君と彼女と―― 4/4
25000文字(大体6、7話分)なので気をつけて下さい。あと途中で咲視点に変わるのでご注意。
当分の間投稿頻度は落ちると思います、ごめんなさいm(_ _)m
「着いたわね」
「おお〜! 遠くから見ても大きかったけど、近くで見るとやっぱりすごいね〜!!」
佐藤さんは天辺の方を見上げながらそう言う。
あまりにも急な角度で頭を傾けているので、首が痛くならないのかなぁなんて変な心配をしてしまう。
「そうだね。初めて来たけどもう来てよかったと思い始めてるよ」
「ふふ、そう思うにはまだ早いわよ? それじゃあ、入りましょうか」
そう言う咲はなんだかいつもより機嫌が良さそうだった。
僕たちは咲に連れられて建物の中に入る。
「それで、来たはいいけどこれからどうすればいいの?」
「とりあえずはチケットを買って展望台に登ってみましょうか」
「いいね〜。さんせーいっ!」
そうか、当たり前のことだけどチケットを買わないといけないよね。買わなくても行けるものだと思っている自分がいた事がちょっと恥ずかしい。
「ねえねえ咲ちゃん、外階段を歩いて登れるって聞いたんだけど……それって本当なの?」
「ええ、本当よ。今日は晴れているし多分行けると思うけど」
「本当!? じゃあ行こう、すぐ行こう!」
佐藤さんは目を輝かせながらそう言った。
なんとなく聞いたことはあるけど、東京タワーって本当に階段で登れたんだね。
「でも大丈夫? 足は疲れてないの?」
「もーまんたい!」
「……その様子だとそんなことなさそうね」
元気なのは良いことだ。
「よし、じゃあ早くチケット売り場に行こうぜ」
「そうね。でも結構混んでるみたいだし、この人数で売り場に並ぶのもよくないだろうから私が代表して買ってくるわ」
「いいの?」
「もちろん。それくらいさせてちょうだい」
あら、咲はできる子だねぇ……。
でも流石に1人で行かせるのはどうなんだろうか。
「一応僕もついて行こうか?」
「え、なんで?」
「へ……? い、いや単に一人で行かせるのもどうかと思ってさ」
「ああ、そういうことね」
まさか疑問で返ってくるとは思わなくて、どう言えばいいか分からなくなって言葉が詰まってしまった。
でも仕方なくない? 普通なら「はい」か「いいえ」で返ってくるじゃん。
「別にそんなこと気にしなくて良いわよ。それに……」
「それに?」
「……私よりも風香といた方があなたも楽しいでしょう?」
「はい!?」
咲は僕にだけ聞こえる声でそんなことを言った。そんなことを言われるなんて露ほども思いもしていなかったので、思わず驚きの声が出てしまう。
「じゃあそういうわけで、私はもう行ってくるわね」
「な……」
僕は、そう言って売り場の方へと向かった咲の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
「……なんでこう、うまくいかないんだろうか」
このまま後を追いかけることだってできるけど、あそこまで言われてしまうと近寄りづらい。
僕は仕方なく他の三人と一緒に咲を待つ事にした。――でも佐藤さんたちは何やらごにょごにょと内緒話をしている様子で、こちらもまた近寄りづらかった。
そんなわけで、結局僕は一人寂しく咲の帰りを待つことになった。つらい。
十分弱待っていると咲は人数分のチケットを手に戻ってきたので、僕たちはチケット代を渡す。
ていうかこの人数のチケット買えるお金持ってきてたのか、すごいな。――まあ持ってきていいお金の上限とかあってないようなものだし、どれだけ持ってくるかは人それぞれなんだけどさ。
「じゃあ行きましょうか」
「そうだね」
「よぉっし、れっつご〜!」
そうして僕たちは階段を少し上がって屋上っぽい所へ出る。どうやらここに外階段の入り口があるらしい。――ていうかやっぱり外階段って言うくらいだし外にあるのか。怖そう……。
でもここまで来ちゃったし、佐藤さん達も乗り気だし……やるしかないかぁ。
「ええっと、入り口は……あそこかな?」
「そうみたいね」
佐藤さんが指を指した方を見ると、二人の言うように外階段の入り口があった。そこから視点を上に上げていくと僕たちの目指している展望台があって……そこまで歩いていかなくてはならないらしい。それに、追い打ちをかけるように外階段は中から外を見れるように網状の柵で覆われているみたいで――景色を楽しむだとかそういう余裕のなさそうな僕からしたら、ただ怖いだけでありがた迷惑だった。
でもここまで来たからには、引くに引けないよなぁ。覚悟を決めなければ……。
「翔くん、ボーッと突っ立ってないで行くわよ?」
「あ、うん」
気が付けば、みんなはもう入り口の前にいた。――この距離の差が勇気の差なのか……?
そんなことを思いながら僕は小走りでみんなの元へ駆け寄る。
そして僕たちは係の人にチケット渡し、佐藤さんを先頭にゲート?みたいな所をくぐって中に入った。
「よーっし、じゃあやろっか、競争!」
「おう!」
「臨むところだ!」
――はい?
中に入るや否や、佐藤さんたちはそんなことを言い出した。
咲はまさか入ってすぐにそんなことを言われるとは思っていなかったようで僕と同様に動揺していた。――――こんな下手な洒落を思わず言ってしまうくらい僕も驚いているということだ。
「じゃあいくよ! よ〜い、ドンッ!」
「負けないよ!」
「よっしゃ、ぜってぇ勝つ!」
止める間も無く三人は驚くほどのスピードで階段を駆け上がっていく。ものの数分で一番上まで駆け上がってしまうのではないかと思わせるほど出鱈目な速度に、とてもじゃないけど僕はついて行けそうもなかった。
そうしてスタート地点には唖然とした表情の二人だけが残された。
今思えば、咲がチケットを買いに行ってる間にあの三人が何か話をしていたのはこの事だったんだろう。……分かったところでなんだけど。
はぁ……。僕はもうここまでずっと歩きっぱなしで足が棒のようなんだけど、上でみんなを待たせるわけにもいかないし行くしかないかぁ。ろくに運動なんてして来なかったから、どうせ一番遅いのは僕だろうし。
僕はそう思って、自分の太ももを一度軽く叩く。そして気合を入れたところで階段を踏む足に力を入れてそのまま――――走り出そうとしたところで後ろから裾を引っ張られた。
「へ……?」
「……」
後ろを振り向くと、そこには僕の裾を指でつまむ咲の姿があった。
「まって」
「え」
「……待ってって言ってるの」
いつもとは違って弱った声でそう言うので思わず驚いてしまった。
「分かったけど……どうしたの?」
「は、恥ずかしいことを言わせるわね。その、ね? 疲れてて、足がその……そんなに早く動かないの」
咲は顔を押さえながら途切れ途切れそう言った。……どうやら申し訳ないことをさせてしまったようだ。
それにしてもまさか咲も僕と同じように疲れてたとは。てっきり全然動けるものだと勘違いしてしまっていた。――というか、きっと咲も隠していたんだろう。自分が疲れているせいで佐藤さんたちのしたい事をさせてあげられないなんて事は、咲の性格的に許さなかっただろうから。
「本当に? 良かった、実は僕もなんだよね」
「そのくせにさっきは自分も飛び出す気満々じゃなかった?」
「ああ、あれはむしろ僕の方が置いていかれないか心配で急がないとと思ってさ」
「……まだ私は『置いていかれないか心配で』とは言ってないんだけど?」
「おっと……失言でしたすみません」
これはやらかしてしまったな……。
「でも、恥ずかしいけど実際そうだし……今回はお咎めなしね」
「ありがとうございます!」
「う、うん……。ええっと、取り敢えず歩きましょうか」
咲はそう言うとコツコツと階段を登り始めた。僕もその後ろをついていく。
「あの、さ。こうして二人きりになるのも随分と久しぶりよね」
「……っ!? どういう意味なのそれ!?」
急に咲らしからぬ事を言うので、驚きのあまり階段を踏み外しそうになる。
「どういう意味って、別にそのままの意味だけど。――待って、よく考えれば私ものすごく恥ずかしい事を……!? と、とにかく! 前からね、二人きりになれたら聞いておこうと思ってたことがあったのよ」
「う、うん」
「前にも聞いたかもしれないけど、あの時、どうして私のことを救ってくれたの?」
そんな事を聞かれるとは思わなかった。あの時というのは言うまでもなくあの時のことだろうけど……改まって考えてみると自分でもよく分からない部分もある。そもそも僕は咲のことを救っただとか、大それたをしたとは全く思っていない訳だし。
当時の僕からすれば咲は偶々席が近くになっただけの一クラスメイトに過ぎなくて、本当にそれ以上でもそれ以下でもなかった筈だ。印象も、特に目立たないけど転校生だからかみんなが何かと話題にしてて、よくは知らないけど優秀で色んなことができそうだなあという感じで、言葉は悪いけど誰かを助けるために動く事をあれほど怖いと思っていた――今でも怖いという気持ちは少しあるけど――僕がわざわざトラウマを呼び起こす事を承知で助けようだなんて思うほど、咲は僕の中で大きな存在じゃ無かった。
我ながら酷い物言いだと思う。でも、どれだけ咲が僕の中でどんな存在だったかを言い連ねても、結局僕は助けてしまったんだ。それはもちろん変えようのない事実。それに、あの日を何度やり直そうとも咲をあのまま放っておく事なんて僕は絶対にしないだろう。
――いや、そうか。これは外側だけ見た時の話だ。言い訳のように散々咲について言ってきたことは全部咲の外側の部分の話であって、本当はもっと違うところが影響したんじゃないか? それが何かはイマイチ分からないけど。
「ふふ、随分と真剣に悩んでくれるのね」
咲はどこか嬉しそうに微笑んで言った。
「だってさ、正直言って僕にも分からないんだ。でも後悔はないし、寧ろ何度あの日をやり直しても同じようなことをするっていう確信がある。……変な話でしょ?」
「それは確かに変な話ね。要するに翔くんって後先何も考えずに人を助けちゃうくらい途方もないお人好しってことでしょう? そこまでくると逆に阿呆よね。笑えてくるわ」
「むぅ、それはなんか……反論したいけど言い返せない。だって、きっと答えはそれだし」
咲の言う通りだ。そう言われてハッとした。ようやく気が付いた。
「ちょ、ちょっと待って、本気にしないでよ? 分かってると思うけど冗談だからね?」
「あはは、やっぱり咲って冗談言うの苦手だよね……。でも、今回は本当にそれで合ってるよ。どんな聖人でも無償の愛を注ぎすぎて自分がその愛を必要とする側にまわってしまっては意味がないでしょ? 要するに馬鹿と聖人は紙一重ってこと」
「な、なるほど?」
そして僕がただの馬鹿だったって話だ。そうじゃ無かったならあんなトラウマなんて負わなかった筈なんだから。
「とにかく、咲の質問に答えを返すとしたら……打算で行動したわけじゃない。単に僕には見過ごせなかったっていうだけだよ。カッコいい理由じゃなくて悪いけど」
「なんだか、正に呆気に取られたって感じよ。何か打算的な何かがあったわけでも、私に魅力があった訳でもなんでもないなんて思いもしなかったもの。……でもダメね、そういうところを私は――」
僕の言葉にがっかりするかと思ったけど、意外とそんな事はなさそうで安心した。最後の方は急に声が細くなったせいで聞き取れなかったけど。
「ああ、そういえば僕からも咲に言わないといけない事があったんだよね」
「――えっ? そ、そうなのね」
「うん。まあ大した話でもないんだけどさ、咲にはもっと僕とか、佐藤さんとか、とにかく他の人を頼って欲しいなって思うんだよ」
「……随分と急な話ね」
確かに話の切り出し方が雑だったかも。まあでもこういう時くらいにしか言えないし、佐藤さんにも色々と頼まれてしまったし。
「心配しなくても別に私はそんなに疲れてないし、ストレスが――――ええっと、もしかして私って今側から見て心配されるくらいな状態なのかしら?」
「それは僕にはよく分からないよ。だってどうせ疲れてても咲は隠すでしょ?」
「……あなたってどこまで私の性格を理解してるの? 時々怖くなるわ」
咲はそう言いながら体を腕で押さえて一歩僕から離れる。
咲はそう言うけど実際はそれほど理解できてないと思う。まあ隠す癖があるのは何となく見ていて分かったけど。現にさっきも足が疲れている事を黙ってたし。でも引く程じゃなくない……!?
「でも……私のこと心配してくれるのよね。大丈夫よ、別に無理してないから。それにみんなが楽しめるように考えるのは楽しいし」
「そうならいいんだけど」
そう言われても本当に大丈夫なんだろうかと疑ってしまう気持ちは無くならない。
「ああ、でも少し心配なことが一つあるの。今日の私、色々と空回りしてる気がして……やっぱり変よね?」
「別に変だなんて思わなかったけどなぁ」
「でもみんなに対して少し良くない態度をとってしまったでしょう?」
それやっぱり自覚してたんだ。――話を聞く感じ、咲のことだし「あの時は何であんなことを」だとか考えて煩悶としていそうだ。
「咲がそう思うならこれから変えていけばいいさ」
「っ、でもそれじゃ遅――――ごめん、何でもないわ」
咲はハッとしたように言葉を途中で止めると、取り繕うようにそう言った。
でも確かに咲は「遅い」と言った。何か急ぐ訳でもあるのだろうか。
もしかしたらこの修学旅行の自由行動が終わるまでに何とかしたいと思っているのかもしれない。咲と関くん達は学校で何か話すような仲でもないし。修学旅行だとかイベント事でもない限り関わりは薄いしね。
とはいえ、だ。咲があの二人に負い目を感じる必要はあまりないのではないかと僕は思う。
「咲、念のため一応言っておくけど、別に誰も咲に怒ってないしむしろ感謝してると思うよ。あの二人も最初はあんな態度をとってたけど根は真面目だし、咲に対して反抗しようとしてるって訳じゃないだろうしさ」
「そう、なのかしら……?」
「そうなの。それに、二人も咲に謝られたところで困惑するだけだと思うよ」
「本当に……? でも、分かったわ。あなたが言うならきっとそうなんでしょうね」
それでも納得がいっていない様子だったけど、どうにか折れてくれた。
何かと咲は気負いすぎてるし、全てを背負う必要なんてない。
「ほら、それよりも外の景色が綺麗だよ。遠くまで見渡せるし」
「露骨に話を逸らすわね……。でも乗ってあげるわ。暗い話は嫌だもの」
「あはは……」
僕たちの会話はどうしても暗い方に行きがちだからね。
「でも、申し訳ないけど私は高い所は苦手なのよね」
「へぇ、意外だ――って、もしかしなくても冗談だよね……? 危ない危ない、流石にもう気付くから」
相変わらず咲は冗談が分かりにく――
「冗談だったらよかったのだけれどね。私、小さい頃から結構コンプレックスなんだけど泣いていいかしら? 『翔くんが酷いことを言ってくるー!』って」
「うっ」
まさかこれは本当だったなんて……。こんなことなら深読みしなければよかった。
「……もう、別に怒ってないわ。だからそんな青ざめた顔しないで」
「僕は咲に振り回されてばっかりだね」
「だって弄りやすいんだもの、ごめんね? でもこんなことをできるのも翔くんしかいないの、そう思うと少しは許せるでしょう?」
「それ、自分で言ったら意味ないよね……」
「ふふ、そうやって突っ込んでくれるのもあなただけよ」
「……!?」
なにその優しい微笑みは!? そういうことを言われると冗談と分かっていてもドキドキするからやめてほしい。心臓に悪すぎる……。
「それにしても、随分と登ってきたんじゃない?」
「あ、うん。そうだね」
「ちょっと休憩してもいいかしら? 少し疲れちゃって」
「それはもちろんいいよ」
「ありがと」
確かに僕も疲れた。――さっきまでは歩きすぎて疲れてたけど、今はどちらかというと咲に振り回されすぎて疲れてるよ。
「流石に疲れたわね。ここまでずっと歩きっぱなしだったもの」
「そうだね。……何であの三人はああも元気なんだろう。何か裏技でもあるなら教えて欲しいけどね」
「ふふ、そうね。でもあれは裏技というよりもきっと小さい頃からの積み重ねでしょうね。……風香は例外だけど」
咲は苦笑混じりにそう言った。
確かに、佐藤さんの元気さには驚きを通り越して呆れてしまうものがある。あれで最近まで病気がちで体も弱かったというのだから尚更だ。
「まあ、きっと両親の願いが神様に届いたってことじゃない?」
「そうね。あの子の過去を考えると失礼だけど、少し羨ましくも思ってしまうわ」
『羨ましい』と言う咲の声はどこか弱々しくて、切実そうでもあった。その思いはきっと佐藤さんの元気さに対してだけではないのだろう。
「さてと、喉も少し乾いたし私は水を飲むけど、翔くんも今のうちに水分補給をしておいたら?」
「ああ、そうだね」
咲がそう勧めてくるので僕も水分補給をするとしよう。――あれ、そういえばまだ鞄に水残ってたっけ?
僕は鞄を下ろして中身を確認してみる。が、案の定中には空のペットボトルが一本入っているだけだった。
隣を見れば、丁度咲がペットボトルを開け水を飲んでいた。爽快に喉を鳴らす姿に少し羨ましく思ってしまう。しかし何よりも驚いたのは咲が手に持っているペットボトルが東京タワーの形をしている事だ。もしかしたら下のお土産売り場で売っていたのかもしれない。
僕も買っておけば良かったなぁと今更ながらに後悔した。
「なに、欲しいの?」
「――えっ!? いやそんなことないけど……」
「残念、一本しか買ってないの」
慌てて僕はペットボトルを見ていた視線を逸らす。
どうやら相変わらずそういうところの感覚は鋭い咲にはバレてしまったらしい。まあ、僕の分があればだなんて元から思ってなかったし上に着いたら飲み物でも買って休憩しよう。
「はい、どうぞ」
「ん? う、うん」
と、ここで咲が僕に向かって何かを差し出す。そして僕はそれがなんなのかを確認する前に反射的に受け取ってしまう。――そして、後悔した。
これはペットボトル? 期待してなかったけどもしかして本当は僕の分も買ってくれて――
そう思って手に持ったソレをよく見てみると
「は……? ちょっと、これ!?」
「なによ、あなたが物欲しそうに見てくるから仕方なく渡してあげたんでしょう?」
「それはそうなんだけどもさ」
まさか口を付けたものを渡されるとは思いもしなかった。
咲は気にしないのだろうか。その、か、かんせつ――ああもう! 僕が気にしすぎなだけなのか!?
「ふふっ、ごめんなさい。困惑するかなと思ってつい悪戯してしまったわ」
「……いじわる」
咲はずるい。本当にずるい。なんだか負けた気分だ。
「はい、返すよ」
「別に飲んだって構わないけれど……これ以上は可哀想だし有難く返してもらうわね」
咲はそんなことを言って、僕が何となく投げやりになって差し出したペットボトルを受け取った。
「じゃあ休憩もここら辺にして行きましょうか」
「僕は全然気が休まらなかったけどね……」
「あら、もしかして意識してくれたって事? それは嬉しいわね」
「…………もう先に行くよ?」
僕の名誉のためにもこれ以上咲に辱められては堪らないと、僕は咲の言葉につっこむ事を諦めた。そして、少し足早に階段を上がる。
「あら、つれないわね」
そう言って咲は僕についてくる。その口調は言葉とは裏腹にどこか楽しそうだった。
僕はそんな咲から逃げるように階段を上った。しかし後ろからはタッタッと軽快な足音が迫ってくる。そして
「はい、つかまえた」
「――!?」
その言葉と同時に僕の右手は咲に捕まってしまった。
「そう露骨に避けられるといくら私でもちょっと傷つくわ」
「えっと、それはごめん」
「だから少しの間、この手は拘束させてもらうわね?」
「そうはならんやろ」
そうして、理不尽にも僕の右手の自由は奪われてしまったのだった。
「ああそうだ、拘束したついでにちょっと真面目な話なんだけど」
「ついでって、この状況からよく真面目な話をしようと思ったね? なんかもう僕は色々とそれどころじゃないんですけど」
「……ふふ、やっぱり翔くんは素直な方が可愛くて好きよ? それで話っていうのはね、学校に戻った後も風香のことを少し気を遣ってあげて欲しいの」
「佐藤さんのことを……?」
咲の口から話されたのは僕からしたら全く予想外の事だった。
「そうは言っても佐藤さんに関しては気遣うまでもないんじゃないかな?」
「確かにクラスでは私なんかより上手くやってるし、別にそこは心配なんてしてないんだけど……少し私に頼りきりなところがあってね。私としては少し心配なのよ。だからまあ、今だけじゃなくて帰ってからも友達として色々話とか聞いてあげてってこと」
「なるほどね、そういう事なら分かったよ。僕もできるならそうしたいなぁと思ってた所だからさ」
まさか咲にそんなことを頼まれるとは思ってもいなかったけど、佐藤さんと話したりするのは何かと飽きないので、彼女さえ良ければ僕からもぜひお願いしたいと思っていた。
「ふふ、ありがとっ」
「う、うん」
「じゃあほら、早く行きましょ。あまりに遅いとみんなに不審がられてしまうわよ?」
咲はそう言って僕の手を引っ張りながら階段を軽やかに上がって行く。ちょっと早すぎて体勢を崩してしまいそうだ。
ああもう、さっきまで『足が動かない』なんて言っていたのは嘘だったのかと思ってしまうくらい咲が元気なんですけど。……ていうかそろそろ拘束を解いてくれてもいいんじゃないの?
でも、珍しく楽しそうに笑っている咲にそんな事は言えなかった。ここまではしゃいでいる咲は見たことなかったし、そんな咲に引っ張られている今の状況もそれはそれでなんだか楽しいし。
「ああもう、分かったよ。急げばいいんでしょ」
「そうこなくっちゃ」
◇ ◇ ◇
「あっ、きたきたっ! 咲ちゃん、翔くん、お疲れ様〜」
メインデッキに入ってすぐの所の壁に寄りかかって待ってくれていた佐藤さんが手を振って僕たちを迎えてくれる。
「お疲れ様。ごめんね、結構待たせちゃったよね?」
「別に気にしなくていいんよ〜。それに、そんなに待ってないしね」
佐藤さんはそう言うけど、彼女は走って階段を上っていたわけだしそれなりに待たせてしまっただろうな。――あ、そういえば佐藤さんと関くんと田口くんでやってたあのレースの結果はどうなったんだろうか。まあ、結果は何となく予想はつくけど、やっぱり気になるので佐藤さんに聞いてみることにした。
「そういえばさ、結局誰が一番早く上に着いたの?」
「あはは、やっぱり気になるよね? それで一位は……もちろん私! ――って言いたいんだけど、残念ながら関くんに取られちゃった」
「……!」
てっきり佐藤さんが一番だろうと思っていたけど……関くんが一番だったのか。すこし意外だ。
「……風香が負けるなんて意外ね、私はてっきりあの二人なんて軽く突き放して一位になると思ってたわ」
「僕もだよ」
やっぱり咲もそう思ってたんだ。思っていたより関くんが速かったのか、もしくは階段上りは彼の方に分があったのか。――あれ、でも神社の階段では佐藤さん結構速かったよね? 正直クラスの男子の中で、走る速さで言ったら中の上くらいの関くんがあれに勝てるとは思えないけど……。
「二人とも、ちょっとそれは私のことを買い被りすぎだよ〜。実際私がビリだったし」
「えっ、ビリって本当? 嘘、よね……?」
「ええっと……本当だよ? やっぱり私も歳かなぁ、衰えを感じるんよ〜」
まさか佐藤さんがビリになるなんて思いもしなかった。そんなこともあるもんなんだなぁ。
「まあ私のことはいいの! それよりもさ、私はその繋がれた手がすごーく気になるなぁ」
「…………あ」「…………おっと」
佐藤さんの指摘に僕たち二人は驚いて、急いで手を離した。でも時すでに遅し。佐藤さんにはバッチリと見られてしまった。
「えっと、これは、その……」
「別に変な意味は無くて……」
「ホテルに着いたら部屋でじ〜っくりとお話を聞かせてもらうね、咲ちゃん?」
「あ、う……うん」
「ならよし!」
珍しく咲が押されている……!
「じゃあ行きましょうか、向こうから見える眺めが綺麗らしいわよ」
「あ、私はしばらくここで――――」
「お待たせ、飲み物買ってきたぞ! ――って、遠坂に日野じゃん!」
「今来たんだね」
「関くん!? それに田口くんも」
佐藤さんの言葉を切るように走ってやってきたのは関くんに田口くんだった。そして関くんの手にはスポーツドリンク?のペットボトルが握られている。
「ほら、これで良かったか?」
「うん、助かるよ〜! 二人とも、ありがとうね」
佐藤さんはそう言って関くんからそのペットボトルを受け取る。そして蓋を開けてその場で飲んだ。
どうやら佐藤さんは二人に水を買わせに行っていたらしい。
「それで、具合は良くなったのかよ」
「へ……あ、うん! 少し休んだからバッチリ回復したよ!」
「よかった……」
「ったく、心配かけんなよもう……」
ええっと……どういうこと?
佐藤さんのことを二人が気遣ってるってことは……もしかして佐藤さんは――
「風香、あなたもしかして……」
「あはは……これはもう言い逃れできないかな〜……」
苦笑い混じりに佐藤さんは僕たちに対してそう言う。関くんと田口くんはといえば『やばっ』と言った表情で固まっていた。どうやら三人はこのことを隠したがっていたらしい。まあ本当にすぐバレたけど。
そんなわけで隠しきれないと判断した佐藤さんは僕たちに全て話してくれた。
曰く、階段を走ってる途中でぶっ倒れただの、咳が止まらなくてヤバかっただの、心臓が痛くてしばらくその場から動けなかっただの、僕たちの知らない間に佐藤さんは大変な目に遭っていたらしい。でも、どうやらそれも治ったようだ。
「心配かけちゃってごめんね、でももう大丈夫だから。最近は落ち着いてたからいけると思ったんだけどなぁ……。今日はちょっとはしゃぎ過ぎちゃったのかも」
「そう、なら良かったけど……あまり無理はしないでよ?」
「了解でありますっ!」
佐藤さんはビシッと敬礼をすると、にこりと笑った。
「じゃあ私はここで休んでるからさ、みんなは行ってきてよ」
「……分かったわ。遅くとも30分位で戻ってくるから」
「うん!」
佐藤さんは一日中元気で居たからこそ、ここに来てダウンするなんて思わなかった。でも、本人も気付かない内に体には相当な負担が掛かっていたのだろう。このままおいて行くのは色々と心配だ。
「じゃあ僕はここに残るよ。一人にするのは少し心配だしね」
「私は大丈夫だよ! 本当に気にしないで?」
「でも万が一ってこともあるし……」
「なら、俺たちが残るよ。確かにこのまま放ってはおけないしな」
「そうだね、それに無理をさせちゃった僕たちが悪いからさ」
「二人とも……」
何故だろう、関くん達が頼りになる存在に見えてくる。やっぱり二人も責任感を感じているのかもしれない。
「じゃあ私の側は二人にお願いしようかな〜。いっぱい扱き使ってやるぜ!」
「うっ、ほどほど頼む」
そんなこんなで意外と息の合っている三人を置いて、僕と咲は景色の見える所へと移動した。
「…………すごいね、ここからだと随分先まで見えるよ」
「そうね、天候にも恵まれて良かったわ」
学校の屋上から見える景色よりももっと壮大で、下の方に見える人々の動きも、建物も、全てが大きい。何より少し視点を移動すれば海の方から遠くの山の方まで東京という街をパッと見渡せる、息を呑むような眺めだった。
「ふふ、そこまで驚いてくれたならここに連れて来た甲斐があったってものだわ」
「ここに来てよかったって思ったよ。本当に驚いた」
「ならよかったわ。でも本当に綺麗な景色よね、二人でここから飛んだらすごく気持ちよさそうだと思わない?」
「あはは……相変わらず面白い冗談だね」
「――そうね。やっぱり私には上手い冗談は言えないみたい」
返事に間があったけど、もしかして本人からしたら渾身の冗談だったのかもしれない。……これももう何度目かのやりとりだけど。
「それにしてもここは高いわね。やっぱりどうも落ち着かないわ」
「じゃあ景色じゃなくて他の所でも見てまわる?」
「そうね、そうしましょう」
咲は本当に高い所はダメらしい。確かにさっきからあまり外を見ようとしてないし、そういうところからもそれが窺える。パンフレットを見たところ床が透明になっていて下が見えるところがあるみたいだけど、そんな所に咲を連れて行ったら本気で怒られそうだ。
「気を遣わせちゃって悪いわね」
「いや、別に構わないよ」
「そういう所、いつも感謝してるわ。私だって昔は高いところなんて平気だったんだけどね……いつからか自分でも気が付かない内にこうなっちゃって」
「へぇそうなんだ。いきなり苦手になっちゃうって珍しいね」
僕の知っている限りだと、大丈夫だったものが無理になるっていうのは珍しいことだ。なら、本人は覚えていないだけで何か咲をそう変えるキッカケでもあったのかもしれないな。……と勝手に推測してみたり。
「やっぱりそうよね。小さい頃はよくここにきてここから見える景色の絵を描いていたものだけど……そういうのも今となってはできなくなってしまったわ」
「そうなんだ……。それはなんか、悲しいね」
「そうね。ここで何も考えずに無邪気に絵を描いていた頃の私を少し羨ましく思ってしまう自分が今でもちょっといるの。大分昔に割り切った筈なんだけどね」
咲は少し寂しそうにそう言った。でもパンと一つ手を叩くと「この話はおしまい」と言って話を切り替えた。彼女自身あまりこの話には目を向けたくないのかもしれない。それに、これ以上は雰囲気が暗くなってしまうかもしれないしね。
「さて、じゃあお土産屋でも見てみましょうか。翔くんの欲しがってた水のペットボトルも売ってるかもしれないわよ?」
「あ、あれはなんか……もういい!」
「そう?」
咲は揶揄うようにペットボトルの話を持ち出すけど、あれは結構僕の心にきているのだ。恥ずかし過ぎて死んでしまいそうなくらいに。まあ何にせよお土産を見に行くのは賛成だ。どうせならここで東京土産でも買っていきたいと思っていた所だったし。
ということで僕たちは少し歩いてお土産屋にやって来たのだった。
「思ってた通り結構色々なものが売ってるね」
「そうね、東京タワーっていうよりも東京土産が売ってる感じね。ほら、あそことかご当地の銘菓が並んでるわよ」
「そうだね、折角だしあの三人の分も買っていこうか」
「……本当ならお土産ぐらい自分で買わせてあげたいのだけど、倒れられても困るしそうしましょうか」
うーん、言い出しておいてなんだけど何を買っていけばいいか分からないな。やっぱりお土産を買いに来てもらいたくなってきた。ていうかそれが一番丸いんだろうけど。
と、そんな時あるものが僕の目に入った。
「これとかあの二人に良さそうじゃない?」
「ふふ、確かにそうね。彼らにはピッタリかもしれないわね」
僕が指さしたのは金属でできた小さい刀のストラップみたいなやつ。修学旅行で痛い男子たちが買っていくイメージのある例のアレだ。まあステレオタイプかもしれないけど……。
ただ驚きなのはあれで千円する事だ。まあ確かにしっかり作られているみたいだし妥当……なのかな?
「まあそれは冗談として、みんなにはさっき咲の見つけてくれたお菓子の箱でいいかな?」
「そうね、あれなら文句は出ないでしょう。お金は私が出すわ、これでも一応班長だしね」
「これでもって、他の班と比べられない位咲は班長してると思うけど」
「あら、褒めてくれるなんていい班員を持ったものね。ありがとう」
「何その返し! もしかしてそれが言いたくて僕の言葉を誘ったでしょ……」
「真相は闇の中って事で」
「なにそれ」
咲と適当にそんな会話をしつつお菓子の箱をいくつか取って会計待ちの列に並ぶ。他の学校の修学旅行生とかで混んでいたのでレジの前にはそれなりに列ができていた。それに、並んでいる人のそれぞれが結構な量のお土産を手に持っているので、もしかしたら5分ちょっとくらい待つかもしれないな。
――なんて思っていた時だった。
「あのっ! えっと、さっきー……だよね?」
「はい?」
咲の背中を後ろからポンと叩いて、そう声かける人がいた。見れば、僕たちの学校のものとは違うジャージを着た女子二人。手にお土産を持っていたりすることからどうやら彼女たちも修学旅行とか、そういう行事でここに来ているらしかった。
それにしても、他校の生徒が咲に何の用だろうか。っていうか顔見知りぽかったけど、もしかして咲の転校前の学校の生徒かな!?
「えっ……もしかしてユウにメグ!? 久しぶりね、まさかこんな所で会うなんて思わなかったわ」
「それはこっちのセリフだよぉ! いきなり居なくなっちゃうから心配したんだからね!」
「ん、私もすごく心配した。転校するならもう少し前から伝えてほしかった」
「ああ、ごめんね。あれは親が突然決めたことで……私もどうしようもなかったのよ」
予想は当たっていたみたいで、どうやら咲の前の学校の友達みたいだ。それに、なんだかすごく仲良さそうだし。
――ていうかさっきーって何!? 前の学校でそんなふうに呼ばれてたの?
「それにしても、さっきーはどうしてここに?」
「ああ、修学旅行でここに行くことになってね。今日は完全に自由行動だから折角ならってことでここに来たの」
「おぉ、それはすごく、運命的……。実は私達も、修学旅行でここになった」
「酷いよねー、私達どうせなら京都とか行ってみたかったのにまさかの地元っていうね。しかもこれ自由行動じゃなくて集合時間決まってるんだぁ、ほんとつらいよー……」
「ふふ、それは可哀想ね」
「でもこうして咲ちゃんとまた会えたから、これで良かったーって思ってるとこ!」
確かに咲の転校前の学校って東京だよね。ならなんか可哀想だなぁ。――っていうか僕どう考えてもお邪魔だよね? 何だか感動の再会っぽいしできれば邪魔したくないんだけど。
「ええっと……。僕は退散しようか? それとも僕は並んでるから咲は二人と話してくる?」
「ごめんね翔くん、やっぱり居心地悪いわよね? じゃあこの子達にはすぐ帰ってもらうから大丈夫よ」
「えっ、折角会えたのにそれは酷くない……!?」
「同感、これでお別れはあまりにもあまりにも過ぎる」
「僕もちょっとそれは申し訳なさすぎるよ」
『あまりにもあまりにも過ぎる』という謎の語感に面白いと感じている自分自身に驚きつつ、やっぱり折角会えたのだからこのままお別れさせてしまうのは果たして如何なものなのかという気持ちが湧いてくる。
「――――ええと、冗談よ? そこまで本気にされると流石に私も申し訳なくなってくるわ……」
「ごめん、そんな気はしてた」
やっぱり咲の冗談は分かりにくい。っていうか咲のいつもの感じからして、どうも本気で言っている可能性をすぐには捨てきれないんだよなぁ。
「はいはいはい! 私としてはキミの話も聞きたいんだけど、どうかな!?」
「いいの? 折角なら三人で話したほうがいいんじゃ……」
「気にしない。むしろ、私も色々話をお聞かせ願いたい」
「そう、なら僕はいいけど……咲はそれでいいの?」
「二人が気にしないのなら当然私もそれで構わないわ」
「わーい、じゃあそういう事で!」
何だか話の流れで僕も参加することになってしまった。――でも女子三人の中に男子一人は流石にこう、安心できない。
「さて、それで早速だけど……やっぱり二人は付き合ってるの!?」
『――っ!!?』
名前も聞く前からそんなぶっ飛んだ質問をされて、思わず咲と二人して驚いてしまう。
「ちょっと!? いきなりなんてこと聞くのよ!?」
「いやーごめんごめん、でも当然の疑問だよね?」
「にしても話の順序ってものが……」
「そうだよユウ、彼氏さんとは初対面なんだから、恥ずかしくないようにまずはちゃんと自己紹介しないと」
「ああ、そうだよねー! 私ったらつい気が急いちゃって」
彼氏て、この子も僕たちのことそう思ってたのかい!
「それでキミのお名前は……?」
「色々言いたいことはあるけど……僕の名前は日野翔、残念ながら咲とは期待されているような関係じゃないよ」
「えっ、そうなの!? 距離感とかもう完全にそれじゃんって感じだったんだけど違うんだ――って、自己紹介だったよね!
私の名前は明野夕、明ける野って書いて七夕のばた! ……あれ、なばた? た? ええっと……まあそんな感じ! 好きに呼んでいいよ!」
「あはは……よろしくね、明野さん」
「うん!」
何だかすごく個性的な人だなぁ。どこか雰囲気が佐藤さんにも似ているかもしれない。
「私は立川巡、見ての通りの人見知り。でもキミとは仲良くしたい。よろしくね、日野くん」
「全然人見知りって感じではなさそうだけど……よろしくね、立川さん」
何だか二人とも個性の強そうな人だ。咲は色んな人と付き合ってて凄いな。
「……それにしてもさっきー、見ない間に随分とクールキャラに磨きがかかったよねー」
「あ、それ私も思った」
「クールキャラって何よ、私ってそんな感じなの?」
「え、でもさっきーはクールキャラだよね? 日野くんもそう思うでしょ?」
「えっ、まあ咲はクール?ではあると思うけど……」
何やら変な話が始まった。咲はまあ間違いなくクールな感じだし、そこは否定できないけど……あれって意図して作られたものなの? 全然そんな感じしないけど。
「そう言うって事は二人の知ってる咲はこうじゃなかったってこと?」
「え、まあそうだね。今でこそこんな感じだけど、昔はもっとヤンチャだったんだよー」
「ん、よくドッジボールで男子達をいじめて先生に怒られてた。他にも――」
「ちょ、ちょっと待って! それって随分と昔の話よね!? あの頃の私、今思えば恥ずかしい事してるし若干黒歴史化してるからやめて、ね?」
「……と、まあ今でもその片鱗は垣間見える」
「ちょっと!?」
おっと、これは咲の意外な一面だ。でもあまり深掘りし過ぎると何されるか分かったものじゃないから本人に聞くのはやめておこう……。
「ガードが弱くなった時に見せるそういうところも可愛らしいんだよねー」
「もう……そんな事を言うんだったら私帰るけど?」
「ああごめん、行かないで行かないで……」
「ごめん、反省してる」
「いつもそう言って誤魔化すのずるいわ、許しちゃうでしょ……」
明野さんと立川さんのいじりに口を尖らせて不貞腐れる咲。そしてそれを治める二人。そんな光景ももしかしたら彼女たちの日常だったのかもしれない。そう思うと、何だか三人の関係性がもっと面白く見えてくる。
「そういえばさっきーは新しい学校、上手く馴染めた?」
「ん、それ心配。引っ越したタイミングが悪かったし」
「あ、ああ……ええと、それは…………」
咲は二人の質問に言葉を詰まらせた。
上手くやれているかと言われれば正直咲は微妙なところだろう。そしてそれを本人も理解しているからこその反応だ。確かに引っ越してきたのが五年とクラス内でグループも出来上がっている、決していいとは言えないタイミングだったし、仕方ないことではあるんだけど……。
「隠しても仕方が無いし言うけど、まあ良くも悪くもそれなりって感じね」
「やっぱりさっきーの面白さは伝わらなかったかぁ」
「こんなに面白くて、可愛くて、それにかっこいい子なんてなかなか居ない。そっちの人たちは見る目ない」
「あはは……まあ確かにそうかもしれないけど」
彼女たちは咲が上手く馴染めていないと聞いてやっぱり不服なようだ。
「でも日野くんは結構親しそうだよね?」
「そう?」
「だって『咲』って名前呼びだもん。普通じゃそうならないよねー?」
「ん。普通じゃない、並々ならぬ関係性を感じさせる……」
「並々ならぬ……って、全然そんな事ないから」
「ほんとーに?」
確かに名前呼びしている時点でそう思われても仕方ないとは思っていたけれど、にしてもそこまで疑われるとは思っていなかった。何並ならぬ関係って一体何が並々ならぬのか僕にも教えて欲しいくらいだ。
「もう……。あまり翔くんを困らせないでね? あなた達のテンションは少し独特過ぎるから」
「はーい」
「善処する」
適当な返事を聞く感じ全然分かってなさそうだ。
「でもさ、日野くんとさっきーは少なくとも友達なんだよね?」
「まあ、それはそうだろうね。……あれ、そんな事ない?」
「何で自信ないのよ……。これで違かったら逆に友達ってなんなのって話でしょう」
それもそうか。時々咲が僕に対して友達とは思えないくらい強い当たりをしてくるから少し心配になってしまっていたのだけど、杞憂で済んだらしくて安心だ。
「じゃあさっきーと友達の私たちとも友達ってことかな!?」
「ええっと、そうなの……?」
「ん。これで違かったら逆に友達ってなんなのって話」
「そうなの……!?」
何だその理論、全然聞いた事ない。友達の友達は友達なのか……? なら一体友達の友達の友達はどうなるっていうんだ……!?
「翔くん、本当に流されそうにならないでね? 基本的にこの子たちは嘘つきだから信じちゃダメよ」
「わぁ、嘘つきだなんて酷い言われよう。さっきーのイジワルー!」
「信じるか信じないかは、あなた次第。私たちは別に嘘はついてない」
「あはは……」
清々しいまでの逃げ口上に、逆に信じてみようかという気まで起こりそうだ。
「そういえば二人は何時に集合することになってるの?」
「ああ、ええっと3時50分だよ」
「ん、その時間にメインデッキから降りて、下のエレベーター前に集まることになってる」
「そう、じゃあもうあと少ししか話せないのね……」
手元の時計を確認してみると、時計の針は丁度8を指していた。つまりあと集合時間まで10分しかないと言う事だ。
「うそっ、もうそんな時間なの? 楽しい時間ってあっという間だね……」
「ん、もっと一緒にいたい。こんなこと二度はないだろうから」
「二人とも……」
「私だってやだ、もっとさっきーとお話ししたい! まだ全然話したいこと話せてないし、聞きたいことだって……」
明野さんは寂しそうにそう言う。
僕にだって気持ちは分かる、きっと彼女たちにとってこれはまたとない奇跡だ。本当に偶然咲に出会えたのだから。簡単に離れたくないと思うのだって当たり前だ。
「ユウ、メグ……。悪いけど、集団行動の形をとっている以上二人をここで引き留めることはできないわ」
「……そうだね、さっきーならそう言うって思ってた」
「でもね、幸運な事に私達には離れていても連絡を取る手段はあるわ」
「それって……!」
「私だって携帯電話くらい持ってるってこと」
その言葉に二人の表情がパッと明るくなった。
――そういえば咲、スマホを最近になって買ったとか何とか言っていたような気が。ってことは引っ越す前の二人とは連絡先を交換できてなかったのか……。
「じゃあさじゃあさ、四人の連絡先交換しちゃお!」
「ん、それがいい」
「四人って……もしかして僕も入ってる?」
「え、当たり前でしょー?」
当たり前なのか。そうか。――そうなのか?
「まあ良いんじゃない? このアプリならみんな持ってるでしょう? これでいきましょ」
「えへへ、やったー! 嬉しいなぁ」
僕の意思など関係なく話はどんどん進んでいく。まあ満更でもないから良いんだけども。
と、まあそんな感じで結局僕も携帯を取り出してアプリを開く。――スマホとかの携帯類って僕らもそうだけど大体持ち込み禁止のはずだよね。まあ、それでも持ってきてしまうのはどこも同じか。
そんなわけで、QRコードを出して二人と連絡先を交換する。
「スマホの中にさっきーがいるってなんだか感動的だぁ」
「そんなことで一々感動してたら大変よ?」
「えー! でも本当に嬉しいんだもんっ!」
「っ!? もう、ユウも大概イジワルよね」
普通なら恥ずかしがるような事を何の躊躇いもなく話す明野さん。流石の咲もこれには動揺させられている。
ああでも本当に、その度胸というか心の持ち用というか勇気というか、そういうものが羨ましい。
「さてととと、私たちはそろそろお暇するね」
「ん。二人の邪魔しちゃ、悪い」
「なっ」
「二人の邪魔って……ちょっと!」
「ふふ、分かってる。ちょこっと揶揄ってみただけ」
「もう……」
咲は揶揄われたと知ってため息を吐く。でも、やっぱりどこか嬉しそうだ。
ぼ、僕は揶揄われただけって分かってましたけどねー……。
「ごめんね? でも可愛らしいさっきーが見れて、満足」
「――さっきー、さよならは言わないからね」
「分かってる。またいつか会いましょう」
「うんっ! どれだけ離れててもユウはユーの事が大好きだから!」
「ふふっ、何よそれ。適度に下手ね」
「なっ!?」
明野さんからしたら結構渾身の駄洒落?だったらしく、咲に下手と言われてショックで固まってしまう。
でもきっとその下手って言葉はただの照れ隠しで……ちょっとわざとらしくてクサいようなあの台詞が、意外にも咲の心に刺さってしまったんだろう。
「言ってあげないで。あれでも結構、自信あるらしい」
「そうなの? じゃあさっきの言葉は撤回するわ。…………さ、咲だけに?」
「わぁ、咲ちゃんも私と同じレベルで安心した!」
「うっ、言わなきゃ良かったわ……」
恥ずかしさから顔を赤くして、それを必死に隠す咲。こんな事になる咲も珍しい。いつもならそうならない様に上手く立ちま――――いや、だって三人は気の置けない親友だし、そうなるのも当然かぁ。
「――そうだ二人とも、大したものじゃないけど、これあげる」
「これ、いいの?」
「ん。別に私達からすれば、いつでも手に入るものだし」
「ありがとう、立川さん」
そう言って立川さんに渡されたのは彼女たちの買ったお土産が入った袋だった。
「でもちょっと悪いような、何かお礼になるものでも……」
「気にしないで? このお土産くんも私よりさっきーと日野くんたちの元に行った方が幸せだろうし」
「ん、お礼はいい。……あっ、そうだ。付き合ったら教えて欲しい」
『ちょっと!?』
「やっぱり相性良いよねー?」
まるで言い合せたかの様に咲と同じタイミングで同じ事を言ってしまう。これは流石に弄られても仕方ないな……。
「じゃあ私たち行くね。またね、元気でね!」
「またね」
「…………ええ、また会いましょう」
「うん、また」
集合時間まで時間がないので走って去って行く二人。時間ギリギリまで一緒に居てくれるところが優しいなと、その後ろ姿を見て思った。
そして、二人を見送る咲はやっぱり寂しそうだった。
「――ごめん」
二人の背中を見て、咲は本当に小さな声でそう呟く。
何を謝っているのか僕には分からない。でも、何か咲には思うものがあるのだろう。そして、それを咲に聞いてしまうのも何だか違うなと思った。
突然やってきて突然去っていってしまった二人。話したのは多分時間にしたら長くない、むしろ短いくらいだったかもしれないけど時間を忘れるくらいには楽しかった。少なくとも時間を忘れすぎていつの間にかレジに並ぶ列から外されてしまう位にはね。
「えっと……並び直す?」
「え? ……あ、そうね。そうしないとね」
そんなわけで僕らはまた長い列の後ろへと戻った。
◇ ◇ ◇
お土産を何とか買った後みんなと合流し、その後はそのままホテルに戻るかと思っていたのだが――僕たちは今咲に連れられて東京タワーから出て住宅街の中を歩いていた。いや、正確には僕たちはついていっていると言うのが正しい。と言うのも、遡る事数十分前
「個人的に行きたい所があるから私は少し寄り道してから帰るけど、みんなは自分たちでそのまま帰れる?」
と咲が突然言い出し、それに対して佐藤さんが
「いいや帰れないね! ここまで来たんだから咲ちゃんについていくもん!」
と言い放ったのだ。
咲は『本当に個人的でみんなが見たいような所でもない』と言ったけど佐藤さんは聞かなくて、僕たちもちょっと興味があったのでこうしてついて行っている訳だ。でも、行き先も聞いていないしどうやってここまで来たのかとか覚えてないし、そのせいでこのままはぐれたら道に迷って死にそうだ。
ていうか本当はバラバラになって行動するのは良くないことだからね? 僕たちは昼のこともあってそこら辺アバウトになっているけどさ。
「――着いたわ」
と、そんな事を思っていた時、咲は立ち止まってそう言った。
一体何を見たくてここまで歩いてきたのだろうかと思い辺りを見回す。が、どの方向を見ても家しかない。――――家?
「もしかしてここって……」
「ええ、昔私が住んでたアパートね」
やっぱりそうか。にしても咲はこんなところに住んでたのか。てことはさっき会った二人もこの近くに住んでいるのだろうか。
「へ〜、咲ちゃん引っ越す前はここに住んでたんだ〜!」
「ええ。でもこんなもの見たって面白くないでしょ? だから着いてこなくて良いって言ったのに」
「いや、俺はそうでもないけどな」
「私も〜! なんて言うか……嬉しい、のかな? 自分でも分からないけど」
「そうなの? まあ退屈じゃないなら良かったけれど」
咲は二人の言葉を聞いて意外だといった表情を浮かべる。
まあ僕からしたら目的地に来たと言うのにどこか冷めている咲の方が意外なんだけど。
「ねね、咲ちゃんってやっぱりここに思い出とかあるの?」
「思い出? まああるにはあるわよ。どれもあまり良くないものだけど」
「そうなの? でもさ、ならなんでここに来たの?」
「……何ででしょうね。それは、私もよく分からないわ。でも、きっとここでけじめを付けておきたかったのだと思う」
「そっかぁ」
けじめ……か。この家で過ごした思い出みたいなものに対してだろうか。家族との仲はあまり良くないらしいし、だとしてもおかしくはない。でも、それでもなんだか悲しい事のように思ってしまう。
「それで、入ってみるの?」
「……初めはそのつもりだったけどやめておくわ。もうここには新しい人が住んでいるみたいだから」
咲はアパートの入り口にあるいくつかのポストの一つを指差して言う。確かに彼女が差したものには、部屋番号と名前が書いてあった。
「まあここに来れただけで充分。だからもう帰りましょうか」
「え、もういいの?」
「ええ、別に感動することでもないし、この家に愛着も何もないもの。……やっぱり変かしら?」
「まぁ、ちょっとは?」
愛着がないと言うがそれにしてもすぐ帰ろうとするんだなと、どうしても疑問に思ってしまう。
「ふふ、別にそこで遠慮する必要はないのよ? まあ私の場合は少し特殊だったし、他と違うのも考えてみれば当然のことね」
「そっか」
「じゃあそういうことで……さ、行きましょう?」
咲にそう言われてしまえば僕たちはどうする事もできなくて……これで良いのかなという思いも言えないまま、まるでこの家から逃げるかの様に歩き出したのだった。
◆ ◆ ◆
班別行動も無事に終わってホテルに戻り翔くん達と解散した。その後、ご飯を食べて、お風呂に入って、歯磨きだとか寝る前に済ます諸々も終えて、手持ち無沙汰のまま何となくベッドに座って窓の外を眺めていると、そこに風呂上がりの風香が「えいやっ!」という声と共に勢いよく飛び込んできた。
ドンッという衝撃がベッドを通して私にまで伝わる。突然の縦揺れに正直ちょっとビックリした。
「……もう。夜なんだからあまりはしゃいじゃダメよ?」
「は〜い!」
ちゃんと分かってるのか、分かってないのか……。まあどうせいつもみたいに私が注意しても聞かないのだ、風香は。でもまあ修学旅行なんだし、きっとその元気さは私の為でもあるんだろうから今回は見逃してあげる事にする。
「ねぇ咲ちゃん、なんか部屋暗くない?」
「ん? ええ、まあ消灯時間も近いしね。怒られたくはないでしょう?」
「え〜! もうそんな時間なの!?」
ふふ、やっぱり風香は元気ね。そうやって驚く姿が何だか可愛らしい。
「時間の流れって早いんだね〜、楽しい時間はあっという間にすぎるってことかなぁ。――あ、そうだ、今日は楽しかったね!」
「相変わらず突然ね……。ええ、私も楽しかったわ。でも突然倒れたって聞いた時は本当に心配したわ」
「あはは……あれは自分でも反省してます……」
「なら良いんだけど、あまり無理はしないでよね?」
「分かってるよ〜!」
風香は足をバタバタと上下に動かしながら抗議する。でも風香がそう言う時は大抵分かってないのよね……。
「それはそうとさ、翔くんとはどうなったの!?」
「なっ……!?」
いきなりなんて事を聞いてくるのだろうか……。風香じゃなかったら一発くらい拳を入れていたかもしれない。
「別にどうもこうも、何ともなってないわよ。逆にあなたは何を期待してたの?」
「え? 告白だけど」
「だ、だいぶストレートに行ってくるわね」
当然でしょ?と言う様にいつもの声の調子でサラッとそんな事を言ってくる辺りこの子らしいっちゃらしいのだけど、ちょっと性格悪いと言わざるを得ない。
「それでさ、結局したの? 東京タワーでさ」
「…………してない」
何だか感じる必要はないはずなんだけど、罪悪感の様なものに押し潰されながらも風香に事実を伝える。
要らないお世話とはいえ、今日一日彼女には色々と気を使わせてしまった部分がある。だからそれを思うと少し、申し訳ないと思ってしまう。
「……そっかあ、やっぱりそうなったか〜」
てっきりお説教みたいな事でも言われるかと思ったけど帰ってきたのはそんな反応だった。まるでこうなる事が分かっていたかのような……何というかそれはそれでムカつく。
「やっぱりって何よ、やっぱりって」
「え〜、だって咲ちゃんってそういうの苦手かなって。何だか失敗した後の事とか色々考えちゃって結局踏み止まっちゃってそうだもん」
「それは、だって……仕方ないでしょ」
「でも溜め込んでたって仕方ないよ。咲ちゃんは翔くんのこと好きなんでしょ?」
「それは……そう。たぶん、そう」
こうして言わされるとやっぱり恥ずかしい。そして、それと同時に嫌でも自分の気持ちというものを理解させられてしまう。でも、だって、しょうがない。こんな気持ち無くせって言われてももう無理だ。それほどまでに、拗らせてしまったのだから。
「じゃあ――」
「でもね、やっぱり伝える気はないわ。何週間か前から決めていたの」
そう話すと風香は固まってしまった。でも、そうなってしまうのも無理ないだろう。
「え……な、なんでそんな、そんなこと」
「私のためでもあるし……彼のためでもある。詳しくは言わないけれど」
話していてどうも苦しくなってしまう。ならこんなのやめてしまえば良いのにと思わず考えてしまう。でもそれはできない。
本当はこの修学旅行だって――或いはもう少し前から――私は彼と風香にはあまり関わらないつもりでいた。そのための覚悟も決めた――――筈だったんだけど。そうできなかったのはやっぱり、まだ一緒に居たいと思ってしまったからなのかしら。
我ながら馬鹿らしい。でも、もう清算しないといけない。
重い体を動かして私は風香の方へ向き直る。
「分かってとは言わないわ。でも、意見を変えるつもりはない。色々してくれたのに風香には悪いと思――」
「――そんなの悲しすぎるよ、咲ちゃん」
私の言葉を遮って、風香は言う。冷たい声だった。いつもの戯けたソレじゃなかった。ああきっと、私は怒らせてしまったんだ。
「私が言うことじゃないかもしれない、でも誰も言わないなら私が言う。誰のためとかそんな言い訳どうでもいい! 好きなら好きって言ってくればいいじゃん! 今の咲ちゃんは見てられない。自分で自分を縛りつけて、気持ちに蓋して、勝手に自己嫌悪して……そんなに悩むくらいならもっと正直になればいいでしょ? それに、こんな事どうせ分かってるくせに何でそんな、そんな……自分を苦しめるような事重ねるの?」
「……」
「まだ遅くないよ。このままで良くないって思ってるならいくらでもやりようはあるんだからさ」
ああ、なんて耳の痛い話なんだ。言葉も出ない。
ここで楽になりたければ言えばいいんだ。「分かった」と、ただ一言。でも言えるわけない。
私たちももう六年だし6、7ヶ月もすれば卒業だ。そうなったらきっと離れ離れにならざるを得ない。私の場合親が来年にはまた引っ越すと言っている。元々今の場所には長居するつもりもないと聞かされていたし特別驚きはしなかったけれど、悲しくないわけじゃない。気分は最悪だった。
だって私はあの場所が、あそこに住んでいる人たちのことが好きだから。何故か知らないがいじめてくる人もいるけど、そんなの気にもならないくらい、今の生活がどうしようもなく好きで好きで堪らないから。
これから先の人生なんて想像が付かない、想像したくもない。できるなら時間を止めてどこかへ閉じ込めてしまいたい。せめて、私の中だけでも。
だから、だからこそここで首を縦に振るわけにはいかない。
「そっか。……ごめん。私、つい抑えられなくて思ってること言っちゃった。要らないおせっかいだったよね。…………ほんとごめん、ちょっと外出て、頭冷やしてくる」
風香は震えた声でそう言うとベッドから立ち上がる。顔は見れなかった。見れるはずがなかった。
何か言わないと。言わないといけないって分かってるのに、この期に及んで私の口は動かない。ただ茫然と一歩一歩離れていく姿を見つめることしかできなくて……そして、結局呼び止めることもできないまま風香はドアに手を掛けて、外へ出た。
部屋には重い静寂と私が残される。
なんで、どうして、私は親友にこんな思いをさせているのだろう。答えはわかっている。私がそうなるようにしたからだ。でも、それにしても遣り様があったんじゃないかと考えてしまう。
「これで……こんなのでいいの、私は? こんな酷い終わり方、望んでたんだっけ……」
確かに、嫌われてしまえば別れるのは楽だろうと思ってはいた。けれど、お互いにこんな思いをしなきゃいけないって分かってたらこんな事しなかった。全然楽なんかじゃない、寧ろ苦しくてしょうがない。……こんな私に思い出を抱えていく資格なんてあるのだろうか。
頭の中で色んな感情が渦を巻いて、思わず吐きそうになる。
私は蹌踉めく体をなんとか支えて窓のところまで歩いていき、何とかそれを開けて風を部屋に入れる。風の勢いが強くてカーテンが大きく揺れ、サイドテーブルの上に置かれていたメモ用紙も風に捲り上げられてパラパラと音を立てる。
何となく、本当に何となくだけれど落ち着いてきた気がする。
「――――ああ言ったの、結構本気だったのだけどね」
窓枠に寄りかかって、ふとそんな事を呟いてみる。隣に誰もいないのがやけに心細い。
馬鹿ね、私は。あんな事をしておいてこの上更に酷い思いをさせてしまう。あの二人には何の恨みもないし、関係もないのに恩を仇で返すようなこと……。
ああでも、何にせよこうしてようやく望み通り一人になれた。
――そうだ、鍵とドアガードを閉めて、風香の荷物も玄関に置かないと。あと……一応何か書かないといけない、わよね。
やらなければならない事を思い出し窓から離れる。
窓枠の金属のひんやりとした冷たさが、腕の傷に染み付いてなかなか取れなかった。
ついさっきまで先の事なんて考えられなかったのに、今の今になって何となく想像が付く。
私がこれから一体何人の人に迷惑をかけるのかと考えてみれば、決してできた人間などではない事などすぐに分かって……
「両親の言う様に、結局私は徹頭徹尾出来損ないだったってこと、ね」
申し訳ないという気持ちで頭が一杯になりながらもやらなくてはならない事を終わらせる。
「そうだ、あれを、あれくらいなら持っていっても構わないかしら」
ふと思い立って、机の上に置いてあった自分の鞄を開いて一つのキーホルダーを取り出す。お揃いになってしまったキーホルダー。二人には申し訳なく思うけれど……多分この小さな、力を加えればすぐに折れてしまいそうなキーホルダーが私の人生ってやつの結晶で、生きた証だから。
そして、私は再び窓の前に立つ。
自然と外の景色が目に入る。
息が詰まる。
これだから、高い所は嫌いなのよ。
でも、大丈夫。後は身を任せるだけで、私の望み通りに。
「――ああ、でも、私がお姉ちゃんの家族じゃなくて良かった」
心からの安堵を口にして、私は虚空に体を預けた。




