閑話:逃避行と嗜虐のお姫様 3/3
2話分くらいあるので少し注意です。
「《繰糸》!」
今度は伸ばした糸を勢いよく手繰り寄せ、彼女の腕と足をさらに固く縛る。
普通なら肢体が千切れてもおかしくない強さだけれど、縛った箇所に血がぷつりと浮かぶ程度だ。
「あら、あらあら……っ!? わたくし、この後どうされちゃうのかしらっ!?
くふふ、ゆーなちゃん、期待させないでぇ?」
昂った様に彼女は身を捩らせる。
とろんとした、溶けきった表情で。
「そんなに言うなら、私だってやってやるわっ!」
さっきよりも硬く、細く、鋭い糸を使う。
私が腕を振るとそれに合わせて飛んでいく。
「《斬糸》!」
見えない糸による斬撃。それを何度も何度も彼女の肢体へ素早く打ち付ける。
けれど、やっぱり斬れない。どれだけ強くしても薄く皮膚を切る程度だ。
こんなんじゃ、全然足りないっ!
「ふふっ、かわいいわゆーなちゃん! そんなに一生懸命にされたら、わたくしっ、あなたのコトもっと欲しくなっちゃう!」
「ハァッ……ハァッ…………! なんでっ! 効かないのよ!」
こんなにスキルを使ったのも初めてだし、戦闘をしたのだって初めてで、息も絶え絶えになってしまう。
それでも何の手応えもなくて、どうしようもなく苛立ってしまう。
けれど、冷静さを失ったらそれこそ彼女の思う壺で……。
「和田ッ! 無駄だ、逃げろ! ……俺が足止めする」
「影山くんっ!?」
良かった。動けるくらいには無事みたいだ。
そう思ったけれど、彼の様子を見ているとそうも言ってられない。
額から血が流れているし、左腕がだらんと垂れ下がっている。それに、全身傷だらけで、足だってボロボロだ。
「あなたこそ逃げなさいよっ! この人が狙ってるのは私よ!?」
「だとしても、お前は置いていけない」
そう言って影山くんは短剣を片手に駆け出した。
瞬間、フランゾーネを縛り付けていた糸がピンと張る。
そして、ふわりと弛んだ。
「うふふふっ、ごめんなさいね。わたくし、やっぱり責められるよりも責める方が好きなの」
思わず息を呑む。
やっぱり彼女は手を抜いていた。
私の拘束なんて、こうも簡単に解けるんだ。
フランゾーネはスタッと地面に降り立つと。
右足で地面に落ちていたレイピアの柄を蹴り上げる。
それはふわりと宙へ浮き、彼女の手元に収まった。
そしてそれを向かってくる影山くんへ向ける。
咄嗟にもう一度糸を出して、彼女の腕と剣へ絡ませる。
そして引っ張って動きを封じようとする。
けれど、びくともしない。まるで建物か何かを引っ張っているかの様に。
けれど、少しは意識を私に向けさせたはずだ。
彼女は影山くんにレイピアの剣先の照準を合わせ、スッと突く。
先端が彼の額を突く寸前、彼は軽く飛び、体を捻ってレイピアの周りをくるりと回る様に回避した。
そのまま、鳩尾深くに拳を突き刺す。
彼女はその勢いのまま吹き飛んだ。
けれど、空中で体勢を立て直すとそのまま綺麗に着地した。
一瞬顔を顰めたくらいで、大したダメージはないみたい。
けれど、いくらレベルが高くても、殴られれば吹き飛ぶのね。
レベルが上がったところで質量は増えないし、当然といえば当然なのかもしれないけど。
「ふふっ、驚いた。あなた恐怖心とかないの? もっと自分の命は大切にした方がいいわよ?」
「そうも言ってられない状況だからな」
「そうねそうね、頑張って? わたくしも、あなたが遊べるように、もうすこうし加減するから」
そう言ってフランゾーネは影山くんに向かっていく。
影山くんもそれに合わせるように剣を構えて対応する。
彼が訓練で本気を出した姿は見たことがない。
それでも上から三番に入るくらいの実力はあった。
訓練の教官をしていた兵士にも誉められていた。
そんな彼が、今、目の前の華奢な女の子に弄ばれている。
彼女の足取りは軽く、まるで舞踏会でダンスでもしているかのように、優雅に、可憐にレイピアを操っている。
影山くんの額には汗が滲んでいる。余裕なんてなさそうだ。
助けに入りたいけど、私の実力じゃ足手纏いになるだけだ。
悔しい。
私がもっと強かったら……。
二人の剣が何度も交わる。斬っては弾かれ、突きを躱し、剣を振っては止めれ、受け流され、レイピアの剣先が額に向かって飛ぶ。
咄嗟に首を後ろへ倒し、頭を後ろへ。顎のスレスレを剣が通っていく。
全てがギリギリの戦いだった。
私はただ願うことしかできない。
永遠にも思えるくらいの時が過ぎて、何度目か、互いの剣がぶつかる。
今までとは違う音がした。
目を見開く。
影山くんの剣が、彼の手から離れ宙へ浮いていた。
何回も打ち合って、彼の手も限界だったのだ。
そして、レイピアが彼の脇腹に突き刺さり、貫通した。
そのまま両腿、右肩へ連続して剣が突き刺さる。
容赦のない追撃。
重力に従うように、力なく膝から崩れ落ちた。
「良い剣でしたよ? 精進して下さいね。まあ、もう聞こえていないかもしれませんけど」
地に倒れ伏した影山くんを見て、にっこりと微笑んだ。
そしてレイピアを軽く振り、血を落とす。
「か、げやまくん……?」
しばらく、その状況に説明がつかなかった。
倒れている彼の体から血が溢れて広がり、礼拝堂の床のカーペットを真っ赤に濡らす。
「あらあら? もしかして、この子はあなたの大切?
それはかわいそうに。ええ、かわいそうだわ。けれど、ゆーなちゃんって、奪われたらそんな顔して下さるんですね……!」
この人は、私の顔を見て、恍惚とした表情を浮かべる。
気味が悪くて、けれどその表情のおかげで少しだけ冷静さを取り戻した。
私は糸を操って彼の手足の付け根を縛る。簡単な止血だ。
でも、これだけじゃ効果が薄い。
「――【縫合】」
私のユニークスキルで彼の傷口を縫い合わせて、血を止める。
《回復》でもいいけれど、彼と距離が離れているし、どれだけの効果があるか分からない。
「あらあら、わたくしそんなの見たことありませんわぁ。くふふ、わたくしだけに見せてくださるなんて、そんなの、ステキね」
実際、私がこのスキルを使ったことは、初日に一回だけ確認した時以外ない。
どんなものかは知っていたけれど、使うことはなかった。
だからこそ、彼女の言葉が不気味に感じられる。
いったい、いつから私のことを監視していたのか。
「そんなに強いなら、どうして私たちを呼んだの? あなたなら魔族ぐらい簡単に……」
「ふふふっ、わたくし一人が強くても意味ないでしょう? それに、わたくしだって魔王となんて戦えませんわ。そんなことしたら、死んじゃいますよぉ」
大袈裟に彼女は泣き真似をする。
実際は死ぬなんて持ってない顔だ。
自分なら逃げるくらいはできると思っている。
そして、納得できてしまうくらいの実力を、彼女は示した。
「でもでも、わたくしだってこんなにたくさん呼ぶなんて知らなかったんですよ? 優奈ちゃんたちを呼んだのは私じゃありませんもの。だって、あなたたちを呼ぶと決まったとき、わたくし、まだまだ幼い子供だったんですから」
だからって、こんなに私たちのことを弄んでいいはずがない。
彼女は本当に私たちのことを愛玩動物だとでも思ってる。
「けれど、遊び相手が増えたと思えば、案外悪くないわよ?
あなたたち相手なら、どんな事だってできちゃいますもの。
だってだって、外の世界からやってきたあなたたちは、この国のルールでは人じゃないもの。ふふふ、酷い話だけれど、そういうものなの。でもでも、その代わりに、頑張ってくださったらご褒美として、名誉国民って称号は差し上げてあげられますけどね?」
「……役立たずは人じゃないって言いたいわけ?」
「あんまり酷いことは言いたくないので、お答えは差し控えさせて頂きます……なんてね?」
この国は、本当に私たちのことを道具としか見ていない。
奴隷契約なんて結ばせようとしているのも納得だ。
この人たちから見たら私たちなんて、ただの使い捨ての――
「それで、お話はもう終わりでいいですか? 優奈ちゃん」
「……ぁ。…………そうね。あなたたちが救いようがないってことがよく分かったわ」
「あらあら、そんな悲しいこと言わないで? あなたのことは特別可愛がってあげるから、それで許して?」
最悪だ。きっと私は死ぬ。
それか、死ぬより酷い目に遭う。
私、そんなに悪いことしたっけなぁ……。
フランゾーネが、ニコリと笑いながらこちらへ歩いてくる。
彼女との間に張った、最高硬度の糸たちが、当たり前のようにぷつりぷつりと切れていく。
次第に距離が詰まる。
後ろに逃げようにも、足が震えて全然動けない。
距離が詰まる。
怖い。怖い怖い怖い。
恐ろしい笑顔が、こちらへ近づいてくる。
「ふふっ、大人しく待ってくれるなんて、ゆーなちゃんはえらいわね」
ちがう、待ってなんかない。
動かない。
動けない。
手も足も全身が震えて言うことを聞いてくれない。
頭もぜんぜん働いてくれない。
真っ白になって考えられない。
そんなの関係なしに彼女は一歩一歩歩いてくる。
また距離が詰まる。
私には何もできない。ゆっくりと近づいてくる彼女の姿だけ、それをただ眺めるだけしか。
そしてまた、距離が詰まる。
頬を紅潮させて、蕩けた目で彼女は私のことを見つめる。
舐め回すように、じろりと。
やめて。もうこっちにこないで。それ以上近寄らないで。
見逃して。もう許して?
謝るから。私が酷い人間だったって認めるから。もうやめて下さい。お願いします。お願い。お願いだからぁ……。
視界が潤んで、彼女の姿が見えなくなる。
口の震えが止まらない。
気持ち悪い。吐きそうだ。
もうどうにかなりそう。
彼女の息遣いが、近づいてくる。
はぁ、はぁと深いため息が。
自分の心臓の鼓動がうるさい。
どくどくと、痛いくらいに激しくて、このまま張り裂けてしまいそう。
恐ろしくて、私は目を瞑った。
ふと、花のような甘い香りがする。
生暖かい風が、首筋を撫でる。
もう足も限界で、ふらついて、倒れそうになる。
けれど、倒れることはなかった。
「ふふっ、捕まえた」
耳元で、彼女の囁き声が聞こえた。
目を見開く。
サーッと、全身の血の気が引いて、感覚が無くなる。
彼女は倒れそうになった私の体を抱きかかえていた。
優しい抱擁だった。
けれど内臓が押し潰されて、骨が軋んでいる感じがする。
吐瀉物が喉元まで出かかる。
「わたくし、あなたのことずうっとこうしたかったの」
すぐ目の前にいる。触れている。甘い声が、すぐ耳の隣で。
「肉付きがよくって羨ましいわ。……あぁ、ほんと、噛み千切ってしまいたいくらい」
柔らかくって、トロリとしたモノが私の首筋をツーっと撫でる。
怖くって、暴れるみたいに全身が痙攣する。
けれど、彼女の抱擁から逃れることはできない。
もうだめだ。
私、もうダメなんだ。
「………………あら? あらあら? うふ、くふふふっ、あははははっ!
やだもう、ゆーなちゃんったら悪い子ねぇ、わたくし汚されちゃったぁ。
怖かったの? それとも嬉しくて? うふふっ、止まらないのね? もうっ、そんなことしちゃダメでしょう?」
私は体の支えを失って、足ももつれて後ろに倒れる。
そのまま床に転がった。
カーペットに染みが広がる。
全身がまだガクガクと震えている。
次第に感覚が戻ってくる。
まだ、抱かれた時の感覚が残っている。
痛い。息を吸うだけでも、胸がズキズキ痛む。
「いやっ……。もう、いやだぁ……」
涙と嗚咽が溢れて止まらない。
「かわいいわ、ゆーなちゃん! 愛しくて愛しくてしょうがない!
そんな顔されたら、わたくし濡れちゃう、もっと虐めたくなっちゃう!」
彼女は、そう言って震えながら剣を握る。
そして、私の太腿を足で地面に押さえつけ、レイピアで胸と腹を何度も刺し貫く。
まるで反応を探るかのように。じわじわと。
「ぎいっ……! 痛い、痛い痛いっ!」
どれだけ叫んでも、彼女は止めない。
嗜虐的な笑みを浮かべて、ただ愉しんでいる。
多分、私の内臓はもうぐちゃぐちゃになってる。
震える手で、なんとか後ろへ這いずる。
彼女はレイピアに滴る血をぺろりと舐めた。
頬を抑えて、目を輝かせる。
ダメだ、狂ってる。
「《回復》」
私は自分に対して何とか治療を試みる。
けれど、全然痛みが引いてくれない。
アドレナリンで多少は誤魔化してるけれど、これが切れたら気絶してもおかしくない。
「ああっ、ダメですよ優奈ちゃん。その魔法で内臓はあんまり治らないの。授業で習ったでしょう? 表だけ繋がって、中身はボロボロのままになっちゃうわ。
ふふふ、わたくし、まだ覚えてるわよ。冷静になって? あの時ノートも取っていたでしょう? 思い出して? どうしたらいいか分かるはずよ」
「なんなの、ほんとに! ううっ……」
ムカつく。涙が出る。この人の言葉に従うのが癪でしょうがない。
けど、やらなきゃ死ぬ。
「《治癒》」
覚えたての魔法でもそれなりの効果は発揮してくれた。
体の不快感と痛みが引いていく。
もうやだ、助けて……。だれか……。
そう思って遠くを見つめる。
影山くんがふらつきながらも立っていた。
本当にすごい人だ。
「あら、まるでアンデットみたいね。本当は大人しく寝ていて欲しいのだけど」
そう言ってフランゾーネは私から視線を外して、影山くんの方へ振り向く。
一瞬不思議そうな顔をしたかと思えば、口角がニヤリと上へ上がったのが見えた。
そして、彼女は左手を彼の方へ向ける。
「《極光》」
眩い光線が、彼女の手のひらの前の魔法陣から打ち込まれる。
それは影山くんへ当たるかと思われたけれど、彼はギリギリのところでそれを躱し、その光線は祭壇に命中する。祭壇の殆どが蒸発して消し飛ぶ。奥の壁も貫通していた。
とんでもない威力だ。あの攻撃に当たらなくてよかった。
そう思っていた。けれど、影山くんの体はどろりと黒い泥のように溶けて、地面に消えてしまった。
「くふふっ、祭壇の裏へ隠れるなんて、逃げようとでもしたのかしら?」
「へ……?」
「あら、知らないの? さっきの、分身でしょう? 本人は祭壇の裏で何かしていたようだったけど、体も残らないくらい蒸発しちゃったのかしら」
う、そ……?
わけがわからなくて困惑する。
え、なに? 今ので死んだの? 影山くんが?
でも確かに彼に攻撃は当たってなくて。
「うふふふ。バレてるって気がつかなかったのかしら。なんだか呆気なくて、笑える死に様じゃない?
……それとも、もしかして最初に言った条件を本当に達成しようとしたのかしら。アレ、半分冗談だったのだけど……」
私は何とか、椅子を手で掴んで、それに体重をかけて立ち上がる。
辺りを見回す。
どこにも彼の姿はない。
「でもでも、約束は約束だし……。彼の頑張りに免じて、30秒くらいは見逃してあげようかしら。
ねえねえ、優奈ちゃんはどう思う?」
「……どうだっていい」
「冷たくなぁい? じゃあ、わたくしここで目を閉じて30秒数えてあげるから、その間に逃げてみて! わたくし、鬼ごっこ?でしたっけ、してみたかったの!」
楽しそうにフランゾーネは笑う。
ムカつくけれど、彼女の気持ちの悪い言葉を聞いて逆に冷静になれる。
だからこそ思い出せる。
『俺の姿が消えても動揺するな。俺の得意は隠密だ、焦らず自分のやるべきことをやってくれ』
部屋を出る前に彼が私に囁いたことだ。
本当にフランゾーネの攻撃で死んだのか分からない。
だから、今はその言葉を信じるしかない。
「……フランゾーネ、あなたは知らないでしょうけど、意外と私は鬼ごっこ得意なのよ?」
「くふふっ、それは楽しみですわ! じゃあじゃあ、数えますね!
さーんじゅう、にーじゅきゅー、にーじゅはち――――」
彼女は目元を手で隠して、楽しそうに、歌うように1秒1秒数え始める。
彼の言った言葉通り、私はやるべきことをやる。
《操糸》で糸を動かして礼拝堂の椅子という椅子に括り付ける。
他にもできるだけ重い物に糸を括る。例えばこの、祭壇の瓦礫なんかが丁度いいわね。
他にも色々と糸を動かして、私の思い通りになる様に、思考して、行動する。
もう数え終わっちゃうわよ? どこへも逃げなくていいの? とでも言いたげな声色で彼女は数を数える。
けれど大丈夫。私の準備はもう終わった。
私は殆ど削れてしまった祭壇前に立ってその時を待つ。
これで無理ならもう諦める。文字通り、最後の抵抗だ。
「ご〜〜お、よ〜〜ん、さ〜〜ん、に〜〜い、い〜〜ち、ぜ――」
ゼロ、そう言おうとした彼女の声が止まる。
彼女の胸の中心には、黒い短剣が深々と突き刺さっていた。
背中から胴体を貫通し、胸から刃先が飛び出している。
そしてそれは、彼女の内側をもっと壊すように、グリッと捻られる。
静かな部屋に、グチャッという内臓の潰れる音と、ゴポゴポと彼女の喉奥から漏れる音が響く。
短剣を持っていたのは、影山くんだった。
「悪いな、騙したような形になって。俺は別の次元に隠れられるんだ」
ギロリと、鋭い眼光が後ろへ、私たちに向けられる。
足がすくみそうになるけど、もうふらつかない。
「逃げるぞっ、和田!!」
影山くんは踵を返して私の方へ駆け寄ってくる。
当然、彼女はあんなものじゃ死なないことを分かってるからの反応だ。
楽しそうにしていたところに水を差されたからか、すごく怒ってそうだ。
本当に殺されてもおかしくない。
彼女は左手を後ろへ回し、胸に突き刺さった短剣の柄を握る。
刺さったままじゃ回復魔法も使えないと判断したのか。
けれど、それは良い手とは言えないわね、フランゾーネ。
「《繰糸》」
幾つかの糸をギュッと手繰り寄せる。すると、それにつながっていた椅子たちが、押し潰さんとばかりに四方八方からフランゾーネに襲いかかる。
バキベキと椅子同士が押し合って潰れる音が響く。
椅子の塊の中から、苦しそうな咳が聞こえる。
血が肺にでも入ったのかもしれない。
まだこれで終わりじゃないのだけど。
私は、残しておいた糸を更に引き寄せる。
片方は彼女の首に括りかけ、もう片方は瓦礫たちに繋がれている糸だ。
それが、天井近くの柱や、そこに張った糸に引っ掛けられている。
彼女の体が、ギシリと音を立てて、椅子の塊ごと宙へ浮かぶ。
他端に括られた瓦礫の重さで、首がキツく締め上げられる。
カハカハと乾いた、咳混じりの声が礼拝堂に響いた。
それを見ている暇はない。
祭壇の下に隠れていた通路に私は飛び込む。
少し遅れて影山くんも続く。
「走るぞ」
「……うんっ!」
それからは必死になって暗い通路を走った。
すぐにでも彼女が追いかけてくるかもしれない。
そう思うと怖くて後ろを振り返りそうになるけど、前だけ見る。
何分か走り続けて足も限界に近づいた頃、目の前に淡く光が見えた。風の音と、水の流れる音が聞こえる。
「そと……?」
気づけば橋の下だった。
月明かりが水面に映って反射する。
満身創痍だ。
けれど足は止められない。
私たちは城から離れるように歩き出した。
◆ ◆ ◆
「随分と痛い目にあったようだな、フラン」
礼拝堂の扉が蹴破られ、一人の男が大剣を携えて入ってくる。
ガタガタと椅子の塊が震える。
かと思えば、爆ぜるように木片が飛び散った。
そしてその中から一人の少女が落ちる。
胸元を真っ赤に濡らした彼女は、ふらつきながらも自身に突き刺さった短剣を抜き取って、放り投げる。
鮮血が軽く噴き出し、激しい咳と共に口元から血がドバドバと床に流れ落ちる。
肺に穴が空いているのか、カヒュッという不気味な呼吸音だ。
彼女はチラリと、部屋へ入ってきた男を見遣る。
男は何もせず、ただじっとそこに立っている。
「ゴホッ……。これは……お恥ずかしい姿を、見せて、しまいましたわっ……」
彼女、フランゾーネは自身の胸元に手を当て、《治癒》を使う。
みるみるうちに傷が塞がっていく。
「先生は、どうしてこちらへ? ふふっ、わたくしを止めに来たんですの?」
「ああ、そうだ。悪いが、生徒を守るのも教師の責任だからな」
「あらあら酷い。わたくしは生徒ではないのね?」
「おいおい、そうは言ってないだろ? まあなんだ、引いてくれると俺も楽なんだが」
グラスの言葉に、フランゾーネは楽しそうにクスクスと笑う。
「先生じゃもうわたくしには敵わないかもしれませんよ? 先生が居なくなってから、わたくしも変わりましたから」
「……ああ、そうみたいだな。俺も驚いたよ、あんなに優しかったお姫様が今はこんなだからな」
「ふふふっ、子供というのは変わっていくモノなのですよ。何年も放っておかれたのですから、当然ですわ?」
「……そういうもんか。難しくて解らんな、ガキってやつは」
グラスは頭をかいて、困ったように言う。
彼は彼女が歪んでしまった責任の一端は自分にあると、感じている。
同時に、自分にはどうすることもできなかったと割り切ってもいるが。
「まあ、昔みたいに鍛えてやるよ。どれだけ成長したのか見せてみろ」
「あらあら、いいですわねそれ! 先生も鈍ってないか確かめてあげますわ!」
二人は互いに剣を構えて、ぶつかり合う。
彼らの戦いは日が明けるまで続いた。
記念すべき90話は、フランゾーネと優奈ちゃん回だったかもしれませんね。
戦いの結末は如何に――と言いたいところですが、次話からは本筋に戻っていきます……




