼ同時に、アルドリックが飛び降りてきたレティシアを馬上で受け止める。
「レティシア――!」
アルドリックの声が、強い痛みで朦朧とする意識の中でも強く響いた。
焼けるような痛みに全身を貫かれながらも、レティシアは目を開く。
アルドリックと目が合う。美しい青い瞳と。
ほっと、身体から力が抜けた。
「ご無事で、よかった――……」




