おはよう
いつの間にか五十話過ぎてた……!
ふと、耳にぼんやりと小鳥の囀りが入り込んでくる。
カーテンの隙間から差す光が私の額を優しく撫でる。
心地よい朝の空気に包まれて、私はゆっくりと瞼を開け、目覚めた。
「ん……あ、さ?」
ふぁぁと小さな欠伸をあげて、寝ぼけ眼を擦ってみる。
すると、ぼんやりといつもの見慣れた天井が見えた。
「起きなきゃ……」
私はいつもみたいに布団という悪魔の束縛から脱出――起きあがろうと、ベッドに手のひらをついて力を込める。
――だけどどうして、今日は抜け出すことができなかった。
別に布団の誘惑に誘われたからじゃない。今日はちゃんと起きようとしているのに体が動かない。布団から抜け出そうとすると、体をぎゅうっと縛られたように動かないのだ。
いや、実際のところ本当にお腹の辺りを何かに縛られていた。
「……っ!?」
私は本当に布団の悪魔に捕まってしまったのかと思って、びっくりして動揺してしまう。
だけど、本当に布団の悪魔に捕まってしまったわけでは無く、自分に覆い被さっていた布団を捲り上げてみると、そこには私に抱きつくユイ――今はミサさんの姿だけど――がいた。
というか私のすぐ横にユイの頭があったので、よく考えなくても私のことを縛っていたのはユイだったのだ。
その事実に私をホッとため息を吐く。
だけども一つ、落ち着くことのできない事がある。
ぎゅうと抱きしめられているせいで、その……なにとは言わないけど柔らかいモノが私に押し付けられているのだ。
どうしようか。僕としてはちょっとこんな状況は居た堪れないのですぐにでも抜け出したいのだけど、私としてはまだ微睡の中に揺蕩っていたいらしい。
抜け出すのも面倒だし、眠っているユイを起こすのも可哀想だし……それならいっそこのままお昼くらいまで眠っていても良いのではないか。
そんな思いが頭の中を過ぎる……が
――ちょっと待って、朝ごはんって作った方がいいのかな。ユイのためにも起きてきた時に準備してあげたら姉としての評価も上がるのでは?
でも、分かりきっていることながら、私よりもユイの方が何倍も料理が上手いんだよね。
私なんて所詮十代の子供がまぁ暮らしていける程度の食事しか作れないし知らない訳だし……そもそも生きる為に必死に努力してきた人間と比べるのが間違っているんだけど。
でも、今まで旅をしてきてユイに食事のことは任せっきりだったんだよなぁ。
私は別に食べなくても死にはしないだろうけどユイは違うし。このままって訳にもいかないよね。
そうやって、下らないこと――でも私にとっては大切なことに悩んでいると、ふとある事を思い出した。
――そういえば、なんで私はここに居るんだろう。
意識が段々と覚醒していくに連れ、その事実が私に酷く重くのしかかってくる。
確か昨日は私達のことを監視している誰かがいて……その何者かを追いかけていたら恥ずかしいことに返り討ちにあって、私は気を失った筈だ。
改めて事実を確認してみると、こんなの……軽くホラーだ。
しかも、それだけじゃない。何故か変身が解けて幼女の姿に戻ってる。
なんでこんな状況になっているのか、頭の中で色々と考えてみる。――けど、それも虚しく何も分からなかった。
もう、何もかもどうだっていいかな?
……流石にそれはダメか。
――よし、朝ごはんでも作ってモヤモヤしたこと全部忘れてしまおう!
私だって焼いたトーストとか目玉焼きくらいなら作れるし!
私はそう思い立つと、先ずはユイの腕の中から抜け出すことにした。
◇ ◇ ◇
思いの外ユイの包囲網が堅く脱出するのに神経を擦り減らし四苦八苦していたが……結果的に極短距離の転移という形でなんとか抜け出すことに成功し、今は朝食を作ろうとキッチンへとやって来ていた。
だけど、ここで私は重大な問題に当たってしまった。
――そう、そもそも食材がないのだ!
「まぁ、そりゃそうだよね……」
考えてみればこの街に来てから買い物なんてしていないし当たり前なんだけど……それがすっかり頭から抜け落ちていた。
しょうがない、買い出しに行かないと。
こういう時には《創造》が役に立つんだけど……今更ながら魔法で作り出した食材を食べるというのもなんか心配。
これも愛しい妹の為、頑張るぞー!
でもどこで買い物でできるのか分からないし、魔族の通貨ってどんな物なんだろう。……まあそこら辺は何とかなるかな。
じゃあ少し大きめの袋でも持って買い出し兼街の散策とでも行きますか。
確か袋はリビングの端の方に色々と纏めていたのでそれを使えばいいかな。
私はちゃんと使えるように《創造》したか心配になりながらも、早速キッチンから離れリビングへと向かう。
――と、そこでふとリビングのテーブルの上に見慣れない折り畳まれた紙が置いてあるのを見つける。
「あれ、こんな紙あったっけ?」
不思議に思ってテーブルに近づくと、その紙に何か書かれているのが分かった。
「ええっと、なになに……はたしじょう?――――果たし状!!?」
全く思いもよらない物がそこに置かれていたので、私は思わず大声を出してしまう。
果たし状とは、これまた古風な……。
でも、こんな物が家にあるとか恐ろしい。こんなもの読まずに捨ててしまいたいけど……それはまずいんだろうなぁ。
恐る恐る紙を広げてみると、そこには大きく『門の前のビルに朝八時に一人で来い』と書いてあった。
しかもご丁寧に紙の裏には『シュナへ』と名指しで書かれている。
――――ナニコレコワイ。私何かしたっけ?こんなにも人畜無害なのにどうして……。
というか、朝八時って……もう後三十分も無いじゃん!
私は壁に掛けられている時計を見て震え上がった。
遅れたらどうなってしまうのか分かったものじゃない。最悪コンクリートに埋められて…………いや、これ以上考えるのはやめよう。
私は決意を固めると、昨日やられたあの場所へと足を動かした。
◇ ◇ ◇
あれから大急ぎで成長した姿になった後、走って例のビルにやってきた。
来る途中で思ったけど、まだ八時前だというのに街は沢山の魔族達で賑わっていた。聞こえてきた話を聞く感じだと、どうやら市場なんかに向かう人達のようだ。
――――そういえば私は魔族達の言葉を知ってもいないのに理解できるけど、それって転生特典というか、神様の体だからだよね?
門番の話をユイも聞き取れていたって事は……ここが人族の村に近いから大体言語も同じなのかな?
もしくはユイも転生特典で聞こえるようになってるのかな?……後で聞いてみよ。
「さてさて、着いたはいいけどどうすればいいのかな」
私は果たし状にはここについた後のことについては特に何も書かれていなかったので、これからどうすればいいのかよく分からなくて……ビルの前にただ立っていた。
何というか、あまりにも高級そうな感じがするので私一人だと入りずらいというか……。
そう思ってしまい、少しおどおどと立っていたのだけど……その時急に私に語りかけてくる声があった。
「中に入ればいいのさ、お嬢さん」
「――!?」
声をした方を振り返れば、そこには金髪で背がまあ高くて、大学生くらいのような容姿の女性が立っていた。
「えっと……誰?」
「……本当に誰だか分からないって感じで言うのやめてくれない……?」
「ごめんなさい、お姉ちゃん」
お姉ちゃんが立っていた。
「はいはい。中に入りますよ」
「……なんでここにいるの?」
「それはまた後で分かるさ」
お姉ちゃんはそう言うと私の腕をつかみ、半ば強引にビルの中へと連行した。……ちょっとさっきのことを怒っているのかもしれない。
――流石にふざけ過ぎたとは自覚はしているんだけど。
うーん、でもあの果たし状が家の中にあったって事はお姉ちゃんの作った結界を超えてきたって事だし……そう考えると果たし状の差出人はお姉ちゃんって事でいいのかな?
「ほら、そこにソファーがあるでしょ。あそこに座って。……左側のソファーね」
「う、うん」
私はお姉ちゃんに言われるがまま、入って右側にある謎の休憩スペースのような空間のソファーに座らされる。
そして、お姉ちゃんは私がソファーに座ったことを確認すると
「よし、座ったね」
と言って、服のポケットから赤いボタンのついた箱のようなものを取り出すと、勢いよくそれを押した。
そしてその直後、私の座っていたソファーから突然「ウイーン」という謎の機械音と共に枷が現れて私を捕えた。
「………………え?」
私は両手と両足と体にがっちりとはまった何かの金属の枷を見ながらしばし呆然としていた。
「ねえシュナ?」
「な、なに」
「目の前で拘束されている妹を前にして、姉がその妹にあんなことやこんなことをしたとしても、それが姉妹同士なら別に何の問題もないよね」
「……え?」
お姉ちゃんは早口でそう言って、両手をワキワキと動かしながら私の方へと一歩ずつゆっくりと向かってきていた。
何ともいえないその手の動きは、いつもなら大した事は思わないだろうけど……今はただ恐ろしかった。
でもお姉ちゃんの言葉を聞いてみると、確かに私なら私の目の前に囚われたユイがいたとしたら迷わずあんな事をしようと試みるだろう。
「私が今から何をしても許されるよね?」
「えっと…………は、い?」
私は、勢いと恐怖と……色々なものに圧倒され、よく分からないままにそう言った。
だけど、それが良くなかった。
「言質は貰ったぁっ!!」
そして、お姉ちゃんはそう言うと私に飛びつき、そして脇の辺りをくすぐり始めた。
「なっ…………ちょっと!……やめっ、てっ」
あっ……まずい!これは……死んじゃうっ!!
「っ!!は、ははは!やめっ…………やっ、んんーー!!、はははは!」
もうっ、ちょっと……やめてっ!
くすぐりには弱いのに……!
私がやめて欲しいと言うほどにその反応が面白いのかお姉ちゃんの手の動きは素早くなってくる。
「まだ私のくすぐりはこんなものじゃ終わらないっ!」
そして、お姉ちゃんがそんなことを言うとさらにお姉ちゃんの私をくすぐる手の動きが早くなった。
「……っ!ねっ!もう……限界ぃぃ!!」
私はせめてソファーの拘束からでも逃れようと踠くが、力が入らなくて枷が外れる様子はない。
息も絶え絶えになり、私がもう限界に近くなって死んでしまうかもしれないと思っていた時、救世主が現れた。
「ギルティ!」
と、そういって何者かがお姉ちゃんの両手を掴んだのだ!
「はぁ……はぁ……た、助かったぁ」
本当に死ぬかと思ったよ……。
「ゼニアスさん。そんなところにしておいてあげてください」
「……はいはい、分かりましたよ」
お姉ちゃんは救世主さんの言うことを意外とすんなりと受け止め、くすぐる事をやめた。
――本当に助かりました救世主さん。
「あれ、そういえばなんでお姉ちゃんの事を知っ……て…………」
息を整えて、そしてその救世主さんの方を見上げた私は……その姿を見て絶句する。
え……?待って、どういうこと……?
そんな、そんなはずは無い……彼女がここに居るなんてことはあり得ないはず!
「おはようございます」
そんな私の動揺を他所にそう挨拶する彼女の、その声も笑顔も私には覚えがあった。
見間違う筈がない。少し成長しているから分かりづらいけど、お姉ちゃんの腕を掴んでいるのはどう見たって――
「遠坂……咲……」
――その人だった。