閑話:開幕前の憂鬱
今話は翔くんが神界に来る少し前のお話(?)です。
「はぁ……」
私はある事を感じ取ってしまって、思わずため息を漏らす。
「スレイナ様、何か困った事でも?」
「いや、ちょっとね。――――早すぎるんだよ」
助手であるクレハは私の言葉を聞いてキョトンとしていた。
そういえば彼女には話していなかったか。まあ、彼女は私には勿体無いくらい優秀なんだけど、それ故にこの件については手出しさせたくないから今更伝える気はないけどね。
それはさておき、神界の方が時間の流れが遅いとはいえ……流石にこれは早すぎる。
そう、あの子――――ソプラが帰ってきたのだ。
こっちの時間で大体三年位ってことは、あの子何歳で死んだんだ?
――まさか13歳?
はぁ……本当に嫌になるわ。こんなに早いのなら、いっそ記憶をそのままに転生させてあげたほうが良かったかもしれない。
もしそうしていたら、こんなに早く戻ってくることも無かったはず。
でも、彼女にとってこんなに早く戻ってきてしまったことは望んでいなかった事なんだろうけど、これでこの神界の揺らぎも収まってくれるだろう。
――それにしても、本当に変な話だと思わない?
あの子は皆から消えてしまえばいいと、誰も貴方のことなんていらないんだと、そう言われ続けてそれで消えたっていうのに、あの子が消えたせいで神界は大騒ぎ。さらには誰もあの子の代わりを務めることができずに何処かの世界で不具合が発生したらしいし。
彼女からすればたまったものではないだろう。
でも、こうなってしまったからにはしょうがない。先ずは一番はじめに伝えないといけない子の所へ行きましょうか。
喜ぶのか、悲しむのか……一体どちらなのでしょうね?
「クレハ、少し人に会ってきます。その間この部屋の留守を頼みます」
「はい、了解いたしました。ではここでお待ちしております」
そうして私はクレハに留守を頼んで仕事部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
「そう……ソプラが戻ってきたのね」
私がソプラが戻ってきた事を伝えると、目の前の彼女は何とも言えない表情でそう返した。
私ですらこの状況に何と思えば良いか分からないのに、彼女からすればもっと複雑に思っているのだろう。
「あの子って本当に不幸に好かれているわよね?」
だからこれも共感してくれるだろうと思っていたのだけど――
「いいえ、ソプラは不幸になんか好かれていません……。もっと、もっと私が早く気づいてあげられていたら!」
――はぁ……この子もこの子ね。
少し面倒だが、私は少しその間違いを正しておく事にする。
「気づいてあげられたら……どうなったの?」
「それは……。それは!」
「ストップ。……もし貴方が気づいていたとしても何も変わらなかったわ」
また『私が〜』だなんて言いそうだったので彼女の口を止める。……私も、ソプラもその言葉を望んではいないから。
そもそも、仮に彼女が気づいたとしても結局は私の所へやってくる事になったでしょうし。
「貴方にはどうする事もできなかった。違う?……あの子は私に全部話してくれたわよ?」
「え……。それって……」
やっぱりこの子は何も分かっていない。
「貴方の考えている事とは全く違うと思うわよ?貴方、あの子の気持ちを考えた事ある?」
「ソプラの気持ちですか?」
この子は責任感みたいなものが強すぎて、少し盲目になっている節があるわね。
「あの子は貴方に心配してほしくなかった。それだけよ」
「……」
「ほら、ここで止まってても何にもならないでしょ。貴方が今しなければならない事は、不幸の分だけ、いやそれ以上の幸せをあの子にあげる事。違う?」
彼女はどうやら私の言葉をゆっくりと噛み砕いて、理解した様子だった。
それに、その目はさっきとは全く違う……しっかりとした、頼もしい目をしていた。
……うん、どうやら覚悟は決まったみたいだね。それでこそ最高神様だよ。
「じゃあ、いってらっしゃい。あの子は談話室にいるわよ。……まぁ、転生後の人間の魂と記憶だけど」
「どうすれば、いいんですか?」
「貴方の名前をあの子の前で言うだけ。……それを鍵として記憶にロックをかけた」
記憶が戻れば姿もそれに引っ張られて元に戻る筈だ。
「まぁ、健闘を祈るわ。お姉さん?」
「はい。ありがとうございます」
その返事を聞くと私は元の仕事場所へ戻った。
そこである事を思い出し、そして少し笑ってしまった。
「結局あの子、最後は笑いながら泣いていたわね」
誰に言うわけでも無いが、私は呟かずにはいられなかった。
◯ ◯ ◯
スレイナと少し話をした後、談話室に行くと一人の少年が椅子に座っていた。
少年は見た感じではソプラとは思えないけど、生まれ変わったソプラであることは報告書を見たところ間違いないだろう。
そして、報告書からこの子もいじめられていたのが分かったりもした。
まぁ、報告書など無くとも少年の目を見れば察しがつくけれど……。
こういう子の姿を見ると私の無力さを思い知らされる。人は実際脆いのに互いに恨み合って……この子は恨まれても恨みはしなかったようだけど。
……いや、違う。恨みたくても恨めなかったんだ。
ソプラの生まれ変わりとはいえ、この少年の記憶や魂は本物。……罪のない人をこんなことにしてしまった自分の無力さに嘆きたいし、何よりこの子をここへ連れてきた……殺したのは私が作り出した存在であるシオンだっていうじゃない?
はぁ……本当に自分に腹が立つ。
でも、スレイナに言われたじゃない……不幸以上の幸せをって。だったら、ここでくよくよしている場合じゃない。
――やらなければ。
「翔くん……だったかな?」
「はい。……ところで、誰ですか?」
虚な目をした少年は、目だけをこちらに向けてそう言った。
冷たい視線。……その顔に表情は無かった。
この少年、どうやらかなり心に傷を負っているようだ。
「私は、私の名前はまだ話せない。ごめんね」
「はい」
「ごめんね……」
彼の姿を見ていると、思わずそんな事を言ってしまった。
「……?」
そうだよね。何のことか分からないよね。
だけど、それを伝えてしまったら更に彼の心が壊れてしまいそうだからやめておこう。
でも……
伝えるべき言葉を出せずにしばらく下を向いていると、彼は少し心配そうに
「大丈夫ですか……?」
と、小さな声で聞いてきた。
もちろん、彼の顔に表情なんて無かった。だから、余計に心に響いた。
絶対に彼自身は大丈夫じゃないのに、こんな私に気遣ってくれる。……何も出来なかった私に。
「私は……私は貴方と私の妹を助けることができなかった。……だから謝りたかったの」
「妹……?」
「信じられないかもしれないけど貴方の前世は神様なんだよ。そして、私の妹」
「……そうですか」
彼は少し、ほんの少しびくっと体を動かしたが、直ぐに元の状態に戻ってしまった。
それは彼にとってその程度の情報だったということか、もしくは――
――いや、やめておこう。こんなの分かりきった事だ。
「それで、勝手な願いだって分かってるんだけど。妹と話がしたいの」
「…僕は何をすればいいんですか?」
「ただ、そこでじっとしているだけでいい。それで貴方の人生が終わる」
そう。妹と話をする以上彼はその身体から離れなければならない。そうなれば、妹が彼に意識を譲らない限り彼は完全に消える事になるだろう。
だけど私は止めない。例え目の前のこの少年を傷つけることになろうとソプラだけは助ける。
私は強い覚悟を持って少年にそう言った。反論も全て受け入れるつもりで。
「そうですか。大体分かりました。でも、貴方のいう妹はどうなるか分かりませんよ?」
だからこそ、この言葉に上手く反応できなかった。
この少年は自分のことなんて見ていない。何処までも他人を……他人の為に生きている。
今この瞬間、彼は自分が消える事すらも受け入れ他人を心配し、全く見ず知らずの私の妹の為に命すら捧げようとしている。
――――こんな嘘みたいな人間がいるなんて想像したことも無かった。
「いいの、私はもう覚悟した。貴方を消す事も、妹に会う事も」
ごめん。君を不幸の分以上幸せにする事は叶わないけれど、どうか許してほしい。
「僕はいいですけど、妹さんは本当にこれを望んでいるんですか?別に僕を消さないでほしいとかそんなのじゃないですけど。何となくそちらの事情は複雑そうですし……妹さんの事も尊重してあげて下さい」
重い、とても重い言葉。逃げ出してしまいたい気持ちは正直あるけれど、私は必ず全て受け止めなければならない。――それが、私の今の役目。
「分かったわ。出来る限り……いや、必ず」
私がそう言うと、彼は少し微笑んだ。
「ありがとうございます」
なぜ彼は私にありがとうと言うのか分からないけれど、きっと知らない方がいいのだろう。知ってしまったら最後、きっと彼を消すことは私には出来なくなってしまうから。
「……貴方に私の名前を伝えればその瞬間貴方は消える。二度と戻る事はないかもしれないけど、覚悟はいい?」
「はい。……むしろそうなる事を願ってますよ」
……これは彼なりに応援してくれてるって事なのかな?
本当に、底なしの善人というか……この子のような子が神様であるべきなんでしょうね。私なんて、彼と比べたら酷いものだ。
「それじゃあ、私の名前は――――って言うの。いい名前でしょ?」
「――――ですか。確かにいい名前ですね」
……ありがとう。
私が彼に名前を伝えたその次の瞬間、彼……いや彼女は苦痛に満ちた表情を浮かべる。
そして――
「あ、あぁ……!?僕は一体……私?何!?誰が……?いや……。嫌っ!やめて、苦しい!!だ……だれなの?消えて!あっ、あぁぁ!!!」
――部屋中に叫び声が広がった。
まずい……!!糸が、糸が切れかかってる。……このままだと、ソプラと彼の記憶が消し飛ぶ!!
予想以上の精神の不安定さにソプラと少年の記憶と魂を繋ぐ糸が切れかかる。
これが切れてしまえばソプラも少年も全てが消えて無くなってしまう。
――それだけは阻止しなくてはならない。
「《金獅子の精神》!!」
私が咄嗟の判断でソプラの精神にかかっている負荷を取り除いてあげると、ソプラは息を切らしながらその場で座り込んだ。
――ソプラ……。
スレイナの言う通り精神に精神体が引っ張られて元の姿を取り戻している。
しかし、ソプラは私には見せたことのない辛そうな表情をしていた。
その姿を見て、私は今更ながらにソプラを戻すのはやめるべきだったのではないかと思ってしまった。
――でも、私は彼と約束したじゃないか。
「……大丈夫?ソプラ」
「……ありがとうお姉ちゃん、私は大丈夫だよ。………………って言ったら安心してくれるの?私が大丈夫に見えるの?」
……っ!
私は何か、何か声をかけれないかと返す言葉を探した。……でも、返せる言葉なんて無かった。
私は、私はただソプラの言葉を受け止めることしかしてはならない。許されていないのだ。
全部、受け止める。……それが私なりの覚悟なのだから。
「ごめん。今の質問は酷だったよね。……じゃあさ、もし自分が怪物で人と仲良くなりたいのに人々から恐れられたらどうする?」
そんなの……そんなの認めてもらうまで頑張るしかないじゃない。
現実に足掻き続けるしか、ない。
「例えが分かりにくかったかもね。……多分お姉ちゃんの答えは凄くいい答えだと思うんだ。でもね、同時に夢に溢れすぎている」
ソプラ……一体、その質問で何を言いたいの?
「……自分の答えについてよく考えてみて?本当に、本当にそんなことできると思ってるの?
実際に追い詰められたら、みんなと仲良くなるための方法を考える余裕なんて無いんだよ。
大体、そんな事を考えようと思えなくなるほど心が傷ついちゃうんだから。何も、何も考えたくなくなっちゃうんだから」
きっと、ソプラの言っていることは正しい。私もそんな事になったら諦めてしまうかもしれない。
でも……私はソプラを元に戻すのを諦めたくない。
「……その話に希望はなかったの?」
「希望……ですか?あったとしても変わらないと思うよ?だって、怪物本人が希望の光を自分の手で黒く染めてしまう事を恐れているんだから」
なら、ソプラはもしかしてその優しさ故にこんな事に……?
…………。
「そう、だからもっと早く気づいてあげられたら。みたいな事は言ってほしく無い。……気づかないフリでもいいから気にしないでほしかった。私の魂を、ここに戻さないでほしかった。
そうなっていれば、少なくともさっきのように心が壊れかける事は無かったはずでしょ?」
……やっぱり、本当は戻すべきじゃなかったのかもしれない。
本当は彼の言う通り『本当にソプラが望んでいる』のかを、ちゃんと考えてあげれば良かったんだ。
ソプラの言葉に私は今更ながら後悔した。
「ごめん……ごめんね」
「別に謝ってほしい訳じゃないよ。……それで、私をここに戻したって事は何か用があるんでしょ?」
「……ええ。頼みにくいんだけど、ソプラが居なくなった後翔くんが飛ばされた世界。人族が魔族を滅ぼそうとしている世界が生まれてしまったの。
世界を助けるか、それとも全部を救うか、どっちか選んで実行してほしいの」
本当に、ソプラに対して自分がどんなにひどい事をしているのか自分では分かっているつもりだ。
だから、余計自分に腹が立つし罪悪感も重くのしかかる。
「……みんなは私に『お前なんて誰も必要としてない』だとか、『お前の変わりはいくらでもいる』とか言っておきながら私にそれを頼むの?
はぁ……やっぱりみんなは私のことを使いやすい道具としか思ってないんだね」
そんな、そんなことない!
「……やめて、ソプラは私にとって愛すべきたった一人の妹なんだからっ!!」
「っ!?…………大丈夫、安心して。私だって望んで道具になんかなったりしない。……それに、勇者?でなんとかすればいいんじゃないの?」
無理なんだよ。あの世界の勇者はもう勇者として機能していない。
「例えば、ほら、ここに勇者がいるけど?」
私がそう思っているとソプラは自分自身を指差してそう言った。
勇者……?あっ!
「翔くん?」
「そう。僕がその仕事をしたら私は居なくなれるし、彼も生き返れるし、お姉ちゃんも問題が解決できて全員得をするんじゃないの?」
「確かに、そうだけど。私はそんな事したくない」
折角会えたのに、またソプラと会えなくなってしまう。
「はぁ……じゃあお姉ちゃん。僕がその世界をどうにかするまでは私を消して。どうせお姉ちゃんの事なら私の元の体はとってあるんでしょ?」
確かに、保管室に一応魂の抜けた元の体は厳重に置いてある。
ソプラが体だけになってもまだ傷つけようとする奴等から守るため、一部の神しか知らないけれど。
「そして、全部終わって私がまた戻ってきたら、その時はお姉ちゃんの謝罪をきちんと受け止めてあげる」
「本当!?」
「うん」
良かった……!そうしたら、きっと元の生活に戻れるはず!
「そうと決まれば私はスレイナ様の所へ行くから。あと、僕にも精神の負荷を取り除いてあげるのと、記憶を少し改変してあげてね」
「うん。分かった」
「じゃあね、お姉ちゃん。私の希望は勿論そんなもんじゃ折れないよね?」
ソプラはそう言うと部屋から出て行ってしまった。
ソプラと話して私は痛感した。私はなんて無力で愚かな奴なんだと。
そして、そんな私にも優しさを向けてくれるソプラは私には勿体無いくらい本当にいい妹だと改めて思った。
多分、今がソプラと話す最後のチャンスなんだろう。そうしたらその先何年か、また会えなくなってしまう。
でも、私はその時を待つ事にするよ。その時が来たらソプラにちゃんと『ありがとう』が言えるようになるため、私はまだ諦めるわけにはいかない!