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蕾のまま咲かない花もある

 妹なんかじゃなくてお姉ちゃんが良かった。


 もしそうなら、私はもっと優しくなれたのに。

 もしそうなら、もっとあの人たちに正面から向き合えただろうに。

 もしそうなら、もっと上手くやれたのに。

 もしそうなら、きっと私は私でいられたのに。



 ☆ ☆ ☆



 私は自分の家というものが怖くてたまらなかった。

 できればこんな所になんて居たくない。それが本音だった。

 でも多分、それを願っていたのは私だけじゃない。



 私たちは四人家族だった。父と母と三つ上の姉と、それから私。

 裕福というわけじゃなかったけれど家族四人生活するのに困る事はなくて、私にはそれで十分幸せだった。でもいつからか、それは変わってしまった。


 

 私のお姉ちゃんーー遠坂蕾は文句なしの天才だった。

 勉強ができて成績が良いというのも勿論そうだけど、お姉ちゃんの一番凄いところは美術においての才能だ。

 お姉ちゃんの才能が始めて露になったのは、小学一年生の時に何気なく応募した絵のコンクールでの事だった。

 全くの初心者の状態で出した作品。両親も、お姉ちゃんも、流石に賞は取れないと思っていたようだけどーーーー結果は最優秀賞だった。

 


 思えばあれが全ての始まりだった。

 勿論、お姉ちゃんの事を悪く言うつもりは無いけれど……あの人達がおかしくなったのはあれがあったからだと思う。



 あの日からお姉ちゃんは暇さえあれば絵を描くようになった。

 テレビも本も、今まであまり見なかったはずなのに美術に関する物なら見るようになった。

 始めてスマホを買ってもらった時もそうだ。『これでもっと絵が上手に描ける』って、そう言って笑っていた。


 そう、お姉ちゃんはあの日以来全くの別人のようになってしまった。


 初めの頃は私も別になんとも思ってなかった。でも、半年近く過ぎてもそれが続いて……流石に不気味に思えてきてしまった。

 それに何となく違和感のようなものもあった。

 笑っているはずのお姉ちゃんの瞳の奥はどこか暗そうで、私に何かを隠しているだろう事はすぐに分かった。

 でも、私にはそれが何なのかを尋ねる勇気なんて無かった。後一歩が踏み出せなかった。



 お姉ちゃんは家の一室を小さなアトリエにして絵を描いていた。

 大分前の話であまり思い出せないけれど、私はそれを覗きに行った事がある。

 邪魔をしないようにとドアの隙間からお姉ちゃんの姿を眺めた。

 黙々と、迷う事なくキャンバスを鮮やかな色で染めていくその後ろ姿が格好良くて……でも、昔のよくはしゃいで笑っていたお姉ちゃんとはあまりにかけ離れていたから、少し悲しくなった。


 私はしばらくそうしてお姉ちゃんの事を見ていたのだけれど、結局その後私は見つかってしまった。


 いつもと変わらない笑顔で『こっちへおいで』と手招きするお姉ちゃん。

 普段は何となく逃げ帰ってしまう所だけど、その日の私は違かった。


 てくてくと歩いて、お姉ちゃんの膝の上にちょこんと座る。

 お姉ちゃんは少し驚いた様子だったけど、私の事をぎゅっと優しく抱いてくれた。


 そう、それでその後お姉ちゃんに聞いたんだ。

 ずっと前から思っていた疑問。そして、溜め込んできた思いを。



 ーーお姉ちゃんはどうして絵をかくの?


「え?どうしてって……もちろん楽しいからだよ。

 自分の頭の中に浮かんでくるいろんなものを、こうやって形にするのがおもしろいの!」


 ーーでも、前のお姉ちゃんの方が楽しそうだった。


「……そうなのかな。ーーううん、違うよ。今はほら、本当に集中したいものが見つかって、きっと今の方が前よりずっと楽しいはず」


 ーー本当に?最近のお姉ちゃんはつらそうだし、こまってない?


「やっぱりそう見えるのかな……。でも大丈夫。最近はほら、コンクールも近いし少し張り切りすぎちゃっただけだよ」


 ーーーーやっぱり、私じゃ力になれないのかな。


「え……」


 私の言葉にお姉ちゃんは驚いたのか、それとも言葉に詰まったのか少し固まってしまった。でも暫くしてもう一度口を開く。


「ーーごめんね」


 お姉ちゃんはただ一言、私にそう言った。


 何をどうしてその言葉が出たのかはお姉ちゃん以外分からないけど、その言葉には押し殺された色んな感情が混じっていたというのが今となっては分かる。


 お姉ちゃんが『ごめんね』と言うという事は、少なからずお姉ちゃんを苦しめる何かがあるという事。

 当時の幼くて愚かな私はそれを何となく感じ取り、そして何も教えてくれないお姉ちゃんに少し腹を立てたのを覚えている。



 『期待』というものは重いのだと、私の番が回ってきて漸く理解した。

 小学校に上がってから、私に対する親の態度が明らかに変わったのだ。


『蕾ができたんだから妹の咲ならもっとできる筈だよ』

『もっと頑張って蕾のように成果をあげなさい』


 毎日毎日そのような言葉を浴びせ続けられた。

 初めの頃は親に期待されている実感がして嬉しかったけれど、それが暫く続くと流石に鬱陶しく感じてくる。

 親からの声援はまるで枷のようだった。



 それから先の私たちの生活を説明するのは少し難しい。というのも、私達の生活は矛盾だらけだったのだ。

 でも、頑張って言葉にしてみようと思う。

 


 結論から話すと、私は親に見放され家の中では自分の部屋に閉じ篭もるようになった。

 私は自分で言うのも何だけどそれなりに勉強や運動だってできたし、お姉ちゃんに教わって美術系の事も大体上手くやれた。それに十分努力もしたし、結果だって出した。

 ーーでも所詮姉ほどの才能は持っていなかった、それだけの事だ。

 とはいえあの人達から見放される事で『期待』に囚われなくて良くなったと言うのは、唯一良かったことと言える。

 応えれば『もっとやりなさい』できなければ『どうしてできないの?』と怒られる。あの生活は訳がわからなかった。

 勝手に期待させられて、勝手に落ち込まれて、勝手に失望されて、勝手に私の将来の事まで嘆かれて、全部親の勝手、勝手、勝手。頭がおかしくなりそうだった。

 私が親と同じ方向を見ているとでも勘違いしている。それも全く疑うことをしていない。そんな気味の悪い気持ち悪さ。

 それから解放されたのは少し気分が良かった。

 でもそう、腐っても()という立場の人たちから出来損ないの烙印を押されるのは少し堪えたけれど。


 そんな私を他所にお姉ちゃんの才能は留まることを知らなかった。

 私とは違って本物の才能。昔は劣等感を覚える事もあったけれど、今はもう自分の才能の限界に気がついている。故に私は心から自分の姉のことを誇りに思っている。

 ーー話が逸れたので戻すけど、お姉ちゃんはテレビだとかに呼ばれる事も少なくは無かった。

 だから世間の目も自然と『天才少女』に集まって、知名度も上がってーーーー姉の描いた絵はどれも飛ぶように売れた。

 そうやって手に入れたお金は全部親のところへ行く。そうやって私の親は金とか、名声だとかに取り憑かれていった。


 確かに裕福にはなったけれど、それで「ああ良かった」だなんて簡単に言って終わる問題じゃない。両親にとっては違うみたいだけど……少なくとも私達姉妹からしたらそうだった。

 お姉ちゃんは両親からの日々肥大していく『期待』に応え続けなくてはならなくなったし、出来損ないの私に対する風当たりは日に日に強くなる一方だった。


 私は一度、姉と両親が出ていた番組を見た事があるから知っている。

 私は『いないもの』なのだ。残酷にも世間には遠坂家は優秀な()()()()という事で通っている。

 それに、家の中でもそうだ。食卓は私以外の三人で囲むし、外食をしにいくのも、遊びに行くのも全部三人。家族の空間と言うものに私の居場所は無いし、それに私もあの人たちと同じ空間にいたいと思わない。


 ただ唯一お姉ちゃんだけは違う。お姉ちゃんはいつだって私に優しかった。お姉ちゃんだけは私を見てくれる。

 それに、お姉ちゃんは私を守るために頑張って絵を描いてくれている。

 お姉ちゃんの描いた絵が高く売れると、あの人たちは気を良くして少しの間だけど優しくなる。

 単純でしょ? でもその苦痛からの解放を私たち姉妹は喉から手が出る程欲していた。それが一時的なものだとしても。


 私たち姉妹の生活を形容するなら、それは泥沼だった。

 でもその中でお姉ちゃんだけが私を救ってくれた、同じ泥の中に落ちているはずのお姉ちゃんがだ。

 だから私はお姉ちゃんの事を家族として心から愛していた。

 


 今から半年と少し前、私はこのままではいけないと本気で思うようになった。

 元からこうなるとは分かっていた事だったけれどーーお姉ちゃんがもう限界に近いようだった。いや、もうとっくに限界なんて越えていたのかもしれない。

 思うように絵が描けなくなって、段々と疲弊していくお姉ちゃんの姿は見ていられなかった。

 私は何かできないか、そう思って色々試したりしたけれどどれも上手くいかなかった。


 でも、ある事がキッカケでお姉ちゃんは元気を取り戻すことになる。


 親が決めた引っ越しだ。



 私は突然の引っ越しで東京を離れて地方都市の学校へ通うことになった。それも小学校五年の三学期にだ。

 でも文句は言えなかった。お姉ちゃんは都会とは違う、引っ越した先の街で元気を取り戻した。

 地域の人たちや、その街の温かみのある風景がお姉ちゃんに新鮮なインスピレーションを与えたのだろう。


 全部私にはどうする事もできなかったことだ。


 お姉ちゃんの事を金のなる木としか見ていない両親が、誰よりもお姉ちゃんの事を愛していると思っていた私にできなかった事を簡単にやってのけた。なら私に出来ることは無いんじゃないか。

 私の中にそんな考えがぐるぐると渦のように回っては消える。

 自分に何ができるのか、お姉ちゃんに助けてもらってばかりで何もしない私の存在価値って何なのだろうか。

 その時の私はそんな考え出せばキリのない闇に呑まれ始めていた。でも



 翔くん、貴方に出会ったのは丁度そんな時だった。

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