閑話:とある神様が転生するまで
コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
私はその音に気がついて、布団から出て部屋を眺める。
カーテンの隙間から漏れる一筋の光が、暗い部屋をほのかに照らしていた。
「ソプラ、起きてる?」
「うん……起きてるよ」
ついぼうっとしていて時を忘れていた。今は何時だろう。
私はベッドに転がっている時計を探して、十数秒探しても見つからなかったので諦めた。
「ご飯できたから降りてきてね。仕事に遅れちゃうから、早く準備するのよ?」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん」
お姉ちゃんは部屋の前でそう言うと、静かに離れて階段を降りた。
私は、わざわざ起こしに来てくれたお姉ちゃんに返事を返して、重い足を上げてベッドから出る。
……眠くは無いけどまだ寝ていたい気分だ。――もちろんそんな事叶わないけど。
「仕事、行きたくないなぁ……」
私は部屋の中でポツリと、誰かに言うわけでもなく呟いた。
正直なところ、最高神というモノをよく理解していなかった。甘く見ていた。
本当は、私の思っていたものより何倍も辛い仕事だった。
周りから沢山の期待と重圧をかけられて、でも私はまだ幼いから周りに認めてもらえなくて、妬まれて、恨まれて…………。
そんな毎日の積み重ねで、もう心も体も疲れ果ててしまった。
――あの頃の私が今のこんな姿の私を見たら笑うだろうか。
最近思うのはそんな暗い事ばかりだ。
でも、私は仕事をし続けなければいけない。
辛いけど大切な仕事だから、私じゃないといけないから。
だから私はそう自分に言い聞かせながら今日も頑張る。
◇ ◇ ◇
「いただきます」
今日もお姉ちゃんは私のために朝ごはんを作ってくれた。
……こんな私のために、いつもありがとう。
そんな事を思いながら、私の好きな焼き加減のパンをかじる。
……おいしい。
お姉ちゃんの作るものなら、どれだけだって食べられちゃいそう。
私はもぐもぐとパンを口に運んでいく。
「ねぇソプラ、最近どう?」
「どう、って……?」
「ん〜〜、色々。でも、そろそろ最高神になって落ち着く頃でしょ?
だから最近何か困った事はないかなぁ、って」
あぁ……。
「普通、かな」
――本当は普通じゃ無いけど。
でも、普段通りという意味では普通かもしれない。
お姉ちゃんはそんな私の言葉を聞いて少しだけ首を傾げたが、ホッと息を吐いた。
「そう……?まぁ、普通が一番って言うし良いのかな」
「うん、普通が一番だよ!」
やっぱりお姉ちゃんは優しい。でもだからこそ怖いことがある。
もしお姉ちゃんにいじめのことを話せば、間違いなく何があっても私のことを守ろうとするだろう。
そんな事になったら、今度はお姉ちゃんが恨まれてしまう。
だから、私はお姉ちゃんの前ではできるだけ明るくあろうと元気に話す事にしている。
もう前みたいに自然にそんな事はできなくなったけど、口元の微笑みだけは崩さない。
……今度こそこの生活が終わってしまう気がしたから。
あぁ、私はなんて酷い妹なんだろう。
昔は楽しかった筈のお姉ちゃんとのお話も、今は自分を偽って本心を隠している。
――ごめん。でも、私はそうしないといけないんだ。
◇ ◇ ◇
その日の仕事終わり、いつものようにいじめられた私はある事を思い出した。
それは『神殺しの剣』のこと。
普通神は死ぬことができない。そのため私は終わることのない苦痛を味わっている訳だけど。その剣があれば神を殺すことができる。――つまり、死ねるのだ。
でも、そんな剣が存在するなんていう話は殆ど聞いたことがない。第一、全ての生みの親である母神様がそんなものを作るとは思えない。
だから、私はやはり死ぬことができないのか……と絶望していたのだけど。
『神殺しの剣』と同時に思い出したことがある。
それは確か管理神の仕事をスレイナ様に聞きにいった時の事。
スレイナ様は他にも転生神を兼任していたと言っていた。
私が罪を量る審判神を少しやっているのと同じように、スレイナ様もまた他の役職を兼任していたのだ。
それをふと思い出した私は、スレイナ様の所へ足早に向かった。
あの話が本当なら、消える事ができるかもしれない……と、そんな事を思いながら。
◇ ◇ ◇
数分歩き続けて、スレイナ様の居る部屋の前まで辿り着くことができた。
私の仕事場とスレイナ様の仕事場は近い為、思ったより早く着くことができた。
「スレイナ様!」
そして、私は扉の前に立つとノックもせずに大声で呼んだ。
しかしスレイナ様はそんな私の態度を気にした様子もなく、部屋の中からは
「はーい」
と、一言返事があり、その後扉を開けて私を部屋の中へ通してくれた。
「それでソプラ、今日はどうしたの?」
綺麗に整頓された部屋の中、スレイナ様は扉から入って正面奥にある仕事机に寄りかかりながら、落ち着いた様子でそう言った。
何というか、その姿はまさしく頼れる先輩の姿だった。
「……わざわざここへ尋ねてくるって事は、管理神の仕事で困ったことがあるとか?」
どうやらスレイナ様は私がここへ来た時点で、私が何かを相談しにきたのだろうと見抜いた様だ。
その観察眼には、流石と言うほかない。
「少し違いますけど、そうですね……ちょっとした相談とお願いがあります」
「そ、そう……?」
どうやら私がいつもの雰囲気じゃ無い事を察したのか、スレイナ様は私のことを少し変に思っている様だ。
まあ、それも仕方ない。私はもうお姉ちゃん以外には笑顔を見せる気はないし。
わざわざ愛想を良くする為に表情筋を動かすことも面倒なだけだから。
――と、この話はここまでで。
私は何故ここへ来たのかスレイナ様に全て話した。
すると、スレイナ様は少し考え込んだ。だけど、しばらくして結論を出した様で顔を上げて言った。
「はぁ……しょうがないわね。あまり褒められたことじゃ無いんだけど、分かった。あなたを転生させましょう。
でも、その前に一つ質問をしても良いかしら?」
「もちろん、それで何ですか?」
私は特に断る理由もないので質問を受け付ける事にした。
それに、これからの恩を考えればそれくらい別に良い。
「……あなたは自分が消えることをどう思ってるの?」
私が消えることをどう思っているか?
「そんな事で良いんですか?」
「ええ、私はそれを聞きたいの」
――そうか、なら質問の答えは簡単だ。
「私は別に良いんじゃないかって思ってます。私一人いなくなったところで周りの誰かがその穴を埋めるのだろうし。
もっとも、その周りの誰かが『お前なんて居なくてもいい』とか『消えてしまえ』だなんて言うから。
……それに、このままお姉ちゃんを騙し続けるなんて私には辛すぎる」
私は私の思うままの事をスレイナ様に話した。すると、スレイナ様は少し悲しそうな顔をして
「あなたは頭が悪いわ、ソプラ……」
と呟くように言った。
私も、誰に向かって言うのでもなく、呟くように
「よく言われます」
と言った。
そんなやり取りの後、スレイナ様は私に転生のことについて話してくれた。
どうやらスレイナ様は私を記憶を消してしばらくの間人間界に転生させてくれるらしい。
人間界に神様が干渉しすぎるのは許されていないので、確かにこの方法なら上手くいけば約百年は神界から離れて連れ戻されずに済む。
「スレイナ様、こんな私のためにありがとうございます」
「いや、良いんだよ。これくらいソプラが願うなら何だってやってあげる。――例えあの子を裏切る事になってもね」
「本当にありがとうございます。……それじゃあ、お願いできますか?」
「うん、分かった」
スレイナ様はそう言うとパチンと指を鳴らした。すると突然私の体が白く光り出す。
そしてそのまま私の全身を眩い光が包み込んで、少しの浮遊感と共に意識がどこかへ送り飛ばされるようにかすれていった。
「良い旅を」
――こうして、とある神様は神界から消えたのだった。