転移≒転移
辺りは暗く、ひんやりとした冷気が体を包み、思わず身震いしてしまいそうな程だった。
こんな時は手を擦り合わせて少しでも温めたいが……残念ながらそれは許されない。
何故ならば、僕は今椅子に縛り付けられ動くことすらできない状況にあったからだ。
もう、牢へ兵士達に無理矢理連れてこられてから何時間も、もしかしたら既に一日経っているかもしれない。
長い時間兵士達に尋問という名の拷問を受け、何かよく分からない薬も打たれ……そのせいで口の中が血の味で滲むし、身体中はボロボロだし、口の中が切れており声を出す事すら苦労する。
それに、さっきまでの記憶は曖昧で……尋問中に関しては意識が朦朧としていたようで何を喋っていたのかもよく分からない。
――――どうしてこんな事に。
自分の境遇を嘆いてみるが、ただ悲しくなるだけなのでやめておく事にした。
だけど、不幸中の幸いと呼べるかは怪しいが痛覚弱化のお陰で痛みを感じない。
いや、正確には感じることには感じるが兵士たちに殴られても衝撃を受ける程度でそこまでの痛みは感じない。
これが無かったらおそらく心が折れて……想像もしたくない結末が待っていただろうからこのスキルには感謝しかない。
とはいえ、このスキルは痛みを和らげるだけで体へのダメージはそのままなので注意しないといけない。
まあ、そのダメージも僕のスキルである被ダメージ軽減によってある程度解消されているわけだけど。
――ところで、そろそろ兵士達がやって来て尋問をしにくる頃のはずだけど、なかなか来ないな。
さっきまでは二、三時間おきくらいに来ていたのだが……。
いや、来ないなら来ないで嬉しいのだけど――――何か嫌な予感がする。
そんな事を感じていたその時、ガシャガシャと鎧が擦れるような音が遠くの方から響いてきた。
そして、しばらくしてその音の発生源である兵士がやって来て牢の中へ入ってくる。
兵士はどうやら一人だけのようで、これから尋問が始まるという雰囲気でも無さそうだ。であれば何のためにここへやって来たのか。
そんな事を疑問に思ってはみたが、特にそれと言って思い当たるものはない。
もしこれが物語か何かだったらこの兵士は実は僕を助けに来た友人で――――とか、良い感じのストーリーに落ち着くのだろうが、生憎とそんな物語のように上手くいくはずもなければ僕に友人などというものも存在しないのでそれは望めないだろう。
という事で、僕はなるようになるさ精神で兵士の動向に注視する事にしたのだけど――
「着いてきてもらおうか」
兵士は重い口調でそれだけ言うと僕の足の拘束を外し、牢の外へ出るように促した。
僕を前に行かせたのは背後から攻撃される危険があったからだろうが、どうやらここでは魔法が使えないように仕掛けがされているようなのである意味その行動は無意味とも言えた。
それに廊下を進んだ先に人の気配がするので逃げ出す事もできなそうだ。
この雰囲気じゃ僕を解放する流れでもなさそうだし――――先のことを考えると本当に嫌になる。
こうして僕は兵士たちに言われるがままに何処かへと連行されていった。
◇ ◇ ◇
さて、兵士たちに連れて行かれた先、それはどこか前の世界の法廷に似た場所だった。
許される範囲で首を動かしてみると……僕の前には転移して来た時に見た国王様と、王妃や王子、それに王女らしき人物が並んでおり、その周りにも髭を生やした偉そうな人が何人か居ることから今回の事件がどれほど大事だったのかが窺える。
また、左右には捜査官らしき人や教会の人物らしき人が並んでいることが分かる。
――そして、木の柵を挟んだ後ろ側にはクラスメイトたちが並んでおり、こちらに冷ややかな目線を向けているのを感じる。
今まで生きてきてここまで人に注目されたことなど一度もなかったが……成程、視線が痛いというのはこういう事を言うんだな、と身をもって感じた。
と、そんな事を考えていた時、王様が口を開いた。
「勇者……いや犯罪者ヒノカケル。
お前は残念な事に長い間この王宮に勤めていたメイドのミサーナを殺害した。そんな犯罪者を我は勇者と認める事はできん。……よって、お前を国外へ追放する事にした」
淡々と僕のありもしない罪状を述べる王様。
どうせその顔の裏では笑っているのだろう。――厄介なメイドと勇者を一度に処分できて嬉しいと思っているに違いない。
だが一応ダメ元で抗議しておかなければならないだろう。
「そんな事実は一切ありません、冤罪です!そもそもか――のじょを殺す動機がありません!」
「ふん、犯罪者はそうやって嘘を付くものだ。そうやってまた罪を増やすな。……本当に腹立たしい!」
王様は僕の反抗には耳を傾ける気はないようで、そのように言ってきた。
だが、ここで僕が折れるわけにはいかない。
「でも証拠は無いでしょう?それにそもそもこんなステータスで彼女を殺せる訳が無いじゃありませんか」
そう、証拠がなければ妄言を吐いている事と同じ。それに僕はやっていないのだから証拠など出るはずがない。
証拠をでっち上げるにしても流石に一日かそこらでは無理だろう。
そう思っての発言だったのだが……
「証拠ならあります」
僕の考えとは裏腹に、突然僕の左側からそのような声が飛んできた。
「ほう……では聞かせてもらおうか?」
そして王様は先の声の主にその証拠というものを話すように言うと、ある一人の男が立ち上がって話し始めた。
「先ず、動機がないと言う事でしたが……話を聞く限り彼はどうやら勇者様方の間でも邪魔者だと思われているようで若干虐げられていた面がありましたが、そのせいでストレスが溜まり、勇者様方のサポートとして身近にいたメイドである被害者の殺害に至った……と考えられます」
その言葉に思わず『そんなの、こじつけただけじゃないか!』と言いそうになったが咄嗟に我慢する。
ここで怒りに任せて何かを言って余計に状況が悪化するのはまずいと思ったからだ。
しかし、そんな事関係なしに更に状況は悪化していく。
「更に彼は《催眠》を用いて事情聴取をする中で自分の罪を自白しました。まぁ、本人はそれを覚えてはいないでしょうが。
……ああ、勿論映像として録画しておりますので今ここでそれを流す事もできます」
自白なんかした覚えがない。だけど……したんだろうな。
あの時打たれた薬が僕の記憶を混濁させるような物で、意識の朦朧としていた僕に無理矢理ありもしない罪を告白させたのだろう。
「それに……そもそも犯行現場を勇者サカグチトモヤ様が、見たものを映像として記録する魔道具で録画していました。
その映像には無論ヒノカケルの姿が映っており、映像が改竄されたような痕跡もありませんでした」
なっ……!?まさか誰かが僕の姿を偽装してミサさんを殺したのか!?
僕は脳内であの日の出来事を思い出してみる。
記憶の中には、不自然な事に抵抗もできずに殺されたようにみえるミサさんの姿があった。
――――そうか、おそらく僕の姿をした何者かに呼び出されて……ミサさんは僕の部屋で抵抗もできずに殺されたのか。
僕はそれを分かってしまった瞬間、怒りが自分の中で燃え上がるのを感じた。
この怒りに身を任せて仕舞えばどんなに楽か。だけど、それは何も生まないし……余計に状況を悪くするだけ。
だけど――
『おい、その辺にしておこうぜ。……なんせ今日は』
『ああ、分かってる。行こうぜ、こんな奴ほっといて』
ふと……あの日いじめっ子達が言った事を思い出す。
あの時は軽く流したが、その言葉が含んだ意味を今になって理解してしまった。
――そうか、全部お前らのせいで……。
もうこの時には怒りや憎悪なんかの黒い感情は、ここにいる奴らを全て殺してやろうかと思ってしまうくらいには肥大していた。
とはいえ、もうこの状況からどうにかすることはできないだろう。それくらい追い込まれてしまった。
「さあ、もう言い逃れはできないぞ、犯罪者よ」
王様が僕を更に追い詰めるようにそう言う。
もうこの状況からどうにかならないのは僕が一番分かっている。分かってはいるが――本当にこのまま終わっても良いのか?
ミサさんとあんな約束をしておいて、何もできずに終わっても良いのか。
王様は僕を国外追放処分にすると言った。謎の善意が働いたのかは分からないが……それならまだ可能性はあるだろう。
だから――――いつか、この国を潰す。そして……僕と彼の復讐をするんだ。
その為には僕と彼という存在を覚えてもらわないと話にならない。
実は裏で色々動いてはみたが、それが実を結ぶかは正直なところ他人次第。であれば、今ここで大勢の印象に残るような何かしらの行動を起こさなければならない。
「……分かりました。そちらがその気なら僕も覚悟を決めます」
苦渋の決断ではあるが、このまま終わるわけにもいかない。
しかし、ここから上手く事を動かすことは僕には難しい。
「ほう、大人しく処分を受け入れると?」
僕の言葉を受け、王様が少し驚いたようにそう言う。
その言葉は半分正解で半分間違っている。なぜなら
「そうですね……処分は甘んじて受け入れましょう。ですが、このまま終わる気は更々ありません」
「……何が言いたい」
「何年かかってでも、僕は必ずここへ戻ってきます。そして…………復讐してやる」
僕の言葉を国王は狂言だとみたのだろうか。国王はふっと鼻で笑って言った。
「そう息巻くのは良いが、たとえその時がきてもお前のような無能のことなど誰も覚えていないだろうよ」
確かにこのままではそのようになるのがオチだろう。が、印象に残る様な事をすればそれも少しは変わる筈だ。
こんな所で日頃のトレーニングの成果を発揮することになろうとは思ってもいなかったが……この際仕方がないだろう。
――覚悟は決まっている。後は実行に移すだけ。
僕は深呼吸をすると、縛られた手を何とか自分の左耳のところへ持っていく。そして
「ならば……僕の体に印をつけましょう――《切断》」
僕が言葉にイメージを乗せて放つと、スパッと音を立てて僕の左耳が切れて床に落ちる。
一瞬走る痛みに少し顔を引き攣らせそうになるが、なんとか抑える。
《切断》とは生活に役立つスキルとして広まっているもので……僕がトレーニングの中で唯一覚えられたスキルでもある。
このスキルは手で触れたものを切断――小さなものや硬すぎないものに限られるが――することができる。僕はその高い汎用性に目をつけ、これだけは手に入れようと努力したのだ。
とはいえまさかこんな使い方をするとは僕は勿論だが――このスキルを作った神様でさえも予想だにしなかっただろう。
さて、そうして僕は復讐の誓いとして左耳を切り落としたのだが――この部屋中に騒めきが走っていることからそれなりに印象は残せたようだ。
「ふ……狂ったか。まあいい、こいつの望み通り治癒をしてから転移させろ」
王様はそのように言って自分の隣にいた女性に何か指示をする。すると、その女性が僕の元へやってきた。
彼女はおそらくこの国の王女。年齢は僕らと同じくらいで王様と同じ金髪翠眼であり、容姿端麗で非の打ち所がないくらいの美少女なのだが……その内面はこの国の王女として相応しいくらいには黒く歪んでいることだろう。
さて、そんな彼女は僕の元へ近づいてくると小声で僕に話しかけてきた。
「どうも、もう既に察しているようですが私はこの国の王女です。そしてこれから貴方の刑を執行する者でもあります。
……それにしても本当にお父上は優しいわよね。私だったら貴方のことを追放処分だけで許すはずがないもの」
王女は無機質な声でこちらに話しかける。彼女の態度は冷静……というよりも冷酷といったような感じだ。
「そう」
「ええ。私たちは従順な犬が欲しくて態々何人もの犠牲を出して勇者召喚を行ったというのに……貴方のような鼠が紛れ込んでいたら、苛立ってしまうのも無理ないわ。
だけど、貴方も無理矢理この世界へ連れてこられた身。それに配慮して殺しはしなかったのはお父上が慈愛の持ち主であるからに他ならないわ。
……まあ、私にはそれが理解できないのだけれど」
どうやらこの王女様は僕が裏で暗躍していたことを察しているようだ。
それと、話の内容から国王に対して尊敬の念を抱いている様に感じたが……どうやら違うらしい。
「それはまたどうして」
「ちょっと考えたら分かるわ。貴方みたいに放っておくと危険な人間を国外へ追放するのよ?
それに機密情報を他国に流されたらたまったものじゃないわ」
それはそうだ。僕も国外追放と聞いてそれが思い浮かんだ。まぁ、実行する場合あまりに危険が多すぎるので行動を起こすのはかなり先になりそうだが。
しかし起こして仕舞えばこちらのものだ。でも、確かにそんな存在を安易に国外へ逃す国王はどうかと思う。
「でもまあどうせそこら辺は対策されているんでしょ?」
「その通り。よく分かったわね。……察しの通り貴方を薬と魔法で操っていた時に機密情報を他人に漏らせないように《契約》させてもらったわ。
……ああ、一応忠告だけれど、どこまでが契約の範囲なのか試さないほうがいいわよ?死にたくないのならね」
どうせそうだろうと思っていた。――しかし、やっぱり僕が暗躍していたことは王女様には見抜かれていたわけか。
薄々勘づいてはいたが、どうやら相当な切れ者らしい。――となると、僕は結局こうなる運命にあったということか。
「さて、これ以上話していては変に思われてしまうし……手早く刑を執行するとしましょう。
では取り敢えず――《治癒》」
王女が治癒の魔法を使うと、僕の体が緑の光に包まれて左耳の出血が止まった。
勿論耳は治っていない。そういうのは上位の治癒魔法でないと治せないらしい。
王様と王女様はそれを知った上で上位の治癒魔法をかけなかった。僕の言葉を尊重してくれたのかもしれない。――単に僕に上位の治癒魔法をかけようと思わなかった可能性もあるが。
まぁどちらせよ……これから何処かへ転移させられてしまうというのは変わらない。
僕にできるのは、ただその刑の執行を待つことだけなのだから。
「さて、これで治癒はおしまい。あとは貴方をどこかへと転移させるだけなのだけど…………そうね、魔族領へでも飛んじゃう?
お父上からは国から離れた何処かへ飛ばせと言われているのだけど、個人的に貴方のことが気に入らないから……別に構わないわよね?」
「はい……?」
魔族領、だって?……ちょっと待て、それは困る。大いに困る!
魔族領って魔族が沢山いて……それに魔王だって居る所でしょ!?流石に死ぬって!?
「待って、考えを改めて――」
「バイバイ、頑張って復讐しにきてね。――《転移》」
その瞬間、全身を白く眩い光が包み、あの時のような浮遊感がやってくる。
嫌でも分かる。僕はこのまま王女の言うように魔族領へ飛ばされるのだと。
あまりにも急な出来事に時間が引き延ばされるようだった。
だから、目の前で笑う王女の顔も……その奥で僕を鼻で笑う国王も……そして――後ろから飛んでくる僕を侮蔑して嘲笑うような鋭い視線も……その全てがゆっくりと、でも確実に僕の奥深くまで突き刺さる。
――――やめてくれ、そんな目で僕を見ないでくれ。
分かっていても、覚悟していても、その視線は本当に痛くて……そう思った時には既に僕は王宮から飛ばされていた。